『殺戮の宴』 10
8
さあ来い! 来るんだ!!
周囲に潜み、魅惑の栄養源である彼を注視している蚊たち向かって、彼は呼びかける。他のどの部分よりも熱く充血した秘所を、今回は特別に公開してやる。吸うなら今しかないぞ。ここの血は濃ゆくて甘いぞ! 知らんけど……
さすがにこの体勢では、飛来する奴ら全てに酬いをもたらすことはできない。忸怩たる思いではあるが、股間の一点に的を絞って、あとの部分は振り払ってやり過ごす。
3分、5分と、望む成果が得られないまま、時は過ぎてゆく。一度ニアミスして、玉袋に降り立ったことがあったが、主旨が違うのと殴打した際の激痛に怖気をふるい、吸われる前に弾き飛ばした。
8分、10分、虚しく時は過ぎる。払いきれない奴らに刺された箇所が、赤く腫れ上がる。晩夏とはいえ、夕暮れの山中でぢっと全裸をさらしているとさすがに冷えを感じる。もうムリだ、諦めよう……そんな弱気が何度も心を通り過ぎる。
右上から羽音と共に奴が降下する。
来い……ここに来い……熱くて甘い、この中心部に来るんだ……飛来する虫影を注視しながら、彼は念をかける。
ヴンっと、こめかみの辺りに振動を感じる。
視界が切り替わる。
淡い藍色の光に満ちた世界を、ゆっくり飛行しているイメージ。眼下にはたまらなく食欲をそそる淡いピンク色の塊が、細長く伸びて円い形状を作っている……
「なんだっ?!」
思わず叫んで尻餅をつく。フルフルと頭を振って、妙なイメージを振り払う。
疲れのあまり幻影を見たか? いや、頭ははっきりしてるし、幻影にしてはリアルだった。あの感じは……空中を飛んでいた? あの美味そうなピンク色の物体は……俺? もしかしたら……
「さっきの俺は、蚊になってたのか?!」
呆然とした心持ちのまま、再びのけぞってブリッジを作る。次々飛来する奴らに同化すべく気持ちを集中する。しかし、さっきみたいなムシの境地は何度トライしても感じることができない。
一旦休止して、シャツだけ羽織って一人作戦会議に入り、同化した瞬間のことを思い出そうとする。プンプンと容赦なく押し寄せる奴らに何度も集中を乱され、ええいなんでこんなに蚊が多いんだと思わず独りごちる。
ーー 考えるな。感じるんだ! ーー
ふっと、『燃えよドラゴン』中、最も有名かつ深淵な台詞が胸裡に弾ける。
そうか……彼は顔を上げる。俺は、俺のPさんに意識をむけすぎていた。違う。奴らはただ、血が吸いたいだけなんだ。俺自身のPさんや快楽など、奴らにはどうでも良いことなんだ……
透明な境地のまま、美しいブリッジを形作る。ラスボスハンと対峙した師父のように、瞑目して相手の存在そのものに意識を向ける……
淡い藍色の光。たまらなく美味そうなピンクの塊……よし、来たっ!! 平静を保ち、同化を切らさないようにする。
意識のほんの一部を投影している状態らしく、蚊の視点を得た今も、彼としての意識と感覚もちゃんと保っている。
右移動、左移動、上方移動、考えなくても容易にこなせる。奴らは視覚だけでなく、温感や嗅覚を含めた総合的な感覚で世界を捉えているようで、感じられる世界は全く違う。
しばらく空中浮遊を楽しんだあと、眼下のピンク色の塊に集中する。よく見ると温度の違いで各部分の色が変化しており、紛れもない人体であることが分かってくる。
その中心部、ひときわ熱気とえもいわれぬ臭気を放つ部所が、眩しい薔薇色に輝いている。
間違いない。
ロックオンし、急降下する。
左下に近づいてくる、薔薇色の美しい巨大なものが、紛れもない自分自身のPさんであると知り、彼は誇らしさを感じる。龍の首を想わせる “それ” は、時折ビクンと脈動しながら、天を衝くようにそびえ立っている。
棒状のそれの先端、縦に亀裂が入った部分に当たりをつけて、注意深く降り立つ。
「あ、くっ……」
感覚を保ったままの彼も、自分自身の敏感なそれに、体長2センチはありそうな巨大な蚊が降下するのを感じる。
生命の源である滋養のたっぷりつまった液体が、足元に流動しているのが分かる。数歩移動して、深く暗い亀裂の入り口に狙いを定める。縮んでいた口吻を真っ直ぐに伸ばす……。
なんかあそこに挿入する感じに似てるな……と彼は思うが、もちろん童貞なので思ってみただけに過ぎない。
伸びた口吻が、おもむろにパカッと五本に別れる。
「うぇっ!」っと、彼本来の意識としてはエイリアン映画さながらの光景に怖気をふるうが、蚊としての本能は食餌を摂取すべく淡々と器官を蠢かせ、皮膚の切り裂き担当の針を伸ばし、ノコギリ状の刃を容赦なく突き刺す。
「うわぅっ!!」
鋭い痛みが火芯の先端を貫き、思わずビクンと身体を反らす。
すかさずロボットアームのような別の二本が伸び、穿ったばかりの亀裂を固定し、吸血担当の本針を突き刺す。血流を求めて、皮膚の下深く深く……
とぅぷん……針と血管がリンクする。生命の源が胎内に満ちてゆく……
「あ、ぁあうっ……くくぅっ……」
同時に、熱く充血したPさんから、熱き血潮が吸引されてゆくのを感じている。
痛いくらいの強烈な痒みが、その一点から全身に響き渡る。吸われた分を補填するかのように、さらに大量の血液が流入し、Pさんはドクンとひと回り大きく成長する。
魔の刻が過ぎてゆく。
そろそろリミットは近づいている。秘儀の終焉に向けて、タイミングを計り始めた彼の心に、ふとある疑問が舞い落ちる。
同化した状態で蚊を叩殺したら、俺はどうなっちまうんだ?
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