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『咲く花に寄す』 その14

     10

 みやこの吉報を受けて、すぐに荷田氏に会いに行くと、確かにそういった観音像は所蔵しており、ちょうど立春に合わせて開帳しているので、拝んでもらっても構わないと言う。
 この日は午後から節分の御神事があるそうで、式が落ち着いた3時頃に伺う約束をして、一旦辞去した。
 高揚した気分のまま昼食を済ませて、拝観の約束をしていた隣町の寺院まで車で向かう。秘仏である十一面観音を拝観して、僧侶の話しを伺う。少し時間が余ったので、高台を流れる大谷川沿いのスペースに車を停めて、北側に広がる大谷の町を見渡す。まだまだ風は冷たく、マフラーをしていても寒気に軽く震える。どんどん変わってゆく郷里の風景を、哀愁を感じさせる細めた瞳で見つめる。

 軽く一礼をして賀茂神社の一の鳥居をくぐり、砂利道の参道を辿る。
 ほぼ毎日歩いている馴染みの光景が、新鮮な感動を持って胸に迫る。両脇に並ぶ石灯籠も、百年単位の時を経てきていることに、改めて気付いたりする。
 健吾と美佳に加えて、午後からずっと同行しているみやこも、少し後からついてくる。ふと、愛すべきこの子たちへの愛しさが、温泉のようにじんわりと胸の奥から湧き上がってきて、そんな自分の情動に戸惑いながら、手のひらで滲んだ涙を拭う。他者の気持ちに聡いところのある健吾が、不思議そうに自分を見つめているのに気づき、にっこりと頷いて見せる。
 境内を覆う大きな楠の梢枝を見上げならがら、春日造の本殿に向かう。ご神事が執り行われたばかりの神域は、穏やかなご神気に満ちている。いつもは閉じられている格子戸も開かれ、神殿へと続く階段には筵(むしろ)が敷かれている。
 神鏡の両脇に、木彫りの立派な狛犬が置かれ、神殿を守護している。右が金色、左が銀色と珍しい形式であり、何か由来があるのか確かめてみようと思う。
 子供たちをうながして、一緒に参拝する。両手を合わせて祈念する子供らの健気な姿を、微笑ましく、愛おしく感じていると、ふっと、そんな自分の視線が、いつも見守ってくれている“何者か”の視線と通じ合ったような気がして、思わず上方を見上げてしまう。
 
 境内の東側、木造の社務所に並んで、昭和の中期頃に建てられた地域の集会所がある。各種の集会の他、子供たちの習い事などもここで行われている。
 下足場で靴を脱いで、広間の隣の四畳半の和室に入ると、白衣を身につけたままの荷田氏が、そっと端坐して待ってくれていた。
「まずは、どうぞ、拝んであげて下さい」
「おお……これは……」
 感動で思わず声が出る。
 丁寧に設えられた祭壇、1メートルほどの厨子にぴったり収まるように、小さな観音像が佇んでいる。
 美しい観音像だった。えも言われぬ慈悲をたえたその容貌は、直接ハートを震わせる訴求力を有していて、眼を離すことができない。
 像高は50センチほどであるが、その精緻さは、衣の一ひだ一ひだ、愛らしい手ゆびの微妙なカーブ、頭髪のうねりまで、生き生きとした質感を持って表現されていて、彫り起こす手に神を宿していたとしか思えない。
 そして、左手には、少しデフォルメされた梅花を咲かせた小枝を携え、宝珠形の光背にも、見事に花を咲かせた梅の古木が浮き彫りにされている。観音は三十三の形態を取ると言うが、おそらく定型の観音像ではないのであろう。まさに、梅薫る逢谷の地を見守り続ける神霊を形象化したような、“梅観音”としか呼べない観音さまだった。
「神社に観音さまて、おかしい思いはるやろけど、もともと今会所が建ってるこの場所には、仏堂があったんですわ。昔は神さんも仏さんも両方祀ってたんですけど、明治の廃仏毀釈で仏さんは全部他所へやってしもてね」
 十分に梅観音と対面する時間をとってくれてから、荷田氏がぽつぽつと話し出す。
「不思議な巡り合わせで、この観音さまをお祀りするようになってから……そやねえ、もう四十年ほどになりますやろか。聞くとこによると、どうもこのお嬢ちゃんは、深いご縁があってここまで来てくれはったみたいですな。どうですやろ。この観音さまが、どうやって創られて、どうやってうちでお祀りするようになったか、お話ししたい思うんですが、聞いてくれはりますやろか」
 ほとんど感情を表さない、神さびたほっそりした貌に静かな微笑みを浮かべて、荷田氏は語り続ける。


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