『殺戮の宴』 3
1(承前)
大通りを抜けて住宅街に入り、私鉄の線路を潜って北側に出る。このあたりは山の斜面を切り開いて造成された区域であり、かなりの急坂が続いている。
山の中腹にある公園のあたりで家並みは途切れ、ここから上は山エリアになる。誰も居ない公園の展望所から、暮れなずむ街の情景を、無表情な眼で見下ろす。行き交う電車の音と、慌ただしく一日を終えようとする人々のざわめきを、感情を交えずにただ聞いている。
公園の奥から、山上まで続いている遊歩道に踏み入る。この時間になるとほとんど人影も絶えるが、時折夜景を見にくるカップルと出くわすので注意が必要だ。日頃は身裡に潜む“獣”を注意深く押し隠している彼だが、ドラゴン・モード没入中にイラつくバカップルから挑発されたら、何をしてしまうか自分でも分からない。
遊歩道が右に折れる地点で歩みを止め、素早く前後に視線を走らせ、見られていないことを確認してから、歩道を外れ、左方面に続く森林管理者用の細道に入ってゆく。
夏も盛りを過ぎたとはいえ、まだまだ蒸し暑く、全身に汗を滲ませながら、落ち葉を踏みしめて彼は歩いてゆく。
薄暮の気配降り落ちる山中。濃密な樹々と土の香りに混じって、既に“奴ら”の気配を感じる。“奴ら”の先鋒部隊が、鮮血飛び散る死闘の期待に打ち震えながらこちらの様子をうかがっているのが分かる。
まだだ。焦るんじゃない……彼は犬歯を剥き出し、歪んだような笑みを見せる……思う存分相手をしてやるから、その時まで良い子で待ってるんだ。
30分ほど山道を歩いた末、ついに彼は足を止める。
そこは、4メーター四方ほどの窪地になっていて、樹々が目隠しになり遠方からは見えない。人目をはばかる昏い儀式を行うにはもってこいの場所だ。
窪地の中央に佇み、半眼になって神経を研ぎ澄ます。セミの泣き声と樹々の触れ合う音だけが響き、自分の他に人間の気配はない。
Goだ! 決行の時だ。緊張と興奮で、脇の下が濡れるのを感じる。
リュックからアルマイトの水筒を取り出し、中に詰めた日本酒をグビリとあおる。再び口に含んで、霧吹きのように周囲にブワッと散布する。口元を濡らしたその甘い液体を、右腕で拭う。
ごついコンバットブーツと靴下、そしてカーゴパンツまで脱ぎ捨て、素足で草地に降り立つ。下半身には膝上までのスパッツのみを身につけた状態になる。
暗色のシャツを脱ぎ、一瞬考えてから、逡巡と共にタンクトップも脱ぎ捨てる。男性にしては白さが際立つ半裸のボディが、薄暮の山中に浮かび上がる。シェイプアップされておらず、ゆるっと緩んだ体型ではあるが、無垢な少女を想わせる汚れのないモチ肌はいかにも柔らかそうであり、特殊な趣味のない者でも一瞬「おっ」と眼を惹かれてしまう不思議な魅力がある。
少しひんやりする草の感触を覚えながら、脚を肩幅に開いて直立し、ゆっくり瞑目する。丹田のあたりに陰陽の珠をイメージしつつ、腹式呼吸をして“気”を高めてゆく。
プウゥ〜〜ン
一つ、また一つと、神経に障る不快な飛翔音が集まってくる。血に飢えた奴らが、甘美な臭気と温気を放つ獲物目掛けて、命をかけた特攻を仕掛ける。
「コォ〜〜〜ッ」静かに息を吐きながら、ゆるやかにジークンドーの構えをとる。全神経を奴らの動きに集中する。猫の和毛で突かれても飛び上がるくらいに敏感になった、シルクのような柔肌が、期待と恐怖にそそけ立つ。
「あ、くっ……」
左の脇腹に、奴らが複数匹襲来したのが分かる。微かな痛み。ついで広がる甘い痛痒さ。まだだ……。もうちょっと待つんだ……。自らの鮮血を思うさま吸われる屈辱に耐えながら、彼は時を待つ。
「!!」
クワっと眼を見開く。静かな殺気が全身に満ちる。
「ハゥワタ〜〜〜ッ!!」
渾身の気合いを込めた張り手を自分の横腹に喰らわす。「パチン!」と小気味いい打撃音が響き渡り、驚くほど大量の鮮血が飛び散る。
「フォゥ〜〜ッ……」
どこか哀愁の滲む、師父そのままの呼吸音が、夕暮れの山間に染み込んでゆく。
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