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秋月夜(13)

     七

 そのままベランダはアキラに任せる次第になり、完成するまでしばらくの間、母屋の方に滞在してもらうことになった。
 ちょっとした事情でしばらく大工業は休止していたのだが、一念発起してまた小さい工務店を始めることになっている。肩慣らしにはちょうど良いからぜひやらせて欲しいと、アキラは笑顔を見せた。
 彼はまず、道具の手入れから始めた。裏の物置に置きっ放しになっていた祖父の工具を見てもらうと、「うん、良い道具だ」と一言つぶやき、そのままほとんど丸半日かけて、工具の一つ一つを丁寧に砥石で磨き上げてゆく。
 美佳の抱いているイメージをよく聞いてから、ベランダのできる縁側だけでなく、家全体を色々な角度から、真剣な面持ちで眺め続ける。かなりの長時間じっと佇んでいるアキラを見て、「もしかして煮詰まってる?」って思い始めた矢先、彼は「うん、良い家だ」と一言つぶやき、活動を始めた。
 動き始めてからは早かった。健吾に軽トラを借りて、工務店や製材所を回って木材の調達。その一本一本に丁寧にカンナを当て、魔法みたいなスピードで切り揃えてゆく。
 優希もアキラのことが気に入ったようで、なぜか「ほしのおっちゃん」と呼んですごく懐いていた。後で聞いた所によると、確かに星を見るのは好きだし、今は星宮というロマンチックな名前の集落に住んでいるらしい。興味深そうにちょこんと横に座って、また“不思議な話”をあれこれ繰り出していたようだが、アキラの方もそういう話題には抵抗がないらしく、作業を続けながら面白がって聞いてくれていた。
 作業に入って三日後、ベランダは完成した。
 円弧がいくつか連なるような柔らかいデザインであり、上段に半円二つ、下段に一つと階段状に重なり、そのまま優希のような子供でもすんなり庭に降りて行ける形になっている。
「素敵! 素晴らしい! アキラさん凄い!」
 感歎の声を上げる美佳の横で、「うん、悪くない」とアキラは控え目につぶやく。優希も嬉しそうに、艶々しい木肌が光るベランダの上で、飛び跳ねている。

 その夜、アキラが一人で外に出てゆく気配を感じた美佳は、ふと興味を惹かれて、優希を寝かしつけてから、後を追ってみる。
 裏庭の小径をぬけ、畑に連なる緩やかな丘陵に、ポツンと一人で座り込んでいるアキラを見つける。なぜかその後ろ姿は、長年誰からも省みられることのなかった孤児のような、身を切るような孤独を感じさせた。
「おっと、美佳ちゃんか」近づく美佳に気づいたアキラは、慌てて鼻をすすりながら拳で涙を拭う。
「恥ずかしい所、見せちまったな」暗がりに慣れた眼には、照れ笑いを浮かべるアキラの顔がぼんやり見える。星明かりという言葉の意味が、初めて理解できる。
「ごめんなさい。お邪魔だったかしら?」
「いや、良いんだ。ちょうど話し相手が欲しかったんだ。居てくれて構わない」
 美佳は遠慮がちに、少し離れて草地に腰を下ろす。
「妻のこと、思い出してたんだ。もう随分前のことだが、癌でな。苦しみ抜いて、あいつは死んでいった」
「愛してらしたんですね」
「いや……」アキラは、すっと眼を細める。「憎み合ってた。おれたちは、憎み合ってたんだ」
「憎み合ってた?」
 問い返す美佳をはぐらかすように、アキラは静かに笑って見せる。
「明日の朝、お暇するよ。長い間、世話になったな」
「そうですか……。健吾さんも寂しがるわ」美佳も寂しげに白い顔を俯けてしまう。
「彼、気さくなように見えて、案外狷介なところがあってね、顔は笑ってても心は許してなかったりするんだけど、アキラさんのことは本当に大好きみたいでね」
「あはは、おれと同類だな。もっともおれは、すぐ顔に出ちまうがな。あいつはなかなか筋が良い。見習いとして連れて帰りたいくらいだよ」
「誘ったら本当に行っちゃうかも」
「いや、あいつは行かない」アキラはにっこり笑って美佳を見つめる。「あいつには絶対にここを去れない理由がある。そうだろ?」
「どうなのかしら?」美佳も視線をそらして口元だけで笑う。「彼、一向に煮え切らなくてね、なに考えてるのか、全然わからないの」
「うん、男は……特におれたちみたいなタイプは、シャイでな、なかなか自分の気持ちを表に出せないんだ。色々思うところもあるんだろうが、あいつの真心を信じて、気長に待ってやってくれないかな」
「知らない。他に良い人が現れたら、容赦なくそっちに乗り換えちゃうから」
「ああ、そりゃあしょうがないさ。こんな良い女を待たせとく方が悪い。そん時はおれが、傷心のあいつのこと迎えに来るよ。一生安月給でこき使ってやるからな」
 二人の笑い声が、草原に響く。もう秋の虫の鳴き声が、どこからか聞こえている。涼やかな風が、丘陵を渡ってゆく。
「見て! 凄い星空!」改めて気づいたように、美佳は頭上を仰ぐ。深い藍色の天蓋に、びっしりと眩しいくらいに煌めく星々が散りばめられている。
「ああ。おれの住んでる星宮もなかなかのものだが、此処も凄いよ。星が降ってきそうだ」
 その言葉に呼応するように、天頂から小さな流れ星がぽろっと溢れる。直立を始めた天の河が、無数の煌めきと淡い色彩を纏って、南東の空にはっきりと浮かんでいる。
「ねえ、アキラさん、ベランダの料金、ちゃんと請求して下さいね」美佳はアキラの横顔を見ながら言う。これまでに何度も同じ話題を振ったのだが、その度にうまくはぐらかされている。
「それなんだがなあ、若いあんたたちへのはなむけとして、プレゼントしたいんだよ。しがないおっさんへの孝行だと思って、ここは黙って受け取ってくれないか」
「そんな訳にはいかないですよ。あんなに素晴らしいプロの仕事して下さって、ちゃんと報いないことにはあたしの気が済まないんです」
「う〜ん……」話しあぐねて、アキラは困ったように顔をしかめる。
「おれはなあ、美佳ちゃん」星空を見上げながら、アキラは続ける。「一回死んでるんだ。きみのおばあさんに、おれは命を助けられたんだよ」
「え?」思わず見つめるアキラの横顔は、あくまでも穏やかで、眼を細めて静かな微笑みを浮かべている。
「あの時……初めて此処に来た時、おれはな、死ぬつもりだったんだ。死に場所を探してたんだよ。人生に……自分に、絶望していた。おれなんか生きてる価値はないって、そう本気で思ってた」

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