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『咲く花に寄す』 その3

     3

 窓から眺める雲は、なんであんなに心地よさそうなんだろうと思う。
 空を見るのは好きで、よく草原に寝そべってはいつまでも無限に広がる蒼の世界を見上げている。いろいろな意味で重たいこの地上世界は全部かりそめで、本当の故郷はあの蒼色の彼方にある……みたいな、ぼんやりとした郷愁が、胸の奥からじんわり広がるのを感じる。
 雄大な天空に想いをはせていると、こんな四角い空間に押し込められている自分が、とても奇異に感じられる。なんでぼくはここに座ってなきゃいけないんだろう……って、いつも思う。
 教壇では、北村先生があれこれと連絡事項を話している。今は「終わりの会」の途中。ぼんやりしているようで、話の内容はちゃんと把握している。先生の話なんて、最初の数語を聞けばあとはだいたい類推することができる。もっとも、あんまり類推にたよりすぎると、得られる結論が筋ちがいになることもあり、一応の確認は必要だということを、何度かの失敗の末に学んでいる。
 こういった、聞くともなしに聞いてる態度を、この上なく不快に思う種類の先生がいて、壇上の北村先生がまさにそういうタイプであることも、ちゃんとわかっている。
 幾度もの攻防の末、ようやくお互いの妥協点は見出せたようで、窓の外を眺めているだけで、いきなり立たせて問い詰めるようなことはもうされない。ただ、愛すべきベテラン男性教師さまのご機嫌によっては、眼鏡ごしの刺すような視線と叱責が飛んでくることもあり、その辺はもう天災だと思ってあきらめている。
 終業のベルが鳴り、あわただしく会も終わる。ふっとため息をつくと、ゆっくりと教科書類を黄色いランリュックに詰めて、人の動きが落ち着くのを待ってから、後ろの入り口から教室を出ようとする。
「バイバイ」
 後方の席にたむろしていた、石田君たち数人のグループに声をかける。誰も返事をしない。どころか、こちらの声が聞こえなかったかのように、冷たい薄笑いを浮かべてこっちを見もしない。
 黙って、彼らの横をすり抜けて、廊下に出る。表情をこわばらせたまま、重たいランリュックを背負って、テクテク歩き出す。
 予想していたこととは言え、全身がひやっと冷たくなり、心臓がドキドキする。何かから逃げ出すように、無意識のうちに歩くペースが早くなる。
 今までは、たかお君だった。ほんの些細なことが重なって、みんなからうとまれるようになり、やんわりと、しかしきっぱりと無視されるようになった。
 同調圧力は嫌いな方だけれど、やっぱり今までと同じように接するのは難しくなる。正義感もなくはないけれど、どちらかと言うと自分もいつも輪の外に居る方なので、「いじめはやめよう!」なんて、声高に叫ぶ柄ではない。
 好きなマンガが共通していることもあって、何度かたかお君家に遊びに行った。それが、クラス内の「暗黙の了解」を破る行為であることは分かっていたけれど、「また遊ぼな」と寂しそうに笑うたかおくんの顔を見ると、やっぱり来て良かったなと思えた。
 そうか……今度はぼくの番なんや……
 そう言えば、たかお君が嬉しそうに石田君たちのグループと話している様子を見た。今日は何度か、彼らの意味ありげなひそひそ話とクスクス笑いを聞いた。
 はあ~っと、小さなため息をつく。
 悲しくて、怖い気持ちもあるけれど、それと同じくらい、どうでもいいやという気持ちもあった。彼が世界に対して感じている違和感、異物感は根深いものであり、どうやっても周囲の人たちとは分かり合えないという諦念は、かなり以前から胸に巣食っていた。
「一ノ瀬くん。ちょっと、一ノ瀬くんって!」
 呼びかける声とともに、後ろからバタバタと足音が近づいてくる。
「待ってえや。なんでそんなスタスタ行くのよ!」
 軽く息を切らせた荷田みやこが追いついてくる。走ったせいで、少し乱れたショートボブが愛らしい。幼なじみで、小さい頃は「けんちゃん」と呼ばれていたが、高学年になってからは男女を意識したのか「一ノ瀬くん」になっている。
「みんなで話し聞きに行くこと、おじいさんにちゃんと言うといてや」
「分かってるて。なんやねんな、もう」
 社会科のグループ研究で、逢谷の地場産業を調べて発表すると言う課題が出ており、ちょうどグループに混じっていた彼の実家である酒蔵を取材することになっている。
「だって、一ノ瀬くん、いっつもボ~っとして、話聞いてんのか分からへんねんもん」
「そんな心配やったら、顔にでも書いといたら」
 そう言って、すねたように口を尖らせたまま、首を伸ばして右頬をみやこに向ける。
「そんなん、顔に書いてしもたら自分で読めへんやんか」
「歯ぁみがく時に気づくやろ」
「一ノ瀬君、歯みがきする時もボ~っとして何も見てへんのんちゃうん?」
「ああ、それはそうかも……」
「否定せえへんのかいっ!」
 見事にツッコミが決まって、思わず二人でクスクス笑う。
「でもほんまに、うちの蔵なんかでええんか? みんな一回蔵の見学に来て、じいちゃんの話も聞いてるし、もう飽き飽きしてんのとちゃう?」
「ほな他にええ案あるか?」
「田んぼやってる農家さんとか、ビニールハウスのトマトとか、お茶とか、梅林とか、いろいろありそうやん」
「ほな一ノ瀬君がそこへ行って取材のお願いしてきてくれる?」
「ええっ、なんでおれが?!」
「そやろ? じゃまくさいやろ?」
「みやこん家はどうなん? 面白い記事書けそうやけど」
 みやこの生家は、代々神社の神主をしている。地域の産土神社なので、有名な寺社のように、いつも白衣を着て管理しているわけではないが、四季折々のお祭りと御神事は、全て荷田家が取り仕切っている。
「え~っ。めっちゃ地味やで。記事になんかならへんと思うけど」
「おれはそっちの方が興味あるねんけどな。一子相伝の秘術とかないの? 蔵にひっそりと眠ってる秘宝とか」
「あるわけないやん、あんな小さい神社に! マンガの読みすぎやで。だいたい、あったとしても外にはもらせへんし」
「やっぱあるんや、すごいのが……」
「ないて!」
 むきになって否定するみやこの顔が可笑しくて、また笑ってしまう。


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