『咲く花に寄す』 その4
4
校庭で縄跳びをする女子のグループに合流するみやこと別れて、下駄箱で靴を履き替えてから、学校を後にする。
気のおけないみやこと話して少し気分は晴れたものの、男子グループから無視された悲しさは、まだどんよりと心に残っている。
こんな田舎の小学校にも、いじめみたいなことは多々あって、友達が声をひそめて泣いているようなシーンにも、時折遭遇したりする。
人って、なんでこんなに冷たくて残酷なんだろうと思う。なんで友達がシクシク泣いている姿を、薄笑いを浮かべながら眺められるんだろう。そして、他ならぬ自分の中にも確かに、嗜虐的な光景を喜ぶ心があることにも気づいていて、だからいっそう切なくなってしまう。
ふと周囲の風景に目をやると、自宅とは全く別方向に歩いてしまっていることに気づく。
一瞬きびすを返しかけるも、まいっかと、そのまま歩き始める。隣町から電車に乗って、このままどっか消えちゃおうかなと、半ば本気で思う。
人間関係に悩んでいるのは、学校の中だけに限ったことではなく、自分を取り巻く社会そのものが、自分には理解できない摂理に沿って動いているような気がする。
例えば、100点なんかちょっと頑張れば簡単にとれるのに、なんでテストの成績なんかで褒められたり怒られたりするのか分からない。
あんまり小うるさく注意されるので、一度わざと0点をとってみたことがある。案の定、厳格なおばあちゃんは烈火の如く怒り、鬼みたいな顔をして説教を繰り出したけれど、怒られれば怒られるほどに心は硬化して、言葉は何も入ってこなかった。
周囲の人たち全員が、異邦人を見る冷たく光る視線で、自分を眺めているような気がする。きっと自分は、みんなとは違う種類の人間で、間違ってこの世界に生まれてきたんだと思う。
唯一、同じ波長の魂を持って、生きてると思えるのが、じいちゃんだった。
彼のおじいちゃんは、誰もから変わり者だと思われている。今はもう隠居の身だけれど、若い頃から家業はおばあちゃんやお父さんに任せて、好きなことをして暮らしていたらしい。
「けんちゃんはおじいさんにそっくりやな」とよく言われるが、その口調にはいつも嘆息に近いトーンが含まれている。「ああなったらあかんで」と、言わなくても良いことまで口にするおばさんもいたりする。気質的なことだけではなく、すらっと背が高く、面長な容姿まで似ているらしい。
幼い頃からおじいちゃん子で、出歩くのが好きなじいちゃんには、本当にいろいろな所に連れて行ってもらった。自分に似ている彼のことが可愛くて仕方ないようで、しつこくない程度にあれこれかまっては、暖かい言葉をかけてくれる。
そして彼も、じいちゃんのことが大好きだった。気恥ずかしいので面と向かって言ったことはなくて、むしろつっけんどんな態度をとることの方が多いけれど、もしじいちゃんが居なかったら……と想像すると、それだけで心臓が凍りそうになる。
辛くて落ち込んでいる時にはいつも、さりげなく山々の裡にある“とっておきポイント”に連れ出してくれる。何も喋らなかったり、意味の分からないことを延々語ってたりと色々だけれど、新鮮な大気に抱かれてただ一緒に時間を過ごしているだけで、いつの間にか嫌なことは朝靄のように淡くなっている。
0点をとったあの時も、タイミングを見ておばあちゃんの叱責から救出してくれた。「お前はあほやなあ」と、節ばった大きな掌で、頭をがしがしと撫でてくれるじいちゃんの褐色の瞳が、あんまり優しくて、ちょっと泣いてしまった。
じいちゃんなら分かってくれる。
じいちゃんだけはぼくを信じてくれる。
心の奥でそう確信していたから、どんなに周囲に幻滅しても、世界を拒絶せずに済んでいたのだ。
「あれ?」
駄菓子屋のベンチに、茶色のジャンパーを着た見慣れた姿があると思ったら、やっぱりじいちゃんだった。知らない女の子と並んで腰掛けて、缶コーヒーを飲んでいる。
「おお、健吾か。あれ? 今学校の帰りちゃうんか? なんでこんなとこにおんねん?」
「ちょっと考え事してたら道まちがえた」
「困ったやつやなあ。考え事もええけど、たいがいにせんとあかんで。あれこれ悩んだ末に、そのまま家出するとか言わんといてくれよ。じいちゃん寂しいさかいな」
内心を見透かされたようで、ちょっとドキッとする。だからじいちゃんはあなどれない。複雑な心情を察しているのかどうなのか、いつもと変わらぬ笑みをたたえた瞳で、面白そうに自分を見つめている。
「じいちゃんこそ何してんのん?」
「ん? ちょっとデート。な、みかちゃん」
そう言っていたずらっぽく笑って、隣の少女を見下ろす。
「あ、チェリオ。ええな」
「お前も飲むけ。ほら100円……」と、小銭を手渡そうとした手をふと止める。
「あ、買い食いあかんのちごたっけ? また先生に怒られるで」
「うううん、保護者同伴やったらええねんで」
「ああ、残念、ほなあかんわ。じいちゃん、ばあさんから『あなたは保護者失格です!』言うてよう怒られるさかいな。こんな不良のおっさんは保護者のうちに入らへんやろ」
「なに言うてんの。こんなしっかりした保護者いいひんやろ。ミラー・オブ・ザ保護者!」
そう言って、じいちゃんの掌から100円玉を奪取する。
「どこで覚えんねんそんな言葉」
「なあ、お釣りは?」
「ちゃっかりしとんなあ。ええで、もうといても」
「ラッキ!」
店内までダッシュして、おばちゃんからチェリオのグレープを買う。夏場には、氷の粒ができるくらいキンキンに冷やされてるのがたまらないが、冬場はさすがにそれほどでもない。
「みかちゃん、これはおじさんの孫で、健吾いうねん。心根のやさしいやつやから、きっとよう面倒見てくれるで。仲良うしたってな」
ベンチの前に立って美味しそうにチェリオを飲み始めた彼を、じいちゃんが紹介する。
「“けんちゃん”いうてくれたったらええわ。おじさんの名前は健造いうてな。両方けんちゃんやからややこしいけど、ぼくのことは“おじさん”でも“けんちゃんのおじさん”でも、好きなように呼んでくれたらええしな」
「“けんちゃんのおじいちゃん”ちゃうの? 一段階下がってるで」
「うるさいねんお前は。呼びやすいように呼んでくれたらええんやからな、みかちゃん」
「けんちゃんと、けんちゃんのおじさん……」
「うん、それでええよ」
「言わせてるやん」
「健吾、この子はみかちゃんいうてな、東京の子やねんけど、おばあさんのお見舞いで京都に来てて、ちょっと訳あって、大谷を案内してあげてるねん。ちょうどお前の力も借りたい思てたとこなんや」
「ふうん」
低学年くらいだろうか。おめかししていて、ここいらの子ではないことは一目見て分かる。大きくて黒い瞳をきらめかせて、健吾を見上げる顔はとても可愛くって、ちょっとドキドキしてしまう。
「きみ、ドラマみたいなしゃべり方すんなあ」
「おにいちゃんは、さんまちゃんみたいなしゃべり方するのね」
「明石家さんま! なあ、このCM知ってる?」
そう言って「♪明日を信じて燃え尽きろ~頼れるエースはアンダースロー」と歌いながら、アンダースローのフォームでボールを投げる振りをして見せる。
「何年前の宣伝やねん。しかもそれ、関西ローカルやぞ」
「関西ローカルて?」
「東京ではやってへん、言うこっちゃ」
「なーんや。遅れてんなあ、東京」
ちょっと意地悪な横目で、少女を見つめる。
「あたしね、かんぺーちゃん好きなの。おばあちゃんのおうちいくとね、いつもしんきげきでかんぺーちゃん見るの。とってもおもしろいのよ」
「寛平ちゃんか。寛平ちゃんな、箕面の猿に育てられたって知ってるか? 箕面の山に、面白い猿人間がいるって評判になって、吉本の社長がスカウトに行ってんて」
「……ほんと?」
「うっそぴょーん!」
鼻の下を伸ばして、おどけて猿の真似をして見せると、少女は声を上げて笑ってくれて、なんだか自分も幸せな気分になる。
「なあ健吾、逢谷のどこかにある“うめかんのんさま”って聞いたことないかなあ。観音さまの後ろに梅の花が咲いてるっていう、ちょっと珍しい仏さんみたいやねんけどな」
「知らん」
「ちょっとは考えて答えろ。大切なことやねん」
「だって知らんねんもん」
「明日でええさかい、クラスの友達に聞いてみてくれへんか? どんな小さい情報でもええから。たいそうご利益のある観音さまでな、みかちゃんがどうしてもお願いしたいことがあるんやて」
現在のクラスにおける自分の微妙な立場がちょっと気になったけれど、とりあえずできることはやってみようと思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?