『咲く花に寄す』 その2
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「いやいや……。それにしても、とんだ冒険者やな」
思わずひとりごちると、駄菓子屋の前のベンチにちょこんと腰かけて、大人しくチェリオを飲んでいる少女を、感慨を込めて眺める。
今電話で話したばかりの、驚きと安堵が滲んだ男性の声の余韻が、まだ耳に残っている。上ずった彼の声音に影響されぬよう、ことさら穏やかなトーンを保ちつつ、女の子が無事である事を伝えると、泣き出さんばかりの情動を見せ、なんとか会話ができる落ち着きを取り戻すまで、しばらく待たねばならなかった。
“うめかんのん”の本題に入る前に、まず確認してみたところ、やはり少女は誰にも告げずに一人で抜け出して来たらしい。
連絡先を訊くと、自宅の電話番号はそらで覚えていた。東京の番号なので、不在を覚悟しつつかけてみると、父親であると言う先ほどの男性が出た。なんでも、少女の“失踪”はかなりの大事になっているようで、自宅に連絡がある可能性を考えて、仕事を早退して帰宅したちょうどその時に、自分からの電話を受けたらしい。
話をまとめると、少女は東京在住で、具合の悪くなった祖母を見舞うために、母親に連れられて母方の郷里である京都に帰省している。祖母の容態は芳しくなく、胸を痛めた少女は、“うめかんのん”さまに祈願すべく、伏見あたりの病院を抜け出して、おそらくJRの桃山駅あたりから一人で電車に乗って、ここまでやってきた……と。
現在京都市内にいるという母親に、夕刻、うちの酒屋まで迎えに来てもらうということで話はまとまり、家にも電話して事のあらましを伝えておいた。約束の時刻まで数時間あり、しばし少女の冒険に力を貸すことはできそうだ。
頭を整理するために、駄菓子屋に入って暖かい缶コーヒーを買う。コーヒーはブラック派で、豆も厳選して自分でドリップして味わうことを趣味としているが、甘ったるい缶コーヒーも、これはこれで美味しいと思う。
「さむないか? おっちゃんのマフラー貸したろか?」
ベンチのとなりに腰掛けながら声をかけると、少女はかすかに首を振る。確かに、なめらかなほっぺは薄紅色に紅潮しているし、ふるえも見せていない。
「お父さんとお話しして、みかちゃんはおっちゃんと一緒にいますからって、ちゃんと言うといたげたさかいな。夕方になったら、お母さんがおっちゃんのうちまで迎えに来てくれるって。もうなあんにも心配せんでええよ」
ちょっと考えるふりを見せて、「すぎよしみか」と名乗った少女は、コクリと大きくうなずく。やはり不安も大きかったのか、心なしか表情がゆるんだ気がする。
「ようここまで電車で一人で来たなあ。お父さんびっくりしてはったで。みかちゃん元気ですよ言うたら、半泣きなって喜んではった。あんまり心配かけたらあかんで」
苦笑しながらそう言う。齢は6歳ということで、まだ小学校に上がる前らしいが、自分への受け答えを見ても、うちの坊主たちよりずっとしっかりしている。女の子は総じて、同年代の男の子よりもおませさんだが、この子は特に芯の強い子なんだろうと思う。
「さあ、みかちゃん、本題にはいろか。“うめかんのんさま”のとこに、みかちゃんは行きたいんやな? そのうめかんのんさまのことで、知ってることを話してくれるか?」
「うん。やさしい顔したかんのんさまでね、白くてね、うしろにうめの花がいっぱいさいてるの。なにかおねがいごとがあるときに、かんのんさまにおねがいしたらね、なんでもかなえてくれるの。むかし、おばあちゃんがおねがいした、たいせつなこともね、かんのんさまがかなえてくれたんだって」
「う~ん、梅の観音さまなあ……。みかちゃんはそこには行ったことあるの?」
少女はすっと眼をそらすと、少し考えてから首を横に振る。
「そしたら、どんな場所にあるのか、ちょっとしたことでもええから、知ってることあるかな? 観音さまいうんやから、お寺にあるんやろうけど、お寺の名前とか、どの辺にあるとか、お堂の大きさとか、まわりの景色とか、なんでもええんやけどな」
「えっと……お山のほう……」
「ん? 山の方? 山の中にあるお寺さんなんかな?」
少し考えて、少女は首を振る。
「うんうん。はっきり分からへんよな。この逢谷(おおたに)にあるっていうのは、おばあさんが言うてはったの? おばあさんはこの逢谷の人なんかなあ。どこかに親戚がいるとか、聞いたことない?」
「おばあちゃんはね、はなしろにいるの」
「……花城?」
予想もしていなかったその地名が、ある記憶を喚起する。
穏やかな春の陽気に包まれたあの日の、美しくも哀しい情景が、鮮やかにフラッシュバックする。山々の緑。水が入れられる前の青草の生えた田んぼ。満開の花を身に着けたた桜並木。そして、川べりの小径をしずしずと歩んでゆく、夢幻のような花嫁行列……。
「みかちゃんのおばあさん、花城に住んではるの?」
「うん。とってもとおいところなの。バスにのってね、何十ぷんもかかるのよ」
とってもとおいところ……。今にも朽ち果てそうな四肢を引きずるように動かして、一昼夜をかけてたどり着いたあの場所……。
意識して、痛みを伴ったあの時の記憶を、胸の奥に押し戻す。まさか、そんな偶然はありえないだろうと、心に浮かんだある疑念を打ち消そうとする。
「花城、ええとこやなあ……」
半ば呆然とした心地のまま、ポツリとつぶやく。
「ええとこすぎて、おっちゃんにとっては夢や幻の世界みたいやった。そやなあ……。みかちゃんは、夢とこの現実の世界を結ぶために、来てくれたんかも知れへんな」
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