秋月夜(八)
四(承前)
「お、お客さんか」裏口から入ってきた健吾が、いつものように「ええとこ採ってきたで」と、籠に入れた艶々した野菜を調理台の上に置いてくれる。
「へえ、めっちゃ可愛い子やん」一般的な尺度からすると、きっと「可愛い子」の部類には入らないふくみだが、健吾の感性にはフィットしたようで、褐色の眼を細めて小さなお客さんを眺めている。
ふくみは、黒光りする上がり框(かまち)にちょこんと腰掛けて、美佳が作ったスイカジュースを飲んでいる。泣くだけ泣いて、落ち着きを取り戻したようだが、眼の周りはまだ紅いままである。
「ふくちゃんって言うの。おばあちゃんの友達だったみたいでね、一人でわざわざ会いに来てくれたんだって」
「そっか。静枝さんのお友達やったら大切なお客さんやな」そう言って、健吾は神妙な面持ちでふくみの前にうずくまる。
「こんにちは、ふくちゃん。おれは健吾。よろしくな」にっこり笑って、大きな掌でおかっぱ頭を撫でる健吾に、ふくみは微かに頭を振って応える。反応はとても薄いが、健吾の存在をちゃんと認めて、受け入れたことが、なんとなく分かる。
「ねえ、優希見なかった?」
「う〜ん、そう言えば野原の方でちらっとピンクの影が動いたような……」
「この子ね、久住から来てるらしくって、送って行ってあげたいんだけど、優希帰らないと行くに行けなくてね」
「おれ留守番しててもええけど、せっかくやったら二人逢わせてみたいよね」
「そうなの、それもあって。もう5時過ぎてるから、おうちの人も心配してるだろうし」
「おれ探してこうか?」
「ごめん、そうしてくれると助かるわ」
にっこり頷いて、のんびりと裏口から出てゆく健吾を、二人は見送る。
「なあ、おにわいきたい」ガラスのコップを美佳に手渡しながら、ふくみが言う。
「お庭って、裏庭のことかな? そうね、行きましょうか」
二人で連れ立って、まだまだ陽差しが明るい屋外に出ると、少女は勝手知ったる様子で舗装されない小径をてててと走ってゆく。
母屋の裏口から、少し離れた畑に至るまでに、祖母が好きに草花を植えていた“裏庭”のスペースがある。おそらく勝手に自生している野草もあちこちに見られ、絶妙なバランスで緑の園が形成されている。こちらも健吾が草花を愛でるのにちょうど良い塩梅で、手入れ、草刈りをしてくれており、彼が優れたグリーンタブの持ち主であるのは間違いない。
ふくみは、小径の端にしゃがみ込んで、なにやら夢中で小花を眺めている。さっきまでとは比べものにならないくらい、白い横顔は活き活きと輝いている。
「ここでおばあちゃんとようあそんでたの」
「そうなのね。おばあちゃんここ好きだったからね」
「なずな、くさふじ、せーじ、ばじる、ぺんたす、ひめじおん、われもこう……」宝箱の中身を確認するように、ふくみはあちこちに生える草花を一つ一つ指さしては、名前をつぶやいてゆく。
「ふくちゃんすごいねえ。おばあちゃんが教えてくれてたの?」
「ん? ふくちゃんがおしえてあげてたの」
「そうなんだ?」
「うん」ふくみはすっと立ち上がると、羽根を広げるように両手を横に伸ばして、くるっと一回転する。
「おはなさん、うとたはる。うれしうれして、うとたはる」
美しい旋律が静かに響く。クリスタルの音叉を思わせる透明な声音で、ふくみがハミングしている。
「おはなさん、うれしうれして。みかちゃんきてくれて、うれしうれして……」
「ふくちゃん……」静かな感動を覚えながら、美佳は言う。
「あなたもしかして、おはなさんとお話しできるの?」
「うん。できるの」
花々が奏でる喜びの歌に同期して、ふくみはハミングを続ける。白い貌に微かな笑みを浮かべて、可憐な草花と交歓を続ける少女は、幼い頃に観たアニメの一幕、“青き衣を纏いて金色の野に降り立”ったヒロインのような、神々しさを感じさせた。
「なにあなた、天使かなにか?」
「ん? わたしふくちゃんやで」
「ねえふくちゃん、ハグしても良いかしら?」
「ハグてなにい?」
「ギュってしても良い?」
「いたいことせんといてな」
「せえへんせえへん、いたいことせえへんから」
美佳は敬愛の念を込めて、ふくみをハグする。
「ふくみちゃん、あなたは間違いなく、 あたしの前に現れたラックの天使だわ! あなたに会えて本当に嬉しい。これからよろしくね。あたしにも色々教えてね」
腕の中の少女は、お日様をいっぱいに浴びた乾し草みたいないい匂いがした。
何かに反応して、ふくみがピクッと身体を動かす。ハグを解いて、視線を追ってみると、庭の端っこに佇んだ優希が、眼をクリクリさせて面白そうにこちらを見ている。
幼児たちは、優に数分間じっと見つめ合っていたが、やがて同時に「あははは」と笑うと、「きゃ〜」っと叫びながら手に手を取って野原に駆け出して行く。
「こら〜っ、あんたたち! もう5時回ってるからね! 帰る時間なんだからねっ!」大声で叫ぶ美佳の声などどこ吹く風で、二人の姿は裏山の方に消えて行く。
「ああっもう、ぜんぜん聞いちゃいない……」拳を額に当てて、美佳がつぶやく。
「見た? 今の。完全に二人の世界に入っちゃってたけど」優希の後からのんびりやってきた健吾に、美佳は語りかける。
「見た見た。なんか余人の介在を許さへんくらい、深〜いとこで分かり合ってる感じやったよね」
「あ〜っ、新しいお友達できたは良いけど、ベストマッチングすぎて逆に心配になってきちゃったわ」
「まあ大丈夫やろう。笑ろとったから」自分も面白そうに笑いながら、健吾がそう言う。
「笑ってたねえ」
「笑ろとった。めちゃ楽しそうに笑ろとった」
目を合わせた二人は、思わずクスッと吹き出してしまう。笑ってしまうと杞憂も綺麗に吹き飛ぶ。
「なあ、さっきあの子が飲んでたスイカジュース、おれも欲しいねんけど」
「え〜っ、つくったげるけど、しゃあなしやからな」
「ひど。そもそもあのスイカあげたん、おれやねんけど」
「ほんましゃあなしやからな」
「関西弁上手いやん。新喜劇出れるで」
二人は肩同士で小突き合いながら、裏口から台所に入って行く。
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