言語とかいう残酷すぎる貧富の差を表すツール

はじめに

韓国をさろうとする留学終わりの今、留学先であった人々に関してかこうともう。私が感じた感想のほとんどは、「かわいそうだなこの人達」であった。留学先であった人たちに大変申し訳ないが、本心でそう思う機会が多かった。その話をしようと思う。

言語とかいうお金が如実に現れるツール

私は2歳から英語を習わせてもらい、英語で苦労することはほぼなかった。せいぜい自分のやる気維持とか、課題をやらなきゃいけないとか、そのくらい。もちろん難しくなってIELTSなどの試験対策では苦労もしたが、高が知れている。

加えて、私は英語でも韓国語でも発音で相手に聞き取ってもらえないことは一度もなく、大体は私が勉強してないからスペル覚えてなくて誤解されるとか、そんなものだった。私の発音が完璧とはもちろん言わない、でも私が苦労しなかったのは親の財力と、親が発音で苦労したから環境を整えようとしてくれたおかげではないのかと気づいた。残酷だと思った。発音は臨界期を過ぎたら、矯正するのはかなり難しい。だから臨界期までにある程度言語を学ぶ環境を整えなければ、子供が自分の努力を相当必要とするフェーズで困る可能性がある。

また、他言語のその文化にしかない特有のものを理解するにはその言語自体をその言語として理解する必要がある。それも容易ではない。それを学校教育だけでやるのはいくらインターネットに情報が溢れた今でも簡単なことではない。

世界は広い?残酷な経験の格差

「いろんな世界を見てみたいの」

そんな言葉をよく耳にした。私はその中の何個かは行ったことがあり、どういう文化かはある程度はわかっているつもりだ。こんなにも経験が残酷に人を分けるのだなと身を持って実感した。そして、彼らはどうしたらいいのかわからなくて困ることや、自分のバックグラウンドを客観視することができない。

完璧に客観視できる人も、世界の全てを知っている人もいないだろう。でも、経験の差は如実で、知識量が違う。生きた知識を持っていないことの残酷さを感じた。私はその純粋な好奇心をどう捉えればいいのかわからなかった。

お金の管理ってどこでも習わないもんね

「これも欲しい!あれも欲しいの!」

「こんな贅沢なホテル泊まったことない!」

全部やったことあるし、家にある。必要ない。こんな捻くれたテンションの私はこれを覆い隠すのに必死であった。旅行も散々行ったし、一通り遊んだし、ものも大体ある。これは私の家がセレブだからとかじゃない。あなた達がテレビ見てる間バイトして、お金貯めてクーポン使って行ったの。彼らが欲しがるものの値段とものを見比べながら、こんな品質でこの価格…渋いなあとか思い、そういうのを買う人々を見て、お金の管理下手なのかなとか思っていた。

「このウィンドウショッピングに費やされる時間によって心が潤うならいいけど、そうじゃないなら買わずに働けばいいのに」

こんなこと口が裂けても言えない。

さいごに

時間の無駄だった。新しい発見なんてない。他人見て自分の自尊心の養分にしただけでした。留学日記終わり。


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