「どうする家康」において、三河一向一揆とは何だったのか その3
3.「守るべきもの」に気づけた家康~『子貢問政』を超えて
(1)信頼という美辞麗句の持つリスク
第9回は、ここまで十二分に情けない姿まで落とした家康が覚悟を決めて前に進む解決編です。前回のシーンとして瀬名の「一つの家がバラバラじゃ」が挿入し、第9回の物語の柱をそれとなく示しているのが親切ですね。
さて、八方塞がりから引きこもりを決め込む家康(氏真ほど冷酷になれない弱さが救い)に忠言をするのが譜代の老臣、鳥居忠吉。家臣に裏切られ死んだ先代、先々代を引き合いに出しながら家臣の信頼を得るには「自分がまず裏切られることも呑み込んで相手を信じるしかない」のだと説きます。松平家に三代にわたり仕えてきた彼だからこそ言える信頼の裏側にある「裏切られたらまあ仕方ない」という諦め。他人の心はそれが家族であっても本当のところは見えない以上は分かりません。分からない中で相手を信頼するということはリスクを覚悟することだと忠吉は言うのです。
そして、別の選択肢として、「疑いのある者をことごとく皆殺しにする」を提示します。後者の選択については「鎌倉殿の13人」を思い浮かべた人も多いようですが、物語的には氏真が取った選択を指しているのでしょう。そして「ねずみは殺せ」といった信長も後者を選択していると考えられます。謂わば、ここでの選択が家康という人物の今後を決定づけることになります。忠吉は、この際、後者を選択するなら「まず自分から」斬るように進言していますが、これは彼一流の茶目っ気であると同時に家臣も覚悟しているから信用しなさいよと暗に仄めかす言葉。信頼の厳しさを伝え、判断を促しながらも、決して家康を追い詰めない…忠吉の年の功ゆえの巧さですね。だからこそ、家康の決意が光ります。
「わしについてこいとは言わん!」
「主君を選ぶのはお前たちじゃ、好きな主を選ぶがよい!」
「わしは!お前たちを信じる!」
この台詞が秀逸なのは、信頼関係は上が押し付けるものでなく、対等の関係で結ばれるものだと家康の理解が含まれているからです。忠吉の言葉を聞き、ここまで思い至り、自分の過ちを認めようとする。ここが氏真や信長にはない家康だけの器量の片鱗が表れます。ドラマは「一つの家」が柱であり、一向一揆自体が主ではありませんので、この後、急速に一揆は平定されていきます。ダイナミックな戦略的なものを楽しみにしていた方には少々物足りない展開だったかもしれませんが、テーマ的には仕方のないところかと思います。
(2)戦後処理から見える信頼というテーマ1:空誓とのやりとり
さて、戦後処理で注目すべきは、家康と空誓との和睦と家康と正信のやり取りの二つです。
まず、空誓との対峙を見てみましょう。空誓は流石にリーダーだけあって、和睦の条件である「寺を元通りにする」が上辺だけの嘘であることを見抜いています。その上で、それでも民を苦しみから救うために和睦に応じています。
複雑な胸中から、堪らず「わしの目を見て、寺は必ず元どおりにするとおっしゃってくださらんか」と懇願します。彼の懇願に対する家康の様子、ひいては松本潤くんの芝居がとても良い。
家康は、まず目を反らして逡巡しますが、覚悟を決めて「寺は……元どおりに……いたす」と君主として初めて意図的に嘘をつきます。台詞に言い淀みが混ざるところに彼の気持ちの揺れが出てしまい、彼は嘘を真実に見せるため目に力を入れ過ぎてしまいます。力み過ぎてわずかに目が潤んでしまう。
この一連で空誓は、時には嘘をつかねばならない君主としての力量、嘘をつき切れない誠実さの両方を家康から見出だし、人間として彼を信用したのですね。寺は破却するが、少なくとも民は救ってくれるはずだと。この時の家康の応えを受ける空誓の表情に諦観が漂っているのが白眉です。彼もまた、まずは自分が家康を信頼するしか道がないのだと分かっているのです。
ここには、家臣たちを信頼するしかない家康の胸中と不思議に呼応し合い、三河一向一揆編のテーマが「信頼」であったことを窺わせてくれます。この信頼は後年に活きてきます。その後、空誓は20年後には許され、家康や初代尾張公義直を支えるからです(義直は家康お気に入りの息子)。「どうする家康」で描かれるかは分かりませんが、その縁が今回の家康と空誓の「目の会話」で得られた信頼だとすれば大きな意味があるのです。
それだけに市川右團次さんの受けの芝居の妙技、ここに極まれりと拍手を送りたいですね。
さて、この信頼というテーマは、翻意した夏目広次の名前をようやく間違えずに呼び、許しを与える場面でも活きています。家康のやるせない表情、そして「許されてはならない」と口にしたくとも出来ず、家康の寛大な処置に感謝するしかない広次の表情が全てを語っています。そうした中で戦後処理の仕上げとして、家康を狙撃までした本多正信との会話へ進みます。
正信は、ここで家康の強引な和睦への手口に「あの甘い殿が」よくぞと賛辞らしき言葉を述べますが、その後、徹底的に家康を罵倒する様からして、この言葉に込められた思いは失望です。随所に正信の過去が挿入される第9回の主役は正信ですが、彼が幼馴染の死から民を救える方法を模索し苦しんでいます。その答えを武将らしくない家康ならどういう答えを導くかを期待していた節があります。信長に怯える家康を「かわいい」と揶揄するのも好意が含まれているでしょう。しかし、結果は一揆の制圧、寺院の破却という力任せになってしまった。正信が死を賭して、罵倒する気になることは自然な流れになるように作られています。
正信は「過ちを犯したのは殿」と断言し、「殿は阿弥陀仏にすがる者たちの心をご存じない」と民心に寄り添わない家康の在り様を糾弾します。正信の言葉が正論であるのは、第7回、第8回の家康の姿で十分描かれていますから、説得力があります。瀬名奪還作戦についてすら、国を守る大義ではなく自分勝手な私戦に過ぎないと断じるところが巧いところです。瀬名ら3人を奪還するために多くの人間が死に、それを正信は間近で見ています。
そして、視聴者も、正信が家康に招聘されたときからずっと胡乱な怪しさを醸し出し、本心を見せないよう振る舞っていたことの意味に気づかされます。彼は最初から家康を信じておらず、一方で冷静にその器量を値踏みしていたのであり、一向一揆側につくことも含めて首尾一貫した態度だったのです。そこには、彼の民を救いたいという本心が見え隠れしていたのですが、それがようやく表に出ます。
「仏にすがるのは現世が苦しいからじゃ」
「殿が……お前が、民を楽にしてやれるのなら、だ~れも仏にすがらずに
済むんじゃ」
「民から救いの場を奪うとは何事じゃ、この大たわけが!」
この正信の糾弾は、義元の「天下の主人は民」と『子貢問政』に還っていきます。家康は既に気づいる自分の過ちだけでなく、幼い頃に学んだことの正体をはっきりと掴み取るのです。だからこそ、彼は正信を信頼し「とうに悔いておる」と号泣するのです。その上で間違いを認めて前に進むという覚悟も語ります。
これを聞き、その覚悟の表れとしての追放という軽い処分に正信もまた家康を信ずるしかないことを悟ります(呆気にとられた横顔が効いています)。だからこそ、家康が悩んでいた寺院破却の口実に「元の野原にする」という献策をして、恩に報いることになります。
この破却の口実は史実どおりなのですが、これを正信の策とした「どうする家康」の解釈は面白いところです。そもそも、正信の登場時から積み上げてきた騙り者(嘘つき)の真骨頂として納得できます。また寺院の破却は後々、本願寺が一向一揆を三河で画策した際に寺院がないため不発に終わるという形で家康の命や三河を救うことになります。結果的に寺院破却は後顧の憂いを断つ英断だったのですが、それを成したのが正信の献策だとすれば、正信は昔から役に立つ男だったのであり、その後、股肱の臣となることにも説得力がありますね。
献策後の不敵な笑みを浮かべた正信から大久保忠世へ画面が切り替わりますが、これは忠世が正信のその後の帰参を後押ししたからであり、正信の復帰を暗示しています。このような家康×正信の蜜月を予期させる展開からすると、瀬名奪還作戦と三河一向一揆編の5回に渡る物語の裏主役は本多正信だったと言えるでしょう。本多正信登場編とすれば、松山ケンイチという配役にも実に納得が行きますね。
こうして、胸襟を開き、本音を語り合う…家康の求めた信頼の理想は傷だらけの形で示されました。この時、家康、正信の切り返しショット以外に俯瞰で彼らを映すショットがありますが、その構図は、手前の壊れた阿弥陀仏をナメて二人というものです。これは一見、御仏が二人を見守るようにしながら、実は「御仏にすがらねばならない民の心」を説く正信に焦点があり、御仏より「民と彼らの信頼こそが重要」という今回のテーマを表現しています。やはり、三河一向一揆編の冒頭の回想シーン、義元の「天下の主人は民」と『子貢問政』に還っていくのです。
まとめ
幼少期より徳治政治の意味を知っていたという神君家康公の物語は、彼を顕彰することにはなっても、民から信頼されることがどういうことなのかという具体的な答えを明示していません。
それは「どうする家康」の今川義元も同じです。「民に見放された時こそ、我らは死ぬ」と言った義元の治世は、年貢がきつい圧政であったと劇中で三河の農民たちは述べていますし、また正信の過去どおり人身売買もまかり通る世界でした。
義元の教えを超え、自分なりに民とは何か、信頼するとは何かを家康は勝ち取る必要があったのです。だから「どうする家康」では、痛みを伴う実践から体得するドラマに仕立てました。しかも民や家臣の信頼を得るには「まず自分が裏切られようと信じるしかない」と政治における信頼が持つ諦観について、更に踏み込みました。古沢良太脚本は、家康の逸話と史実を巧みに読み替えながら、神君家康公神話を換骨奪胎せしめたと言えるでしょう。
ところで、家康は何故、信長にも氏真にも無理な「家臣や民を信じるしかない」という諦めの境地にいけたのでしょうか。それについては、望月千代女の家康評「最も肝の小さいお方かと。ただし、そのことを己自身が誰よりもよく分かっておられる(中略)面白きお方です」が的確です。弱いとの自覚があるがゆえに他人を信用する以外の選択肢がない。ここに家康の諦観と彼にしかない君主としての資質があるのです。第9回のラストを締める秀逸な台詞でした。
三河一向一揆編とはなんだったのか。それは、一向一揆を通じて、家康にしかない君主としての資質と本当の意味での三河武士団の成立を丁寧に描き、そこから民心と信頼の本質をネガティブな面を含めて炙り出すということだっただろうと思います。
家臣と民を守るべきものを真に自覚した家康は、彼らのためにこの世に幸せを実現する「厭離穢土欣求浄土」を目指すしかなくなりました。不安で一杯を瀬名に慰められる家康がどうなるか、今後も期待大ですね。