「どうする家康」第36回「於愛日記」 虚と実の狭間で懸命に生きる女性たちの生きざまが重なるとき
はじめに
第36回は、女性たちが哀しさを乗り越えようともがく中で幸せに気づいていく姿に涙した方も多かったことでしょう。それだけにラストの艶やかにして狂気じみた、そして大方の予想通りの配役による茶々の登場という幕引きは衝撃的だったでしょう。更に言えば、物語で描かれた徳川家の女性たちの影ながらの尽力も、家康たちの努力も、秀吉の北条攻めの決意によって反故にされてしまいます。
こうした展開ゆえに、「於愛日記」というタイトルどおりに於愛で話をしめやかに和やかに締めてほしかったという方もいらっしゃるのではないでしょうか。
どうしてこういう構成になったのかと言えば、今回の物語の背景が、後北条氏の上洛を巡る駆け引き、「沼田裁定」だったからです。前回も描かれましたが、後北条氏が上洛しない理由の一つが、沼田領を引き渡さない真田の問題でした。
元々、この問題は、第30回で描かれた天正壬午の乱(若御子対陣)での北条との和睦の条件「甲斐・信濃は家康に、上田は北条にそれぞれ切り取り次第とし、相互に干渉しない」により、真田から沼田を取り上げたという家康の真田への不義理に始まります。結局、この件は上田合戦に発展し、徳川方は大敗、秀吉への臣従の遠因の一つとなります。
とはいえ、今の家康の目的は自身の東国支配ではなく、「戦の無い世」を作るために秀吉と北条の間を取り持つことです。目的が淀みなくクリアだからこそ、家康は、前回の真田昌幸との会談で沼田領の代わりの領地を安堵する条件を出し、家臣の娘を家康の養女とし嫡男信之(当時のは信幸)に嫁がせるという昌幸の要求も呑んだのです。家康からすればかなり譲歩した案からは、戦を避け「戦の無い世」を作りたいという理想が窺えます。
しかし、史実は「沼田領の2/3を北条、1/3を真田に割譲する」という秀吉による苦肉の折衷案で収められました。これが「沼田裁定」です。しかし、玉虫色のこの妥協案は、わかりやすいほど双方にとって不満と禍根を残し、緊張関係が加速します。結局、織田原征伐へとつながっていくことになります。
こうした経緯から一説には、秀吉は最初から北条を挑発し戦に持ち込むつもりで妥協案を提示したとまで言われています(「どうする家康」ではこの説が半ば採用されましたね)。
ですから、今回は前回から続く真田問題にケリがつく秀吉の裁定をもって幕を引き、次回の小田原征伐(と江戸行き)へつながるようになっています。
ここで疑問となるのが、何故、「沼田裁定」に至る経緯を家康たちの政治的な駆け引きを中心として描かず、於愛を中心とした女性たちの視点から描き、彼女たちの物語としてまとめたかということです。
「どうする家康」では、女性たちを初め、大枠の歴史からは軽視されがちな弱者の生き方を掬い上げることを大切にしています。したがって、今回もその一環ではあります。しかし、わざわざここで「沼田裁定」を、女性らの視点で描くのは、死期の近い於愛と真田に嫁ぐ稲の存在だけではない、作劇上の意図があると思われます。彼女たちの生きざまが歴史の周辺でなく、その中心で意味を持ってこそ輝きますから。
そこで、今回は女性たちの生きざまの重なり合いをとおして何を描こうとしたか、そして、それが最後の茶々の登場とどうつながっていくのかを考えてみましょう。
1.側室として見初められるまでの経緯の裏側~日記にしたためられた於愛の本音~
冒頭は、箱に収められた自身の日記を読み返す於愛から始まります。大切に仕舞われていることから、そこに綴られた思いを彼女が大切にしていることがわかりますが、一方でわざわざそれを取り出して読み返す意図が気になるところです。
とはいえ、まずはその中身です。最初に語られるのは、於愛の前夫が戦死してしまったという事実です。「どうする家康」劇中では描かれませんでしたから、知らない人は驚いたでしょうし、多少、歴史を聞きかじっている人であれば未亡人設定がようやく出てきたかというところでしょう。因みに西郷局(於愛)の結婚相手は、祖父西郷正勝の嫡孫、義勝です。彼を戦に送り出す場面のとおり、一男一女を設けています。彼女は幼くして父と兄が戦死したため祖父の下で引き取られました。ですから、従兄弟である義勝とは共に過ごした仲。自然と義勝が「お慕いする人」となっていったとしても不思議ではありません。
ともあれ、義勝は竹広合戦にて落命し、幼子をかかえたまま未亡人となります。「お慕いする人が逝ってしまった」という過去完了の表現から見える、愛する人から置いていかれた絶望感は、その遺骸を前にして余計に膨れ上がり「私の心もまた死んだ」と言わしめます。この際、カメラは夕陽を背に佇む彼女をローアングルから捉えています。やや不安定な構図とアングルから、打ちひしがれた彼女の哀しみという主観的な感情が強調されます。ですから、彼女がその思いから、短刀を手に取り自害せんとする流れはスムーズです。
しかし、於愛はふと後ろを振り返ります。その視線の先には、屋敷の向かいの縁側にちょこんと座って彼女を遠巻きにじっと見つめる娘の姿があります。ここでカットは切り替わり、娘の視線に我に返る於愛の表情がハイアングルのアップで捉えられます。俯瞰のアングルと見開いた目を際立たせるアップで、自分の思いだけに囚われていた彼女が、残された子どものために生きなければならない現実に気づいた瞬間を切り取ります。
このローとハイの映像の対比によって、慕っていった夫の死に打ちひしがれ生きる望みを失っているにもかかわらず、子のために生きなければならないという於愛の葛藤が表現されていますね。
こうして於愛は子どもらのため、ただ命をつなぐためだけに浜松城へ仕事を求めてやってきます。彼女を案内するのは側室のお葉です。由緒ある西郷家であれば、働かずとも再婚できるだろうとお葉は問いますが、落胆の度合いの濃い於愛は暗い表情のまま、もう二度と嫁ぐつもりはないと返します。自害しようとすら思った彼女の心の傷、その深さが窺えますが、それだけではなく、幼き頃よりよく見知っていて愛した彼に替わる人物などいるはずがないという確信めいた思いもあったのではないでしょうか?
そんな彼女の傷心を見てとったお葉はここで働くしかないと悟り、彼女に「嘘でも笑っていなさい。皆に好かれぬと辛いぞ」と助言し、於愛の顔をつかみ無理やり笑顔にします。お葉自身は生真面目でどちらかと言えば愛嬌は見せませんが、一方でその完璧な仕事ぶりゆえに心の機微にも敏感でそつがありません。侍女仲間の美代の気持ちを受け入れたことも、家康に癒しの存在が必要と見抜いたこともその一端です。
ですから、奥向きの長年の経験と男前なその性格から、純粋に彼女の身を案じているのです。陰気さは周りに気を遣わせ、職場の空気が悪くなります。ここで生きていくならば、せめて過ごしやすくするしかないのです。
また、形だけでも笑顔にしている中で周りに好かれれば、いつかは癒され、救われるときがあるとも考えているのではないでしょうか。お葉自身、美代との関係を容認した家康の優しさと瀬名からの信頼によって、生きる道を見つけ救われました。そうした経験から、彼女へ助言しているのです。人は人に救われた分、次の人に救いをもたらすのです。
因みにお葉は、追随を許さぬ完璧な仕事で男どもも圧倒し、女性陣の支持は絶大でしたから愛想がなくても居場所はありましたし、また美代の前だけでは優しい自然な笑顔を見せていますので、普段のポーカーフェイズでの苦労というのは、なかったかもしれません(笑)
しばらく経った後、水仕事をしつつ、於愛は両手で笑顔を無理に作っています。お葉の助言に素直に従って日々を過ごしているところに於愛の根の良い人柄が出ていますね。彼女が無理に笑顔を作った後に続く場面が、あの台所での尻叩き、家康との初対面(第23回)です。彼女のドジっ子ぶりと万千代との普段のやり取りも想像させるユーモアに溢れたあの場面が、実は彼女が哀しみを押し隠して陽気に振る舞っていた結果だったと知ると、切ない気分にさせられますね。彼女は深く深く傷ついたままなのです。しかし、家康の於愛への反応から気に入りそうと判断したお葉は、彼女を側室に推挙することに決めます。
ここで再び、場面は日記を読み返す於愛に戻ります。彼女は普段は見せないうつむき加減の暗い表情のまま、「思いがけぬ話をいただいた」と側室に推挙され、瀬名にあった日のことを思い出します。
瀬名との対談も、「源氏物語」オタクトークし始める於愛の愛嬌が際立った場面です。ここでのやり取りから瀬名は於愛を側室にすることを認め、「そなたのおおらかなところが、きっとこの先、殿の助けになろう。愛や、殿のこと、よろしく頼みます。」と家康を託します。第23回note記事でも触れましたが「きっとこの先」という言葉には、自分のいなくなった未来を瀬名が想像しているだろうことが窺えます。それまでは、瀬名ができる限りの笑顔で家康を支えてきましたが、それができなくなることも予見し、その代わりとなる女性として瀬名を見初めたのです。
実は、このときの於愛は二度と嫁ぐつもりのない傷ついたままでしたが、正室の瀬名に頼まれれば否応なく引き受けざるを得ません。精一杯務めると答えて平伏するより他ありません…そして、心の中で、日記の中で呟きます、「お方さま、私の笑顔は偽りでございます」と。彼女の心中の言葉は、引き受けること自体の辛さと同時に、自分を買ってくれた瀬名に対して嘘をついている後ろめたさが察せられます。
果たして瀬名は、自身の予見したとおり哀しい最期を迎えますが、それだけにあの日、正直に「笑顔が偽り」と告げられなかった罪の意識を感じ、今もそれがあるだろうと察せられます。あの日の日記を読み返し、暗い表情になってしまうことも分かる気がしますね。
ただ、あの瀬名が、於愛の笑顔が偽りであることに気づきもせずに、彼女に家康を託したのでしょうか?そこには疑問を感じます。
まず、瀬名は、観察眼に優れ、人の才と本性を見抜くことには長けた人です。息子だからとはいえ、誰よりも信康の優しい気質を理解し異変を察したこと、千代の真実を言い当てて交渉に引きずりこんだこと、長篠の戦い前夜、機を見て信長と家康の大喧嘩を収拾して見せたこと、彼女の理知的な面が活かされたことは数多くあります。ですから、自身が深く愛する家康を託す側室を見誤るということは考えにくいですね。
更に重要なことは、瀬名自身が笑顔をどう捉えているかということです。彼女は父、関口氏純から「笑顔を忘れるな」と遺言されています。そして、事実、両親を失った哀しみ、見知らぬ岡崎の地で過ごす不安を抱えているはずでありながら、彼女は笑顔を忘れることなく過ごし、家康、子どもたち、そして家中の者たちを支えました。瀬名は、笑顔が能天気な幸せ一辺倒から生まれるものではないことを知っています。以前のnote記事でも触れましたが、どんな災禍や苦難にあっても希望を捨てずにいる強い心があってこそ、笑顔を忘れずにいられるのです。
こうした笑顔でい続けることの本質を実践してきた瀬名であれば、於愛の笑顔の向こうにある哀しみも見て取ることができたでしょう。そこまで見た上で、於愛自身は気づいていない彼女のおおらかさの裏にある強さ、そして優しさという彼女の根っこを見抜いたのではないでしょうか。
そして、もう一点はお葉の存在です。彼女は於愛が城勤めした当初から、その状況と心中を知っています。生真面目な彼女がそれを正室の瀬名に隠し立てする可能性は低いでしょう。全ては瀬名に報告済みと察します。
また、彼女の「二度と嫁がない」という傷の深さを知ってなお、彼女を家康の側室に推挙したのです。そこには癒しが必要だった家康を慮るだけではなく、於愛自身が家康の優しさに触れ救われる可能性を信じた面もあったと思われます。彼女自身も家康の優しさに物理的に救われていますから。こう考えていくと、家康と於愛の相性を見抜いたお葉の慧眼には脱帽ですね(笑)
したがって、全てを分かった上で瀬名は、於愛に家康を託したと察せられます。とはいえ、瀬名の思いもお葉の思いやりも於愛本人のあずかり知らぬことです。ひたすら、自分のもの思いに耽ります。そして、「殿のことは心から敬い申し上げているけれど……お慕いするお方では…ない」と、これまでの劇中の彼女からは信じられないような言葉で彼女自身が断じます。
ここで、ようやく彼女が日記を読み返した理由が、うっすらとわかってきますね。「殿はお慕いするお方ではない」…この初心を忘れないため、亡夫への思いを忘れないため、亡くなった日からの日記を読み返しているのです。何故、こういう確認をしなければならないのか、その心中を明らかにしていくのが、今回の「於愛日記」ということになりますね。
そして、断じた瞬間、胸を押さえます。心臓の病なのでしょう、哀しい思いを確認する彼女に死期が迫っています。
2.北条との和睦の妨げ
(1)真田へ嫁ぐことを拒否する本多忠勝・稲の親子
オープニングはまたも回想の瀬名がクレジットに2番目ですが、先に述べたように於愛の全てを察した上で於愛に家康を託したことが見えてきます。そんな於愛の心中と行動がもたらすこと、それが今回の物語の軸になりますから、未だに瀬名の影響は大きいと感じられます。
それにしても…このオープニングのクレジットの時点で、茶々が北川景子さんだと全力でネタバレしてしまっていることだけは何とかならなかったのですかね(苦笑)今回だけはオープニングでは伏せ字、登場したときに茶々(北川景子)とテロップを出すのでも良かったような。とはいえ、最初からお市との一人二役のオファーという今までにない配役は楽しみですね。
オープニング後は、家康が鳥居元忠(彦右衛門)から探しものが見つからないとの報告を受けていますが、家康はともかく彦右衛門の表情は冴えません。仕事が上手くいかない申し訳なさというよりも、家康の顔色を窺うような様子が彼らしくありません。
そこに於愛が現れ「探しものなら手伝いましょうか」と申し出ますが、家康は笑って気にしないように伝えます。結局、これは望月千代女のことを探していることは予告編の時点でわかりますが、家康が於愛にそれを伝えないのは、彼女が慈愛の国構想にかかわった武田の間者の千代のことを知らないからです。この件は、あの築山にいた者だけが知る事実ですから。
それよりも、忠勝が、娘の稲を家康の養女とし真田に嫁がせることについて、「真田の家風が気に入らん」などと反対していることのほうが重大事です。家康は「無理にとは言えんが…」と言いつつも困り顔。したがって、於愛が稲を、彦右衛門が忠勝を説得するということになります。が、この場を下がるときの彦右衛門の表情はやはり隠し事を誤魔化す顔になっていますね。信じ切っている家康は鈍感で気づきませんけど、視聴者にはバレバレでしたね(笑)
そして、家康は旭とともに上洛です。一つは、大納言になり政権の実質ナンバー2としての役目、そして遅々と進まぬ真田との婚姻とそれに伴う北条問題、それを何とかするからと説得しに行かなければなりません。とはいえ、希望をもって「戦の無い世」に向かおうとする家康の表情は明るさがあります。後事を託された於愛の気持ちの良い返事に破顔した家康は「いつもいい笑顔じゃな!」と声をかけ旅立ちます。
この際、家康を見送る於愛をカメラは後方から捉え、その表情を見せません。先の「偽りの笑顔」のくだりがあるため、その表情は見えなくても胸中は複雑。その複雑さを視聴者の想像に委ねています。おそらく、家康に笑顔を誉められるたび、彼女の良心は常にチクリと痛んでいることでしょう。しかし、それを誰にも打ち明けることはできません。
さて、京では秀吉は武術の鍛錬らしきことをしていますが、振り回した槍が当たるなどその腕前は相当にヘッポコです。失敗するとすぐに投げ出し、今度は弓を物色し始めます。天才的に利己的に頭が回る秀吉ですが、長年の鍛錬がものを言う武芸に関してのみはからっきしです。信長との決定的な違いを描写するとともに、彼自身の武門の頂点に立つ上でのコンプレックスが見て取れます。
実は、上に立つものが武芸に秀でている必要はまったくありません。本作の信長は異常なほど武芸に堪能で彼のカリスマの一端を担っているようなところがありましたが、実際に戦場で槍働きをするのは信長ではなく家臣たちです。武芸に秀でた家臣がいればよいのです。武将は馬車の馭者で家臣が馬、馭者が馬と同じスピードで走るなんておかしいですから。にもかかわらず、秀吉が急にそこにこだわるのは、男らしさを見せねばならない相手がいる。天下人としてのプライド、色々な要素がありそうです。
上手くいかない武芸に苛立ちながら、「大納言、もうええだろ」と北条との交渉を打ち切り、滅ぼそうと言い出します。すかさず、家康は、北条に嫁いだ自分の娘おふう(お葉の娘)が尽力していることを伝え、暫しの猶予を願い出ます。沼田の件も代わりの領土を真田に出すことでほぼ解決済みであることを左衛門尉忠次が補足し、事態は好転しつつあるとします。家康は前回、秀吉に誓ったように戦を避けるため全力を傾けているのです。そして、小田原ではそのおふうと家康からの使者である榊原康政が、氏政・氏直親子を賢明に説得しています。
その一方、駿府では、京の家康、小田原のおふうの尽力虚しく、和睦交渉の要である稲が、於愛にむかって「真田は好きではございませぬ!」と嫁ぐことにごねています。家風が気に入らないともっともらしい理由を並べていますが、要は人身御供のような形での婚姻が気に入らないのです。隣にいる忠勝も稲では役に立たないからと連れ去ろうとしますが、それを娘可愛さと気づかず、嫌味と取った稲は忠勝を体術で引き倒してしまいます。戦国最強と言われた彼とは思えませんが、娘相手に本気が出せるわけもなく、たやすく腕を取られたのは単なる親バカの結果でしょう。彼が本気になったら怪我させてしまいますから。
そして、稲は父の嫌味を真に受けて「あいにく父上に似てしまったもので」と忠勝のせいでこうなったと責めます。更に「幼い頃、槍だの弓だのばかり私に教えたではありませんか」と追い打ちをかけます。
忠勝、娘可愛さに彼女を守るために護身術と称して仕込みまくったのでしょうね。加減が効いていないあたりが彼らしい。しかし、あくまで彼は娘が身を守れるようにしたいという気持ちだけなのであって、誰かにいずれ普通に嫁いでもらう気であることは、前回、「このままでは嫁の貰い手がありませぬでなぁ!」と厳しい躾を於愛に懇願していたことから窺えます。だから、娘の言い分に納得がいかず、「関係あるか!」と返します。
しかし、彼女にとっては、物心ついたときから学んだ武芸こそが彼女の性格の根幹にあります。父、忠勝は彼女の憧れそのものだったはずです。ですから、彼女の内心は、父から学んだ武芸を活かした生き方、戦で駆け回ることを願っているのです。にもかかわらず、その願いは叶えられず、当の父親から花嫁修業にかこつけた行儀見習いに行かされているのです。
前回、行儀見習いに身が入らず、だらしない恰好で着物を羽織っていたのも、そうしたことへのフラストレーションからだったのです。稲は、女性の幸せは嫁にいくこと…といった安易な女性の枠組みに押し込められることに納得がいかず、自分の才能を持て余していたというのだと察せられます。
彼女は自分の生き方を納得する形で選択したいのです。どちらにせよ、親の心子知らず、子の心親知らず、二人はすれ違ってしまっています。
流石にバカバカしい親子喧嘩に呆れ果てた於愛は仲裁に入り、「好き嫌いは置いておけ」と稲を座らせ、戦はするばかりが大事ではないと説き、小田原にいるおふうの懸命な努力を察するよう言い「戦を避けるのも大事なお役目」と諭します。彼女自身、戦で父、兄、夫を亡くしています。特に亡夫への思いが強いです。また、瀬名の目指した世の中に共感し、それに進もうとする家康を支えてきました。於愛の経験と信念に裏打ちされた、戦を避けることも戦いであるとの言葉は重く、男勝りの稲も口を閉ざすしかありません。
(2)寧々の懸念
再び、場面は京です。謁見も終わり、家康一同は寧々の接待を受けて食事をしています。一番奥でパクパクと食べているのは直政です(笑)安土城での饗応でもパクパクと遠慮がなかったことが思い出されます。
さて、席上、気を利かせた家康は旭に、自分たちは駿府に帰るが、旭はこのまま大阪に留まり、実母の大政所の相手をして差し上げるよう提案します。左衛門尉忠次も「それはいい」と述べ、自身も京勤めになったからサポートすると暗に申し出ます。思わぬ厚遇に驚く旭は戸惑いながら、一応人質だから徳川の領内にいるべきでは?と問います。
すると家康、「今更、人質などと思っとらん。我が正室として京での務めを支えてくればよい」と答えます。家康の言葉、気が利いているのは「正室として」の京での役割を旭に与えていることですね。役割であれば旭も気兼ねなく残れますから。家康は「そなたは儂の大切な妻じゃ」と笑顔で答えて以降、彼は一貫して彼女を大切にしていることが伝わります。その言葉を聞いた旭の嬉し気な感謝一杯の表情(山田真歩さんの芝居がかわいい)からも幸せが伝わります。
それを見届けた寧々は、良い旦那様だと少しからかい気味に声をかけますが、旭が本当に嬉しそうに返事をしたため、ますます微笑ましい表情となります(このくだりの和久井映見さんの演技は細やかです)。内心、寧々は人質として嫁いだ旭が気がかりだったのでしょうね。本作では、家康の上洛→帰国は大政所のそれと入れ替わりでしたから、大政所は家康と旭の関係性は見ていませんし、ようやく寧々は旭の状況を知ることができ、安堵したと思われます。
と同時に旭の大切に扱う家康に寧々の評価も更に爆上がりになったはす。秀吉のような夫を持つ彼女からすれば、家康は信頼に足る人物と映ったことでしょう。後年の家康、北政所の関係は、こうしたちょっとしたところから生まれたのかもしれませんね。
さて、そこに戻ってきた秀長は申し訳なさそうに「兄は戻らん」と伝えます。ますます活発で壮健そうな秀吉を左衛門尉忠次は誉めそやす世辞を言いますが、自ら給仕を務める寧々は「周りの者の精気を吸い取って自分だけ意気揚々となる物の怪」と揶揄します。自分の欲望のまま生き、周りを睥睨(へいげい)していく…利己的なばかりの秀吉とそれに振り回される周りとの関係性を端的に語るこの一言。終盤の秀長の病のくだりを見ると、秀吉が精気を吸っている人間の中に弟も入っているようにも思われ、少し戦慄します。
そして、「新しい側室のところに入り浸っとるんだわ」と来ない理由も告げます。すかさず、秀長は秀吉の一番は義姉であるとフォローを入れますが、寧々の言葉は嫉妬から来るものではないことが「あの男は病だわ」という台詞に表れます。前回まで人前では「夫」と呼んでいた寧々が「あの男」という突き放した言い方をしているところに、わずかの間で秀吉が更に変化したことが窺え、また寧々の知っている秀吉ではなくなりつつあると察せられます。
寧々はその病を「なんでも欲しがる病」と名付けます。以前から、寧々が事あるごとに秀吉を嗜めてきたことです。わざわざ、それを口にするということは、いよいよ、秀吉が肥大化していく際限なき自身の欲望をコントロールできなくなっていることを暗示しています。新しい側室は、そういう秀吉のあり方を増幅する触媒になっているのでしょう。寧々の本心は、夫を案じる思いです。先々が心配されるその思いは暗く、蝋燭の間接照明になっているこの場面の幻想的な光のあり方がかえって彼女の懊悩、そしてそれを肯定せざるを得ない秀長の苦悩の表情を際立たせています。
家康たちの前向きな和睦の尽力など、今の秀吉にとってはどうでもいいものになっていることは、この場に秀吉が現れなかったことが象徴しています。
3. 夫婦とは一日にしてならず
(1)望月千代女と鳥居元忠の恋~嘘から出た真が於愛を変える~
駿府では、於愛が家中のものたちを連れ、先頭に立って盲人たちに食べ物の施しを行っています。彼女は自身が目が悪かったこともあり、とりわけ盲人の女性、瞽女(ごぜ)を気にかけていたと伝わります(今回の家康ツアーズでも紹介されていましたね)。ここには、彼女が自身の笑顔をいかに偽りだと言おうとも、彼女の笑顔とおおらかな性格に救われている民たちがいることを表しています。彼女の心根なのです。民を思う於愛の行為、瀬名が後事を託すのも当然ですね。
さて、そこへ現れた正信は困り果てた様子で「於愛さま~」と甘え声で困ったことが起きたと懇願します。彼が無条件で人にすがるというのは珍しく、余程の事態とわかります。同時に、正信も於愛を当てにしている、信頼しているというのがわかります。なにせ、ひねくれて鷹匠を押し通そうとしていた正信の天邪鬼を根気よくいなし、最後は本音を引き出したのが於愛でしたから(第30回)。あそこで描かれたことが、こうしてつながってくるとは意外でした。
正信が言う困ったこととは、忠勝が稲の輿入れに猛反対し始めたということでした。訳がわからない於愛は、施しに協力していた稲を見ますが、心当たりがないと首を振ります。
こうして大久保忠世が渡辺守綱を説教しているところへ正信とやってきた於愛は、家康が言っていた探しものが望月千代であることを教えられます。慈愛の国構想に関わっていなかった彼女は当然、彼女を知りません。
ですから、武田の優秀な間者であった望月千代を探し出そうとしていたこと。そして優秀なだけに、どこの武将からも引く手あまた。武田に近しい真田の間者になってもおかしくない人物であることが正信の口から語られます。実は正信、三河一向一揆のときに本證寺にて彼女の共闘しているはずで旧知なんですよね。ただ、彼の口ぶりからはかつての関係性をどう思っているのか、あるいは気づいていないのかはわかりません。
そんな千代を探し出す命を受けていた彦右衛門、家康にはずっと見つからないと上奏していたが、実はとうに発見し、あろうことか秘かに自分の側室に迎えていたことが発覚したのでした。冒頭の彦右衛門の胡乱な表情の意味が、家康への後ろめたさであったとわかります。
そ れにしても、実在も出自もはっきりしない千代の出自をまさか馬場信春の娘とするとは予想外でした。鳥居元忠が、家康が探していた美人と噂の馬場信春の娘をちゃっかり側室にしていたという話は『名将言行録』からの引用ですが、そこに千代を絡めたのは「どうする家康」のオリジナルの解釈です。
元々、江戸期に作られた『名将言行録』は、決して信憑性は高くないエピソードだらけですので、実在のはっきりしない千代とつなげてしまうのはありかもしれませんね(ただし、元忠の側室が馬場信春の娘であったことはたしかなようです)。そして、この「どうする家康」オリジナルの展開が、第36回の物語を動かす大事な要素になっていきます。
さて、彦右衛門が千代を妻とし匿っていることを知った渡辺守綱が興味本位で言い触らしたばかりに事態は最悪の方向へ向かいます。彦右衛門と千代の婚姻関係を知った本多忠勝は、千代を武田と縁深い真田の間者と決めつけ、彦右衛門は籠絡されたのだと一方的に結論づけます。そして、そんな真田の罠にハマった男が進める徳川と真田の縁組は信用ならないと激怒するに至ります。まして、自分の娘が人身御供ですから、許せるものではありません。
激昂した忠勝は鳥居宅を強襲、千代の引き渡しを要求。対する彦右衛門は、千代は絶対渡さんと大乱闘になります。いよいよ、真田との和睦の最重要案件である稲の真田家への輿入れが頓挫しそうです。大乱闘の中、物陰に忍んでいた千代は何か覚悟を決めた表情です。
家康不在時のこの緊急事態、於愛がこの裁定を行わなければなりません。まったく、渡辺守綱は考えもなしに余計なことをしたものです。正信に扇子ではたかられ。彦右衛門のお前のせいだろうがと、蹴とばされるのも自業自得です。まあ、彦右衛門と無邪気そうな村女のようになった千代(メイク効果で化けましたね)と、キャッキャッ、ウフフといった乳繰り合いを覗いてしまったのでからかいたかくなるのも人情ではありますが(苦笑)
こうして於愛を上座に迎え、忠勝の糾弾、彦右衛門の弁明が始まります。半年前に見つけたと語る彦右衛門に、忠臣と思っていたが半年も殿を裏切っていたのかと忠勝は罵倒します。しかし、彦右衛門は臆することなく、千代の武田の間者ゆえのこれまでの非道(三河一向一揆でも岡崎クーデターでも彼女は暗躍)から「こいつは恨まれとるに相違ない」とし、あるいは殿に報せれば、その有能さゆえに再び「忍びをさせられる」と恐れたと答えます。しかし、見つけた彼女は忍びを捨て、一人農作業をしてひっそりと過ごしていたのです。その欲のない慎ましやかな生活と侘しさに、彦右衛門は憐憫の情を感じたのでしょう。庇おうと決意したのです。
「殿のご命令でも従えんことはあるんじゃ」との言葉に彼の真心が表れていますね。この台詞が言えるのは、「どうする家康」の徳川家中だけでしょう。
因みに彼が千代を見つけたのは教来石のあたりだと言っていましたが、馬場氏は教来石村が本拠で教来石氏と名乗りました。「どうする家康」では、千代の父とされた馬場信春も馬場の名跡を継ぐまでは教来石景政と名乗っていたのです。
瀬名の死を伝えた千代が、肩落として勝頼の元を寂しげに去っていったのを覚えているでしょうか?彼女と共に見た夢が破れ、絶望した千代に行く先などありません。貧しい生まれ故郷に戻り、菩提を弔うようにひっそり生きる以外になかったのだろうと察せられますね。
そこへ彦右衛門が現れました。彼にしても、武田の間者は三河勢を徹底的に苦しめた憎き敵のはずです。しかし、彼は恩讐を超えて、彼女に情を寄せ、あろうことか匿ってくれたのです。彼女は慈愛の国構想の時点で徳川家に対して抱く感情は悪いものではありませんでした。再び、徳川方の人間の温情を受け、感謝すると共に、改めて瀬名が語る真心が真実であったと実感したのではないでしょうか。
しかし、強情な忠勝は「それが真田の罠だと言うんじゃ」と聞く耳を持ちません。それでも彦右衛門は「こいつはわしを慕っていると言ってくれたんじゃ」と、彼女の真心を信じる旨を伝えますが、何せ忍びの者だった千代、その言葉で何人の男を誑かしたか知れたものではありません。劇中でも、松平昌久が誑かされていましたね(第9回)。ですから、忠勝の心を動かすことはできません。
ここで於愛は、ずっと無言の千代に「言い分はないのか」と聞きます。千代は「ございません」と即答、これまで数々の非道を行ってきた自分の言葉を誰が信じるものでしょうかときっぱり答えます。現実感覚に優れた忍びですから、進退窮まったと察している諦めが窺えます。
それでも於愛は「彦殿を慕う気持ちはまことのものか?」となおも問い質します。すると千代、初めてわずかに顔を曇らせうつむき加減に「さあ?わかりませぬ」と呟きます。気持ち泣きそうな古川琴音さんの無表情が印象的です。この胸中は複雑です。
おそらく最初に彦右衛門に「お慕いしている」と言ったときは、感謝の念を伝える方法が他になく、また生きる術という二つの要素が強かったことでしょう。しかし、半年も過ごすうちに、彼の人柄と真心に触れ、本当に慕う気持ちが芽生えてきたのではないでしょうか。打算から始まった気持ちが本当に慕っていると言えるのか、千代は判じかねているのかもしれません。
そして千代は、皮肉っぽく微笑むと「きっと偽りでございましょう。ずっとそうして生きてきたので」と否定する言葉を連ね始めます。そう軽々と言えてしまうのは、千代の哀しい半生の為せる業です。彦右衛門も同情から始まった半年の夫婦関係のなかで彼女の深い哀しみをよくよく知ったはず。ですから、そう語る千代を気遣うように痛々しい表情で見つめます。彼女への思いやりに満ちた彦右衛門の表情…音尾琢真さんの色気が溢れた白眉の芝居と言って良いでしょう。
しかし千代の気持ちは決まっています。続けて、彦右衛門に「貴方は私に騙されたのさ。もう私のことは忘れなされ」と告げ去ろうとします。彼女は自分のそれが慕う気持ちかは判断しかねたかもしれません。しかし、彼の真心を裏切ってはいけない、彼を罪人にしてはいけないという思いだけは確かなのでしょう。
だから、彼が自分を庇ってくれたように、彼女もまた彦右衛門を庇うのですね。二人の自覚はわかりませんが、これを夫婦愛と呼ばずして、何と呼ぶのでしょう?
ですから、立ち去ろうとする千代を於愛は引き止め、もうすぐ帰国する家康に判断を委ねるから沙汰があるまで待つように伝えます。この裁定での会話の最中、千代と彦右衛門、そして於愛を見る稲のカットが何度か挿入されます。かつて敵でありながら結ばれた男女のありよう、庇いあう二人の様子。それを静かに問い質す於愛の姿、彼らの生き方を目の当たりにして何を思うのか、その稲の思いはその後、語られます。
さて、自室に戻った於愛は、千代の「きっと偽りでございましょう。ずっとそうして生きてきたので」との言葉に衝撃を受けています。何故なら、彼女もまた「偽りの笑顔」を貼り付けて、この10年近くを生きてきたからです。彼女の心に、心中で瀬名に語った「私の笑顔は偽りでございます」がリフレインしていきます。そして再び、自分の気持ちを確かめるように日記を取り出し、読み返します。
日記は9/15です。後の関ヶ原の合戦と同じこの日が信康の命日です。その日、万千代から「ご自害なさいました」の報告を受けた家康の心は、既に瀬名の死によって壊れていましたが、追い打ちのその言葉によって心労で倒れ伏します。
寝込む彼の目からは一筋と涙が流れますが、このとき、彼は瀬名との最期の別れを思い返しています。そんな彼を心配げに見つめる彼女は「お支えしなければならない」と固く決意します。優しい彼がここまで壊れてしまったことへの衝撃と憐れみだけではありません。かつて「お慕いする人が逝ってしま」い、自分の「心もまた死んだ」、しかもその相手が幼馴染みという於愛だけが、瀬名と信康を失ってしまった家康の絶望を理解できたからです。二人は同じ境遇なのです。そして、彼の心を癒そうと決意した瞬間、彼女の「偽りの笑顔」は単なる仮面ではなく、意味を持ち始めたのです。
家康との間に二人の息子をなした彼女は、富士遊覧の際、家康を情けないと非難する康政らを「殿のがどんなお気持ちでいるか、そなたらには分かるのか」と𠮟りつけていますが、彼女は辛抱強く家康を見守り続けてきたからこその台詞だったのですね。
そうやって悩み苦しむ家康を受け止め、ときには叱咤し、旭の心と出奔した数正の心を汲み、家康と家臣団を築山のもとへまた一つとしたのも於愛です。その結果、天下取りを諦めた家康は木彫り兎を桐箱へ大切に収めて一旦封印するのですが、その姿を於愛は慈愛を持った眼差しで見ています。彼女はいつか家康が「お優しい笑顔を取り戻す」ことを祈るのです。彼女は家康を支えなければと思う日常の中で、いつの間にか、家康をずっと見つめ続け彼のことだけを考えるようになっていたのですね。つまり、彼女は知らず知らずのうちに、家康のことを慕うようになっていったのです。
彼女はその事実に今更ながらに深く思い至ります。しかし、家康を慕うようになったこと、それは彼女を幸せにすると同時に、彼女を後ろめたさで深く苦しめることにもなります。彼女には心からお慕いした亡夫がいるからです。彼は死んでしまったのに、生き延びた自分だけが幸せになることは彼への裏切りのように感じてしまいます。そして、家康を同情から慕うようになることも、偽りの笑顔で彼と接する自分が、慕うような気持ちを持つことは、彼を愛し続けた瀬名への冒涜になるのではないかということもあるでしょう。
彼女が冒頭で日記を見返し、何故「殿のことは心から敬い申し上げているけれど……お慕いするお方では…ない」と改めて、思わなければならないのか。自分が亡夫を忘れて家康と幸せになってしまっては、亡夫と瀬名が可哀想だと考えたからでしょう。愛深き於愛だからこそ、人知れず苦しんだのです。
しかし、千代と彦右衛門の二人は、敵味方であったはずの二人が同情、あるいは打算より始まったであろう夫婦関係がやがて真の夫婦愛を見出していくことを示してくれました。嘘から出た真…まさにそういうことがあっても良いのだということを教えてくれたのです。そして、そこに至る紆余曲折こそが夫婦関係を営むということなのです。彼女は、稲に「好き嫌いは置いておけ」と言っていましたが、その言葉の意味を自分自身が改めて知ることになったのです。
このように於愛は、千代の台詞と日記から、自身の家康を慕う気持ちに改めて気づき、それを受け入れようとします。そんな於愛の決意を、カメラは逆光の中で彼女を捉え、そのハレーションの美しさで彼女の心に光が射したことを表現しているのが巧いですね。
(2)重なり合う女性たちの生きざま
駿府に帰ってきた家康による裁定が始まります。
彦右衛門は真っ先に勢い余って、自分は切腹して詫びるから千代だけは助けてほしいと懇願します。家康はただ「彦、何故、妻にしたいと素直にわしに言わなかった?」と問います。彦右衛門は、彼女の所業から罰せられることも、そして再び忍びとして使われることも耐えられなかったからと申し開きをします。
そんな彦右衛門の言葉に真実を見た家康はただ「わしは千代を恨んでおらん」と述べ、その理由として穴山梅雪と千代は、かつて瀬名たちと共に夢を語り合った同志であると明言します。家康はあの日、あのとき語り合った夢を忘れてはいません。寧ろ、忘れなかったからこそ、瀬名と信康の死に苦しみ、自分を責め、本末転倒な天下取りに固執してしまったのです。ですから、この言葉に嘘偽りはありません。
穴山梅雪の名前を言ってくれるのが良いですね。彼が伊賀越えで家康の身代わりとなって散っていったことへの感謝も入っての言葉でしょう。だとすれば、回り回って梅雪は千代が助かる一助にもなりましたね。
家康は更に「我らが夢見た世は忍びのいらぬ世であった」と続け、自分が千代を忍びとして使う気がないことを伝え、そして「鳥居元忠の妻となるがよい」との裁定をくだします。「ありがとうございます、殿」と平伏する彦右衛門ですが、意外にも千代は「今更、人並みの暮らしが許されましょうや」と自身が咎人であることを理由に反論します。教来石に帰って後の日々で自分の所業を思い返し苦しんだこともあったのでしょうね。
しかし、家康は千代の傍らへ行き、静かに「幸せになることは生き残った者の勤めであると思うぞ」と諭します。死んだものに縛られる分、生き残った者はその思いを受け、苦しい思いをします。だからこそ、生き残った者は幸せになろうとしなければいけません。そして、生き残った人を愛して死んでいった人々もまた、それを望むはずなのですね。この言葉は、亡夫に縛られ続け、自分が幸せになってはいけないと思ってきた於愛の心にも深く染み入るものであったことでしょう。
ただ、家康がこのことに気づけたのは、秀吉に臣従することを決めたときです。つまり、数正の真意に皆が気づいたときです。その呼び水となったのは、旭の思いを汲んで動いた於愛なのですね。つまり、彼女が家康の心を救ったからこその家康の言葉が彼女を救うのです。情けは人のためならずとは言いますが、まさに自分に返ってきて彼女自身を救ったのですね。
こうなっては千代もありがたく受け入れるしかありません。「承知…いたしました」という言い方に万感の思いがあります。家康は「わしは於愛の助言にしたがったまでだ」と後を於愛に譲ります。於愛は、茨の道を進む中で慕うべき人を見つけたならば大事にするのが一番だろうと伝えます。それは家康と歩んだ彼女の道そのものでもあります。だから、真実をもって千代の心にも染みわたるのです。
かつて瀬名は共に夢見ることで千代を救おうとしましたが、夢半ばで命を落としました。しかし、瀬名がその人間性を見込んで後事を託した於愛が、結果的に千代を救うことになりました。瀬名とお葉が瀬名を側室として見初めたことが、結果的に於愛自身を救い、そしてその於愛が瀬名が叶えられなかった千代を救ったのです。
「どうする家康」では、家康が側室を選ぶこと今のところありません。お万にしても、あれはお万が家康を選んだのであって、家康は選ぶ側ではありません(笑)そして、後は女性が女性を見初める形で始まっています。ある種の女性たちの絆、シスターフッドが彼女たちの生き様をつないで、そしてそれぞれ助け合っている部分がありますね。
そして、それを象徴する出来事が、この後に続きます。
家康の裁定に、まだ千代が真田の間者でないという確証はないと忠勝は頑強に不服を申し立て、徳川家が操られたらどうする、真田は信用できんの一点張りで抵抗します。そんな父親を「仕方なし」と見やった稲は、「父上、私が真田に入り込んで、真田を操ればようございます」と対案を語ります。驚く一同を前に「彦殿が寝首をかかれたら、私は真田親子の寝首をかきます」と物騒なことを言い出し、忠勝を慌てさせます。
「お前には無理だ」と言い募る父に幼い頃より「父上に武芸を仕込まれてきました。できます!」と、流石は本多忠勝の娘、一歩も引きません。そして、家康と於愛を前にこの度の顛末を見て「夫婦をなすのもおなごの戦と思い知りました。真田家、私の戦場に申し分なし!」と決意を新たにします。彼女は、この婚姻を人身御供としか思えませんでしたが、戦場と思えるようになったことでようやくその意義を見出せたのです。
小田原で和睦のために奮闘するおふう、敵同士から夫婦愛を勝ち得た千代、家康の側室として全て取り仕切る於愛などを見た結果です。それは、自分の意のままにならぬ婚姻関係でも、幸せになろうとそれぞれが覚悟を決め、選択し、努力を続ける女性たちの姿です。だからこその「夫婦をなすのもおなごの戦と思い知りました。」なのですね。彼女たちの生きざまは、稲という次世代に引き継がれ、また新たな生きざまへと脈々と受け継がれていくのです。
こうなっては、忠勝、言葉がありません。彼の本心が娘を心配する余りに嫁にやりたくないだけの親バカであると分かっている大久保忠世は優しく忠勝を諭し、正信もまた今回ばかりは茶化さずに「観念されよ」と温かく呼びかけます。
家康とその場のおじさんたちの後ろ盾を得た稲は、忠勝の前に向き直り、居住まいを正すと「本多忠勝の娘として、立派にお務めを果たして参ります」と丁寧に挨拶をします。だらしない着こなしの無頼な彼女の姿はありません。稲はとうの昔に行儀作法は身に着けていたのですね。ただ、それにふさわしい生き方が見つからなかっただけなのです。彼女の成長を認めるしかない忠勝はただただ号泣です。この様子に、収まるところに収まったと目を合わす家康と於愛のアイコンタクトが良いですね。
稲、またの名を小松姫、彼女は宣言どおり、真田家に嫁ぐと徳川家、本多家と真田家を取り持ち、夫、信之を徳川家の味方とします。そして敵となることも多い舅、昌幸とは彼に流されることもなく、しかして危機には気遣いをし絶妙な距離感で付き合います。まさに「操った」と言える面もあるかもしれません。
さて、自室に戻った家康は、於愛に自身が調合した薬を渡しながら「此度のことは、そなたのおかげだ」と感謝を伝えます。謙遜する彼女に家康は「思い返せば、いつもわしはそなたに救われてきた。そなたの笑顔とそのおおらかさにな。」と感謝を伝え、彼女の心遣いがなければ心が折れてしまっていただろうとしみじみと言います。彼は未だに彼女の笑顔が偽りから始まったことを知りません。しかし、それでよいのです。彼が救われた事実は変わりませんから。
その家康に於愛は「救われたのは私のほうなのでございます。殿にお仕えすることで、救われたのは私のほうなのでございます」と返します。大事なことなので二度言いましたと言わんばかりの繰り返しに万感の思いがあります。勿論、支えてもらってばかりの家康に自覚はありませんから「わしが救ったか?」ときょとんとしています。
そして、指で笑顔を作る仕草をすると「こうすることをいつの間にか忘れさせてくださいました」と心からの笑顔を見せます。作り笑いをする必要がなくなっていたこと、家康を心から慕うようになっていた自分を受け入れたとき、彼女はようやく自分自身を縛ってきたものから解放されたのです。それを気づかせた合わせ鏡が千代であったのが興味深いところです。
ようやく、亡夫と瀬名への申し訳なさから解放された彼女の目線は薬研に注がれます。瀬名の形見となった薬研です。そして、彼女はこう切り出します。
殿、お方さまと信康さまのことについてお聞かせ願えませんか
聞きたくても聞けずにおりました
願っておりました、いつかはお方さまと信康さまの話、お二人をの話を
殿が笑顔で語られる日が来ることを
他愛な話が聞きとうございます
踏み込んではいけないと思い続けた家康の心のうちにそっと触れ、それを共有したい。そして、それが家康を救うことでもあると於愛は気づけたのですね。彼女の家康への愛情は静かに深まっていくのです。
請われた家康は、愉快な話として、信康と五徳の祝言時の、信長からの引き出物として大事にせよと言われた鯉を家臣が食べてしまう話(元は講談「鈴木久三郎 鯉の御意見」)を話そうとしますが、一人で受けてしまいなかなか話せず、於愛は話してくださいよと笑いながら縁側でのたうち回る家康を追います。この鯉の引き出物話は、以前、家康と瀬名、信康と五徳、皆が一家団欒のときの幸せなときにも使われていましたね。幸せの象徴なのかもしれません。
そして、彼女がこれから暫く後に病死したこと、皆に悼まれたことが語られます。笑顔が印象的な彼女だけに死に際ではなく、一番幸せなときで終わらせた配慮にスタッフの彼女への愛を感じますね。
3.欲望に呑まれてしまった秀吉とそれを利用する茶々
こうして、女性たちが幸せを求めていく努力の中、真田との婚姻も進められ、北条氏政も弟の上洛で譲歩し、形を整えます。しかし、康政が氏政に言った「これで北条は守られましょう」という家康以下徳川一同の思いは、秀吉の「沼田裁定」の申し渡しによって裏切られます。秀吉曰く、氏政・氏直といった家督を継ぐ者が来なければ臣従でなく意味がないと嘯きますが、その本心は最初から北条を滅ぼすことにありました。
北条殲滅と戦を望むその姿に呆然とする家康に、傍らにいた秀長は力なく「兄はますます、己の生きるままになりました」と応じ、「もう訛りは使いませぬ」とつけ加えます。相手の本性を見極めるため、下から見上げ訛りを使いへりくだる行為をしなくなった…それは「天下人」なる権力の行使と支配をためらいなく謳歌するようになった秀吉には、それが必要なくなったことを意味します。
彼はある意味、民目線であることから、民衆の人気が絶大でした。しかし、結局、彼の民目線は「自分のため」であり「民を慈しむため」ではなかった、その本性が現れたのですね。
今は他の者が、自分の心情を慮り、それを叶えようとすべきだからです。つまり、彼のために全ての者が、彼の望みに答え続けるのです。彼の欲望だけが肥大化していった結果、もう誰も彼を止める者はいません。秀長も秀吉の側にいるのは、彼を利用する利己的な人間と彼の望みに応えるイエスマンしかいないと言います。苦言を呈せるのは寧々と家康だけだとも。
流石に「秀長殿、貴方がおりましょう」と期待をかけるのですが、秀長は既に死病に取りつかれているとのこと。死にゆく秀長の諫言は効果がないと言うのです。あれほど頼りにした秀長の言葉すら聞けなくなっていること、秀吉は欲望に呑み込まれ、コントロールが効かなくなっていると察せらラれます。秀長の憔悴した、濃い苦悩の影が事態の重さを物語っています。そして、秀長は兄を危惧するがゆえ、唯一、信頼に足る家康に「兄に取り入るものの中には、かなり危うい者もおりまする」と忠告しようとしたそのとき…
銃声が轟き、大騒ぎになります。高らかな女性の笑い声と共に煌びやかな衣装に身を包み、鉄砲を構えた女性がやってきます。ここで、先ほど秀長が訛りを使わなくなったといった秀吉が、この女性には「おみゃーさんには敵わんでかんわ」と全力で訛ったのがポイントです。秀吉が唯一、下から見上げるように気を遣わねばならない相手…それがこの女性なのです。
つまり、彼女こそが秀吉の上を行く存在。その振り返ったその顔に家康は呆然とします。濃いメイクと人を食ったような表情など様相は違えど、その顔は信長の妹、お市そのものだったからです。秀吉は初めて「わしの新たなる側室…茶々」と紹介します。
すると、紹介された途端、茶々は銃口を家康に向け、真剣な眼差しをします。驚きの余り、銃口向けられていることすら気に止まらぬ家康に「ダ―ン!アハハハハハハハ」と撃ったふりだけをして狂気じみた嬌声をあげます。そして、今度は秀吉に銃口を向け、悪ふざけをします。
しかし、家康に銃口を向けた一瞬の表情こそ、彼女の本性です。家康はそれを知りませんし、飛んだ逆恨みなのですが、茶々は家康が母、お市を助けに来なかったことについて「徳川殿は嘘つきということにございます」「茶々はあの方を恨みます」と恨んでいます。赤子のときにしかあったことのない茶々にとって、この対面は「こいつが母を捨てた男か…」という再確認だったのでしょう。
そして、茶々は本作では、北ノ庄城落城で天下を取ると言ってすぐ、秀吉を籠絡しようとしていました。秀吉もまた母の仇であり、彼女にとっては利用する存在でしかありません。悪ふざけで銃口を向けていますが、これまた今は時期でなないだけで本気でしょうね。
欲望に呑み込まれた秀吉は既にそれがわからなくなっているかもしれません。秀長の言う「かなり危うい者」とは彼女でしょう。その危うさは、今後、徐々に明らかになるでしょうね。
おわりに
「沼田裁定」が出るまでの、家康たちの「戦無き世」への努力、その裏には女性たちの存在が欠かせなかったというのが今回の内容でした。思い返せば、本作における「戦無き世」は男性だけが武力や政治で作るものではありませんでした。弱肉強食の論理の中で虐げられる者たち、存在を忘れられてしまう人々、そうした人たちの思いや願いがあってこその「戦無き世」です。
その理想を唱えたのはお万であり、それを託された瀬名であり、それに同調した信康、千代、穴山梅雪、そして家康たちでした。彼らが願った「慈愛の国構想」の理想は脆くも崩れましたが、その根本にある「戦無き世」は、その後も家康たちの中で引き継がれました。しかし、いつしかそれは本末転倒な形で捻じ曲がってしまい、家康と家臣団たちを呪縛し、袋小路へと追いこんでしまいました。
その呪縛を打破したのは、男たちの絆ではなく、そこから敢えて飛び出そうとした数正の思い、そして、制約の中でそれでも自分のすべきこと果たそうとする女性たちの願いが折り重なり、それが彼らを呪縛から解き放ち、新たな絆で結び、新しい道へと導きました。
それが前々回までの内容です。
家康たちの理想には彼女たちの力が欠かせません。それでは、その彼女たちは何を考えていたのか。そして、その思いはどう繋がっていくのか、女性たちの思いと絆を改めて確かめた回になりました。
今回、確かめられたことは二つあるでしょう。
一つは、時代や社会の中で葛藤しつつも、他者を思い慈しもうとするときに発揮される力です。それは一方通行ではなく双方向的であることは、千代×彦右衛門、於愛×家康で明らかです。
もう一つは女性たちの絆は、一つの方向性に固まるホモソーシャル的なものではなく、重曹的で複雑ということです。瀬名の思いが於愛に託され回り回って、千代を救う。瀬名の影響で変わった千代の存在が於愛を救う。女性たちの生きざまを見て稲が変わる。様々な形がありました。
その複雑さが、瀬名の理想とした多様性と共生になるのかもしれません。
そして、その絆の輪に、女性たちの影響を受け入れ柔軟に変わっていく家康も入っていけているのが興味深いですね。女性たちのおかげで解放された家康が於愛や旭や千代を救う一端になっています。
これらの点が、利己的な欲望を肥大化させる秀吉にはない点でしょう。
勿論、まだ直接的、具体的な方策として秀吉に対抗できるものではありません。とりあえず、立ち位置の違いが明確になった…というくらいです。
ところで、ラストの茶々の登場で一気に欲望の怪物、秀吉すら霞んでしまったのは、わざと演出しているのでしょうか。
茶々は、織田家の誇り高さと実力主義を体現していますね。鉄砲の腕前での登場は象徴的です。そして、彼女のそれを支えるのは、家康と秀吉に対する怨念が中心になるような演出でした。初、江ら妹を守る思いも強くあるはずですから、そこが救いになるような気はしますが、あの狂気じみた様子は織田家の負の側面を凝縮しているようです。
更に彼女は秀吉を手玉に取り、彼を利用しているようです。それは寧々と秀長が危さていることから察せられます。
つまり、茶々は織田イズムの負の遺産、そして利己的な際限なき欲望という秀吉イズムの両方を象徴している可能性があります。
だとすれば、当面の相手は秀吉ですが、最終的には茶々がその秀吉を食らってしまうかもしれませんね。
したがって、第36回は、家康の立ち位置と今後、対峙すべき真の相手の強大さ、それを確認させる回だったのかもしれませんね。
茶々を相手にするには、これから登場の阿茶局、秀忠の正室になる江、そしてその娘千姫たちの存在が必須かもしれません。