高校生の思う【男女差別の自然発生説】
最近、スタディーサプリの政経の講習にハマってしまっている。
受験生であるため、学習の効率化を図る必要はあるわけであるが、その意味を問う過程は省略不可能だと思っている。
今回のアファーマティブアクションについての問題提起はスタディーサプリの講座にて伊藤賀一先生が私に(君たちはどう思うかと問いかけた)ものである。
今回は男女差別にフォーカスしていくつもりであるが、
差別とは根幹を揺るがしかねない重要な問題である。
つまり一口に論じることが出来ない。その点においてはご了承願いたい。
主体的な差別解消?!
私は、「男女差別」「人種差別」「LGBTQ」「障碍者差別」「部落差別」といった差別を公共政経の授業を通して学んできた。
私は、差別を受けたことはないため、彼らの要求を慮ることは出来ないが、差別の解消が推進されるべきであるということは身に染みて思う。
現代社会に問いた場合にも同様であろう。
おそらく、ほとんどの人がそのような社会を望んでいると答えることであろう。
しかし、私はこの事に対して問いを提起したいと思っている。
望んでいるということは願望である。あなたの理想郷を実現するために、
あなたはどれほどの労力を割くつもりがあるのかということである。
1人の活動>100万人の想像郷 である
私も思ったことを行動に移すのは苦手なタイプである。
実際に、高校生の身分で行動できることなど数少なく、結局自己完結させてしまうのである。
私に残されている手段とは学習すること、ここでいう学習とは単純学習ではなく、思考学習である。
差別の過熱メカニズム
男女が不平等であるのは仕方ないと自分は思う。
そもそも身体的な特徴能力等が異なる。
人によって得手不得手があるわけであるが、その概要が男女を境に相関があると述べているのみなのである。
生物学的な男女の傾向から、現在の男女分業が発生したとここでは仮定してみる。
つまり、男女差別は自然発生したとする説である。
ここで誤解を防ぐために補足しておくが、私は差別を助長したいわけではない、差別について考えることで解決の糸口を模索しようとしているのみである。
自然発生したとする男女差別を批判するのは、大半が第三者であると考える。
第三者は時間軸を切り取って批判をするため、その前後の行間が不足している可能性がある。つまり、完全性に欠ける。しかし、量的圧力により意思決定に深く介在するのである。
差別の過熱というメカニズムはここにあると私は捉えた。
先天的な特徴の差別というものは固定観念が悪い方向に植えつけられることによって生じる。つまりは、集団的正当性を帯びてくるのである。
その論理が具体性に欠けていたとしても、量がその正当性の担保となる関係性が成立するのである。
私たちが差別を是正するために行えることとは、行動は勿論であるが、我々の集団論理思考を組み替えて、自らの頭で常に考える事なのではないだろうか。【他者に流される人間への啓発】
全ての男女平等は必要ない
セクシャルハラスメントを防ぐ目的で女性専用車が作られている世の中であるが、男女差別を広げているという風にも考えることも出来る。
ある意味、逆説的な考え方とはなるが、外観的な平等は実現しても、完全な平等は実現しないわけである。
アファーマティブアクションに代表されるクォーター制という考え方がある。量的不均衡を是正するために、予め枠を設けるという考え方である。
女性議員数、推薦入試男女枠などが具体例である。
日本は他の先進国と比較した際にも、男女平等が進んでおらず、その具体例として女性議員数が引き合いに出される。
しかし、私は杓子定規に女性議員を増やす必要もないと考える。
ここで仮定
1・マタニティ的側面から議員率が少ない【応募率に占める就職率が低い】
2・議員の応募率がそもそも低い
もしも、1のような状態であるならば、クォーター制による配慮が必要であると考える。なぜなら、妊娠を理由に離職率が高いという理由で投票によって落選することはフェアでないためである。
女性意見が政治に反映されないことは公平性の観点から避ける必要があるため。
しかし、逆に、2のような状態であるなら、クォーター制による配慮は必要ないと考える。なぜなら女性議員の少数性は自然発生したと考えることが出来るからである。
消極的な判断で政治を志す女性が出てくることも好ましくない傾向であり。
相対的な男女における当選率の差が誘発される危険性もあるからである。
この例は、日本が男女平等を杓子定規に進めているのではないかと私が感じた根拠である。
逆に、推薦入試の男女枠撤廃はどうであろうか。
これは好ましいという風に感じている。なぜなら男女の能力には優劣がないと仮定するのが普通だからである。
しかし、私は普通とは何か気になる。
もしも、この推薦入試の問いについて、違和感を覚えた人間は人間の能力には差があるということを日ごろから感じているのかもしれない。
私は、自己表現能力、ましては思春期においては女子に軍配があがると個人的には思います。
あなたはどう思いますか…..
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