名古屋をどりNEO傾奇者「名古屋ハイカラ華劇團」のこと。
現在の名古屋をどりが77回続いているのは、もちろん出演者、スタッフ、西川流のお弟子さん達の力が大きいのですが、それに対して応援をしてくださる企業の皆様やお客様など多くの、ほんとに多くの方々の応援とご支援をいただいて続けてきています。
祖父西川鯉三郎が毎回名古屋をどりの千秋楽のご挨拶の時に、「この名古屋をどりが50回も100回も続くように心から願っております」という言葉を皆様にお伝えしておりました。「皆様どうぞこの名古屋をどりを可愛がってください」と言う内容のご挨拶でした。
今回の作品、主軸の西川鯉三郎の人生の中の転機はいくつかあります。
東京から、名古屋に来た事はもちろん。
本人の書いた物には、世の中的には、まずは関東大震災、その前後はくっきりと線が引かれたように違いがあった、と書いてありました。
そして戦争。
食べる物も、着る物も、無かったけれど、皆がひとつになって続けた慰問隊。(西川と言う、芸の上での家族となった人たちが、本当に力を合わせ続けてきたこと。これがあったからこそ、この名古屋をどりができたわけです。)
昭和34年の伊勢湾台風も、名古屋をどり最終日におきました。
劇場の中からは想像できていなかったお客様方のおうちの状況などを、実際に主催者が、お客様を車で送っていき、「あ、家が無い!」と言う経験や、劇場で炊き出しをするなどをしていたこと。
今回の名古屋をどりNEO傾奇者は、
2024年1月1日に起きた能登の震災。
この復興のために何が自分たちにできるだろうかと言うことを考え、家元夫妻が相談、家元がストーリーを作り、夫人の奈生子が、石川県をはじめ、各方面に協力を仰ぎ、さらに、出ててくださるゲストの方々には、いかに輝いていただくかということを考えながら作られた作品だと思っております
西川陽子