吉原、三宅島、そして江戸。激動の画家・英一蝶【サントリー美術館】
このところ、日本画の展覧会で何度か英一蝶の名を目にする機会がありました。「面白い名前だな」と思っていたら、今年は没後300年の節目の年だそうで、サントリー美術館で大規模回顧展開催中。個人的に気になる画家の全貌を学ぼうと観に行ってきました。
まずは、英一蝶について
そもそも一蝶のことをよく知らないので、まずは基礎情報を調べます。
英一蝶(はなぶさ いっちょう、1652-1724年)は江戸時代中期の画家。特に風俗画の分野で活躍。若い頃は狩野安信の元で狩野派の技法を学んだものの、やがて出奔。すでに活躍していた菱川師宣ら初期の浮世絵師の影響を受け、江戸後期風俗画のさきがけとなるスタイルを確立したと評価されているらしい。代表作は『四季日待図巻』『吉原風俗図巻』『布晒舞図』など。
ここまでは普通の画家なのですが、中年以降が凄い。吉原の幇間(太鼓持ち、面白い話芸で皆を楽しませる男芸人)までこなしていた多才な一蝶、生類憐みの令に違反したとして1698年(47歳)、なんと三宅島に島流しに!
島流しになった正式な理由は不明だそうで、将軍の親戚に吉原芸者を身請けさせたので幕府に目をつけられた疑惑など、可能性は色々だそうです。ヒェ
華やかな江戸を離れてさぞ苦悩の日々だったろう…と思いたくなりますが、コミュ力の高すぎる一蝶さん、江戸の知人から紙・筆・絵の具を送ってもらい、島でもバリバリ描いて通信販売をしていたらしい! 三宅島での作品は「島一蝶」と呼ばれ、特に評価が高いそうです。
そして12年間の流刑の後、1709年に赦免され江戸に戻った一蝶は多くの大作を制作し、再び活躍したのでした。うーん、バイタリティ
一蝶は風俗画にとどまらず、俳句でも才能を発揮し、松尾芭蕉門下で名前を知られていた模様。総合文化人ですね。
波乱万丈すぎる生涯を送った英一蝶。それでも彼の作品には軽妙なユーモアが尽きることはなかったとか。
何か凄い人ですね…それでは、いざサントリー美術館へ…
展覧会の概要
https://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2024_4/index.html
展覧会のタイトルは『没後300年記念 英一蝶 ―風流才子、浮き世を写す―』。
風俗画の名手として知られる一方で、俳人としての面も併せ持っていた英一蝶。この多彩さは確かに風流才子ってやつですね。
展示は分かりやすい三部構成――「第1章:多賀朝湖時代」「第2章:島一蝶時代」「第3章:英一蝶時代」に分かれています。早い話が四十代前半まで、島流し時代、江戸に戻ってから、の三区分です。
出展作品の半数が個人蔵であり、普段目にすることのできない貴重な作品の数々が一堂に会しています。また、全八期間の展示替えがあるので、すべて網羅するのはかなり難しそう。
第1章:多賀朝湖時代
展覧会の幕開けを飾る第1章は、多賀朝湖名義で活躍した島流し以前の時期に焦点を当てています。すでに風俗画家として名を成しており、画力の確かさには目を見張るものがありますね。
会場入り口すぐの場所にある目玉作品は『雑画帳』と呼ばれる色紙サイズの作品群。これは約20センチ四方の用紙の中に、文字通りさまざまなテーマの絵を描いたもので、ラフな筆致で描かれたものから繊細な色彩を施した作品まで、実に多様な絵が収録されています。いわば「多賀町湖ミニ画集」。
36図中18図が展示されていましたが、どの作品も巧みな筆さばきが見事で楽しめました。
『投扇図』はザ・風俗画。
神社の鳥居に向かって扇を投げ、島木(鳥居の一番上の横木)と貫(下の横木)の間を通せば願いが叶うという、当時の流行りのおまじないを描いたものです。不敬じゃね?
扇を投げる人物の躍動感あふれるスロー、鳥居の下で結果を見守る(?)男のダイナミックそっくり返りポーズが絶妙です。庶民のウェーイww な一コマをよく捉えてますよね。一蝶さん、現代に生まれてたら漫画家になってたかもしれない。
『四条河原納涼図』は京都の夏の風物詩・河原町の川床を楽しむ人々を描いた群像図。一見すると涼を取る人々のありふれた画面に見えますが、細部に英一蝶の観察眼の鋭さが光ってるのがポイント。特に印象的なのは画面左端、水に顔を突っ込もうとしている男の手に盃がバランスよく乗っかっている様子。そこまでして酒を死守したいのか…! こうした小さな遊び心の積み重ねが、絵に生命力を与えるんでしょう、きっと。
さらに英一蝶は画家としてだけでなく、俳人としても一流でした。松尾芭蕉の通信教育を受けたり、芭蕉の弟子である其角や嵐雪と親交を深めたりと、当時の文化人の中心にいたようで、芭蕉門下の俳人サークルが編纂したベスト俳句セレクションに一蝶の句も載ってるんです。総合文化人として高く評価されていたんですねぇ…!
第2章:島一蝶時代
続く第2章は一蝶の人生における大きな転換点、三宅島への流刑期にフォーカス。華やかな江戸を遠く離れ、絶海の島で過ごした12年間に生まれた作品――いわゆる島一蝶が並びます。
何故か三宅島を含む伊豆七島についての詳細な説明パネルもドドンと陳列。伊豆諸島の地理や文化的背景、流刑地としての運用については知らないことばかりで興味深く読みました。多少は一蝶の置かれた状況を理解できる…かな?
さて、三宅島での一蝶作品は、大きく二系統に分かれるようです。一つは江戸の知人たちからの注文に応じて描いた作品群、もう一つは三宅島を中心とする伊豆諸島の人々のために描いた作品群。
『吉原風俗図巻』は前者の代表作。遊郭の一日を華やかに描いたこの絵巻は、幇間として吉原を知り尽くした者ならではのユーモアとウィットが詰まっています。潮騒の響く流刑地で花街吉原を描く心情はいかばかり…と切なくなりますが、同じく江戸の宴会風景を描いた『日待図絵巻』@出光美術館など、江戸を題材にした絵をバシバシ描いていた一蝶氏のこと、強靭なメンタリティで流刑ライフも乗り切っていたのかもしれません。(なんか地元の娘さんとの間に子供も生まれたらしいしね…)
一方、伊豆諸島の人々のために描かれた作品群からはまた別の一面が見えてきます。江戸からの注文とセットで送られてくる顔料や紙の余剰分を使用して描いたのは、神社に奉納する絵馬や寺院に収める仏画など、島の信仰生活に深く根ざした絵画の数々。評判が良かったのか、こうした作品は三宅島だけでなく他の島々にも点在している模様。ちなみに、その後火山の噴火に巻き込まれて失われたものあり、本土の商人が買い取って持ち去ったものあり、行方は色々みたいですね。
当時の伊豆諸島、罪の内容によっては流刑囚が島の文化的生活を豊かにする存在として受け入れられていたそうですが、英一蝶の在り方を見ると本当にそうなのかも。
苦難の中でも芸術の灯を絶やさず、新たな環境に適応しながら独自表現を模索し続けた英一蝶。島一蝶時代の作品群を通して、柔軟に生き抜いた芸術家の姿が見えてきそうです。
第3章:英一蝶時代
展覧会の最終章は、12年の流刑を終えて江戸に戻り、「英一蝶」と名乗るようになった晩年に焦点を当てています。
晴れて江戸に戻った彼ですが、かつての親友たちの訃報――特に親しかった俳人の其角と嵐雪の死に衝撃を受け、中国の故事『胡蝶の夢』のような現実感のない心地をペンネーム「英一蝶」に託したのだとか。
この時期、英一蝶は風俗画の断筆を宣言しており、もっと高尚な絵(仏画とか)を描くと常々言っていたようです。もっとも、実際には注文に応じて風俗画も描いていたらしく、傑作が何枚も残っています。やっぱりどこか図太いなと感じるエピソード。
この章で印象深かったのは、複数バージョンが展示されている『雨宿り図屏風』。急な雨に追われ建物の軒下に避難する人々を描いた作品で、雑多な庶民の姿とそれぞれの仕草の細やかなリアリティに一蝶の観察眼と表現力が光ります。
私の行った日は国立博物館収蔵品とメトロポリタン美術館収蔵品が展示されていまして、個人的には国立博物館版が印象的でした。比較してみると、人物がよりミッチリすし詰めに描かれており、雨宿りの切迫感がよりよく表れている感じなので。
本展で唯一写真撮影が許可されている『舞楽図・唐獅子屏風』は六曲一双の大作。両面に絵が描かれているのが珍しい。舞楽図の面には様々な雅楽装束をまとった人々がおり、緻密な描写に目を奪われます。衣装の質感や細部の装飾まで丁寧に描き込まれ、まるでその場で雅楽の演奏が行われているかのような臨場感。踊り自体は宮内庁楽部が今でも継承しているというから観に行ってみようかな…
裏面の唐獅子図は、総金箔貼りに墨でダイナミックに遊ぶ唐獅子たちを描き上げています。一見すると伝統的狩野派スタイルを踏襲しているように見えつつも、獅子たちの表情には英一蝶らしい遊び心が込められており、単なる伝統の模倣とは違いますね。
まとめ
江戸の街と人を愛しながらも、長期の三宅島配流を経て、再び江戸に返り咲く。そんな数奇な運命をたどった風流人の大回顧展。出展品には個人蔵も多く、貴重な機会ですので、風俗画に限らず日本画に興味のある方はぜひどうぞ。