第11回『18歳で大阪NSCに入学』
うぃす!
大阪男塾の塾長です。
17歳で高校を中退した僕は、お笑い芸人になるために拠点を大阪へ移しました。
親を説得してNSCの入学金を出してもらうことになり、18歳になった直後、大阪へGO!
僕は年度末の生まれ。3月23日に18歳となり、翌月の4月からNSC入学というのも区切りが良かったっすね。
実はNSCに入学する前に、一回大阪へ来たことがあったんすよ。
心斎橋商店街を歩いてたら向こうから、ひとりのおっちゃんがトコトコ歩いてくるんす。
確認すると、ぽっちゃりした小麦色の七福神のえびす様みたいなおっちゃんでした。
おっちゃんのビジュアルが、しっかり見える距離になって絶句。
すっぽんぽんでした。
一瞬「このおっちゃん、自分にしか見えてないの?」「ほんまのえびす様!?」って、ゴシゴシ目をこすったんすけど、そうじゃなかったんす。
どうやら大阪の人達はこの全裸のおっちゃんを、日常の一風景として受け入れている感じだったんすよ。
長崎では、こういうのを目の当たりにしたことがなかったんで、ショックを受けたっすね。
けどすぐに「これが大阪か。引いてる場合じゃない。当たり前の出来事として受け入れよう」って、気持ちを切り替えたっすね。
大阪の第一印象がパンチ効きすぎだったこともあり、4月にNSCへ入学してからは、すんなり大阪へなじめました。
大阪と自分の相性は、かなり良かったっすね。
僕は大阪NSCの24期生でした。
NSCには、同郷の長崎の連れと一緒に入ったんすけど、彼はお笑いへの情熱が皆無で、ほどなく解散。
もう1組、別の人間と組んで選抜組でライブに出れたりもしたんすけど、正直「今の力じゃプロの世界で、全然通用しない」って痛感したっす。
新しい相方とも上手く行かずに解散。
自分はお笑いの基礎がわかっていないことが理解できたんで、「NSCを辞めて、お笑いの勉強を1からしてみよう」と決意しました。
大阪に出てきて驚いたのは、お笑いの番組が四六時中やってること。
ここが長崎と大阪では、圧倒的に違うんすね。
あとから知ったんですけど、大阪芸人は番組内でアドリブ力を問われる状況が度々あるので、自然と即興で笑いを起こす力が鍛えられるみたいっすね。
大阪では吉本制作で、吉本のお笑い芸人が出ている番組がわんさかあって、日夜ハイレベルなお笑いが展開されてる。
大阪の人達は、それを子供の頃から見ているわけっすから、そりゃあ早い段階で、フリやオチなどのお笑いロジックを学べるはずっすよ。
これは他県と比べて大きなアドバンテージっす。
僕は今でも漫才が好きなんですけど、長崎にいる頃は、ほとんどテレビで漫才が流れた記憶がなかったっすね。
今みたいにYouTubeがあれば、全国どこにいようが古今東西の漫才を学べるっすけど、当時はテレビしかお笑いの情報を得る手段がありませんでした。
大阪では、日夜テレビで漫才の番組をやってるんすから、大阪から実力のある漫才師がたくさん生まれるも納得っす。
「悔しいけど、また出直しや」と、NSCを辞めたあと、お笑いの番組を見ながらお笑いの勉強を続けました。
コンビニや焼肉屋でバイトをしながら、フリーター生活に突入。
この頃、中学の頃の連れが「和菓子屋で職人として勤めたい」と、長崎から大阪へ出てきてたんすけど、挫折して途方に暮れてたんすね。
彼に「うちで一緒に住むか?」って声を掛け、ルームシェアすることに。
一緒に住む上で、絶対守ってほしい条件がありました。
それは、ひとりでいるときにセクシー動画を見ないこと。
これさえ守ってくれればオッケーだったんすけど、意思が弱い奴でした。
僕が留守のとき、ついに見てしまったんすよね、セクシー動画を。
証拠が残ってたんで「お前、約束破ったな!」って鬼詰めして、彼はそれから階段の踊り場で暮らすことになりました。
まあそんな話はおいておいて、この頃、僕には彼女がいたんすよ。
その彼女に「将来のためにお金を溜めよう」と言って、ふたりで貯金してたんすけど、彼女から繰り返し言われた言葉があったんす。
「あなたはホストに向いてる」って、めっちゃ言われたんすよ。
彼女が言うには、僕といると無性にお金を貢ぎたくなるらしいんすよ。
彼女があまりに「ホスト適性がある」と繰り返すもんだから、ホストを職業の選択肢のひとつとして考えるようになったのは確かっす。
でもお笑いが好きな気持ちは、正直全然冷めなくて「やっぱりお笑いをやりたい!」という思いも常に持ち続けてたんすね。
この頃は、そんな葛藤を抱えながら、色々と模索していた時期でした。
最後まで読んでもらって、あざしたぁ!!
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