見出し画像

室井光広日録(15)

2006.1月9日(月)くもり。戊戌
物語性の夢。不安、恐怖があっても、ドラマ仕立て…。ある種の余裕の産物か?

新宿方面から来て、寺子屋のある近傍より、山があらわれる(大山)。それをみるたび、心がふるえる。こうした山信仰(遥拝)の源流も、小文字のjomon世界の中にあった。
吉野裕子説で、はじめてそれを体認。

<蛇は祖霊なので古代日本人は自然物の中では、川にも風にも野にも道にも蛇を体得した。その中でも取分け崇高な祖先神中の祖先神、祖霊中の祖霊が、山の神、大蛇であった。>(『山の神』)

オロチを想うおろかなイワシ。

オクライリでよく眼にした――節分の夜に鰯の頭を柊に刺して戸口に出す風習。吉野のいう迎春の呪術。
陰陽五行とのからみ。

<柊と鰯と併称されるが、この呪術における主役は、水気と冬を象徴する鰯の方で、そのため鰯は頭を灼かれ、柊で突き刺され、戸外に曝されるなど、散々な目に遇うわけである。柊と鰯の行事は、もっとも直接に冬そのものを殺し、追放して一気に春を迎える呪術として受け取られる。>(『陰陽五行と日本の民俗』)

wintering out! のセレモニーとイワシは切っても切れない縁。まもなくその重要な節目がくる。

山の神が登場する狂言「花子」を朗誦。新春、はつ笑い。
オクライリの山の神講は、もう廃絶されたのだったか? 母にきいておくこと。

・・・・・・

前日の日録に引き続いて、吉野民俗学のこと。
室井さんが日録で時折発する呪言〝wintering out!〟の典拠は、シェイマス・ヒーニーの詩集タイトルだろうか。
ほんものの柊と鰯の呪物は、さいきんあまり見なくなった。(2024.2.16)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?