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室井光広日録(14)

2006.1月8日(日)くもり。晴。丁酉
このところの眼の酷使がたたって、又も頭痛。トンプクだより。しかし今はこのクスリしかのんでいない…画期的なこと。プラス方面を思え。

二日休んだM.P稿のつづき。少しでも、休んでしまうと、再開がきつい。毎度おなじみの感覚。

吉野裕子の著書をたてつづけに2~3冊読み、衝撃をうける。jomonにさかのぼる小文字のjapanの民俗の核心にせまるもの。『縄文の記憶』のときに、ちゃんとは読んでいなかった…日本民俗学、歴史学の欠落を埋めるこういう立派な仕事が女性によってなされたことの意味は大きい。

学生時代、唯一まじめに受講した大谷愛人先生の思い出。学生の書いたレポートを一つ一つていねいに読み、マークをつけて、返却してくれたこと。あれにあやかって、イワシもできる限り同じふるまいをしよう。

吉野が着目した日本的古代思想の根底にある<脱皮>の擬き。ソレを、イワシもスモールプレイスで実践する。たんなる延命から真の脱皮・再生に向けて。イワシ晩年の、ひそやかなドラゴン・プロジェクトの始動。

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吉野裕子の著作については、民俗学入門の講義でしばしば語っていた記憶がある。大学近くを、室井さんの自転車での通勤ルートに沿って流れていた金目川(わたしの通学ルートでもあった)。その〝金目〟は、蛇の目なのだ。扇のカナメも、モトは蛇の目だ、河原も瓦も蛇(カ)の腹(ハラ)だ。
と、力説していた…
またこの日の日記には、慶應大学での室井さんの幻師、キルケゴール研究で名高い大谷愛人の名前が出てくる。室井さんはたしかに「学生の書いたレポートを一つ一つていねいに読み、マークをつけて、返却してくれた」。〝今日もなにか書いてください〟といって白紙のプリントを配るのが恒例で、たとえば天気が悪い日は〝雨をテーマに〟と指定するようなこともあった。
『キルケゴールとアンデルセン』などからも、室井さんが大谷愛人を尊敬していたことは明らかだが、なぜ大谷ゼミに入らずあえて幻の師であることにこだわったのか。ここにも室井さんらしい韜晦がある。(2024.2.15)

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