ファルマチア偏愛
たとえば石鹸が好きである。チューブ入りの洗顔料などというのは
旅行用グルーミングセットに便宜上入れるものの、ふだん使うのは固形石鹸に限る。それもなるべく素朴な雰囲気で、ちょっと薬臭いくらいのハーブ系の香りのものが望ましい。
石鹸への偏愛
石鹸のパッケージはあくまで簡素をよしとし、化粧箱入りなど論外だ。
使い心地や香りももちろんだが、使いきるまでの一定期間、洗面まわりの
アクセントとなるオブジェだから見た目も大事、表面のエンボスや角が
取れてしまった後の色合いや質感にもこだわりたい。
グリセリン石鹸はファンシーすぎるし、柔らかくとろけてしまうので不可。なるだけマルセル石鹸のようなごついものがよろしい。フィレンツェのSANTA MARIA NOVELLAの石鹸も、かなりいい線いってるのだが、使っている過程の状態があまりにもそっけなく白いだけなのが惜しい。
日常使いとしては、昔のロクシタンの煉瓦ブロックのようなオリーブ石鹸が質実ともに申し分なかったのだが、現在何故か販売中止。
これに限らず私が気にいったものは、製造中止、販売中止になることが
多い。きっと製造する側にとって採算の合わない、つまり良心的な商品
ということなのかもしれない。世知辛いことである。
この頃はイタリアに行くたび、薬局=ファルマチアであれこれ買いだめしておくのが常だ。(重たい!)
その他ファルマチアで買う定番品は歯磨きや薬用クリームの類、プロポリスのスプレーや量り売りの喉飴も必須アイテム。
イタリアのファルマチア
サンタ・マリア・ノヴェッラとまではいわずともイタリアのファルマチアはどこもそれなりに古めかしく趣深い。イタリアは完全に医薬分離なので、
薬は医者から出された処方箋を持って町の薬局で買う。
なので、ファルマチアはいわゆるドラッグストアよりはかなり薬臭く、
小さな店舗でも薬効のある自家製のハンドクリームや栄養クリームを置いていることも多い。いかにも業務用というパッケージは効きそうだし、
老舗となれば刻印されたラベルなども一段と格調高い。
自然療法によるハーブを処方するERBORISTERIA(日本でいえば漢方薬局のようなものか)も多く、白衣をまとったシニョーラが相談にのってくれたりして、こちらの薬臭さもなかなか魅力的だ。
およそブランドショップなどに立ち寄ることはないのに、ファルマチアの
あの蛇がからみついた杖や乳鉢の看板をみつけると、なかば条件反射的に
ついふらふらと入ってしまう。STANDAやBILLA などスーパーマーケットでも石鹸や歯ブラシのトイレタリーコーナーにしばし凝然と立ち尽くす。
イタリア人にとっては激しく凡庸な日用品(スポンジやブラシとかゴミ袋)の中にもけっこう琴線に触れる品々が紛れているので、ぬかりなくチェックしなければならない。
バスルームという聖なる存在
何故、かようにも薬局モノに執着するのだろうか。
家の中にあってバスルームの存在がかなり重要なのはたしかだ。
部屋の改装を考えるとき、まっさきにこだわりたい場所でもある。
タイルの質感、石鹸とハーブの匂い、ローションの瓶、きちんと積み上げたリネンやタオル。
ホテルでもバスルームとタオルやリネン類、アメニティグッズなどが
良し悪しを決定する重要なポイントとなる。
そういえば昔、パリのプチホテルでそりゃあ何もかもこじゃれてて文句は
なかったのに、何としたことかひどくバスルームのパイプが臭い、すっかり台無しだったことがある。
そう、匂い、嗅覚は時に視覚を凌駕するほどの要素なのだ。
香りへの偏愛
同じくパリのオペラ座にて幕間のひととき、(夏場だったので)紳士淑女で混み合うホワイエがまるで兎小屋のような空気だったのには驚愕した。
その後の演目の鑑賞に若干の影響を与えたような気がする。やはり香水文化が発達するわけだと、深く納得したのだった。
香りについては、とても狭いレンジの好みがあり、前述の通り薬っぽく
青臭いハーブ系(ラベンダー、ローズマリー、カモミール、ネロリ、バーベナなど)、スイカやアロエのような水っぽい香りが好きである。
例外的に限られたオリエンタルノート(白檀や沈香)は可、直球のフローラル、ヴァニラ系不可、唯一好きな花の香りは薔薇、それも甘くなくほのかに
青い匂いが潜む、PENHALIGON'SのELIZABETHAN ROSE。
身につける香りはもう一生涯これだけでいいと思うくらい気に入っている。
香りというのはまことに不思議で、うっかりいつもと違うオーデコロンや
クリームをつけたりすると、自分が自分でないような気がする。
逆に特定の誰かの記憶に、香りによってたどり着くこともあって、
その香りがすると、その人がいるような気配を感じたり。
嗅覚が記憶中枢に一番近いという説も頷ける。
我が薬局遍歴
遡れば中学、高校生の頃からドラッグストアが好きだった。
当時外国といえば、圧倒的にアメリカからの輸入文化が主流であり、東京でアメリカンな雑貨が手に入るところといったら、銀座ソニービルの地下の
1店舗のみだったソニー・プラザ、日比谷のアメリカン・ファーマシー、
表参道のオリンピア・コープ(ここにはソーダ・ファウンテンもあった)
くらい。なけなしのおこずかいで、カバーつきの歯ブラシや、曜日が刻印
されたピルリマインダーケース、瓶入りのワセリン、ヤードレーの石鹸や
タルカムパウダーなんかを買ってコレクションしていた。
特に歯ブラシには大変な思い入れがあり、大学卒業時にはけっこう真剣に
オリジナル歯ブラシを受注生産するのを生業にできないものかと考えたりしたこともある。
後年、デザイン業を生業とし、某流通グループのプライベートブランドや
某化粧品会社の化粧品やトイレタリーのパッケージデザインの仕事をする
ことになり(ネコに鰹節な仕事)趣味と実益を兼ねて、薬局マニアっぷりにも一層拍車がかかっていった。旅先では市場調査と称して、各地の薬局モノを買いあさることとなる。
80年代当時、日本にはまだCRABTREE EVELYNさえもなく、
ハーブやアロマテラピーなど、モノも情報も日本で手に入れるのは難し
かったのだ。
ニューヨークではKIEHL'S、ロンドンではPENHALIGON'SやFLORIS、DR.HARISS、CZECH&SPEAKEに NIELSYARD、そうそうBOOTSも忘れてはならない。ハーブの元祖CULPEPERに詣でるためわざわざバースまで
出かけたこともある。ちなみに風呂=BATHとは、かつてローマンロードが北上してイングランドに達し、ローマ風の温泉を設営したこの地の名前に由来する。
香港もマニングス(Mannings萬寧)、ワトソンズ(Watsons屈臣氏)など、どんなに分け入っても果てを知らない夢のようなドラッグストア天国だった。
パリでのお気に入りはサンジェルマン・デ・プレの地下アーケードにあった古い薬局(オリジナルの金と水色のチューブ入りワセリンが秀逸)、
パレ・ロワイヤルのエッセンシャルオイルを処方してくれるHERBORISTERIEなどなど。
骨董市ではソーダガラスでエンボスのある古い薬瓶や陶器の石鹸皿を探したり、縁取りしたアンティックのリネン類もまとめ買い。
いずれも店員に呆れられるくらい買い込んでは、何十キロにもなった
段ボールの荷物を苦労して郵便局に運び、そこでもまた呆れられながら船便で送っていたんだから、ほとんど個人輸入の世界だった。
買ってきたものは商品開発の貴重な参考資料なので、まずは写真に撮ってファイルにしていた。プロヴァンス水の瑠璃色の瓶は宝物。
今もラベルはそのまま、中身を入れ替えて使っている。自分で使っている
うちにいい感じに古び、アンティックになってしまった。
今やあちこちに点在するファッションビルに行けば、アロマグッズを揃えたインテリアショップ、雑貨屋だらけである。
おまけにネット通販で世界中のレアなブランドも難なく手に入る。
ファルマチアの香りが憧れとともにあった時代は、もはや遠いノスタルジアとなってしまったのかもしれない。