何でもあるけど何かが足りない
ナントカミクスとかいうほとんど妄想といえる煽動。
虚しい大量消費や一部の富裕層にしか還元されない経済政策に、
今まで私たちは何度となく挫折と失望を味わったはず。
もういいかげん止めようよ、虚構に踊らされるのは。
10年あまり前から私たちの社会は本当の豊かさを見失っている。
以下はリーマンショック以前の2008年にHPに掲載したテキストに
加筆、修正したものです。
各店舗やブランドの情報は当時のものなのであしからず。
何でもあるけど何かが足りない 2008年4月
仕事の関係で時々市場調査と称して新しい都市開発ビルやエリアなどへ出かけることがある。逆に言うとそういうつもりでもなければ、すすんでこのようなトレンドスポットへ行くことはない。
知り合いの展覧会やショップのオープニングパーティーだとかプレスの
レセプション、それから外国からの友人をアテンドするとき、こういった
場所にやっと出かける理由ができて格好のチャンスとなる。
原宿から歩いて10分もかからないところに住んでいながらふだん立ち寄る
ことは少ないので、たまに行くと様変わりしていてよく分からない。
先日もイタリアの友人と表参道のニューオープンのファッションビルに
行ったけれど、それができたばかりとは知らずに案内してしまった。
どれもこれも同じようなコンセプトのビルばかりなので、にわかに区別が
つかないのだ。
ふだん家で食べることが多いから、外食する店のリストも一向に増えない
ままだ。町歩きや店に関してはよっぽどヴェネツィアの方が詳しいかもしれない。ちょっと嫌みに聞こえるかしら。
でも、私の周囲にいるいわゆる業界人達も似たようなもので、数人が寄り集まって、さあどこかで食事だ二次会だいうとき、トレンディな店をアレンジするような情報通はいないから、結局昔馴染みの店に流れることが多い。
グルメ本に載っているような店を指定することなぞ逆に気恥ずかしい感じがする今、一体誰がそういう場所を利用しているのだろう。
ミシュランガイドをひきあいにするまでもなく、東京はキラ星輝く世界に
冠たるグルメシティーなのだそうだ。世界的な有名星つきレストランの出店ラッシュで、いながらにしてスターシェフのフレンチもイタリアンも最先端スパニッシュも選りどりみどりなんだから、わざわざパリだのカタルーニャだのに行くこともなさそうだ----。
その昔、1980年代のニューヨークであまりのスノッブさに衝撃を受けたデリ「DEAN&DELUCA」だって、今やデパ地下とかあっちこっちにあるし、
パリのビュシ市場の傍にあってひときわおしゃれだったオリーブ専門店「OLIVIERS &CO.」も、なんと渋谷駅の通路にある。
サンジェルマン・デ・プレの由緒正しいカフェ「LES DEUX MAGOTS」の
パンも東横のれん街で買えちゃうし。まさかと思われたフィレンツェの
ファルマチア「DI SANTA MARIA NOVELLA」よお前もか、銀座で手に入る
ようになった。
この度は「MOMA DESIGN STORE」も表参道にできたし、ほんとに何でも運んで来れるんだねえ、とその貪欲さに感心するばかり。
パリのブラッセリー「FLO」やスターバックスカフェに至っては、もとから日本発のものだと思っている向きも多いのではなかろうか。
もちろんパリでしか味わえなかったクロワッサンやフィレンツェの香りを
望めばすぐ手に入れられるのは、悪いことではない。
が、簡単に手に入れたものに、思い入れなど湧かないのが人情というもの。努力を払って本物に出会った時のあの感動は味わえない。
それって人生としてかなりつまらないことじゃなかろうか。
かくいう私もこの間友人からちょっとしたお礼にとチョコレートを貰って
驚いた。なんとそれはいつもイタリアはウーディネ(ミラノでもヴェネツィアでもない地方都市)からお土産として買ってきていた、私としては超レアものと信じていたメーカーのものだったからだ。
六本木ミッドタウンで売ってるなんて、まったく油断も隙もありゃしない!
もちろん好物なので美味しくいただいたのだが、ちょっと秘密をばらされたような複雑な心境。つまり私のこだわりなんてものもひどく小市民的なわけですよ。「誰にも教えたくないお気に入り」など幻想にすぎないのだ。
私も含め我々日本人は情報収集好きで、とにかくマメなのである。
恐るべしはフィガロジャポンのパリやイタリアなどのガイド特集。
まさにしらみつぶしに調べ上げてあって、パリっ子もびっくりである。
同誌のガイド特集が出た直後のヴェネツィアに行ったら、取材の痕跡は
まるで異端審問官のごとく路地裏の裏の店にまで及んでいた。
小さな古びた雑貨屋の店先にまで、その証しである切り抜き記事が貼って
あるのを見つけ、背筋を凍らせたものである。
それにしてもいろんな新開発商業ビルやエリアに行くと、東京には世界中のありとあらゆるものが集められていると思わせてくれる。
美しいカタログのページを開くように、お金と情報があれば何でもお気に召すまま手に入りそうである。
銀座に店なくば高級ブランドにあらず、というぐらい各ブランドビルが
立ち並んでるけれど、ゴージャスさを競うほどに何故か空虚さを感じるのは私だけ?
様々なものを集めては編集し、パッケージングされた東京は、世界のショーケースになろうとしているのかもしれない。
しかしショーケースはショーケース、遠くから運ばれて編集し直されたものはやはりどこか弱々しく臨場感や迫力に欠ける。
本物だけが持つ凄みみたいなものは失われてしまうのだ。
檻に入れられた動物園の猛獣に哀愁が漂うように、オークションにかけられた名画が贋作に見えるように、オペラ劇場の来日公演が薄味に感じられるように。
周到なマーケティングによって用意された世界は、どうしても画一的な
テイストになるのは禁じえない。いくら本物志向、直輸入と頑張ってみた
ところでそれは別物、うっかり本物であると勘違いしてはならない。
何でもあるけど、何かが足りない。限りなくよくできた疑似体験、レプリカにすぎないと肝に銘じておこうね。