夢日記 午の正刻
好きな人と、夢で出会った。
気がつくと、私は見覚えのない日本家屋にいた。何故だかわからないが父親と一緒に背の低い木製の折りたたみ机の側で、畳に敷かれた座布団の上に正座をしている。右斜め後ろに仏壇がポツンと置いてあり、右側にベランダに続く窓がある。父はここがどこだか知っているようだった、私は見当もつかないというのに、父は説明してくれなかった。
それからしばらくして、初めて状況に変化が起きた。左にある襖の先から、階段を上がる軽快な足音が聞こえてきたのだ。誰かがやってきた、と思った。滑るような柔らかな襖の開く音音が聞こえたので、開かれた襖の方に目を向けると、そこには好きな人がいた。動揺した。父は旧知の知り合いのように挨拶をしている。彼女も決して他人ではない様子で挨拶を返していた。
何を話したか覚えていないけれど、そろそろお暇する雰囲気になったとき、彼女が立ち上がって「しばらく待っててください」と言ってから、階段を駆け下りていった。黙ってそれを見送り、ふと目を前に向けると、彼女が座っていた方向の壁一面に、札のようなものが敷き詰められているのを見た。先ほどまではなかったものだ。大きさも方向も様々、A4横かと思えば、封筒サイズのものもあり、ただ札たちによって、先ほどまで見えていた薄黄色のやや汚れた壁紙は一ミリも見えなくなっていた。一瞬途方にくれたけれど、次の瞬間には「それが当たり前」と何故か思いこみ、気にならなくなった。父は相変わらず朗らかな声音で彼女のことをベラベラと批評している。不愉快だった。何も知らないくせに、と思った。5分後、彼女が部屋に戻ってきた。手にはプラスチックの四角いカードケースを持っている。何に使うんだろう、と見ていると、彼女はその中から二枚の板を引っ張り出して、私に「じゃあこれプレゼントです」といいながら使い古され擦り切れた交通系ICと、謎のカードを渡してきた。当然私は慌てた。何を突然、と混乱したのも確かだが、ICはともかくとして、2枚目の謎のカードは人間にとって「大切なもの」だと知っていたからだ。突き返した私に彼女は「もう使ってないから平気ですよ」といって受け取るそぶりを見せず、また父が煩いこともあり、渋々そのカードを財布に収めた。プレゼントは嬉しかったが、奇妙な不安に胸がざわついて素直に喜ぶことができなかった。
スポーン地だった彼女の家を離れると、私はバイト先の本屋へ向かっていた。日付や曜日感覚、さらに言えば時間の感覚すら無かったのだが、行かなければ行けないと思った。空は快晴、やや白みがかった真っ青な青空には小さな雲が所々塊で動いていて、夏の終わりのようだった。暑さの感覚はなかったが服装が半袖に膝丈パンツとサンダルだっので、ちょうど今ぐらいなのかもしれない。下げていた小さな丸型ポシェットに、彼女からのプレゼントをしまい込んで、父の車に乗り込んだ。70年代歌謡曲と一緒に父の鼻歌が流れる。終わりがけとはいえ、容赦ない夏日差しが黒いボンネットに突き刺さり、車内の温度がぐんぐんと上昇していき、耐えきれなくなった私はスイッチを押して窓を全開にする。外には青々とした稲が立ち並ぶ、のどかな田園風景が広がっていた。窓のサッシに肘を腰掛け、顔を二の腕に置けば、爽やかな風が顔に当たって気持ちよかった。本来、バイト先に行く時はこんな光景にかすりもしないのだが、夢の中だから何でもありだ。しばらくそのまま風を感じて、彼女に出会えた意味を考える。そういえば、今見ているこの風景もグーグルアースで見た彼女の県の様子に似ているな、と気がついて、脳の内で、糸が絡む音がした。
ここまでが昼に書いた文章だ。
今見直してみると、印象に残ったことを雑多に書き連ねただけの拙いラフだと思う。けれども、今言いたい事ではないので、一旦横に置いておこう。
好きな人、と記述したけれど、実をいうと私は彼女の姿を知らない。会ったことも、話したこともないので、知るはずがない。それなのに、夢で出逢ったとき、一目でその人だと分かる、その直感が不思議だった。
夢でであった彼女の、ショートボブというには襟足が長くて、少し跳ねている髪型に、実年齢より幼く見えて可愛らしいとぼんやり思ったのを覚えている。茶とベージュ色の秋らしいワンピースが、控えめにフリルが添えられたブラウスに馴染んでよく似合う。そこまで思い描けるのに、顔立ちは終始分からないままだった。夢の中でも、外でも、顔だけは靄ががかったように見えない。思い出せないではなく、見えないのだ。面会室を仕切るガラスに光が反射する時のように。それでもその人は笑っていた。表情が見えないのに感情が分かるとはこれ何事か。
熱病だと思った。
手遅れを自覚した。恋というには脆い思いでも、十分凶器になりえることを今日まざまざと味合わされた。夢を見た後、ふわふわとした高揚感に浮かされていたことも含めて、余りにも怖い。正直私の手には収まらないと理解しているから、早々と投げ捨ててしまいたいのだが、偉人がどれだけありがたい徳を唱えても従わないものがいるように、一度抱いた熱暴走は往々にして止まらない。理屈抜きで突き進むからやばいのだ。冷静になろうと思考整理をすると、むしろ悪化したりする。まあこの一連の怪文書がその結果だ。
惚れている。
何にこんなに惹かれているのかわからないが、とてつもなく今の状況はまずい、一人で暴走して一人で喚いている、ストーカーと行動原理がおんなじだ。いやストーカーの方がまだましかもしれない、なんだって奴らは感情の整理がついている!
もうこの思いがなんなのかわからない。
夢の中であった事はうれしいけれど、もう二度と会いたくないとも思った。馬鹿になってしまう。いやすでに馬鹿になっている。恋を得た友人は「人生バラ色に見える」と発言したが、これはバラ色では済まない。サイケデリックな原色ぶちまけキャンパスである。しかも地続きで繋がっているから果てがない。宇宙なのか、もしかしてコスモを築き上げてしまったのか、私は。こんな鮮やかな色の世界があってたまるか畜生め、多色に酩酊どころか泥酔だわ阿保。
誰かこの思考の箱に名前を付けてくれ、もう私にはなんと名状していいのか分からない。
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