2024.10.29 日本の伝統文化を問う
見慣れたガラスの扉を開き、地下へと潜る。石造りで、少々洞窟感があるのは、この店の魅力だ。先週も、その前も同じ場所で、同じメンバーで飲み会が開かれている。だが、今日は主催者の友人が、“日本の伝統文化”について語る会として、場が開かれた。
プロジェクターに映し出されたスライドの説明がされている中、遅れてきた私は自分の陣をどこに取るか迷った。空いているのは一番前の席のみ。手で前にと合図されてしまったので、屈んで中に入った。
我々の真髄に流れているものを、見つめ直す。
現在、京都にある伝統工芸は74だという。着物や和菓子だけではなく、こまや蝋燭、烏帽子など様々だ。
どの工芸品においても、一つを作るにあたって、基本的に複数の職人が絡んでくる。例えば、着物だと下絵→糸目、糊置き→引き染め→蒸し、水元→友禅→蒸し、水元→湯のし→金彩→刺繍→仕立て。それぞれに職人がいる。だが、皆後継者問題を抱え、1人でも欠けると工芸品が作れなくなるという状況だ。
なぜ、伝統工芸が大事なのか。
不意に聴衆から質問が上がった。
5万もする茶道茶碗でなくても、100円で買ったコップでもお茶は飲める。人々が必要としていないから、徐々に衰退しているのに、文化を維持する必要性は何か。
この問いに対して、マイクを持ちうっすら汗をかく彼は、伝統文化はコネクションだと冷静に答えた。
確かに、100円のコップでもお茶を飲むという目的は果たせる。だが、それ以上のものはない。一方で、5万の茶道茶碗は確かに高い。しかしその背景にある、作り手の顔やその茶碗に込めた想いなどを知っていると、飲むこと以上の価値が生まれる。その、人と人の繋がりが生まれるから、大事なのだ。
また、衰退に関しても一言付け加えた。
確かに74の工芸品がなくなることも、間違いなく衰退と言える。だが職人から、たとえ作り手が残っていたとしても、百年前と同じクオリティのものは提供できていないと断言している。職人の技の問題以前に、原料の質が変わっているからだ。
果たして、衰退とは何か。
1時間と聞いていた会は、気がつけば2時間半を超える大講義となっていた。
参加していた半分はスロバキア人だったこともあり、この国の事情も聞いたが、状況はどこも同じようだ。
高校生の頃、2週間に1度のペースで、世界から言語が一つ減っていると聞いたことがある。主に継承をしきれなかった少数民族だ。グローバル化や技術の進歩によって、便利になったのは否定できない。だが、同時に弱きものが淘汰され、大きいものに吸収される世の中となった。世界の縮図の中では仕方がない。
しかし、便利の裏に隠れた人間として必要なものまで、共に捨て去っていないだろうか。