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ヒトは操り人形でなければヒトではない
「誰か」に都合良く動かされていると不満を覚えている人は多いだろう。
上司に同僚、親に教師、家族や友人など「誰か」は各個人や状況によって違いはあれど、ヒトは社会性動物であるためこの悩みは普遍的な代物である。
今回は以前書いたこの記事のテーマを、より身近な形で語る形になる。
【外付けされた魂】
【『人間関係』そのものが魂である】
『存在』と『存在』の間にこそ魂は在ると上にリンクを貼った拙作記事では述べたが(私論ではなく故・河合隼雄先生の論である)、これは別にヒトとモノの間にだけ生じるものではないというのが持論である。
なんとなればヒトとヒトの間にも、絆とかしがらみとかそういう言葉で表現される魂が生じると私は考えている。
決してスピリチュアルな話ではなく、ものの例えであり「そう考えた方がわかりやすい」というお話。
※※※
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もっともシンプルな人と人の間に生じる魂=在間(アニマ)は上記画像のような感じである。
ただ実際のところ、一対一で社会は成立しえないため漫画やアニメの人物相関図のようにややこしい事態になる。
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フィクションですらコレなのに、現実ではより流動的に一瞬一瞬でラインの情報が変わるので、情報処理が追いつかずにそらコミュ障だって生まれますわというお話でもあったりする。
【魂の操り糸】
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例え話として、ここに学年トップ常連の秀才A君がいたとする。
彼は勉強は好きだが別に自分の成績が良いからといって、それが将来において格別有利になるものでもないと考えており、とくに進路希望などまだ無い少年とする。
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そして彼の成績を持て囃す周囲のクラスメイトたちが「A君なら東大くらい余裕っしょww」と煽り立てたとする。
A君は進路も将来もまだ考えていないが、そう囃し立てられると挑戦しなければ「逃げた」と言われるような気がして、東大受験を考え始めたとする。
そこから教師や親にどう言われるかは仮定の話なので置いておくとして。
※※※
自分の意志でなく、他人や周囲の期待や評価で何かを決断するという行為は往々にしてよくあることであり、それを糾弾しようという気はない。
しかし、この他者からの評価、視線は無視すればそれはそれで厄介な事態を引き起こす。
※※※
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ここで先ほどのA君が唐突にこけしの素晴らしさに目覚めて、今まで自分が築き上げてきた成績や評価をガン無視して日本で最高のこけし職人を目指したとする。
クラスメイトや教師や親もそりゃあ当然「何言ってんだコイツ」になるのは必定であろう。
※※※
ここでA君と周囲のクラスメイトを結びつける情報ラインは更新され「優等生・秀才・羨望・嫉妬」といったモノから「変な奴・頭のいいバカ・蔑み・こけし」といったモノへと切り替わる。
今後、A君が今まで通り学年トップになったとしても彼に浴びせられる周囲の声は「なぁこけし職人って成績必要なの?ねぇどうなの?」となるのは避けられない。
※※※
要するに、人と人との間に生ずる在間(アニマ)とはレッテルや期待などと同じとも言える。
人間誰しもが、周囲の人々からの評価や視線をある程度は気にして生きているものである。
結果、己の自由意志よりも周囲の声や視線を意識して決断や行動を起こすということも多くなり、ヒトは社会で生きていくためには自ずから他人の操り人形になる身分に甘んじなければいけなくなる。
だからこそヒトは誰かの操り人形でなければ、ヒトではないというお話になるのである。
他人の意図はあなたや私を操る糸であり、それを窮屈でわずらわしいと感じるのは当然だが、しかしそうでなければヒトはヒト足りえないのである。
【外付け魂の糸の利用と脅威】
【その糸はあなたを縛るだけではない】
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人は他人とのつながり無しでは生きてはいけない。
そして誰しもが他人の操り人形であることからは逃れられない。
しかし逆に言えば、あなたはあなたの自由意志で発する視線や情報で他人を操ることができる。
己の自由意志すらままならないのに、他人の自由意志には干渉できるのだ。
だからこそ、この世はこんなにも窮屈なのかもしれない。
互いに他人を縛り合うからがんじがらめになっているわけで、いわゆる現代社会の生き辛いとか居場所がないとかいう原因は、自分が他人に支配されているから自分も他人を支配しよう、という思考の悪循環のせいではないかというのが私の持論である。
【あなたはあなたの内にいない】
ただ、だからと言って「よし。ならこれから自分は他人の意志を阻むような意見や視線はなるべく控えるようにしよう」と決断して実行したところで、実はなんにも解決になりはしない。
なぜかと言うと
お前さんが思うておるお前さんと、周りに映るお前さんってな、これーー別人ですぜ
他人の心が読めない以上は「こうかな?」「ああかな?」と推測するしかないわけで、その推測が外れているとどんなに相手を思いやったうえでの行動や言動でも、相手にとってはとんでもない事態になってしまったということもある。
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「我思う、故に我在り」というが、そう思っているあなたを観測しているのはあなた自身しかいない。
一方で、あなたを観測する人間は無数にいる。数億数十億単位でいる。
この数の暴力、観測情報という無数の在間(アニマ)の糸に繋げられたあなたに自由意志などはなく、それと同じ理屈であなたが他人の自由意志と尊厳をどれだけ守ろうと努力しても、それすらも結局は他人を操る糸にしかならないのである。
【おわりに】
こう偉そうなことを書いている私自身であるが、もちろん他人を都合良く意識誘導して動かそうとするなどしょっちゅうやっているし、同時に「こう思っているかもしれない」「ああ思っているかもしれない」と慮って言動と行動を選ぶことも多い。
そんなのは結局誰だって当たり前にやっていることなのだから、別に威張るつもりも卑下するつもりもない。
だが、この記事を――というか普段よく書いている忍者と極道とか艦これの記事とかでも――ここまで閲覧していただいたことで、私の考えていること=私の観測情報つまり在間(アニマ)に触れてもらえたはずなのである。
ようするに「記事を書く」という行為で私はどうにか自分を縛る糸を緩めようとあがいているわけだ。
糸を切って己の自由意志のみで行動しようとあがけば、ヒトはヒトではなくなる。社会に居場所が無くなる。
それこそ忍者と極道の極道は、糸を切ってしまった人々と言える。
私は縛られるのも縛るのも嫌だから極道への共感が強いのだろう。
たとえ大海の水を柄杓で枯らすような行為だとしても、私は魂の操り糸を緩めようとするのを止められない。