バトル漫画の『組織』有能無能論について
アレ不毛だよな。
いきなり結論から書いてしまっていますが。
というか過去に私自身この論についての記事書いているんですが。
私はアマノジャクでひねくれ者の根性ひん曲がった阿呆なので、盛り上がって熱狂しているのを見るとどうしても反論したくなる悪癖があってでしてね。
あ、ちなみに私は漫画をとくに読んでいるからある程度詳しいだけで、別に映画でもゲームでもアニメでもなんでも構いやしません。
戦わない作品でもOK。
【話が面白ければなんでもいいじゃないか】
ストーリーさえ面白いのなら、作品に出てくる組織がブラックだろうがホワイトだろうが、有能だろうが無能だろうがなんでもいいと思うんですよ。
白だの!黒だの!プリキュアみたいに二人いたっていいじゃないか!!
【それでも区分したがるのはなぜか】
こちらご覧の通り1100以上のスキを頂いている私のような独り善がりの弱小記事とは次元の違う、素晴らしく多くの方の支持をいただいている記事ですが。
フィクションの話を無理に現実的な「学び」に落とし込むのって止めとかない?って私は前々から思っているのですが、まぁ世間ではそうじゃないみたいですね。
所詮娯楽は娯楽です。
時には人生の指標や糧となるモノを得られる時もありますがそれは自分で勝手に見つけるモノであって、他人から教科書として与えられるもんじゃねーだろと。
まぁ教科書に走れメロスとか載っているわけですし、コレ言い出すと教育の根幹に関わってくる気もするのですが……。
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ただ、組織論についてまで語るのはどうかなぁと思うのですよ。
ジョークとして「ドラゴンボールのフリーザ様って実は社長として見ると有能でホワイトな組織形態だよね」とか言っている分にはいいと思うんですよ。
だってフリーザ様のやっている地上げ屋事業はどう考えたって侵略破壊行為なので。
そこを前提としたうえで、あえて組織形態そのものの良好性を語る。
史実でも有能すぎる家臣は謀反起こすかもしれねーから謀殺した例は枚挙に暇が無いとか、狡兎死して走狗煮らるとか持ち出してブラックジョークに持って行くのもまぁいいと思います。
これらのやりとりは言外に
「組織維持の難しさ」
「やっていることは外道だけど雇用されたいくらいホワイトな組織」
などの共通認識の下で行われているわけなので「学び」なんて高尚なモノはなくただ単に愚痴って駄弁っているだけです。なんの生産性もない雑談です。
でもその無益な雑談を無理に高尚なモノに昇華しないでくれる?
愚痴とか雑談とかのガス抜きはそれ自体に意味があるのであってそこに意味を見出す必要性はとくに無いと私ゃ思うんですよ。
やりとりそのものに意味があったりすることは認めますけどね。
【何も無駄にしたくない】
で、なぜこういう論がされるのかというと「娯楽は娯楽として消費する」ことに慣れていない方が多いんじゃないのかな、と思います。
流行に乗って「履修」したからにはそこから何か学びたい、と。
「SNSが発展した現代だから~~」なんて話じゃありません。
宇宙戦艦ヤマトや機動戦士ガンダムが流行った時だって、メディアはそこから何かしら「学び」「批判」することでそれらを高尚なモノに押し上げていた歴史があります。いやその時生まれていなくて資料で知った私が言っても説得力皆無かもしんねーですけど。
人間は理解できないものを恐れます。
理解できないものはどんな脅威があるかわからないので。
だから爆発的ヒットを飛ばした娯楽作品が「なぜ売れたのか」「なぜこんなに感動する人々が多いのか」と分析、理解しようとする。
そうすれば恐れる対象ではなくなり、場合によっては利用できるものにもなるので。
太古の昔は山火事や噴火などでしか触れられず脅威でしかなかった「火」「燃焼」などという現象を分析、理解することで技術として獲得したように。
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だから流行した作品について論じたがる。
そして昨今の社会は雇用形態、労働と人生の折り合いなどについて論じられることがとても多い(いつの時代もそんなんだったのかもしれないけど)。
結果、フィクションに登場する組織が「有能・ホワイト」なのか「無能・ブラック」なのかと、定義しようとする。
それも楽しみ方の一つではありますが「学び」として指標にしてしまうのは危険だと思うんですよ私ゃ。
だって娯楽なんですから、面白ければそれでいい。
突拍子もない発言や行動だってウケればそれでいい。
そういうモノだと理解しないでなんでもかんでも「学び」として吸収したがり、無駄遣いしたくないコスパ重視意識は、かえって自我を見失い暴走する結果になっちゃうんじゃないかと。
自分で勝手に「こんなヤツみたいになっちゃダメだよなぁ」「こんなヤツになってみたいなぁ」と思って自戒や憧れを抱く分には構わない。
けれど他人に諭されたり、流されたりして目指すのは危険です。
【有能でも無能でも構わないのは何故なのか】
これは有能無能とかだけじゃなく、フィクションのキャラクターの行動や思想についても同じことが言えるのですけれども。
【物語の中にツッコミ役がいればいい】
たとえば進撃の巨人。
これはストーリーが進むにつれてめっちゃくちゃ複雑な組織、国家構成がされていたことが明かされて、どこもかしこもそれなりの『正義』があってそれをその場その場で是正し、戦い抜き、行き着いた果てがアレです。
たとえばSPY×FAMILY。
こちらは西側はブラックな職場だと延々と劇中人物から愚痴られており、東側は明らかに読者に対してブラックな組織形態だと提示しています。
基本がコメディ漫画なのでツッコミ所は「まぁそういう作風だから」と真剣に論じる気が失せてしまうようにしている所が絶妙。
たとえば呪術廻戦。
この作品は「呪い」がテーマなだけあって、組織が腐っていることをもう序盤から提示しています。腐っていても、それでも組織の中で戦っていく必要があるんだよ、と面倒くさい現実を初っ端突き付けています。
だからどれだけ腐った組織、悪習が出てきても問題ない。だってそれがテーマだから。
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こういった作品はツッコミ役=批判者がいるので、読者のガス抜きになっています。
同時にツッコミ役=ブレーキ役でもあるのでストーリーテンポが悪くなりがちなんですが、そこを上手く魅せる演出が作者の力量の一つでもあり。
いわゆる「議論バトル」はこれを解決するために生まれた手法ですね。
絵的な演出も加わるとなお良し(「自由」を主張する主人公の象徴である翼に攻撃をヒットさせて機動力を奪った「支配」を主張する敵が「浮ついたお前の戯言など地に足着かぬ理想論だ!」とか言ってトドメ刺そうとしたりするなど)。
こういったツッコミ役=批判者がいれば非常に過激な思想でも作品に落とし込めますし。
ヘルシングのアンデルセン神父とかツッコミ所だらけのキャラクターだけど大人気なのは、敵からも味方(マクスウェル)からもツッコミを入れられる大暴走キャラのくせに、優しい神父様と神の代行者である暴力装置の間で本人自身が揺れ動いている人間臭さが、キャラの重み厚みを生み出しているからですね。
【失敗や挫折から立ち上がること自体がストーリー】
作中外からどんなに無能だのブラックだの言われようと、その結果窮地に陥ったり取り返しのつかない事態になったとしても、そこからどうひっくり返すのか、打ちのめされた状態から復活するのか、ということ自体がストーリーの盛り上がる所なのです。
よって、現実と同じように常に最善で最良の選択をし続けられるわけではなく、ある程度はダメな要素があった方が説得力もあってシナリオも製作しやすいわけですね。
そういうのもあって、有能無能論を語るのは不毛だなぁ、と思う、のですが。
【結局は駄弁るネタがあると楽しい】
まぁここに落ち着くよな、と。
先述したアンデルセン神父なぞ、それこそカトリック的な教養がある程度下地にないと意味不明(あっても理解不能)な行動を取り、そこに生まれる「なぜ?」を語る余地があるのが、その是非を問うのが面白い。
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ただこの「駄弁る」ことも個人的には「なぜ?」→「答え」→「反論」→「反論に対する反論」などの議論になればこそ面白いと思うのです。
共感が大前提にあって、賛成もしくは否定のどちらかばかりしかなく、議論が無くただただ本当にピーチクパーチク言っているのは不毛だと。
……でもまぁそれこそ、議論に発展しない共感の共有こそがガス抜きになるので、それもそれでアリ、なのでしょうね。