うろ覚えで「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」を騙る
水槽さんの新曲が「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」のリスペクトソングだったので唐突にこの作品を思い出してですね……。
まさか令和の世になってから20年も前のラノベ(?)のリスペクト作品が出るとは。
桜庭一樹はラノベデビュー→一般文芸作家に転向した有川浩と並ぶ女性作家ですが「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」はラノベ界に衝撃を与えた作品でした。
……ちなみに本記事を書くうえであえて「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」は再読していません。
素っ頓狂なこと書いていても勘弁してください。
だって読んだら死にたくなるような作品だからな!
三級呪物くらいの破壊力あるぞ!!
【リアルタイムで見た「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」の反響の思い出】
初版が出たのがいかんせん20年も前なので、コミック百合姫すら創刊されていなかった時代だったのですよ(前身誌の「百合姉妹」は刊行されていましたが)。
この時代、百合好きは需要に対して供給が現在に比べて少なく飢えてました。オオカミあるいはコモドドラゴンのようでした(わずかでも百合の匂いを嗅ぎつけたらとりあえず触るし拡大解釈も行うという意味で)。
そんな時、今は亡きラノベレーベル「富士見ミステリー文庫」はミステリーとは名ばかりのフリーダム極まりない作風が多く、ミステリファンからはバカにされながらもラノベファンからはびっくり箱みたいな扱いを受けていたんですよね。
とくに百合好きはあのブギーポップシリーズの上遠野浩平が百合ミステリである「しずるさんシリーズ」を書いたぞということで注目されていました。
そんなレーベルから出版された、当時既に「GOSIK」でただ者ではないことを証明していた桜庭一樹の作品ということで
百合好きとしてもラノベ好きとしても「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」は多くの人に手を取られたのです。
【それが悲劇の始まりだった】
だって表紙コレですよ。
百合好きなら期待するでしょうよ。
タイトルもなんだか物悲しさを感じさせますが、それ以上に詩的で「同性愛」というものを扱う以上は否定感も含めて期待が膨らむ。
そしたら中身は確かに女子中学生同士の友情を描いたものだったけれどそれ以上に、あまりにも残酷で、そして非常に出来が良く、現実的な児童虐待をテーマにして、救いが無かった。
何この役満ならぬ厄満。
いやぁ、阿鼻叫喚地獄絵図でした。
死にたくなった
桜庭一樹はこういうことする
死にたくなった
百合じゃねーだろ!
死にたくなった
俺ロリ好きじゃいられなくなった
死にたくなった
作品として完成度高いのがなおさらタチ悪い
死にたくなった
ミステリ?←富士ミスではいつものこと
死にたくなった
今で言う百合豚が死屍累々でした。
ヒロインの海野藻屑の心理描写が主人公の山田なぎさ視点から語られるだけにも関わらず非常に丁寧で繊細で上手いのと、プロローグの時点で読者は覚悟を突きつけられるので、二人が不器用に親交を深め合うほど真綿で首を絞めつけられるような憂鬱感を始終味合わせられるわけです。
バッドエンドを予感しながら、しかしそうならないことを祈る主人公の心理と読者の心理が見事にシンクロしつつ、とても端的にそのバッドエンドを示すあの一文(あまりにネタバレが過ぎるのであえて書きません)。
※※※
当時のラノベって書く側も読む側も「年齢的には大人だけど、大人になりきれてない青臭い甘ったれたオタクのもの」というレッテルが張られているところあったんですけど、その点を本作「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」は覆して評価されていたんですよね。
語り部の山田兄妹は、本作の事件を通じて「きちんとした大人」になるラストになっています。ホントこれだけがこの作品の最後の希望。
この兄妹は、あの事件が無かったら二人ともロクでもない大人になったことが伺える家庭環境だったので。
そもそも語り部のなぎさちゃんは「大人になる」ということの意味をわかっていなかったのを、藻屑ちゃんとの付き合いの中で知っていくことになるわけでして。
一方で藻屑ちゃんは永遠の少女のまま、作中人物の心の中に深い深い闇と傷痕を残す。ついでに読者の心にまで爪痕を残す。
語り部の主人公は「大人」となり、藻屑ちゃんは「ずっと子供のままでしかいられなかった」人魚姫。
「大人」であることも「子供」であることも、どちらも辛い。
「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」はそれを表現して肯定した作品として、高い評価を受けていました。そして、それでも大人の責任を追及するというラストも。
そもそもタイトルの「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」っていうのからして、本当に秀逸なんですよね。
子供の甘い思想では、現実の厳しさは何も撃ち壊せない。
でも子供だから知識も経験も足りていなくて、できることに限りがありすぎる。
『実弾』を撃とうとしても、結局それは砂糖菓子の弾丸でしかなかった。
英字タイトルの「A Lollypop or A Bullet」も上手いんですよね。
ロリポップはいわゆるペロペロキャンディのこと、そんなモノで弾丸を捏ね上げても……というのは日本語タイトルでもわかることなんですが、より形がハッキリする。
また「Lollypop」が「LOLII」に掛けていて、少女たちの甘くても本当に命懸けの切実な思想が入っている。
【ロリポップ・バレットを語る】
唐突に「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」を思い出させてくれた水槽さんのロリポップ・バレットですが、「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」を読んでいたらそのリスペクト精神が高いことに感嘆し、読んでいないとしても「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」のテーマに触れられるしなんなら読むきっかけにもなります(そして鬱になるのでしょう……)。
音楽という媒体なので弾倉を装填するSEや照準を合わせる電子音が入るのが皮肉が利いています。
※※※
この部分ね。本当にもうね。劇中の悲劇が起こった理由を端的に全部表現しています。
二人ともお先真っ暗な現実を二人なりに変えようとしたんだよ……。
でも子供だから甘くって愚かで、何より「愛が足りてないから愛し方がわからない」は海野父娘両方に当て嵌まるのが悲しすぎる。
確かにそうなんだけど……。そうとしか言えないんだけど……。
なぎさちゃんと藻屑ちゃんが互いに縋ってしまったからあのラストになったんですけど、どの道あの環境じゃ藻屑ちゃんは大人になる前に死んでいたと思うし……。
ここの部分「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」を読んでいたら吐き気を催すほど上手い表現になっていると思います。
もうね。登っている時点で終わっているし、プロローグからしてああだからね……。
テロップで画面が埋まるのがもうね……。
取り残された側としてはこう言うしかない。
そもそもなぎさちゃんは「どうやったら藻屑を助けられるんだろう」って考えて、間違えてしまった――と思っている。
うろ覚えですけど劇中の二人の周囲の環境を省みてみれば、それこそフィクション並みにめちゃくちゃ上手い立ち回りしなければ藻屑ちゃんは死ぬ。
二人で逃げられたとしても、すぐ家出少女二人は捕まって藻屑ちゃんは殺されるだろうし、藻屑ちゃんが「虐待じゃない」と言い張るし本心そう思っているので彼女を第三者の手で助けることができない(ここがやけにリアルな設定なのが本当にキツい)。
だからなぎさちゃんが取り残されるのは当然のことで「大人になりたい」と思っていた少女が大人にならなければならない未来が続くことがただ悲しい。