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忍者と極道 想い出に縛られた極道

忍者と極道の記事です。

毎度の如く全話公開やるらしいので未読の方はこの機会にぜひ。
みんな!クリスマス前には忍極キメろォッ!!

【止まった時間】

この美陀戦の感想記事で触れた壊れた時計は、ある種この漫画の極道全体を象徴するアイテムと言っていいものだと私は思う。

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美陀はこの時計が止まった時間に、愛する母親をその手で絞殺してしまったことで一歩も身動きできない精神状態に追い込まれてしまった。
今回の記事のヘッド画像に持ってきた長こと神賽惨蔵の台詞は、別場面だがそんな美陀の心境を表すのに的確な一言である。

【もう戻ることのないあの日】

そして想い出に縛られし者とは、極道全体でもある。
殺島および聖華天はとくにわかりやすい。

もはやミームと化したこいつら

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想い出に縛られて時間が止まってしまったのは14歳の少年であるガムテおよび割れた子供たちですら例外ではなく

極道同士とはいえ次世代の子供たちにも優しく目をかけられる夢澤ですら、昨日に囚われていることに変わりはない。

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何度見てもこのページ酷すぎて最高

極めつけ、モブ極道ですら忍者が復活する前の20世紀時代の黄金を忘れられないという有様である。

【終わりを夢見て明日を見る忍者】

一方で極道の宿敵たる忍者も決して昨日に囚われていないわけではない。
そも先に引用した長の台詞でも「此奴また」と述べているあたり、忍者の長である神賽惨蔵ですら想い出に縛られてしまっている。

主人公の忍者(しのは)からして極道に家族を惨殺されたトラウマが未だ癒えておらず、極道ブッ殺す根っこの理由となっている。

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だが忍者たちも想い出に囚われながらも絶望せず、極道に堕ちていないのは彼らが明日をきちんと見ることができているからである。

陽日の勧誘シーンで忍者(しのは)は上記引用画像のように述べている。
忍者たちがそれぞれにこの世の理不尽や辛さと向き合い、膝を屈せず暗刃を手にして戦い続けていられるのは、自分が納得して笑える最期を迎えるためなのだ。

戦う動機の根底にあるのはトラウマ=想い出の虜囚であることに、忍者と極道は変わらない。
そして極道もまた、死ぬ時は皆笑って死ぬ。
だが死んでいった極道のほとんどは過去の幸せな思い出に還ることで笑ったのであり、自分の望む現在(いま)を自らの力で獲得し、だからこそ笑って死ねたのは22年現在のところ、ガムテくらいである。

こう考えると、やっぱり割れた子供たちは本当に忍者たちとギリギリ紙一重の存在だったと思う。

【想い出の縛鎖を断つもの】

極道(きわみ)さんの言うことは酷い話でもいい話でもいちいち説得力がある好例のシーン。

CRYSTARの感想記事でも書いたが、涙を流して一区切りをつけるのは悲しみと向き合うために有効な手段である。
逆説的に泣くべき時に泣けないと、涙に理由を与えられないと悲しい過去と両足に力を込めて立たねばならない現在(いま)との境界が曖昧になり、想い出に縛られることになる。

【フィクションというガソリン】

忍者と極道の趣味
色姐の趣味
斗女たんの趣味

一方で、冗談抜きでネタでもなんでもなく真剣に大事だと思っているのが、忍者たちがやたらとサブカル大好きなオタク趣味の持ち主であるということ。
いや別にオタク趣味でなくてもいいのだが、辛い現実と向き合うために、心の燃料として忍者たちはプライベートの趣味はとても大切にしている(長ですら野球狂のTV好きで趣味らしい趣味が伺えないのは左虎くらい)。

このあたりは先日のP5Rの感想記事で書いたが「推しのためには死ねないし、推しに対してみっともない生き方はできない」というような、傍から見れば呆れ返るしょーもない理由が、人間にとっては実はかけがえのない生きる希望になっていると、私は思う。

※※※

そして同好の士ではあっても、極道(きわみ)さんは己の主義を決して曲げられず、自覚して社会の敵たる道を選んでいる。

このあたり、サブカルのストーリーやキャラに没入し共感はできても「答え」が作中で提示されず結局立ち上がれないという気持ちは、それはそれで私にはわかったりもする。

【終わりに】

今回の記事は画像が中心であまり文章量は多くないが、なんだか意図せず今年のnote活動のまとめになってしまった感が若干ある。

というのも、この記事の「極道がもう戻らない幸せな昨日に迎えてもらうため、自殺的テロを行っている」というのは以前書いたヘルシングの記事でも書いたことだし

鬼滅の鬼殺隊の記事でも書いたこと。

個人的な私観に過ぎないが、私にとっては鬼殺隊と極道は限りなくほとんど同じにしか見えない。
心の中にくすぶった悲しみに火を焚き付けたのが極道(きわみ)かお館様かという違いくらいで、マイナスのエネルギーと言えど人助けに使えるか人を傷つけるために使うかは、ある種マイナスの引力やカリスマの持ち主次第といったところか。

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