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第14回「人間は生まれたときは100%自然なのに、意識が身体を不自然にしてしまっているんです。それをほぐしていかなければいけません。」青木 宏之 氏

青木 宏之 氏

1936年 横浜に生まれる。
中央大学法学部卒。日本空手道の江上茂に師事。柔道、空手道、合気柔術をベースに現代人のための心身開発体技『新体道』を創始。更に「日本の棒術」体系を創案、世界各国に広まる。1990年 宗教哲学の研究でカリフォルニア神学大学院より「文学博士号」を授与さる。 1994年フィリピンの貧困家庭の子供たちへ奨学金の支援開始。1998年米国国際学士院より「世界平和功労大騎士勲章」を授与さる。2001年 天真書法塾を開塾。2005年 NPO天真会を設立。
2008年 剣武天真流を創始。2010年 剣武天真流発会、剣武を通して、健康な体と健全な魂、世界の浄化、平和への祈り等、道を追求する指導にあたる。一般財団法人天真会設立。2011年5月以降「東日本大震災被災地及び被災者」支援ボランティアグループ「チーム天真」を結成。被災地の仮設住宅にて健康体操、指圧、整体等の定期活動を行う。
また、中国、フィリピン、チェコ、イタリア、フランスを訪れ「書」や「剣武」を通じ、独自の国際交流を続けている。

現在、一般財団法人天真会代表理事、(株)天真会取締役、天真書法塾塾長、剣武天真流宗家、NPO 新体道名誉会長、日本人体科学会理事、日本養生学会顧問、他

書歴
上海大学認定中 国書法学院師範、中国書法展審査員、中国山東省濟南私立成家書法業校名誉教授、その他、数々の国際書道展に招待作家として活躍

天真体道HP
天真会フェイスブック

テンプル――
私は子どもの頃から運動音痴で、時間があれば本ばかり読んでいる子どもでして、スポーツとは無縁な生活をしてきた1人です。ですから今回は、運動音痴が武道の大家に挑むという無謀なインタビューになるかもしれません。どうぞよろしくお願いします。

青木――
なんでもお聞き下さい。私が持っているものは、沢山の方々から教えていただいたという意味で人類みんなの財産だととらえています。武道だけではなく、様々な分野の先哲から学んできています。自然からも人からも学んで今の結果があるわけで、それらを自分なりに磨き上げてお返ししなければいけないわけです。分かることは何でもお答えしますので、遠慮なくお聞き下さい。

テンプル――
まず最初にお聞きしたいのは、youtubeで拝見した『Old Shintaido Video』の動画についてです。私には何が起こっているのか分からなかったんです。頭がポカンとしたまま数分間動画を見ては止め、また数分見ては止めてを繰り返しました。あのとき、青木先生とお弟子さんの間では、いったい何が起こっていたんですか?

青木――
あれは40年以上も前(2012年の時点)の稽古です。あそこでは、よく似た動きで1つは武術的なもの、もう1つは特別な体技の2種類の稽古を行っています。あなたの質問の箇所は簡単に言うとこういうことです。

あなたが拳で、あるいは短刀で目にも止まらぬ速さで私を突いてくるとするでしょう?私はそれを払いよける前に、つまりあなたが出ようとした瞬間に一発カウンターを入れ、次いでよけて一発入れて投げています。でも普通の人にはそれが早すぎて目に入らないとよく言われます。「見えない」と言われるんです。以前、ある演武会でかなり丁寧にやってみたんですが、立川談志さんが「青木先生、いま何やってたんですか?」って聞くんですよ。一流のビジネスマンにも芸能人にも同じ事を聞かれました。きちんと説明をしたんですが、全然分からなかったようです。

テンプル――
私には、お弟子さんが青木先生のもとに走っていって倒れた。お弟子さんが青木先生の手を握ったら突然恍惚となって震え始めた。お弟子さんが自分で倒れた、お弟子さんが恍惚となった…。そういうふうにしか見えないんですよね。お弟子さんたちの身体で何かが起こっている、もしくは意識に変化が起こっている・・・。何かが起こっているから、あのようになっていることは確かだと思うんですが・・・。

青木――
まず大きく分けて2種類の体技をやっています。1つは激しい攻撃に対する防御と反撃で、もう1つは攻防を超えた気の操作の稽古です。これは『瞑想組手』と呼んでいます。あのビデオの中でやっていることは、その2種類が混在していますので、ちょっとわかりにくいでしょうね。

簡単に言えば、昭和初期以前の人にコンピュータを見せるようなもので、何だか分からないでしょうね。この箱の中身はいったい何だって思いますよ。

以前、ベートーベンの作曲についての本を読んだのですが、専門的な音楽用語がたくさん書いてあるんですよ。彼は様々なことを勉強して、スランプに陥ったとき古典を一所懸命勉強しなおして新しい音楽を組み立てた・・・。でもそんなの読んでも私には全然分からなかった。違う世界だから。

ですから私がやっていた稽古がよく分からなくても何もおかしくないですよ。武道専門の方でもよく分からないと思います。

相手が走ってきて全力を挙げて私を突き倒そうとしたのに、攻撃した相手の方がなぜか吹っ飛んでしまった。そうとしか見えないようですね。でも私は相手が突いてくる前に一発相手に入れている。実際に当てたりはしていませんが、手を出して反撃するという意思表示を見せている。それでもなおかつ相手が突っかかって来るので受けつつ突きを入れ、続けて投げた。その4種のワザが一般の人には見えにくいんでしょう。

2番目の方は、『瞑想組手』と言いますが、人の身体は抑え込むと固くなってしまいますが、力みを引き抜いてグニャグニャにほぐしてやると、今度は相手の身体の中に自然な律動が蘇ってくるんです。

テンプル――
それが一瞬に起こっているんですか?手を握った瞬間ですよね、お弟子さんがブルブルと震えだしたのは。

青木――
一瞬です。あの人達のレベルになると、一瞬にしてあそこまで行ってしまう。普通だったら何分、何十分もかかりますよ。稽古をやっていない人ですと、ああいう状態にまで達するには幾日もかかります。あの人たちはベテランで、ものすごく稽古を積んでいる人たちですから前技はいらないわけです。いきなり私の身体や意志の動きを感じ取ってしまうわけです。湯たんぽのようなものでゆっくり手を温めていくわけではなく、いきなりバーナーのような強烈な火をおこすわけですから、一瞬で手が焼焦げてしまうような技なんですよ。

テンプル――
あの一瞬で恍惚となったお弟子さんたちは稽古が終わったあと、すぐに次の行動に移れるんですか? 電車に普通に乗って帰って、いつもの日常や会社勤めができるものなんですか?

青木――
それは大事なことですね。恍惚状態になっているように見えるけれど、実はとてもクールなんです。ですから、深い瞑想状態で動いているのに、たちどころに現実に戻ることが出来ます。

テンプル――
自制心が無くなりコントロール不能なほど自己を明け渡しているように見えます。

青木――
私に自己を明け渡して無になっているのに『青木はこうしてるな、自分は今こうだな、廻りの人は今こう思っているな』というのが全部分かっています。クールです、とってもクールな意識状態でいます。激しく酔って浸りきった状態と頭が冴えきっている状態とが共存しています。

テンプル――
青木先生とお弟子さん両方とも。

青木――
そうそう。特に激しく動いている人ほどクールです。ちょっとうちの弟子に聞いてみて下さい。(と、ここで弟子の1人を呼ぶ)

(お弟子さんに)
『光と戯れる』をやっていてあなたがウワァーっと動いているときがあるじゃない、光田さんはあのときは恍惚と舞い上がって魂がアッチの世界に行っていて、あの後普通の日常生活には戻れないんじゃないか思っておられるようなんだけど、あの時どんな状態なのか話して下さい。

お弟子さん――
そうですね、敏感に廻りのことが分かる感じです。分かるというのは目に見えているということではなく、いろんなことを一度に感じられているということです。ただ、直後は逆に意識があまりに解放されているので、直後は普通に話すのは大変かもしれませんね。

雑誌『秘伝1999年12月号』より

青木――
ということなんですね、とてもクールなんです。酔ってはない。

テンプル――
新体道の稽古をまじめに続けていれば、そのような身体になっていく。言い換えると、そのような身体を目指して新体道の稽古はあるということでしょうか? 『そういう身体』が、じゃあどういう身体かは私には説明できないんですが。

青木――
『そういう』の表現は色々ありますが、『そういう身体』にまずなるということが大切です。そのために徹底的に身体をほぐし、柔らかく鍛えていきます。私達の身体には自己防御本能があって、ちょっと異変があると身を固くして守ろうとするところがあるんですね。しかし武道的にも体育的にも身体を固くしたら技は効かないんです。柔らかいほうが自由に反応して、技はずっと効きます。

身を守るときにはある程度は力を入れて身を固くして守るということがあり得るわけで、その証拠に貝やエビなどの甲殻類は身の廻りの殻で身を守っていますよね。あのように身を固くすることによって守れるものもあります。だけども固くしてしまうと伸びやかさが無くなってしまいます。運動選手でも歌手でも役者でも、本番前は柔軟体操や瞑想やなんかをして力みを捨ててから臨むでしょう?そのほうがノビノビと出来るんですね。だから硬くならないようにするわけです。

テンプル――
骨を取り囲んでいる筋肉を柔らかくする、ということですか?

青木――
そうです。筋肉を柔らかくしておきます。でも柔らかいだけではダメなんです。私の腕を触ってみてごらんなさい。柔らかいでしょう?でも必要があれば、こうして力を入れると鋼鉄のように固くもなる。普段はコンニャクやマシュマロのように柔らかいんです。剣武をやっているときにもマシュマロ状態です。重いものを持つと当然筋肉は固くなります。でも慣れてくると重いものも筋肉を柔らかくした状態でふわっと上がるようになります。

テンプル――
重いものはグッと力を入れて筋肉を固くしないと持ち上がらないと思ってきたので、筋肉が柔らかいままに力が発揮できるというのがいまいちピンとこないです。

青木――
昔、横綱の大鵬と戦った相撲取りが、大鵬は柔らかかった、とても身体が柔らかくて押しても押してもどこにも力みがなかったというんですよ。いくら押しても自分が勝つ気がしなかった、ふわっとしている間に負けてしまうと。大鵬は稀にみる大名人ですよ。全然力まない、柔らかい身体をしていた。身体は思いっきり鍛えなければいけないけれど、鍛えると同時に柔らかくするんですよ。しかも柔軟体操で身体を柔らかくすると同時に、気持ちを本当に柔和にしないと筋肉はほぐれません。すごーく柔らかくしなければいけないんです。

テンプル――
青木先生は肩こり知らずですか?

青木――
こんな歳(78歳/2014年10月現在)になっても、肩がこった経験はほとんど無いです。ここを触ってごらんなさい。

テンプル――
(腕の筋肉を触りながら)ヒエ~!柔らかい~。本当にマシュマロです、これは。とても空手を極めた方の腕とは思えません。このマシュマロ筋肉は何なんですか~!私のこの細腕のほうが固いですよ。

青木――
いま指圧をしてもらっている先生は70代のものすごく上手い先生なんだけど、自分の指圧人生で私ほど柔らかい身体に触ったことがないと言っておられます。だから横たわっていて背中や脚やふくらはぎなどを踏まれても揉まれても痛くないのです。

テンプル――
お腹も触らせてもらっていいですか?

青木――
お腹も柔らかいですよ。でも力を入れたとたんにカチカチになります。力を抜くと全身フニャフニャです。私の身体は赤ちゃんの身体のようですよ。私が理想としているのはマシュマロ筋肉で本当に柔らかい状態で動けることなんですよ。

テンプル――
青木先生の10代からの稽古や修行の様子を本や雑誌で拝見すると、肉体と精神の極限までの稽古をされてますよね。何時間もの厳しい稽古を極めていながら、同時に身体がこのマシュマロの柔らかさというのは想像できないですよね。

青木――
60年も武道をやり続けてきて鋼鉄のような身体になったと皆さんは思うでしょうが、とんでもない、正反対です。何十年間も柔らかい身体を目指してきましたからね。ヘビはクニャクニャしていて柔らかいカラダをしています。大きなニシキヘビは猛獣に巻きついて絞め殺したりしますよね。私も東南アジアへ行った時、ニシキヘビを身体に巻きつけたことがあるんですが、もうカチンカチン、鋼鉄のように固いです。ほどこうと思いましたが、1ミリたりとも動かない。そのくせ普段はグニャグニャに動くでしょう。あんな身体です。マシュマロと鋼鉄の両方を使い分けているわけです。

ついでながら言い足しますと、武道ではよく下腹に力を入れろ!と言います。あれは絶対にダメです。下腹に力を入れて相手を油断なく見据えるのが良い、などというのは国民的迷信です。そんなことをしているから、武道経験者みんな、一時流行ったK1で簡単にやられてしまったのです。

テンプル――
ところで、先生が武道を始められたキッカケというのは演劇だったとお聞きしています。俳優としての身体を作ろうとして武道を始められたと。

青木――
そうです。でも演劇と武道をやりながら副次的に演劇より絵のほうが好きだということに気がついたんです。武道の満足度を70~80%だとすると、演劇は90%くらい。それが絵だと100%満足。絵を描いている時は本当に楽しかったんです。それだったら大学を卒業したら絵描きになろうと就職は国立美術館にしようか、東京美術館で働こうか、そんなことを考えていました。

私という人間を考えてもらうときに次の3本柱を知ってほしいんですが、大学に入る前からキリスト教の信仰がありました。そして空手、さらに演劇や美術といった芸術もあります。このキリスト教、空手、芸術の3本柱を同時に考えてもらわないと私のことは分かりにくいと思います。

ところが、演劇をするための身体作りで入った空手で流儀最高段位に推挙されました。これは有難く辞退させて頂きました。そして就職活動前後に師匠から1年間お礼奉公という形で助けてほしい、助手をやってもらいたいと言われたのです。それで大学卒業後は1年間の約束で先生の助手になりました。すぐ美術に専念したかったのですが、天下の師匠に頭を下げられてしまったら断れないですよね。先生としてはもう一寸私のことを鍛えてやろうと思われたんでしょうね。ところが結果として7年間も助手をすることになってしまいました。私は大学卒業後すぐに結婚をしていたんですが、その7年間は師匠のもとで徹底的に働きました。

そしていよいよ絵だけに集中しようと思った頃、私は絵を通り抜ける、キリスト教を通り抜ける、武道を通り抜けて、何もしていなくても芸術であり武道であり信仰である世界があることに気づいたんです。

教会で洗礼を受けたり日曜礼拝に出たりというのではなく、もっとそこから抜け出して、ただ居るだけでも野の花の如く、空を飛ぶ鳥の如く神と共にある。武道的にも怖い顔をして突いたり蹴ったりしなくても、ただ手を伸ばして物を取ろうとするのと、向こうから攻撃しかけてくる人を殴るのと同じ動作で相手を倒せるようになった。美術に関しても、自分の身体を芸術として考えるならば、ただいるだけで美であり自然であるものがある、そういうところに辿り着いたわけです。

芸術を通り越し、宗教を通り越し、武道を通り越した何もない『空』の世界に入ってしまったわけです。それが31歳のときです。そういう境地に到達するまでに、絵については3つくらい美術学校に通いました。裸婦デッサンも一所懸命やりました。美術は時間がないので道場でも武道をやっている人を描いたり、電車に乗っているときにも乗客をクロッキー(速写)したり、どこでも描き続けていました。演劇は、俳優座の加藤衛(まもる)先生が横浜に作られたフォルクスビューネ演劇研究所の一期生として演劇を勉強したりしていました。空手は空手部を背負っていかなければならないので、空手を朝から晩まで徹底的にやっていました。キリスト教はキリスト者学生会というものに所属していました。

でも私は美術もキリスト教も武道も、自分の中でみんな通り抜けてしまった。本当に全部通り抜けて何も無くなってしまったのです。

美術でいうと、自分の絵を入れる最高の額縁はルオーのように自分が作った額縁でなければいけないんです。その額縁を飾る壁は自分が作った壁でなければいけない。その壁は自分の家になければならない。その家はその街に調和するように建てた家でなければならない。そして街も・・・ということになります。でもそんなこと出来ないですよね。

そんな時、私は自分が作った額、作った壁、作った家じゃなくてもいいと。今ここに置いてあるだけでいいんだということが分かってきたんです。

当時私は三浦半島の剣崎によく磯釣りに行ってたんですが、波を見ているともの凄く美しい。人間には絶対に描けないほど見事な波が出来た瞬間に消えてしまう。自然は惜しみなく作っては消し、作っては消しを繰り返している。夕焼けを見ていると本当にきれいですよ。そんなの絵の具では描けないですよ。とても自然にはかなわない。あるだけで美しい美の世界、感動の世界があるわけです。それなのにそんな美しいものも自然は惜し気もなく消してしまう。それに気づいたら芸術へのこだわりが消えてしまったんです。生きて居るだけで芸術である人生があるのではないかと。

信仰に関していえば、一所懸命教会の礼拝に行って旧新約聖書を読んで、聖書の何巻の何章に何が書いてある、というのではなく、聖書全部のなかにある、命である大いなる天、全宇宙を造った神と自分が一体となって幸せになり、神を讃えて感謝し、思いきり人生を生きればいい。それを邪魔するものをキリスト教では罪と呼んでいるけれども、それを捨てて神の霊に入ってもらいなさいと。それでいいと思うんです。

しかし気をつけないと、信じ方によってセクトが出来てしまうわけです。何教、何宗、何派と。イスラムでは今、イスラム教徒同士で大戦争をしていますよね。キリスト教でもカソリックとプロテスタントが猛烈な戦争をしました。しかし本当は、そんなことではなく、極意は罪と言われる自我や利己心を捨てて、大いなる大宇宙の生命エネルギーや神の愛を受け入れて一体となる、それだけでいいんだと。そうしたら義務や罪悪がらみで教会に行ったり聖書を読んだりしなくてもいい。そうなったら宗派、宗教は超えてしまいますよね。

武道に関しても、激しく突いたりしますが、一方、棚の上に手を伸ばして何か取ろうとするとき、そこに人がいたら昏倒するほど強い突きを私達は出しているわけです。無意識に肘をどこかにコーンと当てたときも痛いですよね。その時後ろに人がいて顔面にでも当たったら、ひっくり返ってしまいます。そのくらい強い力が我々の体から出ているのです。だから自然でありのままでいいんだということが分かったんですね。

そうすると、何々主義といった芸術も消えてしまい、宗派宗教も消えてしまう。武道も利く、利かない、どういうふうに力を入れるかといったことが消えてしまう。普通に手を出すだけでも相手が倒れてしまうんですから。そうなると芸術も消え、宗教も消え、武道も消え何も無くなってしまいます。私は完全に無の世界に入ってしまったのです。

完全に無の世界に入ってしまった当初はいったいどうしたのかなと思いました。もう恐怖の深淵に入りこんでしまったようでした。でもやがて、これが禅でいう無相の世界、空の世界なんだなと気がつきました。それがずっと続きました。私はこれをゼロ化と呼んでいましたが、この時から45年間も続きました。

テンプル――
45年間ですか!?

青木――
45年間。去年の2月まで続いていました。私は完全な無の世界に45年間いました。ところが去年雪山で瞑想しているとき、突然『無』が消えたんです。『無が消える』というのは言語的に矛盾がありますが、ものすごい花盛りで四方八方頭の上も満開の桜の花、梅の花、桃の花にくるまれているような状態になったのです。身体からも花の匂いが溢れ出ているような感じがしました。身体の外からも中からも匂いがする。

その花々は真っ黄色の花なんですが、そのおびただしい絢爛の花園に入っている自分がいたんです。45年間の完全な無の世界から抜け出して、ただ、自然の何でもない花盛りの世界に入ったんです。私は絶対無とも言うべき状態が道の極地だと思っていましたので本当に面食らいました。もう唯ただ美しく快い世界なのです。

しかし、その後さらにそこを突き抜けて、もう自分は出家して仏の世界、神の世界に行くだけしかないと思ったら苦しくてしょうがなくなってしまいました。稽古も見えないし、書道も見えないし、仕事も何も見えなくて、本当に困ってしまって、それが2ヶ月くらい続いたのかな。そのうちに待てよと。自分は教会でいうとキリストの十字架に向かって祈る、お寺で仏像を仰ぐ、神社で天照大神に祈るというのではなく、それらを背負って回れ右をし、民衆の方に向かわなければいけないのではないかと。そう思った瞬間に心の世界がパーっと開けて周囲のこと全てがとてもよく見え始めたんです。2013年の秋、最近のことです。(2012年の時点)

そうしたら何のことはない十牛図の8番目に『人牛倶忘』というのがあるんです。人牛ともに無くなった無の世界です。何もない…。そして次に何と『返本還源』。花盛りの絵、唯自然のみという世界です。そして最後の10番目はその牛飼いの少年が布袋さんとお話しているんですよ。これには2つ意味があると思っています。布袋さんになりなさいというのと『あなたは布袋さんになったんだから、民衆の方に行きなさい』というのと。

つまり出家するか民衆の中に入るか。私は出家の道しかないと思っていたところ、苦しくてしょうがなくて、廻りも見えなくなってしまいました。そこで祭壇を見上げるのでなく、祭壇の十字架や仏像を背負って後ろを見た瞬間に民衆がハッキリ見えました。そしてこれこそ私がこれから進むべき道だと感じました。だからいま、私は10番目の民衆の中にいるんです。ちなみに十牛図を描いたのは千年くらい前の禅僧廓庵(かくあん)です。偉い僧侶がいたものです。

皆さんに知っていただきたいのは、何も悟ったりしていなくても、民衆の中に入り、民衆と共に生き、民衆を助けて生きる人は最高の悟りを開いた人と同じだということです。

十牛図
8番目の人牛倶忘(にんぎゅうぐぼう)の図 - すべてが忘れ去られ、無に帰一すること。悟りを得た修行者も特別な存在ではなく本来の自然な姿に気づく
9番目の返本還源(へんぽんげんげん)の図 - 原初の自然の美しさがあらわれてくること。真の悟りはこのような自然の中にあることを表す。
10番目の入鄽垂手(にってんすいしゅ) の図- まちへ... 悟りを得た修行者(童子から布袋和尚の姿になっている)が街へ出て、別の童子と遊ぶ姿を描き、人を助け導くことを表す。
Wikipediaより

かつて若き日に8番目の世界に入ったというか、その世界に出たというか、その時ははっきり分かりました。技がガラっと変わってしまったのです。相手を軽く押さえただけでもアザが出来る、稽古着に軽く(手が)かすったくらいなのに稽古着が切れてしまう、木の枝にパッと(手を)伸ばすと木の枝がパラパラと落ちてくる、そういった現象が起き出したんです。もう大昔の話ですが。

そのように無の世界の凄さを感じました。最初は自分は間違えたところに入ってしまったと思って、一所懸命出ようとしていたんです。キリスト教ではそういった過程を教えられていませんでしたから。でも禅にはそういった過程があったんです。人間の心の成長というものをキチッと体系づけて、教育カリキュラムのようなものが臨済宗には確立されとっくに伝わっていました。もっとも荒井献氏の『トマスの預言書』をよく注意して読むと、ちゃんと書かれているのですが。

無の世界へと脱け出したのは31歳の時でした。そこから花咲く美しい世界へと転位したのは76歳の終わりです。そしてさらに市井の中に入ってその中でみんなとゴチャゴチャになって生きて行こうと決心したのは77歳半の時です。

そのたびに技が変わるんですよ。ますます力を使わない、不思議な技がたくさん生まれました。心が変わると技は変わるんです。

もう1度稽古の技の話に戻りましょう。頓悟*(とんご)という言葉がありますが、20代、30代の頃、新体道でスピリチュアルにも肉体的にも高まっていき、本当に心も身体もきれいになってほぐれていき、一瞬にして昇華する、解脱する、そんなふうになれないかなとずっと思っていたんです。何十年も稽古をし続けなくても一瞬でそうなれないかとずっと思っていました。

*頓悟:長期の修行を経ないで、一足とびに悟りを開くこと。仏教用語。

そう思ってやっているうちに『組み手』といって、あるやり方で相手と組んで投げているうちに、相手の身体が凄まじい早さで動き出したのです。そしてその激しい動きが頂点に達した時、いきなり終焉になり、そして解放されきった状態になりました。動きは全てなくなり、ただ恍惚として陶酔しきったような状態になるのです。そんなときにはそっと寝かしてやるんですけど、顔は仏さんのような顔になっています。本当にきれいな顔になります。

あの白黒の動画は砂浜でやっていたでしょう?そこまで行ったら寝かして、次ぎの人も高まりきったら寝かして、とやっていると、次々と砂浜で寝てしまって、気持ちいい、気持ちいいと言っている。みんな自らを束縛していた何かから解放されるんですね。もちろん武道に限らずどんな運動でも激しい練習のあと、大地に大の字になって寝そべれば似たようなことが起きます。

人間は頂点まで行くとパッと解放される瞬間があるんですね。それを何度も何度もやっていると、すぐに頂点に達するようになるんですね。上手い人と組んでやっていると、彼らはわずか20秒か30秒で頂点に行ってしまいますよ。下手な人や心の固い人はいくらやってもなかなかそういう域には達しません。

人間の身体って面白いもので、ランニングハイでも武道でも殴り合いでも、パッと抜けて解放される段階があるんです。それをもっと簡単に誰にでも出来るように体系づけたのが『瞑想組手』なんです。

テンプル――
『わかめ体操』ですか。

青木――
『わかめ体操』と『ひかり体操』です。『わかめ体操』だけよりも相手もこちらへ働きかけて来たほうがいいんですね。来るのが『ひかり体操』、やってもらうのが『わかめ体操』。引きと押しで対極にあるその両方をするのがいい。

私が39歳のとき、『わかめ体操』『ひかり体操』の瞑想組手をやっているとき、イギリス人の女性会員が一瞬で高まって解脱した状態になったんです。技をかけ始めてほんの10秒か20秒で、です。え?っと思っていたら、その次の別のイギリス人女性も一瞬でそうなってしまいました。出来た~っと思ったんです。10年も20年も求めてきたものが出来た~っと思ったんです。でもその瞬間、私は全部が終わってしまった。それまで積み上げてきたものが一挙に壊れていく、崩れて燃え尽きてしまったんですね。39歳になったばかりの頃です。

難攻不落の女性を口説いて口説いて、ようやく相手の女性が受け入れてくれて「あなたと結婚してもいいわ」と言われた瞬間にヘナヘナとなってしまって恋が冷めてしまった感じです(笑)。つまり自分が求めていた頂点に行ったら力が抜けてしまって燃え尽きちゃったんですね。生涯エベレストに登ることだけを考えて生きてきた人が、頂上に登ってしまったようなものです。芥川龍之介も『いも粥』でそんなことを書いています。

今は何でもないようにこうやって話ができますけど、あの頃は辛くて、御用聞きの人が来ても怖くて顔を出せなかった。それくらい心が疲れ切ってしまって・・・。自分でも何が起きたか分からなかったんです。今でいうと重症の燃え尽き症候群ですが、当時はそんな言葉は知られていませんでした。それがもう何年も続き、自信がないし、人にも会えなくて困ってしまいました。

テンプル――
それはすでに新体道の宗家として指導されていた頃のお話ですよね。

青木――
もちろんそうです。それで、弟子達に私はしばらく不在になるからこういう稽古をしていてほしいと稽古の体系を作って、アメリカのサンフランシスコに行ってしまったんです。その時サンフランシスコ支部はもう出来ていましたから、そこの弟子達が私を尊敬して集まってきてくれるんです。でもそういった愛すべき人たちに囲まれているのが辛くて、今度はロスに行くんだけども、ロスの人たちもやはり同じように集まってくる。それも辛くてメキシコに逃げました。

妻には1ヶ月半~3ヶ月くらいで帰国するって言って出て来たのですが、メキシコを歩いてもスペイン語が分からないんで、短期ですがスペイン語学校に入って、少しだけ勉強してグアテマラに行きました。でもその前にメキシコでひどい病気になってしまって体重が12kgも減ってしまいました。ガリガリに痩せて今日死ぬか明日死ぬかと思うんだけどもなかなか死なない。だったら旅をしながら死のうと思って、中米をあてもなく旅しました。

中米で3ヶ月くらいたって帰ろうと思ったときに、ちょうどパナマ運河がパナマに返還されるというニュースが世界中を賑わせていました。そこでパナマ運河を見て帰ろうと思ったのです。パナマに行ってみたら、運河を渡れば南米なんですよ。中米と南米では迫力が全く違いますものねぇ。それで、じゃあ南米に行ってみようと飛行機でコロンビアに飛んだんです。そこでついに大きな旅が始まってしまいました。エクアドル、ペルー、ボリビア、チリ、アルゼンチン・・・。ブラジルには4ヶ月も滞在してしまいました。空手時代からの仲間が沢山いたのでブラジルの人に新体道を教えたりテレビに出たりもしました。そんなことをして過ごしているうちに、じわじわと心と身体が回復して気持ちも休まり、ついに帰国の途につきました。

テンプル――
その中米、南米の旅行中は、新体道の指導をする、ということはあまりなかったんですか?

青木――
ただただ、ブラブラと旅を続けていました。気が弱くなって逃げ回っているわけですから。おかしな話ですが、私は武道というものはあまりいいものではないなと思ったんですよ。引くとみせて押したり、右に行くとみせて左から技をかけたり、スキを突いたり相手をだますことばかりでしょう。ダマし合いの世界、武道ほど嫌らしいものはないですよ(笑)。相手の弱点を見つけてはそこに切り込んでいくし。普通は人の弱点は助けてあげるものでしょう? 武道は人の弱みや隙ばかりを突き、あるいはだまして技をかけるわけですよ。だから私は悪いことばかりしてきたんだなぁと。まぁ冗談ですけど。ただこの時期に、新体道を母体にした大きな棒術体系を創り上げていました。

私はね、自戒をこめて申し上げるのですが、武道人はもっともっと多くの人に尊敬されるようにならないといけないと思うんです。大きなお寺の住職は人から尊敬されていますよね。比叡山の千日回峰行をおさめた方には人は自然と手を合わせますよね。中国だと、各省にプロの書道家による書法家協会があるんですが、そこの会長は人々に手をあわせて拝まれるほど尊敬されていますよ。

でも厳しい修行を積んできたのに武道家が特別に尊敬されるという程のことはない。柔道でオリンピックでメダルをとった人、空手で世界チャンピオンになったような人が道を歩いていて、誰が手をあわせて拝みますか。いないでしょう。何故か。私たち武道家はもうこの辺でそういうことをもっと真剣に考えないといけないと思いますよ。柔道界など昨年から今年にかけては、もう悪いニュースが沢山ありました。本当に残念です。

テンプル――
全部をひっくるめないで、お一人お一人にお会いすれば、皆さん人間的に素晴らしい方々なのではないかと思いますが・・・。

青木――
でも誰かに拝まれるということはないでしょう?だから拝まれるくらいの武道家にならなければいけない、と言っているのです。目標としてね。これは本当に自戒でもありますし、そういう武道を創らなければいけないということでもあります。日本人は創造が下手です。日本の特許の数は世界有数ですし、東京の大田区の町工場の皆さんなど死にものぐるいでやっていて世界的にも有名で素晴らしい創造が生まれていますが、国民の風土としては創造は下手です。

私は世界になかった新体道を開発しました。いまはさらに新体道を母体とした、居合い抜刀剣術である剣武天真流の指導に打ち込んでいます。でも皆さんはそういう創造性よりも、すでに伝わっていることだけをやっている第20代家元、30代家元などというほうを尊重するでしょう? 歌舞伎の役者が来ると喜んでますよね。彼らも伝承を守るために一所懸命やっています。勿論、伝統を守るということにはそれなりの苦労があります。でもそれは歌舞伎に代わる新しいものを創造するのではなく、伝承をやっているんです。新しいものを開発した人は無形文化財にはならないんです。昔からあったものを受け継いだ人が無形文化財になる。

僕は他の柔道や空手、あるいは剣術の人に言いたい。人の流儀がどうのこうの、そんなことばかりやっていてはダメです。もう誰もかれもが、あれはインチキだとか我が流派こそ最高だとか、そんなことばかり言うのはもう止めなさいと。

古いものを尊ぶから能や茶道、歌舞伎にしても何代目などという人をあがめます。大金をはたいて見に行きます。でも私たちのところには誰も大金をはたいては見に来てはくれない。それは日本の文化が新しく創造されたものを受け入れにくいからだと思います。創造より伝承を取るんです。アメリカやヨーロッパに行くと、伝統を尊びつつも新しい文化を歓迎するので、とても大事にされます。

今日の日本は、エレクトロニクスで非常に進んだ発明がおびただしくあり、アニメやファッションなど全く新しい意識の目覚めには素晴らしいものがあります。また女性の台頭は必ずや今までになかった新しい文化を生み出し育んでくれるものと信じています。

ということで、私は39歳、40歳くらいで燃え尽きてしまって、40代はじめに中南米に行き1年間旅をしました。それで心と身体が休まり、帰国後、さらに10年くらい新体道をやったんです。棒術も旅行中に創りあげていましたし。

ところが50歳をすぎてからひどい腰痛が出てしまったんです。武道は型を学ぶ世界、先生の形を真似する世界です。弟子達は私に憧れてきていますから、腰痛の先生がその姿を見せてはいけない。それで51歳の時、あとを二代目にまかせて引退しました。引退後は瞑想をしたり世界の民間治療を研究していたら、あっという間に10年くらい過ぎていきました。

テンプル――
51才で一度、引退されていたんですか。ちょうど今の私の年齢くらいの時です。武道を極めるべくずっと全力疾走されてきた先生が、武道から退かれていた時期があったというのはとても想像できません。

青木――
結局、脊柱が歪んで背中の神経が押しつぶされてしまっていたのが分かったんです。それは66歳のとき、東京女子医大病院で手術して治りました。

60歳になったとき、このままでは仕方がないから、あまり好きでなかったのに書道の世界に入ったんです。書道もいろんな流儀があります。日本の文字はひらがなでもカタカナでも漢字から来ていますから、それならば漢字の源である中国書道をやろうと。そんなことを考えていたら電車の中で中国書法学院というのが開校されるという広告を見つけたので、第一期生として習い始めました。

そこは上海大学の認定校だったので、私は上海大学認定の師範になったんですよ。3年半で卒業しましたが、書論については卒業してから猛勉強しましたよ。中国書法学院は中国人の先生ばかりだったので、書論について先生方が日本語でうまく教えられなかったんですね。だから書道について書かれた本は夢中で読みました。漢字の始まりである3500-3600年前の甲骨文から青銅器文、石鼓文(せっこぶん)、篆書(てんしょ)、隷書(れいしょ)、木竹簡、章草、草書、行書、楷書などの十書体を学び、康有為(こう・ゆうい)らの書論も夢中で学びました。

テンプル――
中国書道を中心に学ばれたんですか?

青木――
そうです。でも日本の先生方からも沢山教えていただきました。そうした方々の書道理論やいろいろ学んだことを元にして天真書法塾を作ったんです。私は美術史をずっと学んできましたので、中国書道、日本書道と世界の美術史をドッキングさせたわけです。また私は武道をずっと教えてきましたので、その教授方法を使って教えています。また現代のラーニングシステムなども研究してフルに活用しています。

私の美術史と中国書道史と自分が新体道を通じて蓄積してきたもの、あるいは精神的にはキリスト教や神道、仏教なども渾然一体として出来たものが天真書法塾の思想なんです。

いま、皆さんにこういう思想で教えると上達速度が恐ろしく速いので本当にびっくりします。中国の国際書院展でもう260以上のグランプリや優秀作品賞をとっています。

これまでの新体道、今の居合い抜刀術である剣武天真流、そして天真書法塾など全てに共通するのは、天真思想と言って、天・地・人々・我一体の思想です。これは全宇宙を満たす生命エネルギーを、我々生きとし生けるもの全ての命の根元と見なして尊ぶこと。それによって造り出された地球・大地・全自然を愛し大切にすること。そこに生きる全ての生命を尊び、隣人を心から愛すること。そして自分はより健康に明るく自由になり、意識を解放し、思い切り人生を謳歌していこうということです。これが一番大切なことです。

テンプル――
そんな素晴らしい思想が書道を学ぶ根底にあるんですね。ときどき新宿西口のプロムナードで天新書法塾の書の展示がなされていますよね。今、開催中のようなので、私もあとで見に行かせていただきます。

青木――
はい、ぜひ行ってみてください。飯田橋の日中友好会館などでも行っています。生徒たちは素晴らしく上達しています。

時間軸をぐっと戻しますが、24歳くらいから5年間くらい、新しい時代の新しい武道を創ろうと目論んで楽天会という集いを創っていたんですね。ところがそこに集って熱心に稽古していた皆さんは私が立派な先生だと思っていたのに目茶苦茶なことをやるんで、愛想を尽かしてほとんどいなくなってしまったんです。私に愛想をつかした理由は皆さんそれぞれあると思います。よく、弟子達が修行を続けきれなかったと言う人もいますが、実はそうではないんです。正しくは時代が変わったのです。新しい文化が生まれ、成長し、爛熟して衰退するように時代が変わったのです。そうした時代が変わると、前の世代の人たちはついてくるのがとても難しく、みんな離れていくものなのです。

例えば光田さんが小学校のとき仲良かった人が中学校になったら離れていく、高校に行ったらまた新しい友人ができる。とても親しかったのに、卒業したら全くつき合いがなくなったりする。仕事でも、とても気が合い一緒に仕事をしていた人とも、その次、その次とつき合う人はどんどん変わっていっているはずなんです。あなたも相手も変わっていくわけですから。

私のところに昔の仲間が全然いないっていうのは間違いです。武道の岡田満先生や書道の新間佳代子先生とはもう50年以上も続いています。外国の会員も考えると、40年以上の稽古歴の人は20~30人はおります。ということは、青木が悪かったから離れたというのは単なる理由で、文化というものは人が交代していくんです。駕籠かきは人力車引きになってないんです。人力車引きの人も自動車のドライバーにはならない。違う人が出てきます。文化や時代が変わるにつれ、人は変わるんです。

人が変わりながら文化も時代も移り変わっていくんです。ということは楽天会の人たちは楽天会時代を終えたんです。29歳のとき普及のため総合武道連盟という名前で事務所を出したんですが、その時、すでに楽天会のかなり多数の人がついてこれなかったんです。荒地をならし、道を造るキャタピラが着いたブルトーザーは、道路が出来たら乗用車にとって代わるのです。舗装道路の上でキャタピラ車が走ったら道路はガタガタに割れてしまうでしょう。改革者たちと維持者たちは性格や役割が違うのです。

テンプル――
楽天会時代の方々は、厳しい稽古についてきた精鋭の方々ばかりだったでしょうに・・・。表の世界では単に名称が変わって事務所が新しくなっただけかもしれませんが、それが新体道変容のキッカケになったのでしょうか。

青木――
文化も時代も変わったんです。青木が厳しすぎる、めちゃくちゃだ、デタラメだ、と言われたこともありますが、実は大してめちゃくちゃではないんですよ。海外に行って各地で女性と浮き名を流したとか子どもが何人もいるといまだに言われることがありますが、まぁ、英雄伝説の1つだと考えて下さい。そこまではやってないですから。

テンプル――
私はこのインタビューをさせていただくにあたり、本を読んだり過去の雑誌を取り寄せていくつもの記事を拝見させていただきました。それらを拝見すると、若い頃の青木先生は、さぞ女性におもてになっただろうことは十分推測できます。今でも素敵ですが、当時の写真を拝見すると青木先生、ひたすらカッコいいです!この写真なんか惚れ惚れします。青木先生は多くの女性を魅了させていらしたんだろうなと思います。だからそんな噂が出てしまうのも仕方ないかもしれませんね。それにその噂の出所には、個人的な嫉妬もだいぶ含まれている気もします。

雑誌『気マガジン1994年10月号』より

それから本や雑誌を拝見していると、皆さん白い袴を履かれていることもあり、原始キリスト教のエッセネ派はこんな感じだったのかなと思ったんですよね。エッセネ派の修行もこんなふうだったのかなと。

青木――
そういえば、アメリカの新体道の会員がどこかで観相してもらったら「あなたがやっているその新体道の創始者はエッセネ派の生まれ変わりだ」と言われたそうです。

テンプル――
そうなんですか。エドガー・ケイシーは、エッセネ派は救世主イエス・キリストという一人の人物をこの地上にもたらすために、何世代にもわたって徹底的に自分たちの魂と肉体を清め、救世主を生むことのできる母親と、救世主となるべき魂を受け入れられる肉体をこの世に準備するために存在した特別な霊的修行グループだったと言っています。だから青木先生がかつてエッセネ派のメンバーだったと伺っても、全く不思議ではないです。というか、そうだろうなと納得できます。

青木――
キリストの弟子達がキリストに「あなたは本当は何者なんですか?」と聞いたらキリストの顔が金色になり、衣装が真っ白に輝いて天に昇って行き、神の隣りに座ったというのがあの稽古着のヒントになっています。武道では宗家だけが白を着ますが、新体道ではみんなが宗家だという発想で全員が金文字入りの白を着ます。ですから白い稽古着の発想は純聖書的なものです。

今の剣武では黒や茶の袴をはかせています。でもいつかみんな稽古着ばかりでなく身も心も真っ白に光ってもらいたいという思いはあります。それが私の願いですから。

エドガー・ケイシーのリーディングのなかでも「あなたはキリストのそばであれをやっていた人ですね、これをやっていた人ですね」と言われた人が何人もいましたよね。実際に過去生で一緒にいた人たちが助けたり助けられたり、詫びを入れたり、そういうことのために現世に生まれ変わって来るということはあると思います。だからその頃の人たちが生まれ変わってエドガー・ケイシーのもとにも集まっていたと思います。

あなたも私も少し前までは見ず知らずの人だったけど、ケイシーがいたら「何百年前のあの時代に一緒にいたじゃないか」って言われるかもしれない。魂は引き合うわけですから。

こういうのはノーベル物理学賞をとった量子物理学のラズロー博士が言っています。量子の世界では全て繋がっている、時間には関係なく繋がっていると。だから今あなたが思ったことは全ての人に繋がり、全ての動物、植物に繋がり、物にも繋がっている。それが人であっても木であっても関係ないんです。何故なら人間も机も何もかも地球のものは全て112の元素のどれかで出来ているからです。だから全部同じ。量子の世界では記憶も愛情も時間を超えて繋がっているから100年前、1000年前、1万年前のものと今のもの、未来のものはみな繋がっている。こんなことをラズロー博士が言っているわけです。今ここで蝶が羽ばたきしたら地球の反対では台風になっているかもしれないと言いますよね。それは量子物理学の世界では当たり前なんです。

だから我々も今生ではこれまで全く知らないでお互い過ごしてきたけれども、いくつかの前世では恋人同士だったかもしれない。敵同士だったかもしれない。何か分からないけど関係があったかもしれない。

テンプル――
たとえ過去生でも青木先生と恋人同士だった人生があったのなら、めちゃくちゃ嬉しいですね。

青木――
こんなことがあったんですよ。テキサスの広々とした閑散とした田舎町の交差点で信号が変わったんで渡っていたんですが、向こうから歩いてきてすれ違った人になにか心惹かれたんですよ。しばらくして振り返ったらその人もこちらを見ている。もう少し歩いてまた振り返ったら、遙か向こうにいるのに、その人もまた振り返ってみている。横断歩道ですれ違ったとき、一瞬、この人は太古の昔、相当親しかった人じゃないかなと思ったんです。すれ違うときにそう感じたんですよね。

東京駅の地下通路で、外人さんの男性が近づいてきたので何となく見てたの。その人が私のそばを歩いていた日本人の女性に何か尋ねたのですが、彼女は英語だから分からないの。その時私はすごいショックを受けました。その外人の男性と日本人の女性が同じ顔をしていたから。外人の男性と日本人の女性が同じ顔! 当人同士はそんなことは全く気づかずでしたが、私はそばで見ていたので分かったんですよね。この人たちは過去生ですごく近い関係でいたけど今生では気がつかないで通り過ぎるんだなと、横で見て感じましたね。

それと海外で全く初めての土地へ行って、近い過去生で非常に親しかったに違いない人に出会うこともあります。向こうもそう思っているのが面白いです。

テンプル――
楽天会時代のお弟子さん、新体道のお弟子さん、いまの天真会のお弟子さんも、青木先生のいくつかの過去生で深いご縁があった魂が引き寄せられて集まってきたのかもしれませんよね。

青木――
そうかもしれませんね。

楽天会が何故できたか。私の師匠は、空手をやっているうちに空手の技はもの凄いと信じていたのに、実はそれほど利かないことに気がついたと何度も聴かせてくれました。そして空手をもっと強力なものにしたいとしきりに言っておりました。

沖縄空手や他の空手の人たちに私は問いたい。綿の入った厚い座布団を3枚ほどをお腹に当てた人を突き倒せますかと。1枚でもいいですよ。倒せなければ空手ではないと私は思うわけです。もちろん素腹に蹴りを入れたら効きますよ。でも突きだと倒せない。鍛えたお腹であれば座布団などなくても倒せないと思います。私の師匠はそんな状況でも相手を倒せる突きが欲しかったのです。私はその考えを受けて研究をし始めたのです。そしてもっと早い突き、もっと効力のある突きを求めた結果が楽天会でやった様々な動きでした。その余波を受けて、それまで見たこともない沢山の付随的な稽古が楽天会では生まれて来たんですね。

そして当時私たちはコミューンのような生き方をしていたんですよ。死んだら大きなお墓を作って皆の骨を混ぜちゃおうと。それくらい仲が良かったんです。食事も一緒で夜は同じ部屋に雑魚寝して・・・。夢が大きかった若い日は素晴らしかったです。本当にいい仲間達でした。

テンプル――
皆さん、青木先生のところから会社に出勤して昼間はそれぞれお仕事をされていたそうですね。そして夜は青木先生の指導のもとで厳しい稽古に励み、明け方少し仮眠をしてまた仕事に行かれるという毎日・・・。

青木――
1日2時間から4時間くらいしか寝られないから眠い思いをして仕事をして。そんなのをずっとやっていたんですよね。そして道場を建てるためにお金を貯めようとみんなが花を売ったりし始めた頃から、みんながバラバラになりだしました。疲れてきていたこともあったと思います。月日も経っていましたし、働いても働いても充分なお金は貯まらないし。

私に事業能力や政治能力がもっとあったら、しっかりした組織を作り上げ、楽天会のみんながそこで生活しながら稽古していけるようにしてやれたでしょう。みんな私と歩むことに挫折し、離れていきました。もう40年も前のことですが、それを思うといまだに辛くて仕方ないのです。唯々許して下さい、ご勘弁下さいと詫びるしかありません。

テンプル――
20代というまだずいぶんお若い頃から宗家として立って、お弟子さんの育成に励んでいらしてたんですよね。20代といえば、まだ青年です。そんな若さで青木先生はたくさんのお弟子さんの人生をすでに背負っていらしたんですね。

青木――
そう言われたらそうですね。25才位から皆我が家に来始めていましたから。とにかく私たちは、気が流れている柔らかくて利く技を夢中で開発していたんですよ。そしてバレーボールのサーブは空手のどんな打ち手よりも強いことに気がついたんです。バレーでバシッとボールを打つときにはボールに全体重がかかります。高速撮影するとあの固いバレーボールが三日月のようになっています。プールで水に飛び込むときの指先にも何百キロもの力がかかっています。でも空手にはそれだけの力は出ません。それを出そうと思って苦闘してきたわけです。

だから空手をやっている方々に、先代がどう言ったとか、我が流派ではどうだとか言わずに、そういう真に効く力が出せるような空手を開発しましょうよ、というのが私の提案です。流儀や組織から自由になって空手を開発する勇気と創造性をもって欲しいです。それこそ亡き師達への一番の恩返しでしょう。もし本当に空手を愛するなら、空手の技そのものをもっと正直に見つめ直さなければいけないと思います。

テンプル――
青木先生は、楽天会の頃は、クリスチャンでいらして絵も描いていらっしゃいましたよね。1つ疑問なのは、人を愛せよ、隣の人を愛せよと説くキリスト教徒であることと、人を倒すことを学ぶ武道とが青木先生のなかで矛盾を生む、ということはなかったんでしょうか?

青木――
それはなかったですね。武道の技はほとんどすべて相手を倒す、殺す、傷つけるなどを目的にしています。でも、今そんなことを考えて稽古している人などいないでしょう? 外国人に率いられているキリスト教のグループのなかには武道を禁止しているところはあります。でも、日本人というのは西洋の人が知ったらビックリするんですが、人殺しの技である武術を通して、宗教的で霊的な高みに向かうことができるんです。

日本では今から500年も前に人殺しの戦術を『道』にまで高めた上泉伊勢守信綱という凄い人が出ています。この人の有名な言葉に『斬らず殺さず勝たず負けず』とか『兵法は時代によりて常に新たなるべし。しからざれば戦場戦士の当用に役立たず』というのがあります。時代を考えたら、本当に意識の開かれた人だったんですね。

奈良時代後期は人が土地を耕して広げていった時代で、全国の土地は朝廷のものだったので、全国民はその土地を借りていたのです。そして税を払っていました。いい土地を所有して一所懸命に働いた人、人を使ったり才覚を発揮してたくさんの農作物の収穫ができた人は土地がどんどん大きくなります。それが荘園になりました。飢饉が来ると人々は荘園に入り込んで農作物を盗もうとします。また朝廷も必要以上に干渉しました。そこで荘園主は用心棒を雇ってその防衛をはかるわけですが、その武装農民の用心棒が武士の始まりでした。また朝廷側も武装農民を雇って荘園を管理しました。そういう用心棒が5人、10人と増えていくと用心棒軍団ができ、荘園主が棟梁という後の小さな土侯となり、小さな藩になっていったのです。平家、源氏もそういうところから派生しました。これは豊臣秀吉の時代まで続きます。

でも、廻りに同じような強い藩ができると争いが起こり始め、いつ殺されるか分からなくなりますよね。そうやって日常的に争いが起こるような時代になると、いつ死んでもいいという覚悟をしなくてはならなくなります。死ぬのが当たり前の時代になると人は死を受け入れる思想を持とうとします。人生は空しい、儚いものだという無常観が出てきます。そういう無常観と仏教が呼応して広まっていったと思うんです。刀で人を切ったり切られたりしているうちに、生死を超えてしまう。武道も究極的に宗教的になるんです。

織田信長が亡くなる前、謡曲敦盛の『思へばこの世は常(永遠)の住み家にあらず。人間(*じんかん、人の世)50年、下天のうちを比ぶれば夢幻の如くなり。ひとたび生を受け、滅せぬ者のあるべきか』と詠って敵陣に飛び込んだと言われています。まぁ、それを見た人はいなかったでしょうし、いても明智光秀軍に殺されてしまったでしょうが、この世の人達は皆死んでいってしまう、死なんか怖れることはない。武道家や侍はそういう無常観を持っていました。

無常観を持って淡々と生きている人間からすると、逆に私利私欲に振り回されている人、生死におびえている人、様々な作為にとらわれている人達の隙がよく見えるんですよ。心や魂のレベルがあがると、それらが低い人の弱点、欠点が見えますよね。そこを切り込んでいくと技が入っていくんです。山本常朝の葉隠に『武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり』とありますが、死を覚悟した人にとって他人のすることは些細なことに見え、何も怖くなくなります。そこから見ると相手が力んだり怖がったりするのが全部丸見えです。それで武道は霊的で宗教的なものになってきたのではないかと思います。また人の命の本当の在り方というのは、やはり『生きている』という一言に尽きるのです。今ここに存在しているということです。『武士道とは死ぬことである』というのは、死ぬことによって生を超越し、存在そのものを純化しているのです。

稽古が進み、更に先に行くとスピリチュアルなレベルによって技が変わってきます。力を入れるのではなく抜いたほうが技が強いとか。でもそういう技は、こちらが落ち着いてリラックスして自然体でいないと出来ないんですね。より宗教的でスピリチュアルな状態になると、より技が使えるようになる。武道をやることで腹を練る、死を超える、相手がよく読める、より自由になり解放される。そうするとさらに技が際立ってくるという図式が成り立って来るのです。

『敦盛』全文
思へばこの世は常の住み家にあらず。
草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし。
きんこくに花を詠じ、栄花は先つて無常の風に誘はるる。
南楼の月を弄ぶ輩も月に先つて有為の雲にかくれり。
人間五十年、下天のうちを比ぶれば夢幻の如くなり。
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか。

テンプル――
でも、バッサリあっさり死ぬのはいいですけど、痛いのは嫌じゃないですか?

青木――
そりゃ、嫌ですよ。死を覚悟しているという名人でも、小指の先をペンチで挟まれたらアイタタと叫びますよ。ヨガをやっているアメリカ人の女性が来て「私は死は何でもない」と言っていたんです。一度押しくらまんじゅうをしてその人が倒れて一番下になったんです。そしたらその人が「ヘルプ、ヘルプ!死ぬ~」と悲鳴を上げわめいていたんです。終わったあとその人が「死ぬと思ってすごく怖かった」と言うので「あなたはいつもヨガやっているから死は何でもないって言っていたじゃない」って聞いたら、「本当に怖かったから死は怖くないなんてもう軽々しく言わない」って言ってましたね。

話を戻すと、武道というのは禅の思想と繋がっているわけです。千利休は大徳寺(禅宗)で長いこと修行していた人ですが、キリスト教的なものも非常に持っていたと言われています。

攻撃の前、人を怖れているときに『自分には愛が足りない、キリスト教的に愛さなければ』と心底そう思って立つと何も怖くないんですよ。攻撃しようとする相手がとてもよく見えて来るのです。

ある大学で空手を教えているとき、一人の女子部員が男子部員との組み手を怖がっていたので、キリストが言っているように己を愛するように相手を愛しなさい、愛してごらん、よく見えるようになるからとアドバイスしたら、本当に組み手が怖くなくなったと喜んでいました。

つまり武道は死を見つめることで、生きる死ぬを超えることができるんですよ。それが日本文化の凄いところですよね。

テンプル――
英語で武道はmartial arts と言いますが、martial (マーシャル)はどういう意味なんですか?

青木――
軍事的な、とか、軍人的なという意味です。つまり武道は軍事的芸術ですよね。

テンプル――
では武道の武はどういう意味なんですか?

青木――
武の『戈』は昔の槍・戈(ほこ)を意味しています。戈とは槍の横にもう1つ刃が飛び出していて、それで敵を刺したり叩いたりして倒したのです。武は『槍を止める、戈を止める』が語源です。戈を止めると拡大解釈すると『敵に憎しみを持たず、自分の心にも憎しみを持たず愛の心を持つ』。そうすると、武道の極意は『戈を止める』ことから自分の内側にある戈の気持ち、敵を倒そうとする気持ち、相手が自分を倒そうとする気持ちを消し去る。愛こそが戈を止めることになるので、植芝盛平先生が『武は愛なり』と言ったわけです。

ただ本来、『武』は敵の攻撃を止めて反撃する、そういう字です。

テンプル――
そして新体道は『武』でありながら、同時に自己解放をも目指している・・・。

青木――
そういう新しいものが見えてきたんです。50年前には『力みを抜いて気をひらき自然と溶け合う、思いっきり解放して自由にやる』なんて言った人はほとんどいませんよ。当時、私はずいぶん人に笑われたり、馬鹿にされたりしてきましたが、今は誰でも言っていますよね。

日本で武道や闘技のビデオを作っている大変有名な会社の社長が「40年前、青木先生は変わったことを言う人だなぁと思っていました。そんなこと言うのは青木先生以外誰もいなかった。でも今は誰もが言っていますね」と笑ってました。私の考えが日本の武道に少しは浸透したんでしょう。今、使っている人も、よもや私が言い出した言葉だとは思ってないと思います。『気(脳波)を読む』とか『遠当て』もそうです。それでいいと思います。

テンプル――
自己解放するとか、個性を解放する、というのも新体道の目的にありますが、自己解放された状態、個性が解放された状態というのはどういう状態なんですか? エドガー・ケイシーだと神の御前に自己を放棄する、自己を明け渡す(Lose self in HIM)と言っています。in HIMということが重要なのですが、そのようなイメージですか?

青木――
それと全く同じことですよ。キリスト教的だと100%神を受け入れてしまう。禅だとこだわりを一切捨てる。放てば満ちるといいますが、俺が俺がとか、これこそが大事という思いやこだわりを全部捨てると宇宙のバイブレーションとか大自然の命の力というものが自動的に入ってくる。

神とは何だと考えたときに、全天地に満ちている宇宙の生命エネルギー。それしか無いと思うんです。それを操るもの、操るエネルギーが神。それには意志もあるし、方向性もありますが、先述のラズロー博士が言ったように量子物理学ではそれが立証されているわけですから。

雑誌『気マガジン1994年10月号』より

人類の歴史の中では人類を守るために、時々とんでもない人が出てくるわけです。その典型がエドガー・ケイシーですよね。普段はケイシーも普通の人だったと思います。ケイシーの顔をみたら分かりますよ。全天下に神の力を示したり、勇気凛々の豪傑ではないですよね。善良な一(いち)キリスト教徒の顔をしています。それがいったん自分のチャンネルを切り替え、アンテナを霊的な世界に向けた瞬間、神の声を聴き、宇宙の電波を受け取ることができたわけですよね。そういうものを持っていた人でしたよね。彼が凄いのではなく、彼の中に入った神の霊、大宇宙の波長がすごいのです。

テンプル――
青木先生とケイシーとの出逢いは、クリスチャンだった頃ですか?たま出版の瓜谷元社長と親しかった頃ですか? 

青木――
30代の終わり頃、私はバグワン・シュリ・ラジニーシを読んで、自分と近い人だなと思っていました。その頃の私はまるっきりキリスト教の人間で、キリスト教以外は認めないというようなところがあったので、瓜谷社長と親しくなったあとにケイシーに触れたのだったら40代かもしれませんね。ジナ・サーミナラさんが詳しくお書きになられていますが、私はその前の『奇蹟の人 エドガー・ケイシーの生涯』を読んですごい人がいるもんだと思ってました。

精神的におかしくなった人の原因が親知らずの歯が神経を圧迫していただけだというので歯を抜いたら良くなったとか、生のアーモンドを毎日数粒食べるとか、ウサギの生皮を剥いで腹部に当てるとかすると免疫力が上がるとか、へぇと思っていました。ケイシーは存命中、識者に嘲笑されたそうですが、現代医学では正しいものとされていますものね。

ああいう人は人類を救うために何百年かに1人、ポコンぽこんと出てくるんじゃないですかね。

テンプル――
そうはいっても青木先生も不思議体験は山のようにお持ちで、例えば現実には2度しか会ってない武道の師匠から、夢の中で何度もご指導を受けられたとか、目の前で小人(こびと)が武道をし始めたのでそれをメモして新しい武道の型を作られたとか・・・。

青木――
それは小人ではなく、何となくボーっとしていると、いきなり向こうから人が棒を持って攻撃して来る幻想が起きたんです。そして「あっ!」と思った瞬間、自分の中からも一人飛び出したんです。そして見たこともない技でその相手を投げ飛ばし始めた…。

テンプル――
それは現実世界ではなく幻想世界の人ですよね…?

青木――
幻想です。でもその幻想が見える。世界の大抵の棒の投げ技を知っている私でも見たことがない技ばかりでした。何本か見ているうちに『こりゃ記録しなくっちゃ』と。何週間かかけて75種類の棒の投げ技をイラストで描きました。それを皆に教えだしたんですが、25本は難しすぎたので、50本を新体道棒術の中に制定したんです。今、みんなやってますよ。あれは私の創造ではなく、霊的に見せていただいた技です。だから厳密に言えば、私は創始者ではなく、神業というか、何か偉大なる者に見せていただいた技の紹介者です。ただ説明するのが面倒なので創始者ということにしていますが、本心では創始したとは考えていません。

テンプル――
青木先生だったら理解できるだろうと、神様が宇宙から技を降ろして下さったんですかね。夢で教えられた技の話も不思議です。

青木――
井上方軒先生の話ですね。井上先生は私の師匠の師匠ですが、教わったことは無いんです。生涯に直に井上先生にお会いしたのは2回だけ。1回目は25歳頃のことで、原宿駅のそばに大きな道場があって、そこで先生が稽古されていたのを拝見しました。

先生が道場を斜めに横切っただけで飛びかかる人がバタバタと倒れていく。魔法に見えました。スゲー、この人は何なんだと思ってビックリしました。触れたか触れないかで人が倒れていくわけですから。私の先輩に「あの人は凄いですね、神業ですね」と言ったら彼に「そんなことはないですよ、青木先生の後輩や会員が青木先生を見たらやはり神業に見えますよ。レベルの問題でもう少し慣れてみたら、いろんな技をかけているのが見えるようになります」と言われたんです。

それから何年も一所懸命稽古をして来ましたから、井上先生が触れたか触れないかでみんなが吹っ飛んでいったように見えたものが少しずつ何をしておられるのかが分かるようになりました。

でも井上方軒先生は、私が孫弟子だからということではなく、大名人ですよ。彼の叔父にあたる植芝盛平も大名人ですよね。我々から見たら井上方軒先生と植芝盛平先生がやっていることはほとんど同じです。でもご本人たちからすると全然違うと。それはしょうがないですよね、本人たちはその違いが分かるんですから。そっくりな形をしているけれども思想的には違うと言えるかもしれません。いずれにしても武道の中では、井上先生と植芝先生は同じ合気柔術の系統に入ります。

哲学に喩えるなら、100人の哲学者はまとめて全部哲学ですが、1人1人をみると全く違う哲学を持っていると言えますよね。音楽家も画家でもそうですね。だからお二人は同じとも言えるし違うとも言えます。絵画という造形芸術の中の古典派とか印象派などという位の違いでしょう。ですから、一般人には全く同じに見える程非常に近いことは確かです。体技の中の武術部門であり、武術部門の中の素手格闘技、素手体術であり、お二人ともその中の合気柔術なのですから。

現在私は居合い抜刀術(剣武天真流)で刀ばかり振り回しています。刀は本当にいろいろなことを教えてくれるからです。でも基本的な動きは新体道も合気術も棒術も今の剣術もみんな全く同じなのです。

テンプル――
その井上先生は青木先生の夢にしばしば登場されて、技をご指導下さったと。

青木――
瞑想していると、時々あらわれて『それでいい』とか『こうすればいい』と教えてくれました。その時私は江上茂先生に師事していました。江上先生には毎日指導を受けていたんです。ところが瞑想をしていると井上先生が出ていらっしゃいました。

私の家のすぐ近くに起伏が豊かな野毛山公園という公園があって、私は真夜中一人木立の中に立って、木刀を正眼につけていました。つまりまっすぐ前に構えるんですね。剣先を目の高さにして遙かかなたの、例えば1キロ2キロ先の街灯を目標にして1時間くらい微動だにしないで立つわけです。そういうことをやっていたあるとき、井上先生に教えてもらいたいと(幻想のなかで)一度井上先生を呼び出したことがあるんです。そしたら井上先生が現れてくれたんです。それでいろいろ指導を受けているうちに、おまえにはもっといい師匠がいるから紹介してやると。そして、なんのことはないパッと江上先生が出てきたんです。つまり今の江上先生について一所懸命やっていけばいいんだよと知らされました。自分はこのまま、ますます追求していけばいいことが分かったんです。

テンプル――
最近の話ですが、こんなことがありました。

去年(2013年)の2月、私は無の世界から抜け出しました。私の師匠は100%江上先生でまさに仰げば尊し我が師の恩です。江上先生への私の思いは親父を慕うごとくで、師匠を心底愛していましたし今でも尊敬しています。江上先生も私のことをもの凄く可愛がってくれて大事にしてくれました。本当に慈父そのものという関係です。今でも私の心は変わりません。今日、武道家として何とかやってこられた基盤は全て江上先生です。ただ心酔はしていませんでした。そこをどうか誤解しないで頂きたい。何故か。私は当時キリスト者であり哲学や西洋文学を一所懸命勉強してきましたから、心酔するということはありませんでした。彼も一人の父親であり一人の弱い人間だったからです。

雑誌『秘伝1993年11月号』より

私は江上先生の門弟というより、他所から来て一宿一飯の仁義で草鞋を預けた、他所の流儀の人間が来て先生に習った、そんな関係です。でも全力で師事していましたよ。それを江上先生は評価して下さっていました。江上先生のお弟子さんたちは私が江上先生を裏切ったと言いますが、そういう意味では最初から裏切っています。江上先生も「おまえは俺の弟子ではない。おまえは他所から来て学んでまた出て行く人間だ」と、そう言っていました。もう1つ「もし将来自分の名前が残るとしたら、それはおまえのおかげで残るだろう」と何度も言われていました。

江上先生のどこが凄いかというと、私に対して自分の弱みを平気でさらせた先生だったからです。嘆いたりしょぼくれたりを丸々見せることが出来る先生でした。その凄さですね。

私は高校を出てから文学が好きで、西洋文学を散々読んできたし哲学もやってきましたから、誰に会っても崇拝はしません。人間というものを。トルストイ、ドストエフスキー、シェークスピア、ディケンズ、ロマン・ロランなど色々読んできたから、偉そうなことを言う人がいても心が簡単に読めてしまいます。先生が言うことでも何でも。哲学も学んできましたから先生の思想はこれに近いなとか、その思想を理解するのに苦労はありませんでした。ですから私は江上崇拝者ではありません。そうではなくて江上先生は技を一所懸命追求していく慈父だったのです。自分の父親を尊敬していても、その父親が世界一賢くて能力があるとは誰も思いませんよね。そんな慈父でした。だから江上先生に対する尊敬は今でも変わらないです。組織とは一切関係なく私の道の師匠ですから。

ちょっと面白い話をしましょう。私は稽古を通し、自分の人格が変わるほどの大きな転換や発見をすると、必ず江上先生のお墓参りに行きます。先生はウイスキーが好きだったんですが、当時は貧乏で安いサントリーの角瓶しか飲めませんでした。瓶が空になってもいつまでも振ってるくらい好きでした。今の剣武天真流を始めたときにもお墓へご挨拶に行きましたし、4~5年前、大きな悟りがあったときにもブランデー持参で行きました。

45年ぶりに十牛図の返本還源(へんぽんげんげん)というか、無の世界から抜け出したときもまず師匠に挨拶をしに鎌倉山に行きました。フランスのブランデーXOを1本まるまる墓石にかけてお詣りしたんです。そしたら墓石からブワーっと煙が立ったんです。最初は冬の日射しを受けて石が暖まっていたからブランデーが蒸発したんだと思ったんですが、石碑の真ん中から左手にかけて煙が出てきたので見てました。そしたらその煙の中から人が出てきたんです。『あ、先生の霊が出てきた!』と思って見てたらそれは先生ではないんです。私自身だったんです。私が出てきたんですよ。

そしたら右上に先生のニコニコした顔が浮かんできて『青木よ、今までおまえは俺をとても大事にしてくれた。時々陰で悪口も言ってたけどな』なんて笑って言っているわけです。『おまえは俺から教わったと思っているけど、それは俺じゃないんだよ。おまえ自身なんだよ。おまえは自分に習っていたんだ・・・』 そんなことを言ったんですね。

えー!っと思っていたら『おまえはずっと江上や井上に習ってきたと思ってきたけど、そうではない、おまえは自分に習っていたんだ。悪態をつくってこともおまえは自分に悪態ついてる。それだけ自分が悪いってことだよ』ゲラゲラ笑いながらスーっと消えていったんです。

感激しましたねぇ。本当にカッコいい先生だなと思いましたよ。本当に凄い。この師匠は一生超えられない、素晴らしい先生だったんだなぁと思いました。

*返本還源(へんぽんげんげん):十牛図の9番目。原初の自然の美しさがあらわれてくること。悟りとはこのような自然の中にあることを表す。

テンプル――
江上先生は今でも青木先生をずっと見守って下さっているんですね。そして同じように、青木先生もお弟子さんの夢の中や瞑想の中に顕れてひそかに指導されているかもしれませんよ。

青木――
それはあるでしょうね。みんな時々うなされていたりして・・・(笑)。

武道で大切なことはいくつもありますが、本当に死にきって生きられる。生きる死ぬを超越して、いつでも人のために愛を持って死にきれること。身体が自然になっていること。人間は生まれたときは100%自然なのに、身体は自然でありながらも意識が身体を不自然にしてしまっているんです。それをほぐしていかなければいけません。20年、30年あるいは50年かけて不自然な身体にしてしまったものをもう1回自然と融和させるようにしなければいけません。100%自然と融和しない部分を私は『力み』と言っているんですよ。『力み』はエゴなんです。

クリスチャンがキリストを受け入れるとき、身体のアチコチに罪があると100%キリストが入ってこない。ドミニコ派のエックハルトが言っています。バケツの中に水を入れるとき石ころが入っていたら水は100%は入らない。心の中に罪どころか信仰や愛、献身、祈り、服従という石ころすら入れてはいけない、無になりなさい。愛もいらない。そうすれば100%神の霊が注ぎ込まれてくると。本当に凄いことを言った人ですねぇ。これはとっても大切なことだと思います。

そういう学びが武道の学び、新体道の学び、剣武の学びです。昔は『新体道』という名前でやっていましたが、今は天真会の武道として『天真体道』とか『剣武天真流』とか言う名前も使っております。名前などは現代に生まれこれを愛してくれる人々を支え、力づけ、喜ばせるというその使命を終えたら消えていって良いのです。今はそういうことで『天真体道』『剣武天真流』を使っていますが、名前に関してはあまりこだわっていません。キリストも自分の教えをキリスト教だと言わなかったですし、釈迦も自分の教えを仏教だとは言っていませんよね。だから名前はどうだっていいんです。青木の体技でいいでしょう。

テンプル――
少し話を戻して、さきほど話された『無』について、もう少しお聞きしたいのですが、無の中にいる、というのはどういう感覚なんでしょうか? 美しい景色を見ても感動がない、美しい絵画をみても何も心が動かない。何か自分の感情が平坦になっているような、そんな感覚ですか?

青木――
違います。意識の中で一切の存在が無くなり、無限の深淵が広がる感じです。一切のものに対しての価値が失われてしまうような・・・。大いなる闇の真空の宙間に一人残されているというか。一方、それはまた恐るべき解放でもあるのです。

テンプル――
その間も、お弟子さんたちに新体道の稽古をし、人と会い、話をし、講演も行い、旅行もしていたわけですよね。

青木――
そういう意味では普通に生活はしていました。

テンプル――
私は朝、目が醒めたら『あ~今日も目が醒めてしまった。今日も生きてしまっている』と、生きていることが悲しくて仕方がなかった時期が何度かあるんですが、そういう感覚でもなく。

青木――
全ては普通です。何も変わりません。でも完全に自分が真空というか、何もない無の世界に生きている感覚です。愛とか信仰とか生きるとか誠実である、ということにもね。いろいろありますよね。その頂点に神があるとしますよね。そうすると神は光だと言いますよね。数千年の歴史を持つユダヤ教のカバラによると、光とは何かというと『有』なんです。有とは何かというと、有と無は一体ですから無を背景にした有なんです。そして無の背景には『絶対無』があるんです。絶対無の背景には何もありません、絶対無ですから。ここまで来てしまうわけです。

絶対無のところに来てしまっていても、全てはあります。これもある、あれもある、あなたもいる・・・。あるけれども無なんです。そこに行かないと分かりにくいかもしれませんが。

テンプル――
その渦中にいても無にいるという自覚はやはりあるんですか。そこを抜けて初めて『あれは無だった』ことが分かったのではなく。

青木――
無に入ったときにはもちろん分かりました。『あ、すごい状況に入ってしまったな』と分かりました。それと実は『無に入った』というより広大無限の『無の世界に出た』といった方が近いでしょう。

テンプル――
私はある日世界がグレーに見えてしまって、しばらくしたら少しずつ少しずつ色が出てきた、という感覚があったことがあるんですが、そういったことでもないんですよね。

青木――
それに近いかもしれませんね。一言で言ったら宇宙的な永遠の虚無の深淵ですよ。そこに一人漂っているというか。イメージとしては、うす暗い荒野の中を一人トボトボと歩いているような、45年間いつも荒野が見えていた・・・。

テンプル――
そのとき神はいなかったんですか?

青木――
それまでの愛と光に輝いていたキリスト教世界が完全に消えてしまいました。神も何もない状態ですから。私一人永遠の虚無、絶対無の宇宙に取り残されてしまったのです。

テンプル――
そうはいっても日々喜びはありますよね、稽古の時には光も見えますよね。達成感もあるでしょうし。小さな光や喜びはあるけれど、大きな意味では闇のなか、無のなかだったんですか?

青木――
そうです。無相の世界です。これは価値観とか世界観とかいうようなものです。

テンプル――
それを抜けた瞬間というのは、何か出来事があったんですか?

青木――
ありました、ありました。大きな出来事が。でもこれを言うとまたさらに記事が大幅に増えますよ(笑)。

去年(2013年)の2月に群馬県の万座高原の温泉に行っていたんです。高い山の温泉宿にいて、下のほうに万座温泉の源泉があり、そのあたりに真っ白に雪をかぶった5メートル、10メートルの丘が沢山あるんです。私は100メートルくらい上の方からそれらを見下ろしていたんです。

俺は雪のヒマラヤを突き抜けて向こうに行くとか、氷のアンデスの向こうに行って新しい世界を切り拓こうとさんざんやってきた。でも実際は、わずか5メートル、10メートルの凸凹の上に、ほんの2メートルの雪が積もっていただけで歩いて越えることもできない。人間って弱いなと。これからは高いヒマラヤ山脈やアンデス山脈を突き抜けて行こうなんてことではなく、2、3メートルの雪をかぶった、わずか5メートル、10メートルほどの高さの丘でもなんとか頑張って越えて行こう。そんなふうに思いながら雪を見ていたら、何かがふわ~っと変わってきたわけ。ただそれだけなんです。ただ、ふわーっと変わってしまいました。

テンプル――
目の前の霧がさーと晴れてきたという感じですか?

青木――
無だから霧もないんです。その何もないところにいたのに、気がつくと突然満開の桜・桃・梅のような花の中に自分が入っていたんです。頭の上も前後左右も唯ただ黄色の花で埋め尽くされていました。ピンクや赤はありませんでした。これは凄いな~と。花の香りも良くて、そのうち身体からもいい香りがしてきました。

テンプル――
極楽浄土の世界ですね。

青木――
もう極楽浄土そのものでしたねぇ。その爛漫の花と素晴らしい芳香は何ヶ月も続きましたよ。今はとくに香りはしないけど無くなってもいません。今もその世界にいます。無の世界こそ稽古道を学ぶ者全ての帰結する所だと思っていたので、一体何が起きてしまったんだろうと思いました。こんなこと聞いたこともない・・・と。それが十牛図に書いてあったんですよね。普通、悟り、無の世界を最後にするでしょうが、千年前の廓庵という禅僧は知っていたんですね、その次があることを。すごい人がいたもんだと思いました。

それからの私は無ではなく、花の世界にいる人になって、出家するのではなくて、全てこういうものを背負って民衆の中に入って行こうと決めたのです。

雑誌『秘伝1999年12月号』より

私は昔は雑誌に出たりテレビにでたり、さんざんやってきました。それを全部止めて、民衆のなか、サラリーマンや普通のおばちゃんと共に生きようと決めていたんですが、それが20年ぶりで一気に拍車がかかったという感じです。それまで一番それをやっていなかったから・・・。

テンプル――
青木メソッドがそうですよね。私は以前のことは存じ上げませんが、昔から新体道をやっていた方にお聞きすると、青木先生から直接指導を受けることが出来るなんて、凄いことなんですよと。

青木――
青木が凄いなんてことはないです。人間はみんな平等なんです。そこでみんなが一緒に瞑想をしています。そこで誰とでも会えるし・・・。大手のマスコミに対してでも、町内会の御老人達やおばちゃん達に対しても全く平等です。それははっきり自分でもそう思うし、そういう生き方をしています。それには迷いはありません。

今はどうなのかと最終的な結論をいうと、自分でも処理できないくらい自分の中がどんどん進み続けているんです。どんどん切り替わって、次々と発見があり、いまだに進み続けているということです。

江上先生、井上先生、そしてエドガー・ケイシーもそうですが、自分が持っていないものを持っている先生には頭をひれ伏して習わないといけないのです。水は低い方に流れます。情報も頭の低い方、心を開いた方に流れていきます。だから頭を低くしてよろしくお願いしますと言わなければ、先生方の価値は分かりません。組織なども全く関係ありません。その組織にいるから大きな思想を得られるなんてことは絶対にありません。

先人たちは死にものぐるい以上の稽古をし、信じられないような霊感を受けて歩んできたわけですから、道を学ぶ人は本当に謙虚になって教えていただき、そしてまた最敬礼してありがとうございますと言わなければ分からないと思います。そうすれば理解を超えたものが全部自分の方に流れ込んできます。ましてや自分は何もできないのに他流を批判したり名人の悪口を言ったりしていてはもう一生ダメです。青木のグループにいるから大丈夫だとかダメだとか、そんなことも全く関係ないです。全ては自分1人の問題です。

テンプル――
青木先生がどんどん進化されているように、お弟子さんたちも皆さんそれぞれの歩みをされ、進化されてきていらっしゃると思いますが、やはり自分を超えられた感じはないですか?

青木――
I hope so, and it is their problem. 彼らの学びは彼らが考えるべきことです。期待していますがアテにはしていません。でもすごく伸びていますよ。書道でいうと、10人師範がいるんですが、そのうち5人は自分の教室を始めています。その5人の成長はすごいです。剣武天真流でも本部正師範以下目覚ましく進んでいる人たちがいます。

でも私を追い越せる人は絶対にでない。私が最高で絶対に越えられない。 そしてそのように1人1人がそれぞれ独自であり最高なのです。全ての人が最高のONLY ONEなのです。

皆さんが知っておかなければいけないのは、1人1人が自分で大きくなるんです。木に喩えると私は巨木で弟子達は周りの木々みたいに見えるかもしれないけれど、みんな自分で大きくなればいいんです。自分が成長するために100%私を見習い私の真似をしてやっていくと、いつか自分が大きくなっているんです。そしてある日青木を超えているのに気がつくのです。書道の学習法にたとえると、純粋な自分が出てくるための私は臨書*のお手本みたいなものです。それは追い越さなくてもいいんです。一所懸命やっていれば必ず新しい自分がそこから自然に生まれてきますから。

*臨書:書道で手本を傍らに置き,見ながらその字形や筆使い,字配りや全体の気分をまねて練習すること

誰も私を100%学び取ることはできないし、そうする必要もありません。でも100%学ぼうとしないといけないんです、師匠について。徹底的に学んでいくと、いつの間にか新しい自分が生まれてきているんです。稽古とはそういうものなんです。

私はこれは書道の臨書学習から学びとったのです。日中の昔の大名人50人の字を手本にして臨書して臨書して、臨書しまくるのです。もうコピー機でコピーしたくらいにそっくりに書けるようになるまで何年も何年も臨書学習をするのです。するとある日、そこから全く新しい自分の文字が生まれていることに気がつきます。

誰も青木宏之という木にはなれないけれど、自分自身が大きな木になって栄えてくれれば周りにきれいな緑や美味しい実を提供できるようになります。それでいいと思います。だから自分という木を大きく花開かせるためには、先生に育ち方を習って花を咲かせ、全てを見習っていかなければいけません。師匠というのは弟子に自分と同じになれなんて思ってないですよ、なれませんし。クローンみたいにそっくりなのが育ったら気持ち悪いよねぇ。花壇に咲く沢山の花のようにいろいろな種類の花が咲き誇っているからいいのです。

私が持っているたくさんの技は同じものとしては伝わらないでしょう。でも皆がそれらを自分のものとしようと学んで追求することによって様々な自分流のものがつかめていけるのです。

このインタビューも文章になることによって、あなたのネットワークを通してどこかにいる人の心に入っていき、その人の人生のプラスになっていけばいいなと思います。それがエドガー・ケイシーや江上先生、井上先生への恩返しにもなると思います。

テンプル――
とはいえ、身体のことは文章で読んでも伝わらないところはありますよね。やはり自分で体感しないとわかり得ないことも多いですし。

青木――
全くその通りです。身体のことで何かを体得していきたい人に、いくつかアドバイスがあります。

まず身体をグニャグニャにする練習をする。グニャグニャにして動き続けること。次はリズミカルに大きく動き続けること。ジャンプでもランニングでもいいので、長時間20分でも30分でもリズミカルに動くこと。揺らすだけでもジャンプだけでもいいです。3分ごとのインターバルの駆け足、速歩、駆け足、速歩と4~50分繰り返すのもとてもよいです。そしていつも頭の中に方向を持つこと。マラソンの場合にはゴールですが、無限の彼方をいつも見ながら行う。マラソンは足元を見ながら走りますが、頭の中には当然いつもゴールがあります。何百キロから、何万キロ先を頭の中で想像して見ること。方向性を持つことで身体がそちらに向かいます。

身体をほぐして柔らかくすること、リズミカルに動くこと、方向性を持つこと。この3つがとても大事です。そしてとにかく力まないこと。決して下腹に力など入れないことです。そして否定的な考え方は絶対に持たないことです。もう唯自分を信じて前向きに生きるのみです。

テンプル――
私に青木メソッドを紹介してくれたSさんが合宿のときの体験をシェアしてくれました。その合宿で、皆さんが浜辺をウサギ跳びで灯台に向かうことになったとき、自分はウサギ跳びができなかったので、膝行*で行ったと。膝行で行ったので、人よりもずいぶん遅れて浜辺を進んでいたら、あるときから神の祝福のようなものを感じて、その喜びで号泣しながらゴールに行った。そんなエピソードでした。

*膝行:膝を地面に着いた状態の跪坐(きざ)という体勢から動くこと

青木――
それは開脚前進という跳び方です。うさぎ跳びだと膝への負担が大きすぎ膝を痛めてしまいます。それで膝を痛めない跳び方を開発したのです。その跳び方を砂浜でやったのです。

先に着いた人でも泣きながらやっていた人はたくさんいますよ。顔を輝かせながら開脚前進をしています。50数才の朝日新聞の大記者が3キロだったかな、その跳び方でやり抜くと言ってたので、みんなで迎えたんですが、跳んだ方も迎えた方も感動して泣いてましたよね。

人間というのは苦しいときでも頑張ってやり抜く、リズミカルにやることでパーっと解放されるんですよ。それを人はあまりにも知らない。知っていてもやらないのです。

テンプル――
雑誌の対談で青木先生は、瞑想するより身体を動かしていたほうが覚醒が早いとおっしゃっていたんですが、何時間も座り続けているより、身体を動かすほうがいいってことなのでしょうか?

青木――
それは断言できません。ただ瞑想は自己満足で終わってしまうことがすごく多いんです。目を瞑っていると方向がありませんが、運動の場合は競争したり何キロ走るといった目標があります。あの灯台までジャンプして行こうという心に目標ができるから内向しないんですよね。内向しないから外部のエネルギーとの交流がおきて天地の真理とでも言うようなものを受け入れることができるわけです。私は長いこと、瞑想教室も開いていますが、初めに少し体をほぐし、そして動かし、それから静かに瞑想に入ります。今はみんなほんの数秒でものすごく深い境地に入ってしまいます。

最後に一言つけ加えますと、一人で励んでおられる方は、稽古環境、部屋、道具、道について話せる友人などを心から大切にしないとダメです。剣術なら刀、稽古衣、道場など、書道なら筆、墨、硯、紙、水です。そして稽古の始めと終わりにきちんと礼をし、身の回りを清浄化、荘厳化するのです。そうすると、環境や道具がいろいろ教えてくれるようになります。是非やって下さい。

また心が変わり、考えが変わると、武道の技でも書道の技でもガラッと変わってしまいます。いつも正しく誠実に生きていこうと出来る限り清らかに生きていこうと願っている人は刀を振っても筆を持っても清々しい技が出来るものです。

日本の平安時代頃ですが、中国に柳公権(りゅう・こうけん)という人がいました。彼は書の大名人でとても性格の悪い穆宗(ぼくそう)という王様に書を教えていました。ある時、王がもっと書がうまくなるにはどうしたらいいかと尋ねられました。その時彼は一言「心正しければ、筆正し」と教えたのです。私達はパーフェクトであることなど出来ません。しかし、そうであろうと目指すことは出来ます。私だってさんざん偉そうなことを言っていますが、全然大したことはないんですよ。

でも、みんなが一所懸命、より理想的なところを目指して励むことにより、みんな美しい技が使えるようになります。それを信じ、理想を持ち、自信をもって進んでほしいと思います。

今日は時間が無くなってしまいましたので、次回第2弾として、さらに深く掘り下げていきましょう。

テンプル――
今日は長時間にわたり、大切なお話をたくさんしていただき、ありがとうございました。次回は先生のなかのケイシー話をゆっくり聞かせて下さい。

今日は貴重なお話を聞かせていただきまして、本当にありがとうございました。2012年
インタビュー、構成:光田菜央子

●青木 宏之先生の主な著書
「からだは宇宙 のメッセージ」(地湧社)、「新・からだ主義宣言」(ビジネス社)、
「新体道」(春秋社)、「自然なからだ 自由なこころ」(春秋社)、
「運をつかむ瞑 想法」(青春出版社)他

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