全然退屈なんかじゃない

人は本当に、自分のしでかしたことなど何一つ忘れて進んでいく。他人を傷つけたこと、自分の口から出た言葉、すべてを忘れて進んでゆくだけ。

先週は東京出張だった。6月頭ぶりの東京。ただただ暑くて人が多かった。
キャリーとリュックひとつで行ったはずなのに、紙袋大1と中2を増やして帰ってきた。重。
平日はずっと仕事で、金曜に帰ってくることもできたけど土曜日は久々に東京で遊んでから帰ろうと思って、それで滞在を1日伸ばしたのだった。
土曜日は久々にひとりで展示を観に行ったのだけど、気持ちの洗われるような感覚がして、作品と概念と未知の何かと自分がただそこで向き合っていて、本当によかった。ひとりで展示を観に行くことが好きだ。ひとりが、好き。
何かを共有できることも得難いことであるけれど、ひとりでただ感じて考えることも心から好き。

昨日はNさんと祖母宅へ行った。
3月から彼の運転する車に乗せてもらっていて、だんだん「ああ、今日は調子がいい日だな」とか「今日はあんまりノレてないな」というのがわかるようになってきた。わかる気になっているだけかもしれない。
手土産はフルーツタルトといちじく。おばあちゃんはいちじくが好きであけびと塩辛も好きで、わたしも同じものが好き。
わたしとNさんとおばあちゃんと従姉妹の4人でよく冷えた桃をひとりひとつ食べて、ああ、贅沢だなあと感じた。

お風呂上がりのNさんの背中を眺めていたら、ふいに動物みたいだなと思った。前屈みになって骨の形がよくわかって、動物みたいだった。わたしも動物。動物になりたい。そうしたら誰かを傷つけたこと、誰かに傷つけられたこと、些細なことで心がひりつくこと、全部忘れてただ生きることに貪欲になれるかもしれないのに。動物の中に人間があるのか、動物と人間は違うのか、野生動物にはなれないのか。図太さが欲しい。もっと他人のことなど気にせず失礼に、自分本位に生きていきたい。そうしたら忘れる忘れない以前に自分が誰かに何かしたことなど気にも留めずに生きていける。でも他人に親切なふりをして満足して生きてる自分もいる。もっと優しくなりたい。十二分に子どもらしくてわがままだと思う。この歳になって。

今日からまたしばらく家から出ない日々が始まる。
でもわたしは好きな時に家を出てどこにだって行けるし、何にも縛られてなどいない。
そういえば金曜の夜、久々に母のような友人のような知人と会えた。心配されているんじゃなくて気にかけてもらっている。そのことをわたしは理解していて、それがたまらなくうれしかった。
ただ酒を飲んでいて知り合った人が、自分の人生においてたまらなく愛おしくて大切な人間として存在してくれることが本当にうれしい。
いずれ遠くないうちに家族が全員死んで自分ひとりきりになってしまって、耐え難くさみしくなったら大好きな人たちのことを思い出してみようと思う。それだけ。

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