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テンペ職人自己紹介 | はじめてのnote

東京でテンペという発酵食品を作っています。
最初の投稿なので、自己紹介など。

テンペとは

インドネシア発祥のテンペは、その栄養価の高さに加え美味しさや料理のしやすさ、メニューの幅の広さも相まって、今や世界中で愛される発酵食品です。
しかし日本ではまだまだ認知度の低い食べ物です。

腸内環境の大切さを学ぶ人生

(少し長くなります)

私は内科医の父のもとに生まれ、幼少時より抗生物質が常備されている環境で育ちました。
当然ですが、少し体調を崩すとすぐに薬を飲みました。

小学生の頃アトピーを発症し、中学生で一旦治りましたが、大人になってから度々再発を。
また、10代までの私は毎年すぐ風邪をひき、その度に必ず重度の鼻炎を発症。冬は本当に辛い季節でした。

また、医者の不養生とはよく言ったもので、父は57才になった直後に早逝しました。

二男は、複数の食物アレルギーをもって生まれたため、母乳からアレルゲンを排除するため私自身も食べるものを選択する必要に迫られました。
その後、二男は少しずつ食べられるものが増え、17歳の現在はほぼアレルギー対応は無しとなりましたが、約15年の間、食べ物の選択に神経をすり減らす生活が続きました。

そんなこんなで、私の人生は、腸内環境や食習慣をどうしても意識せざるを得ない出来事が形を変えて様々起こり、また、日本の「食の選択肢の少なさ」を長年にわたり痛感することになりました。

なぜテンペに行き着いたのか

それはさておき、2018年11月、『EARTHLINGS』というドキュメンタリー映画を観たことがきっかけで、ヴィーガンチャレンジを何ヶ月かやってみました。

当時は会社員で営業職に就いていたのですが、例えば1日に何件もアポがある日は、客先に向かう途中で急ぎ昼食をとることも多々ありましたが、ヴィーガンチャレンジ中は、立ち食い蕎麦もダメ(出汁が動物性)、コンビニのおにぎりは種類が限られいつも同じものしか選べないなど、営業職との両立が非常に困難を極めました。

また、自宅での夕飯も、家族の食べたいものと自分の食べられるものの両立が難しく、、、

最終的に、私の食習慣は、プラントベース(ゆるベジ)に落ち着きました。(お野菜中心ですが、お肉もお魚も有り難くいただいています。)

そんな中、タンパク源としてお豆腐を多用していましたが、日本では柔らかい食感が好まれるため、お豆腐をメイン食材にするためには水抜きが必要でした、、、が、これが毎度となると非常にめんどくさい。

それで、何か他に良いものがないかと思っていたところ、ある日テンペに出会ったというわけです。

しかし、そこらのスーパーにはなかなか売っておらず、仕方がないので、自分で作るようになりました。

ちょうどその頃、前述の営業職を辞めて無職になったタイミングでした。
転職活動もいろいろあって(そこは割愛します)最終的には、同じようにテンペに助けられる人は他にもいるのでは?と思い、テンペ製造の道を歩むことにしました。

2020年8月からは1日1食生活を開始し、今も続けています。

思い描く世界

父方・母方ともに医師だらけの家系に生まれ育ちましたが、西洋医学を妄信せずに生きており、もっと言うと、医学不要の世界になればいいなと考えています。
なので、子ども以外の身内には話の合う人間は一人もいません。

ざっとこのような経緯でして、テンペ職人になったのは、どこか必然のような気がしています。

noteで書くこと

会社員時代とは畑違いもいいとこの、食べ物製造の業界に足を踏み入れてみると、それまで見えていなかった様々な食の問題や、消費者がマーケティング戦略にうまく乗せられていること、メディア情報に踊らされていること、また、業界内(当事者)の問題点など、モヤモヤすることがたくさんあります。

noteでは、そういうことも含めて、赤裸々に書いていけたらと思っています。

長くなりました。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
これからよろしくお願いいたします。

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