4回表「五反田エレジー」
今まで寮暮らしだったので、東京に戻るとなるとまずは家探し。実家は私が戻らないことを前提に既に手狭なところに引っ越していたので、リビングで寝かせてもらいながら、初めての本当の1人暮らしの場所を探しました。会社からは近いところに見つかり、2社目の生活がスタートです。仕事は本社での経理。小さい会社ながらも学生の頃よりは教室拡大していて、9教室ほどに。リースや借り入れの管理にまず手を付け、Excelで日々の資金繰り(CashOut)表をまず整理してという感じです。そのうちに余力も出てきたこともあり、荻窪教室に行くことに。スタッフの方はいい人に恵まれて、講師も学生ながら素晴らしい人材を採用できて、順調にはなってきました。
とある日に大手保険会社で運用をやっている友人と飲む機会がありました。昔から頭もよくて、口下手だけど真理をついたことを話す一方、音楽オタクでギターも教えてもらったりもしてました。証券アナリストの話になり、前職の教育もあってか一次三科目を全部パスしていたものの、その後は金融に戻るかどうかとも思っていたので、二次は受けないかなーなんて話していたら、「もったいないよ。俺なんて一次もまだ全部取ってないんだから」と言われ、確かにそうだなーと。時間もあるし平日夜は証アナの勉強を少しずつ開始しました。そして2次試験を受けてパスしました。あの時の友人の進言がなかったら、どうしていたことか。若いうちに取るものは取っておいた方がいいですね。
すると、他の友人からも(仕事をしながらの)証アナの勉強がそこそこ大変、ということを聞くと、やはり自分のExpertiseは金融なのかもと思い始めました。会社の方も、教室拡大に伴い、いい人もいるけど、よくわからない人もいたりで、大きくなれなるほど、昔のバイト仲間で築き上げた世界と違ってきているかな、と思い始めました。
金融に戻ってみようと思い、当時は日経の日曜版に求人広告が出ていたりするので、チェックをして、3社にほぼ同時に応募しました。信用調査のD社、金融情報配信のI社とです。
全くのポテンシャルで臨んだC社は、ジャンレノみたいにかっこいい聡明な方との面接。面接は口頭試問で、地頭(数字感覚)を見るような質問で、後から振り返ってもなるほどと思う問題。さすがにそれすんなりとは答えられた感じで、経験というより、ポテンシャルで採用ということになりました。26歳で社会人野球からプロに、いや給与的には完全に育成からのスタートでした。一人暮らししながら、それでも大丈夫だったのは、寮生活かつ思い切った金額を天引きで貯めていたのと、まさに育成からのスタートだと思っていたので、自信も欲もなかったからかもです。
ただ、金融、マーケットというホームグラウンドに戻ってきたのです。