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「もっと地域に貢献したい!乳癌を乗り越え46歳で起業」橋本社長インタビュー (3/4)


みなさんこんにちは、てまりノートです

このnoteでは、てまりグループで働く「人」にフォーカスを当て、私たちがどのような想いを持って仕事をしているかを発信していきます。

前回につづき、弊社 代表取締役社長 橋本昌子 のインタビューをお届けします。生い立ち〜現在に至るまで、「どのような想い」で歩んできたのかを、インタビューしました。(全4回にわけてお届けします)

第1回
第2回

橋本昌子(はしもとまさこ)
てまりグループ 株式会社スパーテル 代表取締役

薬剤師として、病院、製薬会社、薬局に勤務した後、2007年に株式会社スパーテルを設立。「日本一親切な薬局」を目指して、「てまり薬局」を展開。グループ16店舗を運営。2011年に福祉事業部を立ち上げ、住宅型有料老人ホーム「ひなの家」を運営。

薬剤師 / 金沢大学大学院医薬保健学総合研究科・博士(薬学) / 介護支援専門員 / 石川県中小企業家同友会 特別理事 / 公益社団法人石川県薬剤師会 副会長 / 金沢大学非常勤講師 / 北陸大学非常勤講師

PROFILE

ーー起業のきっかけを教えて下さい

職場で充実して働いていたある日、友人から起業して旦那さんと2人で薬局を始めるという話を聞き、「あなたも自分で会社をつくったら?」と言われました。

薬剤師としての勤務はやりがいはあったけれど、自分の思うことを実現できるわけではないと感じていたんです。

「もっと地域に貢献したい」と思い始め、起業するための準備をスタートしました。

ーーここから起業への道がスタートするんですね。まずどんなことから始めたのでしょうか?
起業の準備をするといっても、何から始めればいいのか全く分からなかったんです。

商工会議所が創業塾を開いているというのをたまたま新聞で見つけて、行ってみることにしました。

週1回のコースで、創業について一通り勉強しました。最終的に銀行員の前でプレゼンしたら1,000万円借りられるというもので、実際に2社から融資の話をもらいました。

薬局というビジネスモデルがまだそんなに浸透していない時代だったけれど、堅い商売だから大丈夫だと自信を持っていましたね。

でも、次は「どこで薬局を開くか」ということが課題に。この場所で薬局を立ち上げたい!と思ってもそう簡単にはいかず、始動するまで5年ほどかかりました。

つまずきながらも時間をかけて準備を進めていましたが、この時期に乳がんになってしまったんです。手術の前に「一生懸命やってきたけどもうダメかな」と思いました。

しかし、予後が思ったよりも良くて。「起業を諦めなくていいんだ」と思ったと同時に、「このまま雇われている立場だったら、病気が再発したときに仕事を辞めなくてはならないかもしれない」という気持ちが生まれました。

『私が組織を作ってしまえば、病気になろうが辞めなくてもいい。絶対に起業しよう!』とその時に決意します。

ーー病気が起業を決心する大きなきっかけになったんですね。
決心してからは、うまく進むようになりました。

私の知り合いが大手企業で薬局開発を担当していたので、「自社で取り扱わない案件を紹介してほしい」と依頼しました。

私の本気度が伝わったのか、案件を紹介してもらえることになり、開業が叶いました。当時46〜47歳くらいでしたね。

ーー46〜47歳で開業されたんですね。経営者としては遅い方なのでしょうか
遅いと思っていたのですが、いざスタートすると全くそんなことはありませんでした。

新しいことを生み出していくというよりも、着実にやれることをやっていくという感じでしたし、特に自分は薬局の立ち上げ経験や簿記の知識があったので、過去の経験が役に立ち、困ることはなくスタートできました。

厚生局が指導に来ましたが「何も言うことがなくて100点満点」と言われたことが印象に残っていますし、自信になりました。

ーー開業1店舗目は今もある薬局ですか?
はい、現在も運営している能美市の薬局です。

開業を考えた当初、1店舗目は金沢か自宅の近くがいいと思っていました。

しかし、「遠くてもある程度の利益の出る場所で開くべき」だということを、あとから理解することができました。

1店舗目が軌道に乗せられず苦戦してしまったら、2店舗目を絶対に開けないですからね。

ーー1店舗目はどのような人たちと運営したのでしょうか。
知り合いに声をかけたり、知り合いのつてをたどったり、人脈を活かしながら一緒に働いてくれる人を探しました。

最初に来てくれた薬剤師は、以前病院で一緒に働いていたSさんという方でした。Sさんが結婚を機に退職すると聞き、沖縄出身の彼女は将来沖縄で開業したいと言っていたので、「私があなたを手伝うから開業の勉強を一緒にしよう」と伝えました。

1店舗目は私とSさん、そして事務員2人(正社員とパート)の4人でスタート。事務員は2人採用するのに20人以上の応募が集まり、経験者1名と未経験だけれど明るく積極性のある方を1名採用しました。

ーー1店舗目で困ったことはなかったですか?
何か問題が起きても、常に自分で考えてどうにかするという気持ちでいました。

Sさんが新婚旅行で1週間休むことになり、1日の業務を私と事務員の3人でどうさばくかを考えたことがありました。

準備を事務の人に頑張ってもらい、私が最終確認をしてから患者さまに処方された薬を渡す方法で乗り切ることができました。

今までの経験から「何事も知恵を出せば解決できる」と思っていたので、いつでも前向きに乗り越えました。

在宅医療に関しても、1店舗目のオープン初日からやってほしいと要望があり、19時頃まで薬局で働いた後に患者さまの家を訪問したこともありました。

そんな感じで最初の1年はとにかく忙しかったですが、辛いと思ったことはなかったです。

ーー次のためにも、とにかく1店舗目を成功させようという気持ちが強かったんですね。2店舗目ができるまでは何年かかりましたか?
実は、1店舗目を立ち上げる前から2店舗目の話がでていたんです。1店舗目を運営しながら2店舗目の開業準備をするような感じで、並行して進めていました。

2店舗目の薬剤師を探していたら友人の友人が夫婦で入社してくれることになり、必要な時に必要な人が現れてくれましたね。

1年で3店舗、2年目で1店舗、3年で1店舗というスピード感で3年間で5店舗もの薬局を開設しました。

とにかく店舗を増やしたい!というような思いはなかったのですが、チャンスが向こうからやってくるんです。チャンスが巡ってきたら掴みたいと思うし、絶対にトライした方がいいと思っています。

私自身が開業に対してガツガツしていたわけではないけれど、ご縁があったという感じです。

ーーチャンスを逃さず、ご自身の手で掴んできたんですね。5店舗の運営となると、かなり大変だったのではないでしょうか?
そうですね、当たり前ですが従業員それぞれが異なる価値観をもっているわけで、5店舗の規模感になってくると従来のマネジメントのやり方が効かなくなってきました。

そもそも従業員はマネジメントのことを知らない人たちばかりだったので、「従業員を教育するにあたって大事なことは何か」を模索しました。

色んなマネジメントの本を読み、良いと思ったやり方は全て実行しています。

とはいえ実行する側もだんだんと自信がなくなってくるので、必要だと思う考え方を、経営の本を読んで伝えていました。

ーーなるほど。そういった背景から、現在てまりグループで開催している勉強会につながっているんですね
従業員と土台が一緒でないと話が通じないので、土台の部分をしっかり勉強してもらうことが重要だと思っています。

とはいえ、従業員に「勉強して」と言ってもすんなり実行してくれるわけではないので、勉強会を実施して一緒に取り組んでいます。

また、この頃に「目標評価制度」を導入しました。理由は、目標なく日々仕事に打ち込んでも面白くないですし、自分なりに目標を設定して達成できたら喜びを味わえるからです。そこに報酬もつけ加えられたら良いのではと思いました。

目標評価制度の導入にあたり、この分野に関する知識・経験がある人に指導してもらいたいと思い、現在てまりグループの顧問をされている鳥本さんに就任してもらいました。

ーーこの頃から目標評価制度を導入している会社は珍しいですね
そうですね。病院で勤務していた時に目標評価制度を導入する話があり、本を一冊渡されて読んでいたんです。

結局その病院では導入されませんでしたが、私は目標評価制度を上手く活用できれば会社として良い取り組みになるのではと思い、実行に移したんです。

また、東京のセミナーにも積極的に参加しました。そこで出会った方に「介護事業をやりたい」と話したら、「自分も一緒にやりたい」と言ってくれて、顧問として金沢に来てくれることになったんです。

ーーなぜ福祉・介護事業にチャレンジしようと思ったのでしょうか。
ある日、知り合いが事業プランを見せながら「老人ホームをやらないか」という話をもってきたのがきっかけです。

私としても薬局で薬を提供するだけでなく、終末期医療や緩和ケア、何よりホスピス(=病気による苦痛を和らげる治療・ケア)をやりたいと思っていました。

そして、「看取りの瞬間まで暮らしを支える老人ホームを運営したい」という明確な目標ができたんです。
ーー社長がつくった老人ホームについて詳しく教えてください
医療・介護体制を整えて看取りまでケアするといったコンセプトで、「ひなの家」という老人ホームをつくりました。色々苦労はしたけれど、私が大事にしていたことを実現できた喜びの方が大きかったです。

老人ホームを運営しているうちに訪問看護やリハビリの重要性にも気付きました。リハビリ職の人にリハビリ型デイサービスをつくりたいと相談したら、「自分が一緒にやりますよ!」と立ち上げに尽力してくれました。

その頃の私は医療連携会議の役員をしたり、脳卒中連携協議会議をはじめとした地域の会議に顔を出したりしていたので、地域課題について知ることができ、リハビリ型デイサービス、小規模多機能、と次々と立ち上げることができました。

ーー事業も従業員数もどんどん拡大していったんですね
老人ホームを立ち上げた時点で従業員数が80名を超えていました。

グループが目指すべき将来の方向性や実現したい未来など、ビジョンを従業員に伝えていかなければならないと思い「中長期計画」を作成したり、外部のコンサルティング企業に依頼して「人事制度」をつくったり、組織づくり・仕組みづくりに力を入れました。

何をするにも自分がプレイングマネージャーになりますし、規模が大きくなることで広い視野で周りを見れなくなってしまうのは組織的にいけないと思っています。

ここまでが創業から5年までの出来事です。

ーー5年間でここまで事業が大きくなっているなんて、すごいスピード感です。
あっという間でしたね。平成20年に1店舗目の薬局を開いて、平成25年にひなの家をオープンしています。

▶第4回につづく:続きはこちら


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