謦咳に接した記憶/青ブラ文学部
恥ずかしながら、「謦咳」という言葉は今回、初めて知りました。
そして、私にとっての「謦咳に接した」人物を思い巡らせてみたら、この方が浮かびました。
高校の修学旅行で京都の大徳寺大仙院に行き、尾関宗園和尚の法話を聞きました。
とても響きのある声で、力強くて心に残る法話でした。
私自身、人間としての自覚に目覚めた瞬間でした。
それまで、ボーッと生きてきた自分から、和尚さんの法話を聞くことにより、人生の目的みたいなことを教わったんです。
確かに法話の上手い和尚と言われているということから、私は和尚さんのツボに見事にハマったのかも知れませんが、この時の話は強烈な思いを抱いたんです。
本を買いました。
「平常心」
この本なんですが、装丁が違います。
ずっと長男の部屋にあったはずなのに、この話を機に、部屋の本棚を見たら変わっていました。
確か、現物には私が赤線で記した場所がたくさんあるんです。
いつのまに、入れ替わったんだろう。
私の本、長男が持っていったんだろうか?
いいなと思ったら応援しよう!
いつもありがとうございます。よろしければ応援をお願いします。これからも分かりやすい記事の投稿に努めてまいります。