ガチボリ便り
テルグ語表記に忠実にカナ転写すればガッチバウリ(gaccibauli)なんですが、テルグ語で発音しているのを聞いてもガチボリに聞こえてしまうので、こちらで行きます。「(サンスクリット借用語を除けば)テルグ語はだいたい長音や促音・撥音を使ってカナ書きで書き分けられる」と、noteの各ページでカナ書き転写を使っていますが、実を言うと、私が今取り組んでいる研究課題は大雑把に言えば、なぜその日本語カナ書き通りに聞こえないのか(日本語のリズムとテルグ語のリズムはどこが違うのか)を説明することなのです。映画のセリフを耳コピするのもお仕事のうちだったりします。
で、そのガチボリにこの年末年始にいるんですが、ハイダラーバードの西側郊外の地域名です。南インド映画で『ヤマドンガ』を見た人ならたぶん見ているはずのエリアです。
背後に見える高層マンション群は、2003年に新設のガチボリ・スタジアムで開催されたアフロ・アジア競技大会(オリンピック)の選手村として建てられたものだったと記憶しています。その向こう側がファイナンシャル・ディストリクト。この頃すでにマイクロソフトやインフォシス(スナク現イギリス首相の義父の会社)が進出していたと思います。今はアマゾンもここに拠点を構えているようです。
この後、ラージャがマヒを連れていく湖は、岸に立っている楕円形のビル(i-Labs Center)から判断するとドゥルガム・チェルヴです。チェルヴは「ため池」。デカン高原の南側は浅く掘るだけで水が出るので、地図でみると大小さまざまな池が点在しています。この後2009年にこのビルの隣に、東南アジアスタイルの巨大ショッピングモール、InOrbitがオープンしました。フードコートで量の多すぎない食事をとるために開店当初から割とよく行ったのですが、その頃はまだ「エスカレーター」に乗ったことがなくて、最初の一歩を踏み出せない客でエレベーターが超満員でした。丘の上の目立つ建物だったのですが、今は斜面の巨大オフィスビル群に遮られて近づかないとどこにあるかわかりません。最初に行ったときはチェルヴ側から崖を上ってたどり着いたのですが、崖下にはおおよそショッピングモールには縁がなさそうな階層の人たちの集落があったと思います。ショッピングモール側からチェルヴを見下ろす屋上庭園もあっ(て喫煙もでき)たのですが、今はレストランにはいらないと下は見えないようです。
旧ボンベイ街道の幹線道路のこのチェルヴを越えたあたりからがガチボリですが、ハイダラーバードでもっとも変貌著しいところの一つです。私がはじめてここへ来たのは40年近く前、ハイダラーバード大学、通称HCUに留学したときですが、「セントラル」ユニバーシティーというのは、南インドでは初の「中央政府立」で「州立」ではない大学、という意味で、当時の市内バスの西の終点だったメヒディーパトナムからさらに西へ、ゴールコンダ方面への入り口となるトリチョウキやダルガーといった集落を過ぎると、あとは巨岩がごろごろ転がるだけのデカン高原を、30分バスに揺られてたどり着くキャンパスでした。ヒンディー語圏からの学生が、「ここはジャンギルだ」と言っていたのをよく覚えています。しかし、市街地は西へ伸び、90年代にはガチボリの先まで、本数の限られたバスを補うため、大型オートリキシャの乗り合いサービスも始まりました。市西部のITハブ化が進んだ2000年代には、自家用車保有率の高い高額所得者向け住宅が林立しはじめ、ボンベイ街道はしばしば渋滞するようになりました。決定的だったのが2008年の新空港オープンです。市内から28キロ離れた空港への高速道路のジャンクションがガチボリになったのです。ボンベイ街道だけでなく、北側のコンダプール、ハイテクシティーといったIT産業地区への道路が整備されました。
今泊っているホテルもその頃にオープンしたところです。ガチボリにホテル、それもフリーWiFi完備、というので早速利用し始めたのですが、その頃はまだ、ヤマドンガの例のシーンの前に出てくるような、巨岩(粉砕して建築資材にする)を取り除いただけの更地があちこちにあったのです。今は片側3~4車線の道路に沿って巨大なオフィスビルが並ぶエリアに変わっています。もともとロータリー方式だったハイダラーバードの道路は、1990年代からフライオーバーのための高架化で渋滞緩和が図られてきたのですが、ガチボリのホテルの前の交差点も、直進車のフライオーバーに右折車のフライオーバーが立体交差しているという、1960年代の未来都市イメージに変わっています。このイメージだと存在しないのは「歩行者」です。信号がないのは昔からですが、さすがに6車線、8車線の斜め横断は気乗りしないので、徒歩で行動するときは、どこが渡れそうな道路かを調べて結界を知っておく必要があります。
ボンベイ街道沿いの北側には新しいショッピングセンターやレストランも開いているようなのですが、ちょっと渡れそうもないので、通りのこちら側の、昔から通っている街道沿いの庶民的なところをいくつか渡り歩いています。40年前、はじめて来た時から、気軽に入って座ってお茶を飲んで休めるところがハイダラーバードのいいところだと思っています。もちろん、チャイやサモサなどのストリートフードはインドのどこにでもありますが、立ち食い・立ち飲みで、休めません。その点、ハイダラーバードは椅子とテーブルのある店がけっこうあちこちにあったのです。
一つは「イラーニー・カフェ」(イラン風カフェ)という、ビスケットなどの菓子類をつまみながらチャイを飲む店で、40年前はほとんどムスリムのたまり場という感じでしたが、茶葉も多めだけれどミルクも砂糖も負けずと濃厚なイラーニー・チャイがハイダラーバード名物と認知されるようになって、夕方のティータイムにはムスリム男性以外の客で混み合うようになっています。それとともに、チャイだけでなく食事も提供する店が多くなり、ラマダンの時期の日没後の断食明けに出てくるハリーム(マトン入りの小麦粉のおかゆ)やマトン・ビリヤニで売る店も増えました。流行に敏感なムスリムのこと、その他に売っているものもけっこう流行り廃りがあります。RRRでアクタル一家がラーマとおじさんに振る舞う大皿料理がイエメン料理の「マンディ」ではないかというのが話題になっていましたが、私が前からビリヤニを食べに行っていた店をはじめ、ビリヤニのほかにマンディを看板に掲げるイラーニー・カフェが増えていました。「アラビア料理店」と銘打つ店もチェーン店的に出現しているようです。ただし、ここ2,3年の流行のようなので、1920年のデリーで食べていた、というのはちょっとおかしいのですが。看板には出ているものの、メニューには載っていないし食べている人も見かけない、というのが2024年年頭の状況です。今多くのイラーニー・カフェで人気なのは、「シャワルマー」というレバノン料理で、串にびっちりと刺したチキンをあぶり焼きにして、削ったものをチャパティーなどでくるんでロールにしたもの。ただ、チキンサンドやチキンロール、チキンバーガーとどこが違うんだというような味ではあります。ムスリム料理店がムスリム以外にも顧客を広げるにあたって、マトン料理が減ってしまっているのが残念です。ヴェジタリアンをやめても「羊頭を掲げて牛肉を売る」業者を恐れてチキンしか食べないヒンドゥー教徒が多いのです。
もうひとつは、ヴェジタリアンの南インド式「ティフィン」(イドリー、ワダ、ドーサ)を出す、昔で言う「ウドゥピ・ホテル」です。ホテルはインドでは宿泊「lodging」のない「飯店」も含むのですが、「ウドゥピ」は西海岸のクリシュナ神信仰の中心で、ウドゥピを冠していればバラモンが調理した(誰にとっても不浄でない)ヴェジタリアンという安心感のあるネーミングなのです。実際、西海岸のこの地域の出身で、コンカニ語を話すGSBの経営のレストランも多いです。GSBは、「ガウダ・サーラスワット・ブラフマン」の略で、バラモンを称するコミュニティーではあるのですが、この地域の他のバラモン(パンチャ・ドラーヴィダと言って、マラータ、グールジャラ、カルナータ、アーンドラ、ドラーヴィダつまりタミルの5種)からはヴェジタリアン・バラモンと認めてもらえず、パンチャ・ガウダの一つであるカシミールのバラモンの系譜を名乗る有力コミュニティーです。銀行業など持っているほか、映画界ではシャーム・べネガル監督やギリーシュ・カルナードがいます。ギリーシュ・カルナードはカンナダ語俳優として知られていますが、マンガロールを中心とする南カンナダ県は、共通語こそカンナダ語ですが、カンナダ語を母語とする人は少数派で、トゥル語、コンカニ語、マラーティー語など母語はコミュニティーごとにさまざまなのです。Jr. NTRのお母さんも南カンナダ県のご出身ですが、唯一のカンナダ語多数派地域である北のクンダープールですので、純カンナディガかもしれません。
GSB経営のウドゥピ・ホテルというと、1980年代は南インド各地の大都市にチェーン店を展開したカーマット・ホテルが有名でした。これもまだあるのですが、カーマットは高級ホテル経営に力を入れているようで、さびれた感じがあります。今回は、ガチボリはじめ、ハイダラーバード西部にチェーン展開中の、ウディピズ・ウパーハールという店にお世話になりました。いわゆる南インドのティフィンの定番だけでなく、ケーララのアーッパムや、南カンナダのやわらかいニール・ドーサ、お米フレークのポーハといったメニューが日によって出てきます。特に、ガチボリ周辺のITエンジニアだと南インド各地の出身者がいますので、メニューの充実がトレンドになるんだろうなと思います。
しばらく来ていなかったのですが、2017年開業の「メトロ」(高架鉄道)のブルーライン(東西線)の終点がガチボリの近くまで伸びていたので、さっそく乗ってみました。メトロ開業時の路線は、国鉄の近郊電車サービス(MMTS)とほぼ重なっていたのですが、シカンダラーバードからのグリーンライン(南北線)がムーシ川北側の本来の都心部東側の路線として開業したので、渋滞や駐車スペース探しを避けて長らく近づかなかった都心部に行ってみようというのが主目的です。有名映画館の集中するRTCクロスロードもこの沿線になります。
高架鉄道なので、市内の見晴らしは抜群です。PM2.5製造中の冬場はかなり霞んでいるとはいえ、けっこう遠くまで見えます。通りの両側に階段・エスカレーター・エレベーターがあるので、列車に乗らない場合でも道路横断ポイントとして使うことができます。タッチスクリーン方式の切符の自動販売機はあるのですが、使っている人を見たことがありません。行先を選ぶところまではできるのですが、切符の枚数で止まってしまうようです。スマホだけで支払いができない場合は、切符売り場に並んで行き先を言って料金を支払い、QRコード入りのレシートを受け取ることになります。キャッシュレス化が進んで紙幣の流通量が減っているためか、釣銭がない、小銭を出せで時間がかかることも多いです。しかし、そこは大陸国家、イライラする人はいません。だいたい、どの駅にも時刻表がないのです。これはバス停も同じですが、どれだけ待つかわからないバスと比べて、数分待てば確実に電車が来るし来る電車の行先も決まっているメトロはストレスフリーです。階段を走って駆け込み乗車なんて姿は見ません。荷物検査とセキュリティーチェックを済ませてQRコードをかざしてコンコース入場、ホームへはエレベーターに向かう人が多いのですが、これはエスカレーターに慣れていないからではなく、ホームによって下りと上りのどちらかしかエスカレーターがない駅が多いからです。
そうやってたどり着いた都心部は、メトロやフライオーバーのような高架建造物が中央に居座る道路は以前にも増して渋滞しているようでしたが、街並みそのものは40年前の面影を失ってはいませんでした。通りに並ぶ商店の種類は変わっていましたし、食べ物屋も増えてはいるのですが、40年前と同じ食べ物屋もそこここに残っているのです。たとえば、37年前、市内を横断しなければ行けない(当時の)東の端にあるオスマニア大学や英語・外国語研究所(現・大学)への夏場の行き帰りには水分補給に必ず寄っていたエアコン付きのミネルヴァ・コーヒーショップは、創業37年の老舗として今も人気なようで、昼食時は順番待ちの客が何組もたむろしている状態で、中に入るのは断念しました。その隣にはハイダラーバード料理の老舗として近年、市内だけでなくテルグ語2州内に積極的にチェーン展開しているパラダイスも出店していました。シカンダラーバードの交通の要所に今もある本店は、本来はパールシー(ゾロアスター教徒)経営のノンヴェジ・レストランでしたが、昔からのバス停だけでなくメトロの駅名にもパラダイスが採用されています。バス停といえば、洋画専門の映画館リバティーは、地名としてだけ残っているようです。洋画といってもB級の、おそらく水着や下着姿の女性が出演する準ポルノとして見られていたのだろう映画館です。ヴィットリオ・デ・シーカ監督、マルチェッロ・マストロヤンニ&ソフィア・ローレン主演の『昨日・今日・明日』をここで見たのですが、最後のローマ編、ローレン演じる娼婦がストリップをはじめてやっぱりやめてしまう、というエンディングで場内騒然となったのをよく覚えています。ポスターもそのシーンでしたからね。ちなみに、40年前は「マラヤーラム映画」がソフトポルノの代名詞だったのです。
ウドゥピ・ホテルの市内一の老舗は中心街アビッズのタージマハール・ホテルですが、昔と同じ場所に残っていました。建物は建て替えられたようで、小学校の体育館ほどの天井が高くてエアコンなしでも涼しい店の面影はなく、高級店を志向したようです。その近くのビルの最上階の高級店パレスハイツも健在です。当時デザートメニューにクバーニー・カー・ミター(ナツメヤシのシロップ漬け)があったのはここだけだったのですが、今は割とどこでも見られるメニューのようです。中華料理屋も、中国人(チベット人?)経営で運がよければ豚肉料理も食べられた、シカンダラーバードのナンキンやバシールバーグのハイキンも同じ建物で営業を続けているようです。さすがに代替わりしているとは思いますが。
食べ物屋の話ばかりになりました。留学して何をしていたんだか。RRRドースティーの「ナでぃチェーディ オカテー ダーライ ウェティケーディ マーットラン ウェーライ(歩くのは 同じ 道で 探すもの だけが 別々で)」では、はなはだ個人的な思い出があります。1995~6年の在外研修でインドにいたとき、RRR字幕監修の山田桂子先生もご留学中で、ハイダラーバードでは何回かご一緒したのですが、二人で並んでシカンダラーバードの目抜き通りを歩いていて、私は新しい食べ物屋、山田さんは新しいサリー屋と、見ているところが全然違いますねと笑ったのを、通り一つ隔てて向こう側はニザーム時代の英軍駐屯地(現パレードグラウンド)という場所柄もあって、つい思い出してしまいました。留学中、山田先生は、インド人もびっくりのあでやかな着こなしのサリー姿で通されていたのです。伝統のコットンサリーの製造元の村を訪ねて回るほどのコレクションをお持ちでした。外食やショッピングといった日常的な消費文化がようやく広がり始めたころならではの思い出です。その後、多くの店が現れては消えましたがとてもフォローできません。
ひとつ、決定的に変わってしまったなと思うことがあります。牛です。水牛です。朝一番がミルク入りのチャイで始まるインドでは、人が住んでいるところには牛もいるので、街中を牛が闊歩する「都市放牧」が盛んです、という90年代まではよく見られた記述が、成り立たなくなっているようなのです。道路は車でいっぱいで、牛が歩く余地はなくなった、というのも理由かもしれません。スーパーには紙パック入りの殺菌牛乳も売られていますし、牛乳の流通形態が様変わりしているようです。世界一の酪農国インドでは、牛乳と水牛乳の生産量はほぼ同量ですが、水牛はどこへ行ってしまったのでしょうか。農村からの供給だけでまかなっているのか、水牛を多頭飼育している大牧場なんていうものもできているのか。水牛味のチャイが足りないなと思いつついろいろ想像しています。
ところで、メトロは東西のブルーラインがガチボリから南下して新空港へと延伸される計画だったのですが、昨年のテランガーナ州政権交代後の新州首相はこれを撤回するつもりのようです。新聞に掲載のインタビューでは、代わりに、チャールミナールなどムーシ川以南のオールド・シティーに(一部地下鉄として)延伸予定のグリーンラインをさらに空港まで、という方針を語っています。空港からメトロで市内へ、というのはもっと先になりそうです。
ガチボリに映画館なんて、20年前は想像もしなかったのですが、シネコンPVRだけでも徒歩圏内に4軒もあります。今回失敗したなと思ったのは、旅行者用のSIMを空港で用意しなかったこと。本人確認用のワンタイム・パスワードがインドの電話番号でないと受け取れないサービスが多いのです。電子マネー機能は口座がないからどうせ使わないのですが、フリーWiFiの利用開始にも映画館のオンライン予約にもこれが要ります。まあでも、映画館が近いので、空席状況を確認してから直接窓口で予約することはできます。紙の切れっ端にボールペン手書きで時間と席を書いたものがチケット。ガラパゴス人類の気分です。
で、見たのは12月22日封切の『サラール 第一部休戦』。封切当日は深夜・早朝から熱狂的なファンの報告でSMSが賑わっていましたが、私より年上の友人によれば、人気作品の早朝上映は彼の子供時代から当たり前だったそうです。私が見たのは週明け平日昼の上映回でしたので、割といい席が取れました。
KGFの監督がバーフバリ主役で撮ったテルグ語(+南インド3言語・ヒンディー語)映画ということで、記録破りの大ヒットになるのでは、という前評判もありましたが、暴力描写のために成人指定となったり、シャールークカーンの新作とぶつかったりといった条件もあってか、普通のブロックバスター(「第一部」としては最高)になる見込みです。「バーフバリ」以来のはまり役としてプラバースのファンの満足度は高いようです。制御不能の無敵ヒーローが諸処の事情で耐え忍ばざるを得なかったのが、ついに爆発する、という、私の子供時代のヒーロー物でもよくあった展開が主として男性ファンに受けているのでしょう。ただし、第一部では、ニール監督の構築した架空の都市とそれを構成する部族の関係という物語の骨組みが説明されるだけで、ドラマは第二部までオアズケです。アクションはおまけであってドラマを見てほしいという監督ですが、構築された関係性から作り出されたドラマが、60年以上生きてしまった老人には、肉付け不十分で共感できない、いわば「とってつけたような」ストーリーにならないかという危惧はあります。第一部で一例をあげると、主人公の爆発の引き金になる要因の一つが幼時の経験から生じたマザコン的感情だという設定なのですが、これはセリフで説明されるだけで、プシュパのようにエピソードとして描かれてはいないのです。第二部の最大の見どころ、バーフバリでいうところのタッカッパの裏切りは、デーヴァ(プラバース)が実は忠誠を誓ってきたワルダの宿敵であるという出生をどのように知りどうするのか、というところだろうと思います。ヒロインは今のところヒロインとして機能していませんし、アイテムソングもありません。女性のプラバースファンには「腐」傾向のある人以外にはあまりピンとこない映画かもしれません。