RRR雑談+


燃える男、燃やす男

 RRRの大ヒット後、両ヒーローの他作品への関心も高いようですが、特にJr. NTRについては、RRRと他作品やインタビューでイメージが違うという声をちらほら目にします。両ヒーローともテルグ映画界を代表する大スターであって、作品上もあくまでカッコいいところを、というファンからの圧力が強い中、ラージャマウリ監督のRRRが、競演の二人から(超人的強さは別として)「スターの縛り」を外した演技をさせていることの反映なんだろうと思います。Jr. NTRの同様な演技を見られる作品としてお勧めしたいのが、『ラーキー』(2006)です。『ヤマドンガ』(2008)で減量する前の太目ヒーロー時代のヒット作ですが、ごく普通の鉄道員家庭で育った若者が可愛がっていた妹をダウリ(「持参金」と訳されることの多い英単語dowryですがインドでは結婚時だけでなく一生、夫側が妻の実家に対して要求できる「贈り物」です)を稼ぐ目的で殺されてどうしたか、という社会派ドラマです。怒りと悲しみを押え切れず爆発するという、RRRの猛獣大乱闘を思わせる演技はもちろんですが、近所に住む相思相愛の彼女とのいちゃつきぶり、台所に立つ、井戸端で洗濯するといった庶民的な演技や、たぶんワン・テイクでOK出たんだろうという長大なセリフの数々が見どころです。中でも私が好きなのは、夫のDVから逃れるために娘を連れて田舎から出てきた叔母(父の妹)を迎えてのはじめての夕食のシーン、喧嘩別れした兄妹のぎこちない沈黙を破って、父と叔母の思っているだろうことを落語さながらの会話にして演じてみせるところです。(マラヤ―ラム語話者の叔母役女優のテルグ語セリフを減らす演出かなとも思いますが。)ダンスだけではない役者としての非凡な才能を発揮している作品だと思います。NTRのファンには是非見てほしいのですが、残念ながら日本で完全な形で見られるところはネット上にはないようです。Youtubeにあるテルグ語版は、妹が殺された後、警察の捜査や弁護士の依頼に法外な報酬を要求されるのですが、これが支払えないために、法廷でうつ病による自殺と主張され、それを認める判決が出たその日のうちにNTRが復讐する、という部分がなぜか削除されています。とりあえずつないで見ることはできるのですが、英語字幕もないので、ネタバレ解説をします。

 ラーキー(ラーマクリシュナを略した愛称)は、鉄道員一家の祖父(赤帽)・父(駅長。カチグダ駅のようです。)・妹との3人暮らしで鉄道の正規職員に応募中、恋人のトリプラは台所共通の隣家の娘で(コメディアン、ブラフマーナンダンが社長役の)テレビ会社勤務、彼女は女性に関するさまざまな性被害の実態を取材中です。人身売買組織への潜入取材で危険な目にあったりしています。ラーキーは危ないことをするなと叱るのですが、「私やガヤトリ(妹)はあなたがいるから安心だけど、ほかの女性はみんなこわい思いをして生きていることを伝えないと」と引きません。夫のDVを逃れて娘を連れて田舎からやってきた父の妹も同居することになります。そんなある日、妹は試験会場でストーカーに親友が惨殺されるのを目撃し、トラウマで学校に行けなくなってしまいます。結婚で気分を変えさせようと紹介してもらった縁談は、渡米予定の青年でしたが、要求されたダウリは父が工面できない額でした。ラーキーは、叔母が娘のために用意した持参金で妹を嫁がせるために、トリプラとの結婚を諦め、妹カップルといっしょに従妹と式を挙げます。しかし、渡米者としてもっと多額のダウリが狙える縁談があると知った嫁ぎ先は、追い出すために妹に辛くあたり、妊娠して渡米費用が増えたからとさらにダウリをつり上げてきます。ラーキーは、ようやく合格した正規職員をワーストゥ(インド風水)に凝っている次点候補者(『あなたがいてこそ』のスニール)に売って要求に応えようとするのですが、金を受け取った嫁ぎ先は自殺に見せかけて妹を焼き殺してしまいます。(インドの新聞で時折みかけるダウリ殺人事件のパターンです。)

 判決確定の日のうちに、妹の自殺偽装に手を貸した人々に灯油を浴びせて火をつけ、そのまま逃走するラーキー、というのが、別ビデオ部分になります。この後の部分はインド映画に慣れていない人にはちょっとついて行けないストーリーかもしれませんので、少し私見を入れて解説します。

  •  ラーキーは、トリプラの取材ビデオを元に、女性の性被害の加害者を次々に焼き殺していきます。40人以上の連続殺人犯です。VFXは使用していますが、模倣犯が出ない程度のリアリティーでの映像です。現場にはラーキー(年に一度、女性が自分を守ってくれる兄弟の手首に巻く、という全インド的な習慣になった簡単なお守り)を残して行きます。

  •  ラーキーを追うのは、タミル女性のエリート警視補が指揮するチームです。

  •  被害女性は、ラーキーの犯罪に喝采で応えます。トリプラは被害女性を取材し、殺されたのが加害者であることを報道しますが、警視補は、テロ行為を正当化するなとカメラの前で訴えます。

  •  テロリスト嫌疑を晴らすために、ラーキーはトリプラの番組で自分が実行犯であると名乗りをあげ、インタビューに応じます。「妹ガーヤトリと同じ立場の女性はみんな俺の妹だ。」ラーキーへの女性の喝采は、これを機に一気に州全土に広まっていきます。

  •  ラーキーは、集団レイプや殺人を繰り返していた州大臣の息子と友人たちを焼き殺した後、「スニール」に事前に知らせた上で警視補の自宅に出頭し、逮捕協力の報奨金を有効にして投獄されます。獄中にいた妹友人のストーカーも焼き殺されます。

  •  ラーキーの手首にラーキーを巻きたい、という女性たちの請願に応えて、ラーキーは一時的に刑務所外に出されるのですが、息子を殺したラーキーが神様扱いされることが許せない州大臣は、その大群衆の中で爆弾テロを実行させます。被害者の中には、夫のために刑務所前に座り込むんだと家族の避難先の田舎から出てきたラーキーの「妻」もいました。

  •  警視補が逮捕状を取り州大臣邸に向かいますが、州大臣は逮捕状を破り捨てます。警視補は、命だけは取りとめたいならロンギポーと促すのですが、応じません。30分間、警察黙認のもと、州大臣はラーキーに焼き殺されます。

  •  傍聴席で女性たちが無罪を連呼する法廷で、ラーキーは、罪状をすべて認めた上で、少し話させてほしいと許可をとり「女性が安心して歩くことができないこの国の現状を変えなければならない」と演説します。裁判長は、有罪判決を言い渡した上で、この判決を言い渡さなければならないことを恥じ、この日限りで辞職して、最高裁までラーキーの弁護にあたると宣言します。Rakhi zindabad!!

 ダンスシーンもたっぷりあるし、女性に偏っているとはいえスーパーヒーロー要素もしっかりある現実離れしたエンタメ作品ですが、最後のラーキーの演説がストレートにメッセージの社会派作品だということがわかるでしょう。そもそも映画以前、19世紀初頭のラーム・モーハン・ローイから、近代インドの社会改革運動のテーマは女性が直面するさまざまな不合理な慣行の廃絶でした。テルグ語圏だと、テルグ・ルネサンスの祖ともいわれるウィーレーサリンガム(Veeresalingam)からはじまり、詩人・劇作家のアッパーラオ(Appa Rao)、小説家のチャラム(Chalam)もこれらを問題とする作品で知られています。この系譜の文化人が関わった南インド映画界でも、社会派ドラマといえばだいたい女性の問題を描いてきたのではないかと思います。『ラーキー』もその系列といえばそうなのですが、200年言い続けられてきて何も変わらないという苛立ちも垣間見える演説になっています。ラーマーヤナ、マハーバーラタといった古典でも描かれる女性への圧迫が、実はインドの文化に抜き難く組み込まれているのではないのか。Salute to my country and my culture. 「男が女を守る」という上から目線の解釈を薄めるためか、法廷の前の大群衆への挨拶は、「どうか私をヒーロー扱いしないでください。私みたいな者が必要になってはいけないのです。皆さんを守るのは皆さん自身です。」で締めくくられています。画面のテルグ文字は、マヌ法典から引用されたサンスクリット語の章句 yatra nāryastu pūjyantē ramantē tatra dēvatāḥ「女性が敬われるところに神々は宿る」です。
 『ラーキー』公開6年後の2012年12月、デリーで起きた集団レイプ致死事件は、インド全土で連日の大規模な抗議行動を引き起こします。世論に押される形で性犯罪に関する刑法の改正が行われ、強姦致死や重犯の場合の最高刑を死刑に引き上げるなど厳罰化が進められました。ラーキーがインタビューで自分の犯行の目的としてあげている Balance of terror 「女性が外出を怖いと思うなら、性犯罪者も同じだけ怖いと思うべきだ」がある程度実現したことになります。インドは2000年代までは死刑廃止の方向で、40件以上の連続殺人犯ラーキーの初審判決も絞首刑49回又は懲役686年だったのです。まあこれは、『ラーキー』が世論を動かしたというよりは、性犯罪厳罰化要求の動きを知った監督が、ならば焼いて復讐でどうだ、と思いついたという流れの方がありそうなんですが(こういう思いつきの多いところがインド映画の長所)、多少なりとも性暴力問題の認識の広がりに寄与はしているだろうと思います。
 さて、この映画で起用されているタミル映画の女優2人には共通点があります。警視補役のスハーシニーは、『ナーヤカン』(1987)で一躍有名になったマニラトナム監督の妻であり、主役の大スターカマラハーサンが実の叔父になります。ラーキーの叔母役のサランニャは『ナーヤカン』のカマラハーサンの妻役が映画デビューです。『ナーヤカン』のテルグ語吹き替え版『ナーヤクドゥ』を公開当時に見た私としては、これ、偶然ではないんじゃないかなと思いますので、『ラーキー』と『ナーヤカン』の共通点について書いてみたいと思います。
 「政治家の息子の集団レイプへの復讐」というインド映画あるあるですが(『ジャナタガレージ』もきっかけこれですね)、ルーツは『ゴッドファーザー』なんじゃない?というような話になります。
(続く)
 ちょっと先になりそうなので微編集と小ネタ(09/09/23)
 インドの国号が英語でもバーラトになるのでは、というのが話題になっています。テルグ語ではインディヤーというのが普通だと思ってましたが、ウィキペディアのテルグ語版では2005年の初版からバーラタデーシャムという見出しになってますね。カマラハーサン主演の『インディアン』(1996)もテルグ語吹替版だけは『バーラタデーシュドゥ』だしかなり通用するのだろうと思います。英テルグ辞書ではバラタカンダンとかバラタワルシャムのような、母音の短い複合語しか出ていませんが。ちなみに、『ラーキー』の大臣の息子の名はバラタです。インドという意味なのか、単にラーマーヤナのコーサラ王子の名前にちなんでいるのかはわかりません。(警視補が大臣に安否確認の電話をするくだりで出てきます。大臣の最初の応答は「殺人か?強姦か?」)

niyāyaṃ, aniyāyaṃ

 『ラーキー』のセリフにはニヤーヤムという単語がよく出てきます。判決の下る裁判所に行こうと誘うトリプラにラーキー父が「ニヤーヤムが起きる見込みはない」それでもトリプラはガーヤトリのために闘えばニヤーヤムが起きるだろうと答えます。ラーキーがテレビ局で何が起きたかを語るシーンでは、ニヤーヤムのために警察に行ったが金を要求された、にはじまる事情説明をします。この、警察や法廷が管轄すべきニヤーヤムは、英語辞書では justice と訳されていて、「正義」つまり、裁かれるべきものが正統に裁かれた状態、を指すもののようですが、テルグ語のニヤーヤムは、単に善悪にとどまらず、ものごとの道理とか、筋を通すこと、といった意味でも使われるようです。反対語のアニヤーヤムは、『ラーキー』ではミーナークシ警視補がテレビ中継に対して、「今起きていること(1日で40人以上を殺した犯人が逃げていること)はアニヤーヤムでしょう」と訴えていますが、警察の立場でなくてもたとえばRRRでは、ラーマにひっかけられたラッチュがスコット総督のひどいアニヤーヤムを糺すためにデリーに来たんだと言っています。 アニヤーヤムの原因となるのがタップ、間違い、善悪なら悪事、犯罪、ということになるでしょう。
 RRRの猛獣大乱闘シーンでの、ビームの「何も罪(タップ)は犯していない」は笑うところか、という反応をときどき見かけます。これは、ニヤーヤムを確立する力は警察と法廷の独占だ、という現代日本の常識があるからでしょう。戦争でもないのに一般人同士の復讐劇で大量に人が死ぬテルグ語アクション映画は、さながら時代劇や西部劇のようだ、という印象をもつ人も多いと思います。しかし、現代インドでも都市部では警察・法廷が実現すべきだという常識はあります。ですから、『ラーキー』のように、警察に代わってニヤーヤムのために違法な暴力を行使するような映画では、言い訳がついていることも多いです。
 いちばん手軽なのは「都市部と違って田舎では警察が近くにいないから住民がそれぞれ自警するしかない」というもの。『ラーキー』でのトリプラとガウリの対比もそうですが、田舎は都会とは別世界だというテルグ映画でよくある描写の典型が自警ニヤーヤムです。実際にそうかどうかはともかく、都会の人は田舎はそうだと思っています。ハイダラーバードでよく耳にしたのが、田舎で人身事故を起こしてしまったら全速でその場を立ち去れ、というひき逃げのススメ。実際、子供をひいてしまったタンクローリーに村人が火をつけた、というような記事を読んだこともあります。何でも修理するハイダラーバードの『ジャナタ・ガレージ』がアニヤーヤムの修理まで引き受けるようになったのは、モーハンラール扮するオーナーが田舎出身だったから、という説明でも説得力があるのです。『ラーキー』では、トリプラによるテレビインタビューでの「なぜ警察に任せないのか」という質問に対する答えとして、「警察は州の行事、大臣への対応、交通整理なんかでいろいろ忙しいからね」と回りくどい説明をしていますが、要は警察があてにならない、と言っているわけです。トリプラのように警察に怒りを感じているというのは極端かもしれませんが、警察があてにできないというのは都市部でも普通の感覚で、泥棒に入られたぐらいでは(証明書の必要でもない限り)警察に届け出たりはしません。ましてや、性被害に関して警察が動いてくれるはずがない、という意見には説得力があるのです。犯罪統計ではインドの人口当たりの強姦発生件数は日本と同レベルです。日没後は出歩かないというような自衛策をとるインド女性が多いことを考慮しても、これは低すぎる数字です。強姦被害者となりやすい若年層の人口比率は日本より圧倒的に高いはずだからです。警察に報告されない性犯罪の比率は日本の少なくとも数倍に及んでいるだろうと想像できます。
 『ナーヤカン』も、スラムのボスが住民のアニヤーヤム解消を引き受けるというパターンの作品ですが、それがタップなのかそうでないのかをドラマの中心においている、という点で『ラーキー』に明らかに影響しているだろうということを説明します。
 『ナーヤカン』はマニラトナム監督の名声を確立した大ヒット映画です。今となってはわかりにくいかもしれませんが、全インド映画賞の最優秀撮影賞/美術賞を受賞していることからもわかるように、当時は「まるでインド映画ではないような」カメラワークやシーン構成でも影響の大きかった作品だと思います。2度目の主演男優賞受賞作となったカマラハーサンが、実在のボンベイ(現ムンバイ)の巨大スラムのタミル人ボス(映画製作時は引退してマドラス在住)をモデルにした主人公の半生を熱演しました。
 明らかにそれとわかる『ゴッドファーザー』へのオマージュがさまざまに盛り込まれていることでも知られています。たとえば、シチリア系マフィアの5ファミリーに対してタミル語版ではグジャラーティー語、ヒンディー・ウルドゥー語、ウルドゥー語(ドバイ在住)、タミル語、テルグ語を話すボスたちの会食となります。カトリック教会のシーンの代わりに、ヴィナーヤカ・チャトゥルティというガネーシャ神の神像を街頭に飾って最終日に行列を作って水に流すという祭礼で、名付け親になるというシーンが盛り込まれています。マーロン・ブランドは実年齢より高齢の老人を演じるために特別な歯形を口に入れてこもった独特の発音を演じていますが、『ナーヤカン』は、高齢になってからの主人公がつねにキンマを口にふくんでいるという設定にしています。
 『ゴッドファーザー』がシチリア移民がニューヨークの裏社会でどう生きたか、というストーリーなのに対し、タミル語版の『ナーヤカン』は、主人公ヴェール・ナイル’(テルグ語版ではヴィーライヤ・ナイドゥ)が、タミルナードゥ南部のテンパーンディシーマ(南パーンディヤ地方)出身で、ボンベイのタミル移民に信頼されていた、という点が(テルグ語版と比べ)明確に出ています。モデルとなったワラダ(ラージャン)・ムダリヤールはインド南端に近い港町トゥティコリン(現トーティクーディ)の出身、19歳でムンバイに移り住みます。ボンベイは南インドでは西海岸のカンナダ語・トゥル語・マラヤーラム語の地域との関係が特に密なのですが、マラヤーラム語地域に隣接するテンパーンディは、西海岸のすぐ先にある地域としてボンベイとのつながりがあったのでしょう。ワラダはスラムのタミル人の面倒を見ながら、ここを拠点とする密造酒製造販売を独占してボスにのし上がったようです。ちなみに、RRRエンディングでティルネルヴェッリの雄牛として登場するチダンバラム・ピッライもトゥティコリンの出身で、イギリス人による海運独占を破るために資金を集めてこの港とスリランカのコロンボを結ぶ定期船を運航しようというのが彼の最初の独立運動でした。西海岸のイスラム教徒がマラヤーラム語やトゥル語を話すのと同じく、タミルナードゥ沿岸部やスリランカ東海岸のイスラム教徒はタミル語を話す人々です。これは、ヨーロッパ人渡来以前の、アフリカからインドネシアに及ぶインド洋通商ネットワークに参加するために、沿岸漁民が改宗したためではないかと思われます。
 映画では、労働組合指導者の父を射殺した警部を火葬の場で刺して逃走したヴェール少年が、列車でボンベイに流れ着き、あてもなく市内を放浪しているところでタイトルロールとなります。タイトルロールの間に、地元の悪童に身ぐるみ剝がされそうになるのですが、罵りの言葉から「おまえ、タミルなのか」と、タミル語で事情を聞いてもらう会話が入り、再開したタイトルロールでタミル人イスラム教徒漁師の一家に身を寄せることになったことが描かれます。タイトルロールで流れるイラヤラージャ作の「テンパーンディの浜を、都会の大通りを駆ける小鹿、誰がおまえをいためつけた」というカマラハーサンの歌は、映画の後半、エンディングを含めて3回繰り返されます。
 ワラダをモデルとして使えないテルグ語吹替版では、テンパーンディが使えないため、テーマ曲4回がそれぞれ歌詞を変えています。タイトルロールではウィーライヤ少年を描写する点がタミル語原曲と共通ですが、「おまえの巣(グードゥ)が壊れた、おまえの心(グンデ)が砕けた」ではじまるので、小鹿ではなく小鳩にたとえています。後半の3回は、それぞれ死者を悼む内容になっています。エンディングはウィーライヤ本人。「星が落ちた、明かりが消えた、涙が残った、物語は終わった」タイトルロールの間の会話は吹き替えられていません。テルグ語地域、特にデカンでは、イスラム教徒はペルシャ系の王朝が北インドから連れてきた人々でヒンディー・ウルドゥー語を話す人々です。テルグ語を話すイスラム教徒一家に身を寄せる、という吹替では不自然なのです。
 タイトルロールの後、主人公が漁船を使った密輸で利益を上げ、養父を殺した地域担当の悪徳警官を報復で殺して地域のリーダー(ナーヤカン)となり、「ハーバーキング」の地位を敵役のテルグ語ボス(テルグ語版ではタミル語ボス)から奪う、という映画の前半では、テルグ語吹替版ではタミル語版とエピソードの順番が入れ替わっている部分があります。妻ニーラとの間に二人の子供ができた後の次の二つです。

  •  急病の子供を助けてほしいという住民の依頼で、病院を脅して時間外診療を認めさせる間、スラムの住民用に救急車を5台買うことを決意する。子供が治った後、住民全体から感謝されるホーリー祭のダンスシーン。

  •  5大ボスの会食でテルグ語ボスを挑発、テルグ語ボスが不可能という大規模な密輸に成功して「ハーバーキング」の座を奪う。

 タミル語版では、密輸成功後に購入した救急車でボスたちの会食の場にのり付け、面目をつぶされたテルグ語ボス長兄が弟たちに「チャンペイ」と命じるシーンで休憩入りします。これに対して、テルグ語版では先に救急車を登場させて、車体に書かれた「タミル福祉協会」への注意を逸らしているのだと思います。敵役のタミル語ボス長兄のセリフは「Kill him, コッリドゥ」です。チャンペイはタミル語映画でもよく登場するテルグ語で説明はいらない、ということでしょうか。
 テルグ語版では雨の中のホーリー祭群舞で休憩入りするわけですが、このシーンも実はタミル映画だということを隠せない部分だと言えると思います。ホーリー祭は3月に行われますが、インドでこの時期に雨が降るのは、北東モンスーンが海側から吹いてくるタミル語地域だけだからです。海に近いボンベイなら降ることもあるのかなと、ダラヴィ・スラム至近のボンベイ空港の気象データを調べてみましたが、3月の月平均降水量は0,5ミリで年間最小、傘がいるような雨が降る確率はたいへん低いのです。また、子供のころからボンベイのスラムで暮らしてきたはずのウィーライヤが片言のヒンディー語しかしゃべれない、というのも、タミル地域的です。テルグ語地域の都市部、特にハイダラーバードならイスラム教徒の店も多く、ヒンディー・ウルドゥー語の簡単な会話もある程度はできるのが普通です。
 しかし、「テンパーンディ地方からの移民の物語」という要素は、あくまで『ゴッドファーザー』へのオマージュであって、移民伝統の近代資本主義の受容による変化、というストーリーまで借用しているわけではありません。むしろテルグ語版のほうがどんなドラマなのかをはっきり見せているところもあります。RRRが、二人の主人公が育んだ友情が、休憩までで修復不能なところまで壊れ、後半で加速度的に回復していく、という筋書きだとすれば、『ナーヤカン』は、家族を失った主人公が休憩までで自分の家族との幸せを確立し、後半ではそれを次々に失っていくけれども、最後は娘と孫に見守られて死ぬことができた、というファミリードラマなのです。
 休憩直後の幸せ家族の会話をテルグ語版で再現してみましょう。妻ニーラが蚊帳にはいってきます。「あら、寝てる格好まであなたそっくり。大きくなったらあなたみたいになるんだって言ってるわよ」「失敗(タップ)したな」「あらどうして?」「子供たちはここにおいといちゃダメだ。しっかり勉強させなきゃ。シャキーラ(養家の妹)とワイザグ(ヴィシャーカパトナム。タミル語版ではマドラス)に行かせよう。子供たちと離れてだいじょうぶか?」「あなたがいるから」「おまえと子供たちが俺のすべてだ」「言ってもいい?」「何だ」「今この瞬間死ぬとしても喜んで死ねるわ」「馬鹿なことを」「ほんとよ、喜んで死ねるわ」
 で、この直後に敵ボスの命じた襲撃で妻ニーラは命を落とします。落下シーンは、『マハーバーラタ』のドラウパディ(パーンダヴァ5兄弟共通の妻)の辱めの映画でもよく取り上げられる有名エピソードを連想させるものとなっています。敵ボス兄弟への復讐を遂げた後、主人公は教育(チャドゥウ)のためにボンベイを離れる子供たちを駅で見送ります。
 RRRの最後のビームのセリフ「学(チャドゥウ)をくれ」をほめる感想を見かけますが、「学」は、鉈や鎌と同じくらい、南インドの映画のお約束みたいなところがあります。『ラーキー』でもストーカーに襲撃された妹友人は、「私、勉強するの、勉強が大好きなの」と言いながら死んでいきます。『ナーヤカン』での、妻となるニーラとの出会いの会話は「お客さん、少し早く終わってもらえませんか?明日数学のテストがあるんです。」なのです。ラーム・チャラン主演の農村映画『ランガスタラム』をご覧になればお分かりかと思いますが、「学」は、それを持たない相手に対しては、鉈や鎌と同じように効果的な武器にもなりえます。テランガナ農村蜂起を描いた『我々の土地』で、地主の館を占拠した農民たちが最初にやるのは、館に保存されていた証書類を集めて焼き尽くすことでした。
 『ナーヤカン』の後半では、教育を終えて帰ってきた子供たちについての思惑違いが描かれます。自分のような裏社会ではなく表社会で活躍してくれることを願っていた息子は、父の仕事を継承することを望んでいます。一方、娘のほうは父のやっていることはアニヤーヤムだからやめるようにと迫るのです。息子は父に代わって指揮した仕事(証人暗殺)での部下のヘマで命を落とし、それを機に娘は父と絶縁して家を出ます。数年後、裏社会の犯罪との対決姿勢を取る新任のエリート警視と直に話し合おうと自宅をたずねたウィーライヤは、犯罪とは無縁の人生を求めて警察官と結婚したという娘と再会するのです。孫の声はするのですが、娘は会わせてくれません。
 『ラーキー』の警視補と似た役回りのこの新人警視を演じたのが若き日のナッサル、つまり、『バーフバリ』のバッラーラデーヴァの父親役です。額こそ後退しはじめていますが、このおいしい役をカッコよく演じ切り、一躍共演男優としてブレークすることになりました。自分の子に犯罪者である自分の身内を知られずに育てたい、という設定は、『ジャナタガレージ』でのNTRジュニアの生い立ちに応用されています。
 ようやく「政治家の息子の集団レイプへの復讐」という本題にたどり着きました。これは、『ゴッドファーザー』の冒頭の有名エピソードです。代価を持ち出した依頼人に対して、それは友人のための復讐というシチリアの流儀に反する、というやりとりでこの映画のテーマを端的に表すシーンとして有名です。オマージュとしてのこのエピソードは『ナーヤカン』では後半に使われているのですが、映画のテーマに重要な関りをもっているという点は同じです。
 『ナーヤカン』での依頼人は、現役の警察官なのです。警察官ですら実現できない娘のためのニヤーヤムの依頼を、ウィーライヤは「娘をもつ父親として」引き受けます。しかし、部下による復讐の現場を目撃してしまった娘は、たとえ悪人であるとしても警察でもないのに罰を与えるのは犯罪だと父をなじります。依頼人に秘密を守ると約束したウィーライヤに言えるのは、「俺には学がないから、何がニヤーヤムかは自分で決めるしかない」ということだけです。判断基準は、映画冒頭で養父から聞いた、「みんなが生きていけるようにとやっていることは、何であってもタップではない」という教えだけなのです。
 映画終盤、ついに逮捕状を取った警視はスラムに踏み込み、ウィーライヤを守ろうとする住民まで次々に逮捕するという強硬手段に出ます。その結果、ついに死者まで出てしまい、ウィーライヤは「これはニヤーヤムではない」と出頭します。それでも収まらない住民の騒乱を危惧し、警視は留置場を訪ね、ウィーライヤがやっていることは制服を着ていないというだけで我々と同じだと認めた上で(『ラーキー』にもほぼ同じ発言があります)、判決当日、住民を鎮めるよう依頼し、さらに、孫を祝福してやってほしいと頼みます。
 劇場ではテルグ語版、タミル語版はシンガポールで買った英語字幕付きPAL方式ビデオ版にはじまって、VCD版、ネットアプロード版まで何回も見た映画ですが、RRRを見るまで意識していなかったシーンがあります。初対面の孫との「おじさんいい人なの?悪い人なの?」「わからない」という有名なやりとりの後、ウィーライヤは首にかけていた守り紐を外して孫にかけてやるのです。「ラクシャタードゥ・ティイヤク」とジャングのセリフを繰り返したくなるシーンです。
(続く)

インドへの道

 巨匠デビッド・リーン監督の遺作『インドへの道』が公開されたのは、私がインド初体験から帰ってきた翌年ぐらいだったと思います。ウィキペディア日本語版には映画の記事しかありませんが、当時は原作のフォースターの小説のほうも、少なくとも英文学界隈では有名な作品だったはずです。英文科卒業の姉の(ほとんど手をつけてない)ペーパーバック本で読んだ記憶があります。RRR とほぼ同時代(1924年)にジェニーみたいな立ち位置、つまり支配者としてではなくインドを理解しようとした外国人の立場で書かれた作品なので、RRR に絡めて少しは話題として出て来るかなと思いましたが、ほとんど見かけませんね。大雑把にいうと、表面的にうまくいっているように見えた地方都市のイギリス人とインド人エリートの間の隠れた溝が、イギリス人女性が(無実の)インド人医師を暴行で訴えた事件を機にあらわになっていく、というような筋で、私は異文化間の相互理解は不可能なんじゃないかと問いかける小説として読みました。映画で印象的だったのは、裁判で医師を支持して集まったインド人群衆が、審理で言及されたムーア夫人の名前を、審理の内容を理解しないまま「ミッセスモー」と連呼し始めるところです。「(外国人には)理解しがたい混沌」の一例としてあげているように思えました。
 インド映画といえば群衆シーン、大量動員に圧倒されてしまうのですが、よく考えてみるとなぜこんなに人が集まってしまうのか、演出意図にちょっと戸惑ってしまう例も多いです。『ラーキー』の場合は女性ばかりの群衆なので、なんとなくアイドルのイベントのような印象で見てしまいますが、男性多数の群衆でも、大けがをした『シンハドリ』(シンガマライ)の回復を祈ってケララから24時間以上かけてバスをチャーターして病院の前に集まってくる、となるとこれはさすがにやりすぎじゃないの?と、思えます。ただ、『ナーヤカン』や『ラーキー』の裁判のようなケースだと、たぶん少なくともインドのオーディエンスにとっては割と自然なんじゃなかろうかと思うようになったという、初めてのインドでのお話。
 私の初インドは1984年夏、ハイダラーバードに着いて、用事を済ませてチャールミナールの観光にでもと思ったら、旧市街一帯 curfew が出てるぞと言われてそれ何だ、という政治の季節でした。簡単に背景を説明しておきます。インドの独立運動を主導した国民会議派は独立後も長期政権を続けたのですが、はじめての政権交代が1977年です。インディラ・ガンディー首相が1975年に出した非常事態令が、人口抑制のための不妊手術推進など不人気のための大敗でした。しかし、反国民会議派の連立政権は内部分裂で機能不全となり、国民会議派大勝で政権を回復したのが1980年です。この間、アーンドラ・プラデーシュは一貫して安定した国民会議派の地盤だったのですが、1982年にシニアNTRがテルグデーサム党を結党、1983年の州議選で圧勝して州首相となります。危機感をもったのが国民会議派です。総選挙を前にNTRの全国的なカリスマ性を恐れたインディラ・ガンディー首相自身の指示ではないかと言われていますが、 中央政府任命の州知事(総督)が、NTRが病気治療のため渡米している留守の1984年8月、テルグデーサム党内の造反派と国民会議派の支持で州首相を交代させるという政変が起きます。NTR は急遽帰国、デリーでの抗議活動の末、9月に州首相に返り咲きました。その後、シク教過激派による暗殺でインディラ・ガンディーは死去、これを受けての年末の総選挙で息子のラジブが引き継いだ国民会議派が再び圧勝するのですが、アーンドラ・プラデーシュで圧勝したテルグデーサム党は野党第一党となります。
 この造反劇の間、ハイダラーバードにいました。市内は比較的平静だったのですが、驚いたのが州内各地から伝えられてくるニュースです。NTR 解任への抗議の自殺が何件も報じられていました。この後、NTR より一足先にタミルナードゥの州首相となった大スターMGR(ラーマチャンドラン)が亡くなったときも、また、娘婿の仕掛けた党内政変で州首相を解任された NTR が亡くなったときも、たまたまインドにいたのですが、どちらも殉死者が出たと記憶しています。
 『ラーキー』では、ミーナークシ警視補とトリプラの対決の場面で、「あなたラーキーの恋人?」という問いに対して、「それ以上よ。バクトゥラールなの。I worship him.」とトリプラが答えます。バクトゥラールは「信者」の女性形なのですが、南インドではじまり後に全国に広がったと言われるヒンドゥー教の信仰形態「バクティ(帰依信仰)」に関係する単語です。多神教のヒンドゥー教にあって、どれか一人の神様に一心に帰依する、というわけです。政治家であれ映画スターであれ、この人と決めたら何があっても、多少わからない点はあっても、どこまでだってついていきます、という人が多いのはそういうところも関係しているかもと思います。騙されなきゃいいんですけどね。
 『ヤマドンガ』でも出てくる通り、人気ナンバー1のクリシュナ神(マハートマ・ガンディーも信者です。自伝参照)は、盗みも働けば嘘もつく、ハーメルンの笛吹よろしく女たちを誘い出し、複数同時進行でつきあっちゃうというキャラクター。ラーマ神はどちらかというと優等生キャラクターで厳格な一夫一妻制信者。インド映画のキャラ作りにはこういう人間臭い友達的な神様イメージが影響しています。
(つけたし)
 トリプラは、警察が「オフィシャル・マフィア」だと言っています。「ナーヤカン」がマフィアで制服を着ていない警察だとすれば、警察は制服を着ているマフィアということになりますね。

Prohibition(禁酒法)

 テルグ映画を見ていて時代が変わったなと思うのは、飲酒の描写です。80年代、セリフもろくに聞き取れなかった頃、悪役を見分けるいちばん確実な方法は飲酒シーンでした。暗い酒場で集まって何ごとか話し合っている人たちがいて、女性ボーカルに合わせてやや露出度の高い衣装のふくよかな女優さんが体をくねらせて踊っている、と来れば100パーセント悪役登場シーンとみてよかったのです。2000年代以降の映画だと酒場シーンでヒーローが踊るし酒場ダンスのみで登場する女優さんのグレードも上がっています。『ジャナタガレージ』「パッカ・ローカル(100%ローカル)」のカージャルとか。たぶん、酒場で飲めるような観客層が増えていることの反映でしょう。ITエンジニア向けのタワマンが林立するハイダラーバード西部の盛り場だと明らかに若者向けの飲み屋も登場していて、大画面プロジェクターの前で屈託なくカラオケ歌ってたりしてます。
 しかし、酒は飲まない人のほうが多いので、ヒーローが酒を飲むとしたらよくよくの事情がある、という演出もまだ多いです。たとえば、傷心のあまりアル中に、とか。日本だと傷心の末酒におぼれるのが辛うじて許されるのは昭和歌謡の歌詞のヒロインぐらいだと思うのですが、インド映画ではヒーローになれるというのは飲まない人が多いからでしょう。『ラーキー』でもラーキーはふだんは飲まない設定なので、「胸騒ぎ」の晩にはじめてガブ飲みして外で寝ることになる、という演出です。祖父をはじめとする赤帽の面々が線路脇の屋外で飲んでいる、というのは庶民感覚が出ています。酒をのむこと自体が必ずしも悪くはないとしても、家で家族の前で酒を飲む、というのは、セレブや外国帰りを誇示したい人以外だと、それだけでDVとみなされてしまうのです。ラーキーの叔母さんは、「騙されたの。あの人にない(悪い)習慣(アラワートゥ)はなかった。」と(家族の反対を押し切って結婚はしたものの)別れた夫のことを語るのですが、それでも、「飲んで、帰ってきて、なぐる」のですから、一線は越えていません。
 赤帽の面々が飲んでいるのは酒屋で買ってきた「カントリーリカー」です。瓶入りのが蒸留酒のアラック、ビニール袋入りのがヤシの樹液の醸造酒、いわゆるtoddy、テルグ語のカッルです。カッルはヤシの樹液を壺に溜めて一晩自然発酵させたもので、新鮮なうちはいいのですが、置いておくとアルコールが酸化してドブ臭くなってしまいます。西海岸に行くとカシュー・フェニーというアルコール濃度の高い蒸留酒もあります。カシューナッツからアルコール取れるのかなと不思議だったのですが、カシューナッツは小ぶりのリンゴのような木の実から種が下に降りてぶら下がったもので、フェニ―は実のほうを発酵させて作るようです。『西遊記』に出てくる「赤ん坊の形をした木の実」というのは案外、カシューの実をはじめて見た人のイマジネーションかもしれないなと思いました。
 「カントリーリカー」は、煙草でいえばビーディーや泥臭い葉巻(チュッタ)にあたるもので、農村部の人や、都市部では労働者階級の人向けで、農村だと、村外れの人目に付かないところで昼から営業している酒場があったりしますが、都市部の酒場では見かけません。80年代のハイダラーバードの酒場に置いていたのは「フォーリンリカー」、煙草でいえば紙巻タバコに相当するものです。瓶入りのビールは高級品で、国産ウイスキーやラム、ジンなどをシングル、ダブルで注文して炭酸で割って飲む、というのが一般的でした。ただ、これらの国産洋酒の多くは「アラック」とどう違うんだというような味で、明らかにラムの味のする「オールドモンク」という銘柄ばかり飲んでいたのですが、時代は変わり「オールドモンク」も姿を消すのではという噂が出ているようです。ビールでは幅を利かせていた「キングフィッシャー」のUB (バンガロール)もハイネケンの傘下に入ったようですし、巨大市場インドを多国籍食品メーカーが虎視眈々と狙っています。ハイダラーバードだとゴールコンダ・ワインという国産ワインがあって、ひところはファイブスター・ホテルでも出していたのですが、どうなってしまったか、通販も見かけません。
 飲酒が当然の習慣として社会的にも認められているのが軍人です。軍の基地内には、旧日本軍でいえば「酒保」(「のらくろ」によく出てきます)に当たるような、将校向けのクラブや、兵向けのメスがあって、そこで酒も提供されているようです。国産洋酒のメーカーも、植民地時代にインド軍向けに酒を卸していた企業をルーツにもつものが多いのです。イギリス統治の影響は軍の外にも及んでいて、会員制の「クラブ」で夕刻を過ごす、という名士も都市部にはいます。RRR のパーティーが開かれた「ジムカーナー・クラブ」もデリー・ジムカーナーとして存続しているようです。RRR での描写から想像するに、カクテルとかも出るんでしょうね。
 しかし、一般的に、特に女性の間では、飲酒に対する風当たりが強いです。飲酒=家庭内暴力という等式もそうですが、それ以上に、日給の労働者層の場合、亭主に飲酒の習慣があると、現金収入が家族に渡らず貧困に直結します。さらに、酒の習慣性を使った収奪もよく知られています。RRR のビームのような部族民地域に平地民が進出するときにまず開くのが酒屋です。習慣性がつくまでツケで酒を売り、返せないほど支払いがたまったところで借金のカタに土地を奪う、というわけです。
 インドでは州によって Prohibition (禁酒法)が施行されているところがよくありますが、これは、女性票を中心とした集票が期待できるからです。ただし、禁酒法は州の税収に大きく穴をあけることになりますし、密輸の取り締まりや密造酒による健康被害の発生など問題も多いので、数年で撤回されるのが普通です。アーンドラ・プラデーシュ州の Prohibition は、1994年から1997年の3年間。このうちの1年間インドにいました。外国人はホテルで飲む分には適用されない法律なので、ほとんど影響はなかったのですが。
 Prohibition (禁酒法)を1994年の州議選で最初に公約に掲げたのは、1989年の敗北で州首相の座を降りていたシニア NTR です。この敗北は、長期政権批判のほか、NTR が健康上の理由で遊説に回れなかったことも敗因と言われていますが、それ以上に、テルグデーシャム党は、この地域でバラモンやレッディに継いで有力な第3勢力のカンマ・カーストの支配である、という国民会議派側からの攻撃が大きかったのではないかと思います。1985年にカラムチェードゥ村で起きたカンマ地主層によるダリト住民大量虐殺事件を機に、それまで国民会議派の保護政策に乗る形で消極的に多数派形成に関わってきた SC (被保護指定カースト)が自律的な政治勢力として団結しはじめた、という『ランガスタラム』に描かれたような状況も関わっているでしょう。1980年代までは、SC の通称として、「ハリジャン(光の子、ヴィシュヌ神の子)」というマハートマ・ガンディーの命名による呼称がまだよく使われていたと思いますが、1990年代までに、アンベードカルが主張した「ダリト」(踏みつけられた者)という自称にほぼ取って代わられました。
 1994年の Prohibition は、テルグデーシャム党にとっては貧困層からの支持を取り戻すための起死回生の策だったのです。対する国民会議派側もこれはいけないと公約に追加しましたので、選挙でどちらが勝ってもProhibition という状況でした。結果的にはテルグデーシャム党が大勝しましたが、これには、国民会議派が中央政府で野党だった時代に反国民会議派が策定した、SC / ST 以外の「後進諸カースト」にも保護政策を広げるという多数派形成策が奏功したのではないかと思います。(これは、保護政策を受けられない上位カーストの若年層を「カーストと関係なくヒンドゥー教徒として団結すべきだ」というBJP支持に向かわせた要因だと思うのですが。 )しかし、NTR が勝利に安堵したのも束の間、娘婿のチャンドラバーブ・ナイドゥが、NTR が前年に再婚した後妻の政治的野心に操られているのではないかと恐れる州会議員をハイダラーバードのカンマ系ホテルに集めて党内クーデターを断行します。首相に就任したチャンドラバーブ・ナイドゥは、中央政府の進める経済自由化政策に乗って、海外IT企業を積極的に誘致するなど改革開放を推し進めます。Prohibition など時代に合わないと切り捨ててしまうのです。
 チャンドラバーブ・ナイドゥのハイダラーバードを中心とした積極経済策は、農村部を取り残した発展策でもありました。ハイダラーバードの利権を、カンマなど海岸部の上位カーストから取り戻し、取り残されたテランガナで独占したいという要求が州の分離運動につながっている面もあると思います。ナイドゥ政権は10年で倒れ、州政治の焦点は、テルグ語州アーンドラ・プラデーシュの分割へと移り2014年に現在の2州が成立するのです。
 ラーム・チャランの父、メガスター・チランジーヴィが2009年の州議選で政治家に転身したときの人民政府党は、公約として Prohibition を盛り込みました。18議席で第3党と、まずまずの結果ではありましたが、たぶんもう アーンドラ/テランガナでは Prohibition では勝てない時代に入ったんだろうと思います。

(追記)
 これを書いていて気がついたのですが、虐殺事件の起きたカラムチェードゥ村、ラーナー・ダッグバーティ(バッラーラ・デーヴァ役)の祖父の出身地です。事件の時にはもうハイダラーバードに移っていますが。また、NTR のもう一人の娘婿のダッグバーティ・ヴェンカテーシュワラ・ラオ議員もこの村の出身。チャンドラバーブ・ナイドゥとは折り合いが悪く現在は(分派)国民会議派の所属です。そのままアクション映画になりそうな事件です。何の救いもないけれど。

(話題が変わりますがさらに追記)

Bharata 余談

 『ラーキー』の大臣の息子の名前が「バラタ」だと言うことを書きましたが、インド説話でバラタがどういう人物かというのを調べてみたらなかなか面白かったので共有します。
 『マハーバーラタ』は、クル族とパンドゥ族の戦いを中心に展開しますが、クル族・バンドゥ族はもともと同族で、「バーラタ族」の分派です。「バーラタ族」は、インドの口承文献では最も早く(一部はおそらくインドアーリヤ人がまだインドに入る前に)成立したとされる『リグ・ヴェーダ』にもすでに登場している有力部族ですが、『マハーバーラタ』ではこの一族の祖となる人物として、バラタ・チャクラヴァルティ「皇帝バラタ」が登場します。チャクラヴァルティは、直訳すると「車輪を回す者」ですが、スポークの採用で軽量化した車輪をもつ戦車を馬(ユーラシア中央部起源)に引かせた軍団でユーラシア大陸を南下したアーリヤ人(インド・ヨーロッパ人)をイメージさせる称号です。バラタの征服した土地バーラタが、北インドではインド全体の呼称として用いられるようになった、というわけです。
 バラタは神話上の人物なのですが、母方の祖母が天女マーネカ、そう、『ヤマドンガ』でヤマが選挙の応援に呼び出す3人の天女(アプサラ)の一人です。七聖仙の一人であるヴィシュヴァミトラが苦行(タパス)の満願で神を超える力を持つようになるようになるのを恐れた神々の長インドラ神が差し向けたのがマーネカで、マーネカは使命を達成してヴィシュヴァミトラの娘、シャクンタラーを生みます。森で聖仙に育てられたシャクンタラーを見初めた王との間に生まれたのがバラタですが、宮廷に迎えられるまで森で育ったために、ライオンや虎と戦って、口をこじ開けてその歯を数えるのが趣味、という元気な子供だったようです。
 『ラーマーヤナ』のバラタは、ラーマ王子の異母弟です。母親が陰謀でラーマ王子から奪った王位継承権を渡そうとするのですが、母と絶縁してラーマ王子に忠誠を誓い、ラーマ王子がアヨードヤの都を留守にしている間、摂政として統治にあたった、という王族になります。
 面白いのがジャイナ教の説話のバラタです。ジャイナ教の(伝説上の)初代出家僧主はもともとアヨードヤの王で、出家にあたって息子100人に王国を分け与えるのですが、都アヨードヤをもらったのがバラタです。残りの兄弟のうち、98人は国をバラタに譲って出家してしまうので、バラタは諸王の王、チャクラヴァルティとなるのですが、バラタが回すチャクラは、ギザギザの刃で縁取りをした特殊兵器だったのです。諸国を征服してアヨードヤに入城しようとしたところでそのチャクラが止まってしまいます。まだ出家していない残る一人は誰か。勘のいい方はお気づきかと思いますが、バーフバリ、現在のテランガナに比定されるアシュマカを分け与えられた王だったのです。バラタは、バーフバリを倒すためにタイマンで3つの戦い(睨み合い、水の戦い、レスリング)を挑みますが、いずれも敗れてしまいます。怒ったバラタはスペシャル・チャクラを送りますが、バーフバリに近づくとチャクラは止まってしまうのです。
 バーフバリは、王位に興味はなく、そのまま出家してしまい、長い修行の末に悟りを開いたジャイナ教空衣派の聖人となります。バラタは王位に着くのですが、晩年には出家します。息子二人のうち、王位につかなかった方がジャイナ教の2代目出家僧主となるのですが、悟りを開くことができず、輪廻転生を重ねた末、24代出家僧主マハーヴィーラ(ジャイナ教開祖とされることの多い実在人物)となった、ということです。完璧な悪役ではないですね。
 ラージャマウリ監督の着想の引き出し、こんなところにも、という付け足しでした。

プシュパ覚醒 見ました

 出てくる参道はたぶんティルパティのヴェンカタドリだと思うので、ヤマドンガとの併映だとヴィシャーカパトナムのシンハドリと併せてアーンドラのヴィシュヌ派2大寺院からご利益がある企画ということになります。ヤマドンガでクベーラ神の不法な借金取り立てで苦しんでいるとされるヴェンカテーシュワラ神(ナラシンハ神同様、ヴィシュヌの化身)がこの寺院の祭神です。
 (2回目鑑賞。ティルパティの神様はセリフに出てくるだけで、ティルパティの町という設定なのはムルガンからの金を受け取るシーンだけですね。スリワッリが住んでいるのをティルパティと勘違いしてました。どこか山上の寺を探してみますか。買収に使ったチランジーヴィの主演作は1998年のヒット映画『チューダーラニ・ウンディ(直訳「見たい(逢いたい)」)』(『バブーを探せ』という邦題で公開)のようです。)
 ティルパティ詣りというと、男女とも髪の毛を寄進して丸坊主で帰って来る人たちを連想してしまうのですが、プシュパではもうひとつ別の剃髪シーン(こちらは男性だけ)が出てきます。父親の服喪中、息子たちは丸坊主で過ごすのです。映画では(たぶん俳優さんのスケジュールへの影響もあるでしょうし)あまり出てこないのですが、この映画でわざわざ使っているのはティルパティだからということではないでしょう。
 舞台となっているチットゥール県周辺はタミル語地域との境界にあたり、今世紀初頭から何回も境界の変更を経ています。映画でも冒頭からタミル語がかなり使われていますし、テルグ語の方言も注意していないとタミル語からの切り替えに気が付かない独特のイントネーションがついています。「マッチャー」(兄貴)はタミル語だと思っていたのですが、ケーシャヴァが一貫してこれで呼びかけるのは、タミルナードゥ側からの出稼ぎだという演出なのか、それともこの地域の方言なのか、判断がつきません。
 映画自体なかなか面白かったし続編乞うご期待なのですが、今作で特に強烈だなと思ったのは、プシュパが、「4%の報酬ということにすれば、パートナーだ」と主張するセリフです。RRRが後を引いているためだと思うのですが、東インド会社がマドラス州で採用した「ライヤットワーリー制」を連想してしまったのです。税収をあげるために、耕作者(ペルシャ語のライーヤト、テルグ語ではライトゥ)に直接課税する、という政策です。50%を税金で持って行かれるとしても、言ってみれば、自作農は東インド会社のパートナーとなったわけです。灌漑施設などインフラ整備で生産性が向上した結果、イギリス直轄領だった沿岸アーンドラ地域では、農民カーストが経済力をつけていき、これがザミーンダール(封建領主)支配が続いたテランガナとの格差につながっていくのです。
 もうひとつ未見のサイラーナラシンハレッディで描かれるのは、「ライヤットワーリー制」で東インド会社の直接のパートナーではなく(王族)年金受給者になったザミーンダールが、(もともとは)年金額への不満から起こした反乱ですが、同じくパートナーにはなれず、むしろ土地を失っていった中小自作民層や農業労働者層を巻き込んでいく過程をどんな切り口で描くのかな、というところが見所です。※ 見ました。今回の他の3作品と比べられてしまうのがちょっと残念な作品でした。チランジーヴィとアミターブ・バッチャンの共演作品ですが「出ている」というだけ。選挙の応援にかけつけた映画スターを見ました、とでもいうか。チランジーヴィはマガディーラでの数分の出番のほうが持ち味が出ている気がします。エンディングロールではたくさんのフリーダムファイターが紹介されますが、RRRとのだぶりはスバース・チャンドラ・ボース、バーガット・シン、チダンバラム・ピッライの3人を確認しました。あとアッルーリ・シータラーマ・ラージュとコマラム・ビーム。新宿中村屋のビハーリー・ボースもいました。総督暗殺未遂犯です。(2023/10/28)

苦力

 『プシュパ』の字幕には、「苦力」が「クーリー」の振り仮名付でよく登場します。ウィキペディアによれば「19世紀から20世紀初頭にかけての、中国人・インド人を中心とするアジア系の移民、もしくは出稼ぎの労働者」であり、「当初はインド人労働者を指した呼び名であったが、後に中国人労働者に「苦力」という漢字をあてた」というもので、直接には英語の coolie ~ cooly の当て字だとされています。では英語の cooly がインドの言語から来ているとしたら、どの単語か、ということになると、はっきりしないのです。
 19世紀に主に南アジア・東南アジアで使われていた英語語彙の辞書であるHobson-Jobson は、cooly の語源として、大きく分けて3つの説を載せています。第一は、本来は北西インドの西ガーツ山地の山地民 Kole に由来する、というもの。ポルトガル人の残した文献に早くから登場している語である、ということが根拠なのだと思いますが、Slav という民族名が slave という普通名詞になったのと同じ、という説明は今一つ説得力に欠けます。
 もう一つは、「奴隷」を意味する外来語、たとえばトルコ語の qul, quliに由来する、という説。ただ、イスラム世界の「奴隷(傭兵)」は王位を簒奪するような人たち(ma-mluk)も含んでいるわけで、ちょっとイメージが違うかもしれません。16~17世紀のテルグ語地域をヴィジャヤナガラ帝国と二分したゴールコンダのトルコ系王家(クトゥブ・シャー)には、スルタン・クリーやムハンマド・クリーといったスルタンがいます。前者は、バフマン朝スルタンの支配から独立したものの自らは「スルタンの僕(しもべ)」と名乗っていた初代、後者はゴールコンダの新市ハイダラーバードを建設、ヒンドゥー教徒の母と妻をもち、宮廷文化としてウルドゥー語やテルグ語の歌や詩を育てた最盛期のスルタンです。サンスクリットのダーサ「奴隷」も同じように人名に使われる語で、(マハートマ「偉大な」)ガンディーの本名モーハンダースは「クリシュナの僕」ですし、南インドのキリスト教徒にはイェスダーサン「イエスの僕」なんていう名前もよくあります。必ずしも肉体労働には結びつかない語なのです。
 となると、プシュパの言う南インドの「クーリ」が本家苦力か、ということになりますが、ここにもちょっと難点があります。「クーリ」は「日当」で、「クーリパニ」が「日雇い仕事」、肉体労働者という意味ではないのです。インドの農村だと土地をもたない人や、もっていても食べて行くのに十分でない人がいて、これらの人々が現金収入を求めて地主の家の農作業や家事を含む労働に従事します。これが「クーリパニ」です。プシュパの家は牛を飼っていましたので、家でチャイを飲んだり食事にヨーグルト(英 curd テルグ語でペルグ)をかけて食べるのに不自由はなさそうですが、食べていくのに十分な農地はなかったんでしょう。
 このクーリは、テルグ語だけでなく(ゴーンド語のような先住民言語を含む)南インドの諸言語で「賃金」を指す語として共有されているので、『ドラヴィダ語語源辞典』にも掲載されドラヴィダ系言語が共通に受け継いだ語として取り扱われています。でもよく考えると変なのです。同じ「クーリ」という語形が、同じ「賃金」という意味で使われている、ということは、ドラヴィダ系の言語が今のように別れる前、少なくとも3000年以上前の時代から「賃金」という語があって、それが「クーリ」という語形のまま変化しなかった、ということになります。
 しかし、今のような土地をもたない農業労働者が現れたのは、おそらくライヤットワーリー制で近代的な土地所有制度ができた結果だと考えたほうがよさそうです。ライヤットワーリー制で、すべての土地の納税者=耕作者が確定し、所有権(売買の権利を含む)が発生します。東インド会社は、税金の金納を求めたので、納税のために借金して返済が滞り、耕作していた土地を売らざるをえなくなる小農が増えたのです。農業労働者だけではありません。ライヤットワーリー制が破壊したのは、前近代の、農民だけでなく手工業者やサービス従事者を含む自給自足的な農村共同体だと言われています。手工業者やサービス従事者は、仕事の対価としてその都度賃金を受け取るのではなく、村との契約で年棒(石高)を得ていたのだとすると、その時代のクーリとはいったい何だったのでしょう。
 共通の語形が共通の意味で広く分布している、というのはひょっとすると新しく広がった単語だったからだ、という解釈も可能です。となると、クーリはいったいどこから来たのか、という問題をさらにややこしくすることになりそうです。(2023・11・16)






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