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TVを見てて感じたS型とN型の関係

 正月はテレビを見る一年に一度の機会。
 今日見ていたのが博士ちゃんっていう教養番組のローマ特集。博士ちゃんっていうのは、博士な(オタクな)子供が色々な所を冒険しながらお茶の間にその面白さを教えてくれる番組で。
 今回は東大生の男の子が博士で、女優の杏と一緒にローマをめぐる番組構成だった。

 VTRの中で二人で話しながら遺跡の詳細やその背景にある歴史について解説してくれるのだが、博士ちゃんと杏さんの二人のオタクっぷりがすごい。飲食店のカウンターに空いている穴から当時の異文化交流の状況に思いを巡らせたり、法廷の石に触って古代ローマ人のぬくもりを感じ合ったり、水汲み場の蛇口の左側の石の方がすり減っている事から人類が右利きが多い理由の考察を始めたりとか。ぶっとびまくりの典型的なN型×N型の会話で、NT型からすると、ずっと聞いていたいような心地よい内容だった。

 ここに対するスタジオの反応がズレているのに、NとSの違いを感じた。
 N型的には、VTRで述べられていた内容についてまた別の角度からの意見や感想を述べて膨らませるのが良いコメントだと思うのだが、番組でのスタジオの面々の反応は違った。先述したような「話の飛躍があること」にツッコミを入れたり、話し込んで時間が経ちすぎてるのを面白おかしくネタにしたりしていた。
 話の内容じゃなくて、VTRの二人がすごい、賢いけど変わってる!っていう形でスタジオが受け取るんだよね。考えている内容じゃなくて、出演者をアイコン化して役割をあげることで、やっと受け入れられているような。

 これはノウハウなのか意図的なのか、TVにはS型の存在を意識したそういうテクニックは随所にみられている。
 VTR中にゲストの表情を映したりラフトラックを入れることで、狙った場面で特定の感情が想起されるように仕組んだり、色々な捉え方ができる面白い会話をナレーションが一つの結論としてアナウンスしちゃったり。考える必要がある場面を極力減らし、どのように解釈すればよいか、どう感じればよいかを、スタジオを通して徹底的にガイダンスしてくる。

 N型向けに番組を作るのであれば、博士ちゃんと杏だけに延々としゃべらせればそれで済む。だけど、TVを見るのはS型の方が多くて。彼らにとっては、自分たちの認知とVTRをつなぐ架け橋として、S型的文脈で彼らに寄り添ってくれるスタジオが必要なのだろう。

 実際に、これらの演出はISFJの母親には結構大事だったようだ。一緒にテレビを見ながら、ラフトラックに合わせて反応するし、博士ちゃんが初登場の時からいかにかわいく賢かったか、いかに東大に受かってすごいか等を力説された。ローマについては…、パン画とか参考イラストとかを見ながらすごーいとは言っていたかな。

 あと、VTRとスタジオの関係性を見て、地味に公立学校時代のクラスの雰囲気を思い出した。僕は素で思ったことを言っているだけなんだけれど、「変なことを言う面白い奴」扱いされる。そこにツッコミを入れてくれる誰かがいて、初めて周りとのリアクションが成立する、みたいな。
 その時の自分はツッコミが不快という訳ではなく、むしろ仲間に入れてくれてありがかったんだけれど、今考えると不健全な関係だよなぁ…。こういう環境にさらされるにつれ、N型同士でつるみ始めて断絶していくんだろう。

 いや、それが良いとか悪いとかいう評価をしたいわけではない。でも、こういう所にも認知の仕方の違いって出てくるんだなとしみじみしてしまったし、両者にとって楽しく見れるような番組の工夫について、思いを巡らせた。話の腰を散々折ってるとも言える一方、学生の時のアイツみたいに、N型の考えの面白い面を紹介してくれてるとも捉えられるわけで…。
 誰にでも伝わるように言葉を伝えるのってめちゃ大変なんだなあ…。

 あ、番組自体は普通に面白かったです。博士ちゃんと杏さんの掛け合いは本当に面白いので、オススメします。

※追記
思い返してみると、芦田愛菜がスタジオ側でもN型の会話をして、サンドイッチマンによってS型に寄りすぎたスタジオを中和している雰囲気がある。このおかげで不快感はないんだよな。もし全部計算の上演出してたら、結構すごいわ…。

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