日本での16タイプ相性論に警鐘を鳴らしたい
最近、日本でも16perもしくはMBTIの流行が進んでる。
こういう性格分析がそもそも好きなのはN型で、すごくNだらけのコンテンツだったなと思っていたんだけど、最近はnoteでもYoutube生放送とかでもS型をよく見る。S型が増える=流行だと思っているので、落ち着くまでこの流行はまだ広がっていくと思っている。
それ故に警鐘を鳴らさなければいけないので記事を書く。
人の性として、性格診断が面白ければ、そりゃ周りの相手との相性を調べたくなるだろう。僕も、MBTIクラスターとして、MBTIの相性論は婚活とかにも活用しようと思っていた。人のタイプをそれとなく聞きだし、検索してENTPとの相性を調べたものだ。
日本で検索で一番上に来る相性診断
しかし、MBTIについて自分なりの勉強を深めるにつれ、16タイプの相性論はどんな根拠があるのか?いろいろなぺージで言っていることが全然違くないか?様々な疑問がわいてきた。
そこで相性論の出元について調べたり、心理機能の組み合わせについて考えたり、海外で言われている事との整合性も鑑みた結果、日本でメジャーなこの相性論は、
「論理的に間違っている」し、「実用的に誤っている」し、それゆえに「倫理的に問題がある」代物である、という結論に至った。
ということで、この問題について、共有したい。
日本で言われている相性論の原理は?
有名な話、そもそも、MBTIは自認するものであって、相性論は存在していない。これは公式で言われていることだ。
それでは、現状巷で言われている相性論は何かというと、二次創作であり、その根拠はソシオニクス理論からの輸入だ。以下、この相性論を"ソシオニクス流"という。
めっちゃざっくりまとめて申し訳ないが、ソシオニクス理論においては、自分にとっての各心理機能が相手にとってそれぞれ何番目に当たるかという組み合わせで相性を決定する。例として、「双対関係」は最も相性が良いペアなのだが、これは相互に自分の第三機能(自分の課題)が相手の第一機能(相手の素)、自分の第四機能(自分の苦手)が相手の第二機能(相手の得意)になる関係だ。この関係性であれば、相互に補い合えて尊敬しあえるという訳だ。"ソシオニクス流"では、この関係性を16perでも準用している。
16perに輸入された結果、ENTPが相性が良い相手は、課題である"F"(16perではFe/Fiの分けが存在しない)を第一機能に持ち、弱点であるSを二番目に持ち、かつお互いにその関係となるタイプで、ISFPらしい。お互いに1234m→3412となる関係ということだ。
うーん、もっともらしいことを言っているけど、これをそのまま横引きすることは間違っている。例えば、ソシオニクスではENTPの構成要素はNe→Ti→Se→Fiの4つになる。16perではN→T→F→Sなので、心理機能配置の思想からして違うのだ。なのに、同じ原理を使っている。
その結果、ソシオニクスにおいてはILE(ENTP)と最も相性が良いのはSEI(ISFJ)なのだが、"ソシオニクス流”では、この二人は最悪の相性として結論付けられている。
この相性論は、既に輸入元と矛盾しているのだ。
論理的問題
ほかにも論理的問題点がいくつか提示できる。その例を挙げよう。
第一に、この相性論は各タイプの個別の性質を無視し、お互いの四文字のどこが同じでどこがずれているかというところのみを評価しているところだ。例えば、ENTPとESFJの相性【〇×××】と、INTPとISFJ【〇×××】の関係性は同じ性質であると評価される。
(実際に上のサイトで診断すれば、タイプだけ入れ替えて、関係性については同じ文面の使い回しなのがわかるだろう。)
これって、MBTIの4文字にそれぞれ対称性が存在する事が前提になければならない。つまり、「T→F、F→Tでのお互いの感じ方」は同一であり、更に「T⇔F、N⇔Sの関係性」も同一である必要がある。
こんなことは仮定しうるのだろうか?そんなに人間の心理は単純か?僕は既にN⇔Sは対称性が破れていると考えるため、この仮定は論理的にまずあり得ないと考えている。
第二に、心理機能を内向外向で一緒くたにしている時点で破綻している。人が第三機能に憧れを持つのはその通りだと思うが、ENTPの憧れるのはFではなくFeだ。ISFPが持つのはFiである。n=1の例ではあるが、僕はFiが強いという理由で人を尊敬したことなんて人生で一度もない。
第三に、日本の相性論は世界で言われてる相性とも整合しないということだ。『MBTI compability』で検索してみてほしい。日本で言われている相性表と全く違う結果になるはずだ。
海外ではソシオニクスに基づいた相性論は展開されておらず、136パターンごとに、恐らく個別に実地的な、具体的分析がなされている。
(そして、日本で最高であるENTP×ISFPのような×××〇の関係は相性悪いことが多いというのが世界の常識だったりする。しかも、その程度もタイプごとに様々だ)
第四に、その相性はどんな人間関係が前提かということが定義されていないことだ。つまり、良い友達となれる相手は良い恋人にも良い家族にもなれる、ということを前提にしなければならない。
これもなかなか受け入れがたいだろう。例えば友達であれば自分とタイプが遠い相手は、勉強になることが多くプラスに受け取れる。しかしパートナーであれば、ある程度タイプが近くて理解に苦労しない関係でないと、続かないと考えている。
実用的問題
実際にも、相性が良いと言われているがそうでもないという事例はかなりあげられる。
■ENTP×ISFP
日本では相性最高と言われている。確かになんか愛くるしいなーとか思う。しかし、別に話が合うわけでもないし、目が覚めるような相性の良さは感じられない。
実際のところISFPは友達にいるが、二人で話に行くことはできない。10分くらいは適当に世間話して上手くいくのだが、なんかそわそわするというか、キャッチボールは成立していない感覚がある。アイデアや世界観の話をしてもあまり興味を持ってくれないし。向こうの好きなものの話も、センス良いなと思うんだけど、それ以上にはピンとこない。
そのピンとこないことを逆に学ぶべきなのだ!というのであればそれは押しつけだと思うし。
■ENTP×ISFJ
日本では相性最悪と言われている。確かに、安定を求めるISFJと変革を求めるENTPがかみ合わないという理屈は理解できる。
しかし、ENTPはISFJとFe-Ti及びNe-Siを共有していることから、根本的な価値観が近い。抱くのはお互いの考えは理解できるが自分には到底できない、という感情である。逆の方向を向いているが同郷の間柄、という感覚で、不思議なリラックス感を持てる。尊敬できる上司の一人はISFJだ。
二人同じ部屋に同棲させたら具体的な摩擦が起こるというのはまあわかるのだが、うまくやっていける場面も多い。
その他にも、ESTP×INFPが相性が最高等、まじかよー?と思うような相性が様々出てくる。
倫理的問題
上記のように、僕は”ソシオニクス流”相性論は破綻していると考えているのだが、これが無批判なまま(一部ではされてるけど)社会に広まっていくのは、倫理的にも問題がある。
例えば、相性論を知ってしまえば、自分と相手が相性が良いからor悪いからという理由で交際したりしなかったりする心理的ベクトルがどうしてもはたらく。特に若く未熟なほどそうだろう。
これは単なる偏見であって、ありのままの相手と向き合うという人間の根本的なコミュニケーションを阻害する。最悪、いじめの原因にもなりうる。相互理解のためのMBTIが、偏見と分断を生むツールになりかねないのだ。
また、例えば相性が悪いと言われてしまっているカップルが喧嘩したときに、そもそも相性が悪いからやっぱり駄目だったね、という理由付けに使われてしまう可能性がある。本質的な問題解決をおろそかにし、人のつながりを弱くする可能性がある。
その逆で、相性が良いと言われているからという理由で息の合わない相手と交際するようなことがあれば、それは彼らにとって苦しい時間になるだろうし、もし失敗すれば相性がよかったのに失敗した私、ということで必要以上に自分を苛むことになりかねない。
それでも的中率が高い論ならばまだ救いようがあるのだが、的中率も(恐らく)低いのだ。こういう影響力が高いものは極めて繊細に扱わなければいけないのに、熟慮した形跡が見られないことは、とても問題がある。
相性論の魔力
攻撃的に批判したのだが、それはやたらにソシオニクス流相性診断の影響力を感じているからだ。
やはり、性格の話をする以上、相性論の魔力は極めて強い。誰しも興味を持てば、相性を調べたくなるだろう。ソシオニクス流がその筆頭になってしまっているのがもどかしい。
Googleで検索すれば一番に出てくるし、大体の日本のYoutuberがこれを根拠に相性を語るから、無闇に信じている人がめちゃくちゃ多い。そして、流行である以上、今後も増えていきかねないだろう。
変に信じ込む人が一人でも減ることを祈って、記事にしてみた。
‥ところで、最後にひっくり返してなんだが、個人的にはMBTI性格タイプの相性は存在していると考えている。ただ、この相性は【×〇〇×】みたいな4文字の組み合わせ順列で決まるものではなく、各性格タイプや心理機能を個別に考察し、友達や恋人などの関係性を踏また上で、相互作用を考察した結果に導き出されるべきものと思っている。
そのため、自分の経験と心理機能、海外での個別考察の意見などを収集して、ENTP視点の全16パターンの相性は考察済みだ。
でも、相性それ自体は便利に使いうるものだと思っているのだが、どうしても魔力が強すぎて倫理的に問題が出てくるのが難しいところ。自分で作って信ぴょう性の程度を理解しているのにも関わらず、相性論に捕らわれて相手に対してフィルターを書けてしまう自分もいたりして、怖いなと非常に思う。
最後に、"ソシオニクス流"と言ってしまい、ソシオニクスに謝罪させていただきます。ソシオニクスの間違った輸入に対する批判なので、ソシオニクスそれ自体を批判する意図は全くありません。
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