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スプラッシュマウンテンはENTPがESFJに洗脳される話だった

 皆さんはディズニーリゾートで何が一番好きだろうか?ライドとかパレードとか多様だと思うけど、僕は「スプラッシュマウンテン」である。単純に落ちるのも爽快なのだが、それ以上に歌の愉快さと懐かしさ、出来上がった世界観のディティールが大好きである。
 ということで、スプラッシュマウンテンについてのんびり考えていたら、タイトル的な話だと思えたので、記事にしてみる。



スプラッシュマウンテンのストーリーの解説

    スプラッシュマウンテンに乗ったことがある人は多いと思うが、ストーリーを語れる人は少ないのではないだろうか。なんとなく、「笑いの国」を探しに冒険にでたうさぎどんが、結局最後は自分の生まれ故郷が「一番楽しい住処だ」と気づくという大枠のストーリーはわかるのだが、登場人物の心境や目的などのディティールはライドでは説明が不十分で、全く理解できない。
ということで、論評をする前に、まずはストーリーをおさらいしてみよう。

 スプラッシュマウンテンのモチーフは、ディズニー映画ではなく、南部の唄という映画の中でおじいさんが子供に聞かせる寓話である。ライドの最初に「おじいちゃん、ウサギどんのお話をして!」と子供の声が聞こえるのは、この導入部である。

 寓話の最初で最初に出てくるシーンが、うさぎどん(推定ENTP)の旅立ちシーンだ。ウサギどんは、狐どんと熊どんにいじめられる村の生活にうんざりして、新天地である「笑いの国」を目指して一人冒険に出る。
 この時に流れる曲は、「How do you do」という曲である。
 日本語で聞くと、「さあ出かけよう!」って意気込んでいるウサギどんに対して、狐どん熊どん他の村人まで揃って「冒険はろくなことはない!」「面倒もたくさんあるぞ!」「さあ引き返せ!」と説得をする。ポップな割にその執念たるや。

 ちなみにこの曲、英語で聞くと
「How do you do?」(元気?^^)
「Very good !Sure as you're born~」(いつも通り元気~!^^)
という挨拶を延々と繰り返す曲である。
 多分、こういう中身のないコミュニケーションだらけの村社会に、ウサギどんは辟易して旅に出ることを決めたんじゃないだろうか。

 村人たちは、保守的で一体感を大切にしているあたり、SFJぽいだろう。特に、「引き返せ~」とうさぎどんに圧をかけていくあたり、全体的に外向性の高いESFJぽい雰囲気を感じる。

 次のテーマが「Everyone  is  Laughing place」だ。直訳すると「笑いの国のテーマ」なのだが、実際に笑いの国に到着したわけではない。
 うさぎどんが、笑いの国に一緒に連れていくよ!、とストーカーの狐どんと熊どんを言いくるめて、隙を伺ってハチの巣に突き落とした歌のテーマである。ようは冒険のテーマ、若しくは口先八丁のテーマだ。
 ここではウサギどんも狡猾で、狐どんと熊どんのストーキングに辟易して、「じゃあもう一緒に笑いの国を探そうよ」と旅パーティーに加えたうえで、騙し討ちをしている。攻撃が知的かつ物理的に手を下さない、そして向こう見ずなのは、うさぎどんのENTPらしさが光るシーン。

 うまく熊どんを罠にはめて一人で冒険を再開と思いきや、ウサギどんはNeユーザー特有の詰めの甘さを見せ、狐どんに捕まってしまう。狐どんは、ウサギどんに対して「皮をはぐ」とかいう、同郷とは思えない事を言い放つ。(まあウサギどんもハチの巣に突っ込んで殺しに来てるから当然か。)
それに対してウサギどんは、「どんな拷問も受け入れるが、いばらの茂みにだけは投げ込まないでくれ!」と懇願する。狐どんはそれを聞いた瞬間、躊躇いもなくウサギどんをいばらの茂みに投げ込むのである。
(サイコパスだらけのクリッターカントリー。)
ここがライドの落下シーンである。

 しかし、いばらの茂みはそもそもウサギどんの故郷であり、投げ込まないで!!というのはENTP得意の嘘だった。

 故郷に帰ってきたウサギどんを、いばらの茂みの仲間たちは「みんな君を待っていた~」と温かく受け入れる。
 ウサギどんもまんざらではなく、何処にあるかわからない笑いの国ではなく、自分の故郷こそが「一番楽しい住処」であることを知る。そして、村人たちと楽しくジッパディデゥーダーと歌い踊って、ハッピーエンドである。

不自然なストーリー

 さて、この話には違和感を感じないだろうか。
 それはずばり、なぜウサギどんが「此処が一番楽しい住処」だと心変わりした理由である。もともとはウサギどんは、つまらない茨の茂み村にうんざりして旅に出たはずだ。そこで何か成長して考えが変わったならストーリーとして成立するのだが、ウサギどんの冒険は同じく村人の狐どんと熊どんとすったもんだして痛い目にあった、くらいの話である。
 どこにも精神的に成長する要素がなく、おらが村が世界一だと思いなおす理由は何一つないのである。

 これをどう考察するかなのだが、クリッターカントリーのお話だけではこれ以上の要素はない。故に、メタ的に考える必要があると思う。つまり、この話は映画『南部の唄』の中でのおじいさんの創作ストーリーという事を考慮に入れるべきだ。

 実際にウサギどんが帰ってくるシーンは、「アトランタに移住を決めた黒人のおじいさんが、白人の子供を見舞うために農場に帰ってきた」という映画内のシーンの暗喩になっているらしい。映画ないのリアルの状況がストーリー展開に影響を及ぼしているのだ。そのため、整合性がないのは頷ける。

 故に結論としては、スプラッシュマウンテンは「アドリブで考えた何となくそれっぽい寓話なので特に深く考える必要はない」、というのが考察勢の結論である。

寓話としての構造を持つスプラッシュマウンテン

 というのはつまらなさすぎるので、もうちょっと深く考察してみる。それは、なぜそんな陳腐なストーリーが大人気アトラクションになるのか、ということだ。
 そのため、むしろ「ストーリーが陳腐かつ不自然であっても広く受け入れられる一般性を持っている事」にこそ、スプラッシュマウンテンの面白さがあるのではないかと考える。

 結局、この物語を寓話(教訓)として再解釈すると、以下のようなものになる。

 ENTP(ウサギどん)がいらん冒険をしようとするのを、知恵のあるESFJ(村人たち)が引き留めた。
 しかし、無視したENTPは旅に出た結果痛い目を見る。そんな傷ついたENTPも故郷のESFJ達は温かく迎え、ENTPは自分の誤りを認め、考えを正して故郷で平和に暮らしたのである。めでたしめでたし!
 良い子の子供たちも、余計な冒険などせず、ここが一番楽しい住処だということに感謝して暮らすように!

 つまり、愚かなNP型に対して「余計なことは考えるな!皆に合わせて慎ましく暮らせ!」と教育して、SJ型へ矯正する仕組みを持っているのである。目に見えない夢を追うのではなく、集団へ忠誠を尽くすことを推奨する教訓だ。
 そして、このようなシステムは古き良き文化に多分に取り入れられていると思う。「アリとキリギリス」「三匹のこぶた」「青い鳥」等の御伽噺や聖書の「放蕩息子の帰還」とかにも近しい物を感じるし、昭和の「うちの地元最強!」みたいな価値観はその名残だと思う。

寓話とは思考放棄させ伝統に嵌め込むシステム

 伝統的価値観になぜこのような構造の話が多いのかというと、NP型を抑制するのは、社会集団としての有益性が高いからではないだろうか。

 一次産業が主体のコミュニティでは、仕事は肉体労働ばかりで厳しいし、できることならやりたくない。
 村人個々人が自我を持ち、地元を捨てて好き放題豊かな暮らしを目指してしまえば、働き手はいなくなり、そういう集団は自然淘汰されていく。
 故に、居住と生産が密接した社会においては、「ここが一番楽しい住処だ」と割り切らせ、個人の思考を放棄させて目の前の仕事を淡々と楽しくこなさせる事こそが、繁栄の礎なのである。

 NP型は束縛を最も嫌うタイプだ。NP型の本領が発揮されるのは芸術の世界や科学の世界だ。故に、集団行動により目先の生産性を高める必要がある村社会では、基本的に足を引っ張る存在である。
 そういうお荷物をSJ型に矯正して「まとも」にすることは集団にとって利益が大きく、結果そのような文化を持った集団が生き残る。故に、寓話や伝統というのはSJ的になるのだ。

 つまり、スプラッシュマウンテンが人気なのは「問答無用でどこか懐かしいから」つまり、『SJ的』だからだと思う。

 現代社会はNP的であることを良しとしているように感じる。ポリコレとか、自分らしさを持てとか。そもそもディズニーリゾート自体が夢とか魔法とかを語るNP的世界である。しかし、文化というのはもともとSJ的で、SJ的価値観に潜在的安心感を覚える人は、結構多いんだと思う。
 そういう人たちにとって、スプラッシュマウンテンのような伝統的な世界を繰り広げてくれるアトラクションは、ものすごく居心地が良いんじゃないだろうか。

 スプラッシュマウンテンは日本以外で撤去されているというのは象徴的かなと思う。南部の唄が人種差別的というのも表面上あるんだろうけど、NP的なポリコレ世界に相反する価値観として、ディズニー的に望ましくないという感覚もあったんじゃないだろうかと邪推した。
 一方で、日本はISFJと言われるくらいSJの先鋭的な国だから、根強い支持を持っており、東京ではスプラッシュマウンテンが生き残っているのではないだろうか。

最後に

 批判的に書いたけど、スプラッシュマウンテンにムカついているわけではなく、そういうのを含めて大好きである。現代の価値観とそぐわなかったとしても、過去にそういうSJ的時代があったのは事実であり、古い世界にタイムスリップさせてくれるアトラクションとして魅力的だ。

 現代はNP的価値観が行き過ぎているなと常々感じている。自分は一人の人間であり、決定権がある。自由と寛容を手に入れた代わりに、責任を負い、孤独な時代だ。
 こういう競争主義的社会に疲れて、ひと昔の「窮屈だけど優しい世界」の幻想に浸りたい、っていう人は多く、そういう広い潜在的需要を満たしてくれるからこそ、きっとスプラッシュマウンテンは大人気アトラクションなのである。

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