見出し画像

カミサマだった女の子(掌小説)

「また賞とったんだ。この子」
 母がチョコレートを齧りながらスマホをみている。わたしに言ったんだと思うけれど、わたしはうわの空だ。んー。生返事をしてファッション誌をめくる。今年のトレンドカラーはホライゾングリーン。空の青と海のエメラルドグリーンが溶けあう、水平線の色。なかなかロマンティックじゃないの。耳をほじりつつわたしは雑誌の文字を追う。もうすぐしたら拓人のお迎えにいかなければならない。もちろん我が子はかわいいものだけど、憂鬱でもあった。
「あんたのすきな子でしょう、もっと喜んだら?」
「もう“子”っていう歳じゃないけどね」
 三十七歳だ。その受賞したというやつは。わたしと同い年。今や文学賞の選考員までやっている。偉大なナントカ新人賞を受賞して以来、第一線で活躍するかのじょは、わたしと似ても似つかない。
「あんなにすきだったのにね」
 母はわたしの気持ちなんておかまいなしだ。思ったことをくちにして、わたしの機嫌を損ねる。今もきっと、わたしの気持ちなんてわからない。いつまでもすきなわけじゃない。わたしはかのじょの小説が読めなくなってしまった。

 かのじょがデビューしたのは十七歳だった。期待の新星として特別賞をもらったのだ。わたしは彼女の描く小説に夢中になった。デビュー作は学園モノで、当時は理解され難かった性的マイノリティーを描いていた。新しかった。なにもかもがわたしの目に新しく映り、わたしはかのじょの真似をして小説を書くようになった。なんといっても、十七歳。若くして脚光をあびるかのじょ。高校生でも小説家になれるんだ。驚きと羨望が行き来し、わたしのこころに火をつけた。かのじょに影響を受けたわたしの小説は、かのじょの描く世界観に似ていた。ゲイやレズビアンが主人公で、学園モノで、いじめや弊害が起こるダークさはあるけれど、かならずハッピーエンドで終わる。わたしは小説家を目指した。かのじょのようになりたかった。同い年というだけで、なんだか親近感がわいた。
 かのじょは第一線で活躍し続けた。新刊は年に二回。文芸誌に名前が載らない号はないくらい、追うのが大変だった。毎月のお小遣いを全部本に費やした。それでもわたしはしあわせだった。
 かのじょは容姿も可愛かった。同い年なのに、真っ黒なヴィヴィアン・ウエストウッドのワンピースを着て授賞式でスピーチしていた姿を、この上なく羨ましいと思った。値段を調べたら十二万円だった。わたしはここでもかのじょの真似をして、服にもこだわるようになった。
 私服はヒステリックグラマーをよく着ているとインタビューで語っていたから、はじめて一万円するTシャツを渋谷に買いに行った。スカートは三万円した。興奮冷めやらぬ顔で帰宅したわたしに、母は怒った。なんて買い物をしてるの!
 わたしはそれでも、かのじょに近づけるためなら満足だった。そもそも、世にこんな高い洋服が売ってあるっていうことは、買いなさいってことでしょ? わたしの屁理屈に母はかんかん。「自分で稼げるようになってから買いなさい!」だって。そりゃあ、わたしも小説で稼げるようになりたいと思っている。
 二十年経った今でも、わたしはかのじょの小説がすき、と胸を張って言いたかった。だけど、かのじょとわたしは変わった。かのじょの作風は、より自由奔放になった。未だに独身で、ひとりを楽しんでいるからだろうか。わたしがかのじょから離れてしまったのは、十五周年記念のエッセイが発売されてからだった。
「あたし、ひとりが全然楽しいの。きっとこれからもひとりなんだと思う。」
 からはじまるエッセイだった。わたしは結婚し、こどももできた。小説家の夢も捨てた。
 かのじょは、おひとりさまを謳歌する女性たちの味方になった。性的マイノリティーを描いているにもかかわらず、女性をターゲットにしてか、男女の恋愛モノまで書きはじめた。わたしには馴染みのない、アロマンティックやアセクシャルを主人公に、わきを恋愛しているひとたちが掻き乱す。かのじょの初期の面影は、消えた。完全に。わたしはもう、かのじょの小説を読めない。かなしいのかさみしいのかよくわからない感情が、胸を締めつけた。

 テレビにナントカ賞を受賞した、かのじょの姿が映る。かのじょのみためは、少女のころと変わりなく、痩せていた。わたしのほうはどうだろう。妊娠してからというもの、なかなか痩せられなくて、十キロも太った。かのじょが羨ましかった。いつまでも綺麗で変わらない、夢を追い続けるかのじょが。憎らしいとすら思った。だからわたしはもうかのじょの小説を読まない。読む資格などないのだ。ああ、拓人を迎えにいく時間だ。

 さようなら、わたしのカミサマだった女の子。
 あなたはわたしの憧れでした。



いいなと思ったら応援しよう!

常世田美穂
いただいたサポートは執筆時のコーヒー等ドリンクにさせていただきます♡