【参拝三昧】日高見の地へ -釣石神社-
あっという間に、11月も下旬となりました。
師走になれば、いつ雪が降ってもおかしくないし、仕事で忙殺されるのが恒例なので、早々とお礼参りへ馳せ参じることにしました。
と言うことで、本日向かった先は、宮城県の太平洋沿岸に位置する石巻市は、追波川河口の左岸に鎮座する釣石神社です。
こちらの釣石様には、僕よりも息子たちがお世話になっています。
何でお世話になっているかと言いますと、皆さんのご想像通り「合格祈願・学業成就」という有体な神頼みです(笑)。
此度は、来年大学を卒業する長男の行く末(中学校の教員)が決まったということでお礼参りに訪れました。
当人は卒論発表を終えて帰仙したタイミングで連れていく予定になっている…というか、来年は次男坊が大学受験なので、そちらの祈願と一緒に参拝した方がよさそうですね(汗)。
さてと、気になる釣石様に話を進めましょう。
前後の写真(本日撮影)をご覧になって頂ければわかる通り、釣石というだけあって、なかなかのバランスで鎮座しております(微笑)。
でもって、この釣石がですね……。
何が何でも落ちない!
今まで落ちたことがない!
と言うわけで、県内外から大勢の受験生が参拝に訪れるのでした。
実際、東日本大震災(2011年3月11日)の津波は勿論、あの地震動にも負けませんでしたから、まずもって「看板に偽りなし」ですね(微笑)。
かく云う僕ですが、石巻市とのご縁はかなり深いです。
釣りが好きな僕は、早春には追波川のサクラマス、秋冬には海のロックフィッシュというサイクルで、同地域の川や海に足繁く通っておりました。
しかし、震災直後から同市町村内の建物の被害調査(行政からの依頼で4年近く継続)に携わったことで、僕と石巻の関係性は微妙に変化したように感じています。端的に言えば「気楽に余暇を過ごせる場所では無くなった。」といった感じでしょうか。
しかし、そんな曰く難い感慨を胸に抱きながらも、家族が節目を迎える度に釣石神社へ参拝することだけは続けていました。
そして今、この10余年を振り返ってみると、僕と石巻の縁を釣石神社が繋ぎとめていてくれていたという事実に気付かされるのです。
(※僕は、宗教やスピリチュアルに傾倒するタイプの人間ではありません。けれども、ヒューマンスケールを越えた自然物や、果てしない年月を越えて現存している事物に対しては、一応の敬意を払うようにしています。)
参拝を終え、写真を撮影しながら帰路につくことにしました。
追波川の広大な流れは、昨日の雨で褐色を帯びていましたが、相も変わらず僕の気持ちを穏やかにしてくれます。そして、葦原の中に点在する溜まりには、沢山の水鳥が身を休めていました。
そんな光景を見ていると、胸が熱くなってくるのを感じました。
このまま書き続けると、おセンチになってしまいそうなので、話題を変えさせて頂きましょう。
最後に、奇天烈な名称の追波川について簡単に記しておこうと思います。(正確で詳細な情報が知りたい方はググって下さい。)
現在の追波川は、岩手県に源をもつ北上川の流れを人工的に変えて誕生した川で、新北上川とも呼ばれています。つとに知られた新潟県の大河津分水を想像して頂くとよいでしょう。
一方、本来の北上川は、旧北上川と名前を変え、石巻市の平野部を南方向へ流れていき、やがては太平洋へその水を落とすのです。
本稿の題名には日高見の地と記しています。この「ひだかみ」という音が「きたかみ=北上」に転じたと言われています。
しかしながら、僕は追波川や旧北上川が流れる広い範囲の地域を「日高見の地」と呼んでいます。
この広大な追波川の水辺に広がる葦原や、美しい山容を見せる上品山を眺めていると、〇〇町とか〇〇村といった呼称よりもむし「日高見」と呼んだ方がしっくりくるのです。
三陸道の河北ICを目指して追波川の上流方向にむけて車を走らせていくと、長大なトラスが美しい新北上大橋が目に入ってきます。
震災時に津波を受けて大破した様子が、全国ニュースで取り上げられていた事を記憶されている方も少なくないと思います。
再び開通したのが2016年6月ですから、実に5年余の月日を要したことになります。それまでの期間、雄勝町へ調査に向かう際は、石巻から女川町を経由して町に入るしかありませんでした。
生きていれば様々な事が起きるものです(寂笑)。
10年経れば、少しは本音を語れるようになるかと思って今まで生きてきましたが、まだまだ時間を必要とするみたいです。
今暫くの間、日高見の地でリハビリを続けていこうと決意した釣石神社参拝となったのでした。(結局おセンチに逆戻り)