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君は卵の立て方を知っているか

今回はとっておきの話をしてみましょう。

「コロンブスの卵」という逸話がありますね。新大陸を「発見」したコロンブスの成功を妬む人々が、「西に向かって船を進めてけば、そりゃ誰でもどこか陸地にたどり着くわな」と悪口を言ってる。そこでコロンブスが「あなた方はこの卵を立てられますか」と問い返す。そんなことできるかと答える聴衆に、コロンブスは卵の底の殻をつぶして造作なく机の上に立てる。「そんなことなら誰でもできる」とさらに文句をいう聴衆に対して、「誰でもできることを最初にやるのがむずかしい」とやり返した。

コロンブスの勘違い

史実かどうか怪しいんですが、地球が平らであるという科学的根拠のない信仰(迷信)から自由であることを実践をもって示したコロンブスの面目躍如たる話です。聴衆の方は口先では迷信を信じてないフリをしていますが、その行動で(というより行動しないことで)迷信から抜け切れてないことを示してしまってる。そういう意味では近代人として成熟していない。新大陸の「発見」は近代の曙の三大事件の一つに数えられますから、コロンブスもまた最初の近代人の一人として語り継がれてる。

ちょっと難しい言い方をすれば、理論にとどまらず実践でその正しさを立証する彼のような存在なしには、新しい時代へのブレイクスルーはなかった。コロンブスがガリレオなどと並んで近代人の模範として今日まで語り継がれている理由です(ガリレオは科学的真理に殉ずることによって模範となった)。

だけども、こうしたコロンブス像はどうも伝説であって、歴史上のコロンブスはもう少し曖昧な存在ようです。彼はまだ中世的世界観から抜けきれていない人物で、当時としてはむしろ古臭い思想を抱いてた一面もある。どうやらもう一度十字軍を編成してエルサレムを奪還するための資金を得ようと考えて、そのためにインドとの交易を行なう西回りの新航路を発見しようとしたらしいんです。

それでも地球が平らであるという教会公認の学説を退けて、地球が丸いという科学的な見解に命を賭けたんだから近代的じゃないか。そう思うんですが、これもどうも伝説である。

というのも、当時においても地球が球体であるということはほぼ受け入れられていたらしいんです。教会の教義としては地球は平らなんですが、一般の人々は必ずしもそれを信じていたわけではない。大西洋を西に進んで行っても地が終わると思っていたわけではない。

それでは何がコロンブスの航海で問題になったかというと、彼は当時の通説であったプトレマイオスが計算したよりも地球の直径をかなり小さく見積もった。だから、インドへの距離も実際より短く計算して、十分な水や食料を積んでいかなかったらしいんです。

たまたま偶然そこに新大陸があったからよかったんですが、そうでなかったらおそらく生きては帰れなかった。コロンブスは死ぬまで自分が発見したのはインドだと信じていたのですが、まあその方がよかったかもしれません。

つまり、近代の曙となった「新大陸発見」は、実はあまり科学的とは言えない大いなる勘違いの結果が、たまたまの幸運で救われただけのものだったんですね。

太平洋の「コロンブス」たち

しかし、そのような幸運に恵まれたのはコロンブスだけではなかったかもしれません。

一説によると、今日太平洋に点在する島々に住んでいる人々は、もともと東南アジアあたりから島伝いに広がっていった。それがチリ沖のイースター島あたりまで来たかもしれない。

もしかすると太平洋を横断して南米大陸にも到着してるかもしれない。コロンビアの太平洋岸にチョコー県というところがあります。コロンビアでももっとも貧しい地域で、コロンビア人の多くも訪れたこともないし、また一生訪れないであろう場所です。そこに住む人々は「ネグロ」つまり「黒人」と呼ばれています。

ところが、あるとき日本からやってきた大学の先生がおっしゃるには、いやどうもアフリカ系の黒人とはちがう、むしろ太平洋諸島に住む人々に近い(先生がこうおっしゃったかどうかは覚えてないんですが、写真で見較べるとメラネシア人かと思います)。その先生の言うには、世界でも珍しい遺伝病が沖縄とチョコーとインドにある。インドのものは少し系統がちがうから、どうも沖縄とチョコーにしかない遺伝子がありそうである。

どうやら、遠い昔に中国南部や東南アジアあたりから舟で東に向かった人々がいる。そのうち一部は北上して台湾を経由して琉球に到達した。別の人々は東へ東へと進んでいって、ついには南米大陸にまで到達したんじゃないか。そういう遠大なお話なんです。

ちなみに、日本人が太平洋諸民族と共通の祖先をもっているという考えは戦前からあります。海軍の南進論やリベラル帝国主義者の海洋国家論と結びついたもので日鮮同祖論に通ずるところもあるんですが、若者宿や敬語など文化的な共通性もあるので、帝国主義的な野心の産物とばかり呼べない部分があります。

これが本当かどうかわからんのですが、まあ、太平洋の島々に住んでいる人々がアジアから東へ拡がっていったのは間違いなさそうです(西から東へのルートは少し考えにくいという消去法なんですが)。だけども、造船技術も航海術も発達していない時代の話です。海図も羅針盤もありません。いくら水平線を見わたしても島の影など見えないような大海に船出するなどというのは自殺行為に近い。いったいどういうわけで、昔の人はそんな無謀な冒険に身をゆだねたのか。

ちなみに、遣唐使の時代においても航海のうち三回に一回は遭難したみたいです。だから遣唐使に任命されて仮病を使って逃れた貴族もいるくらいらしいです。こうなると、唐に行けというのは名誉どころか死刑宣告と紙一重な感じですね。ましてやだだっぴろい太平洋に刳り舟のようなもので乗り出すなどという暴挙を試みた人類はいったい何を考えていたのか。

遭難してたまたまどこかの島に流れ着いたというだけでは人は増えません。最低限一組の男と女が乗って行かないとならない。遭難者が幸運にも帰還して、また家族を連れて出て行ったというのもありえなくはないですが、それでもやはり危険です。それなのに、太平洋の人が住める島々にはちゃんと人が住んでいる。大きな謎なわけです。

まず思い浮かぶのは、人口が増えすぎて食えなくなる人が増えたということです。島はすぐに一杯になってしまいますから、生き延びるためには外に活路を見いださないとならない。しかし、それにしたって大海原への船出を選ぶとは限りません。内戦でお互いを殺し合う方が簡単かもしれません。実際に、島の歴史というのはそういう仲間同士の殺し合いの歴史でもあるようなんですね(柳田国男は日本の歴史、それも現代史を、この島の歴史の一例と見ました。都市と農村や階級間の闘争を狭い島国における内輪もめ、非人道的な人口調整政策と見たわけです)。

ですから、人口増加という客観的な条件だけでは説明としては不十分です。なぜ人々が海の向こうにまた人の住める場所があるということを信じることができたか、という主観的な理由を考えないとならない。

日のいずるところ

柳田国男などを読んで自分などが想像したのはこうです。隣の島影が見えなくても、東の方の海と空が出会うところを見ていると太陽が昇ってきます。

戦前の話ですが、母が伊勢に参ったときに、やはり日の出を見に行ったらしいんですが、子どもですから、文字通り夫婦岩のあいだから太陽がぶくぶくと昇ってくると思いながら一生懸命見ていた。それが海の向こうからだったので少しがっかりしたんですが、やはり海の中からお日様が出て来るように見えたそうです。

子どもらしい勘違いだと思うんですが、お伊勢様というのは、おそらく当時の「日本」の最東端と考えられていて、まさに日のいずる場所として考えられていたようなんですね。のちにはもっと東があることがわかって、鹿島神宮なんかが作られたんですが、当時の大和朝廷の勢力圏では伊勢がいちばん太陽の出口に近いと考えられた。「日本」という国名の由来もまさにここにあって、比喩ではなく本当に日本のすぐ東の海から日が昇ると考えられていたらしい(沖縄の『おもろさうし』にも「てだの穴」、つまり「太陽が出てくる洞窟」という言葉が出てくる)。

ですから、ユーラシア大陸の東端から東へ船出した人たちも、まずあの太陽の昇ってくるところを目指したんではないか。そう考えたりするんです。何があるかわからないけども、少なくともお日様が出てくるところがある。そこに行けば極楽浄土みたいなものがあるにちがいない。しかも、目で見る限り、それは頑張れは行けそうな距離に見えますね。

おそらく太陽神信仰と関係がありそうですが、同時に空と海とが交わるところですから竜宮信仰みたいなものとも関係がある。地平線というのは空と海が一緒になるところと考えられたような節がある。だから水が天から降ってくる。水神様は雷雨の神様でもありますね。

まあ、証拠がないんで、史実ではなくて詩みたいな話なんですが、柳田国男もやはり何か信仰が関係しているんじゃないかと推測している。何か信ずるところがあるから、今では自殺行為と思えるようなことを思い切ってやれた。そういう推論です。

信じる人が作る歴史

しかし、そうなると妙な話になりますね。コロンブスも太平洋の航海者たちも、間違った考えをもっていた。その間違った考えに基づいて行動した。そして、意図した結果は得られなかった。だけども、それが偶然によって新しい島なり大陸の発見につながった。そうやって世界の歴史を変えていった。そういうことになりますね。

これをもっと一般化すれば、歴史というのはそうやって作られるものであるということになる。その結果が今われわれが住んでいる世界なんですが、どういうわけだか私たちはその世界が合理的なものであると信じていて、事物の理を理解せずに行動することを愚かであると信じるようになっている。

歴史に「もし」はないんですが、話のためにこう仮定してみましょう。人間というのは理性的な動物であって、科学的に根拠がないものは信じない。行動するときは少なくとも理性によって可能であると承認されたことしかしない。

そうなると、太平洋に島々が発見されるのはヨーロッパ人の到着を待たなければならなかったかもしれません。アメリカ大陸の「発見」はずっと遅れたかもしれません。

(註:「発見」がカッコ付きなのは、実際には、どうもバイキングがコロンブス以前にカナダ東岸に遺跡を残しているし、そもそも先住民が住んでいたんだから「発見」は「ヨーロッパ人にとっての発見」にすぎないという意味です。わずらわしいので以下カッコを外します。)

そうなると私たち日本人にとっても他人事じゃありません。アメリカの発見が遅れれば、アメリカ合衆国の建国も遅れた。そうなると、日本は太平洋における覇権を簡単に握れたかもしれない。うまくすると、アメリカ人がたどり着く前に西海岸を植民地にできたかもしれない。

まあばかばかしい話なんですが、自分が言いたいことはこういうことです。

コロンブスや太平洋の航海者が陸地にたどり着けたのは、言ってみれば宝くじに当たったようなものである。宝くじはまあ当たらない。合理的に考えたらわりに合わないから誰も買わないですね。ツーアウト満塁で一打でれば逆転というところで、打率が一厘のバッターを代打に出すよりバカですね。

だけども、それでも当たると信じて買う人がいるから、当たる人がいる。そうでなければ宝くじは事業として成り立たないですから、誰かがが宝くじを当てることもないですね。同じように、大西洋や太平洋のコロンブスたちが勘違いをしなければ、今のアメリカ合衆国もないし、人類がまだ到達してない地域がたくさんあったはずである。

つまり、歴史というのはどうも科学だけを信じる理性的な人、合理的な人々によっては動かされてこなかった。そうであったら、世界は今あるようにはなっていない。となると、今ある世界というのも必ずしも合理的なものではない。少なくとも人間の合理的な行為によって作られたものではない。そういうことになりますね。

科学の効用と限界

それはまだ科学が十分に発達してなかったからだ。そういう人もいるでしょう。だけども、今日においてわたしたちが科学が確実だと太鼓判を押してくれた知識だけに基づいて行動することにしたします。どうなるでしょうか。

コロナ対策なんかを見ていても、科学者が科学者として断言できることというのは非常に限られています。科学を厳密に捉えれば捉えるほど、その限界の外にある領域が広がっていきます。重大なことはほとんど何も決断できなくなって、事態の進展を手をこまねいてみてるようなことになりかねない。

そうなると、コロンブスや太平洋の航海者たちのような信仰を失った今、歴史は一定の枠内でしか展開しないことになってしまうかもしれません。科学が発達したがために、かえって歴史とは理解不能な自然の気紛れに弄ばれる人間の悲劇にすぎないという逆説が生じてしまうかもしれません。

科学が発達した今日においてさえも、人間が歴史を作る主体であるためには、十分な科学的根拠がない事柄でも決断して行動しないとならない。それが単なる運試しにならないためには、宗教や倫理、哲学といった科学以外の原理が必要になってくる。知性ではなく情熱とか意志といったものの必要も無くなっていない。

でも、だからといって、私たちは歴史を作る際に科学がもたらす知見など無視してもよいということにもなりませんね。なぜかというに、コロンブスや太平洋の航海者の成功の影には、何千、何万となく海の藻屑となった人々がいるはずです。一人の宝くじの当選者を出すために、どぶに金を棄てる何十万の人がいる。

さらに言うと、コロンブスの「発見」は歴史を大きく変えましたが、同時に多くの人々を不幸にもしました。先住民との出会いが別の形で行なわれていたら、ひょっとしたらその不幸は不要であったかもしれません。後知恵で、そこから私たちは何かを学び、同じ過ちを繰り返さないように気を付けることができますね(それができてるかどうか怪しいので、こんな文章が書かれるんですが)。

同じ冒険をするにしても、やはり犠牲が少ない方がよろしい。損をする人は少ない方がいい。どこまでが知られていて、どこまでが知ることができないか見極めた上で決断した方が、リスクが減るかもしれない。未来は知ることができませんから、歴史における行為はやはり賭けです。どんな意図せぬ結果がまっているかわからない。最後は信仰に支えられた勇気をもつ人間がえいやと飛び込むことによってしかなされないことがある。

だけども、人の生が掛け金であるような重大な決断は、熟慮を重ねた上で行なったほうがいい。近代というものが、理性がそういう限定した意味で歴史を制御するようになった時代と解釈するのであれば、理性崇拝とか科学万能主義はまだ近代の未成熟の徴であるともいえる。

蛇足ですが、実は後知恵には限界もあります。コロンブスの発見も太平洋の航海者の発見も一回限りのものです。歴史は完全な形では繰り返さないですから、前例をそのまま踏襲して成功するという保証がありません。卵の立て方はつねに新しく見つけられないとならないわけです。科学というのは条件さえ整えば同じ現象が何度でも現われるという前提の上に成り立つものですから、一回限りの現象を扱うことができない。ですから、後知恵は必ず自身の後知恵によって否定されるという運命にある。以前にお話ししましたね。

また長話になりました。みんながよく知っていると思う「コロンブスの卵」もいろいろいじっていくと、いろんな考えにつながっていく。歴史と人間存在とか、科学と政治といったものの関係についてエピファニー(身近なことから深い真理が現われたように感じること)みたいな経験を生む。何か日常の外にあることを知るために、必ずしも大仰な名の哲学書を紐解かないとならないわけではない。むしろこんな日常の疑問から哲学に遡って行く方が先人たちの思考過程に近いかもしれない。こんな話もまた一つの小さな「コロンブスの卵」かもしれませんね。

「人は不可能なことに何度も手出しするすることがなかったらば、可能なことを達成することもなかったであろう」(マックス・ヴェーバー)

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コーヒー一杯ごちそうしてくれれば、生きていく糧になりそうな話をしてくれる。そういう人間にわたしはなりたい。とくにコーヒー飲みたくなったときには。