アップグレード・ミー(年とる前にもう古くなる社会)
仕事をやめるまでは人並みにはテクノロジーの進歩についていっていると思っていたのだが、ここ数年学問にいそしむ貧乏学生をやっているうちに、すっかり取り残されてしまったらしい。ケータイもテレビもネット上のサービスも次々に新しいものがでているなとは思っていたのだけど、ついつい面倒くさくて試すこともなく2、3年を過ごすと、もういけない。
私のコンピューターは日本を離れる時にわざわざ新品を買って持って来たのであるが、最近はOSが古すぎて新しい仕掛けがほとんど使えない。どうせ新聞を読んだりワープロをうったりするだけだからとごまかしていたのだが、ホットメールのアカウントが管理できなくなるに至って「アップグレード」を考えざるを得なくなった。7年という人生から見ればわずかな時間に、テクノロジーの世界では二度も三度も世が改まっているのである。
コンピューターの償却期間は4、5年なんて話も聞いたことがあるけど、仕事が終わらないのに道具だけが先に進化してしまうのも迷惑な話である。でも、今の世の中というのはひとつのことに何年もかけるような人には迷惑なほどの早さで古いものと新しいものの新陳代謝が行われないと成り立たないものらしい。
ケータイも契約更新ごとに新しいものに代えてくれるらしいのであるが、ケータイが緊急時の連絡手段くらいの意味しかない私にとっては使い方を覚えるのが面倒なだけである。でも、やたらに精巧になったかわりに落とすとすぐに壊れるような製品ばかりで、結局2、3年おきくらいに「アップグレード」させられるのである。いまだに電話以外の機能を使ったことがない私には宝の持ち腐れであるし、しかも、すぐに時代遅れになってしまうようなものに入れ込む理由もありがたみも感じられない。
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コーヒー一杯ごちそうしてくれれば、生きていく糧になりそうな話をしてくれる。そういう人間にわたしはなりたい。とくにコーヒー飲みたくなったときには。