心地良い写真を撮りたい。
はじめに
noteを書こうと思いつつはや一年が経過しました。写真の世界に浸かっていると表現は写真に集中してしまいます。
どの分野でも同じく、ツールを単一化してしまうのは至極当然のことのような気もします。
…人によりけりかもしれませんね。
前置きはこの辺りにして。
今回は写真における「心地良さ」がテーマの文章を書き残そうと思います。
あくまで個人的な解釈も多く、また脱線気味でもあり…決して正解に辿り着こうという意図ではありません。
ただ、作品を構築する思考を形にするような…そんな文章を想像していただければ幸いです。
画角へのアプローチ
カメラの技術進化が著しい現代社会において、写真は多くの場面で利用可能な表現ツールであると思っています。
故に、写真撮影における「心地良さ」は重要な要素のひとつであると考えています。
私はここまでほぼ二年間、定期的に写真を撮り続けてきました。
以前は無意識に撮ることが多かったのですが、今は意識的に構図を定めています。
写真撮影を意識すると気づくことが多々あります。その中でも所謂画角に意識を引っ張られるような気がします。
写真を撮りたい。例えばどれくらいの幅を撮影できるのだろう…。
スマートフォンでは気づきにくい分野かもしれません。
何故ならスマートフォン搭載カメラは広角レンズが基本だからです。広角に撮影できるカメラは撮影可能な面積は当然に広いので、基本的な情報量は多くなります。
話は逸れましたが、要するに撮りたい写真における情報量の把握が心地良い写真への第一歩であるはずなんです。
当然の如く…残したい景色が収められていない写真に心地良さを感じるはずはありませんよね。
この写真はスマホで撮影しましたが、焦点距離は35mm換算で26.6mmなので広角レンズです。情報量はやや多めで、主題がぼやけないような配慮が必要です。
引き算の論理はここに現れるということです。
歪みと向き合う
次は主に広角レンズでの話です。
広角レンズは特性として、広角になればなるほど画が歪んでしまうのです。
所謂歪曲収差というお話なのですが、広角になればなるほどはっきり見える…ある種レンズの宿命といったお話なんですよね(どのレンズも程度の差はあれど構造的には歪みが現れるそうです)。
ちなみに広角側は樽型、テレ側は糸巻型に歪む傾向にあるそうです。
下記リンクの価格.comさまの掲示板も参考にされるとわかりやすいです。
現実にはその歪みを逆手に撮った撮影の仕方もあるのですが、基本的な姿勢としてはなるべく目立たないように配慮する部分です。細かな構図への配慮が必要となるでしょう。
上記の写真をご覧いただければお判りいただけると思いますが、広角レンズを使用すると情景が歪んで見えます。
現像時に修正をかける…もしくは狙って撮影すればそれはまた味といえますが、意図しない歪みは違和感を覚えると思います。
私はこの違和感をなるべく避けるように撮影しています。言い換えるならば、心地良さを覚えれば多少は歪んでいても問題ないという解釈です。ただ、この按配がなかなか難しく、人それぞれに感覚の差は現れますよね。
これは個人的な解釈ですが、35mm前後の焦点距離からは歪みを意識し始めています。広角レンズの定義も35mm以下ですよね(人間の視野は50mmと言われています)。
そして、歪みは撮影次第では独特の美しさも見出すので、色々な情報を参考にしてみるのも面白いかもしれません。
圧縮効果が空気を一変させる?
広角レンズの歪みとは対称的になりますが、望遠レンズによく見られる圧縮効果は手軽に心地良さを感じられる手法のひとつです。
※圧縮効果は被写体の距離が離れると効果のみられる現象なので、正確には広角レンズでも効果を発揮することは可能だそうです。
実はこの圧縮効果がとても心に響く要素だと思っています。自分自身が狙って撮る写真は大体現れている効果だといえます。
情報を真ん中に寄せていく感覚がたまらなく気持ち良くなるんですよね、不思議な感覚です。
この他にも競馬の写真ではレースと観客の一体感を表現できることもあります。圧縮効果を狙って様々な刺激を求めることができますよね。
適切な色
写真における色…これはフィルムカメラにおける現像への意識が強いというか…。
私はデジタルカメラでもアナログを意識してしまいます。
人それぞれ…心地良い写真の色があると思います。突き詰めるならば、色彩の基礎を学ぶべきなのかもしれません。
そして、写真における「色」は自由度が高いわけではありません。
当たり前の如く、個人差があるとはいえ見える景色の色が決まっているからです。
フィルター等を使用して色彩そのものを変えてしまうこともありますが、私の中では基本の色彩はあまり変えないように意識しています。
→この点においても様々な観点があります。
写真以外の色にまつわるモノに触れて見る機会を増やしても良さそうです。
すべては光に収束する
続いて、心地良さを求める上では光を意識することになります。文字通りどのように光を取り入れるか…ということです。
光は(何かにぶつかって屈折しない限りは)直線なので、光源から被写体までにはさまれる情報を把握します。
これは本当に感覚的なものなので、言葉で説明することが難しいです。
例えばポートレート等で活用するストロボなども含めて、被写体と光の関係は密接であり、常に意識している部分といえます。
心地良さとは少し離れますが、下記2枚の写真を参考にしていただければ幸いです。
1枚目の写真は自然光(太陽光)の広がりをアクセントにした写真、2枚目はストロボの光で遊び心を加えた写真です。
このように、光を意識して取り入れ…または操ることで好みの写真を作ることができます。細かい点についてはいつか触れてみたいと思っています。
つまり、写真は光を操る要素もあります。心地良さを求めるために光の癖を掴むこともまた、技術力の一つになるといえるはずです。
自己満足であっても心地良さは必要な感性
さて、様々な角度から写真における心地良さへのアプローチを行いました。
写真という芸術作品は様々な要素が絡み合って、複雑に構成されています。
そのひとつひとつを完全に掌握することは難しいかもしれませんが、少なからず意識を高めることによって、理想に一歩近づけることは間違いないはずです。
故に、知識と経験を上手に組み込みながら撮影を重ねるべきだと考えています。
そして、何故抽象的な「心地良さ」をテーマにしたのか。
それは末長く写真を撮り続けたいからであり、私自身が写真好きであるためです。
最後に
写真についてnoteに投稿しようと考えてからはや一年。以前は毎日のように撮影しては反省をして…といった日々でした。
前のめりになりながら、反省と挑戦の毎日を繰り返して、少しずつ写真への意識変化を感じていました。
どこかで触れた記憶もありますが、写真撮影は体力勝負であり、忍耐力が試されます。
極上の一枚は疲労感の中から生まれる…は言いすぎかもしれませんが、疲労だけでは流石に嫌になってしまうので、これからも心地良さを追求します。楽しみをふくらませるイメージです。
これからも探究心を忘れずに精進します。
僭越ではありますがお付き合いありがとうございました。