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#50 こんなことがあった(ビールより価値がない)

貰う分以上にお金を使う感じの父と、家計に悩む母を見ていたので、何かを買って欲しいということはあまり無かったと思う。

あれが欲しいと店で駄々をこねる子どもを見て、母はなんだあの甘やかされた子どもはという感じで冷ややかに見ていたが、私は欲しいものを欲しいといえる子どもがとても羨ましかった。

とはいえ、親に欲しいものをねだってみたことはある。中学生の頃だと思う。勿論、「そんなくだらないものを」と言われないようなものをと考えて、クラッシックのCD(多分ピアノ曲)を、父の機嫌が良い何かのお出かけの折にお願いしてみたのだと思う。当時の価格だとCDは3000円程度。

珍しいことに父はレコード・CD売り場まで来てくれた。ただし、私が欲しいと示したものを見て、「高いな」と言って立ち去った。それでおしまい。

子どもが買って欲しいと思う物としては高いか。それなら仕方がないか、お小遣いとかお年玉とかを貯めていつか買えればいいか、そう思った。多少はがっかりしたけれど。

同じ日の外食で、父がいつものようにビールを何杯か注文していて、当然価格は見ているので、その何杯か分で買えそうな子どもが買って欲しいと言ってみたCDは高い。それって私の欲しいものは、ビールよりも価値が無いんだ。私はそのビールよりもどうでもいいんだとは思った。

中学の同級生たちの何気ない会話で、父親と買い物に行って服を選んでもらったなどという話が出ることもあって、ああ、娘と買い物に行って、自分(父親)の物だけを買うのではなく、娘の物を買ってくれる父親もこの世にはいるんだ。娘の服を選んでくれるような父親もいるんだ。そんなことを、買ってもらえなかったCDとともに思い出す。

今は、自分で本当に欲しいものはある程度買うことができるようになったので、子ども時代よりも年を取った今の方が私は好きだ。

そして、子どもが何かを欲しいと言ってくれる時、勿論、それがあまりにも刹那なものだったりするような時も含めて毎回は買わないけれど、子どもが望むものを買い与えることができて、子どもが喜んでいる様子を見るのがとても嬉しい。