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#22 こんなことがあった(正倉院展)

「第75回 正倉院展」に小学生の子どもを連れて行ってきた。
あまり幼すぎても本人にとっては退屈だろうし、また、常設展ではない期間限定の展示なので楽しみにしてやってきた人たちの雰囲気を壊すだけだと思っていたので、小学生になるのを待って連れて行っている。

子ども本人にとってはまだ展示物のすごさみたいなものはあまりわからないらしいが、多くの人が楽しみに見に来ているある種の人気イベントだということ、期間限定のミュージアムグッズに面白いものがある、という程度の印象はあるらしい。歴史に関心を持っていてもまだ小学生なので、そういううっすらとした記憶を少しずつ積み重ねていってもらいたい。私としては、最終的には大人になって、バラバラの所に住む様になったとしても、「秋になったら(親と一緒に)正倉院展に行くもの」という気になって、その時期になったら一緒に奈良で落ち合って正倉院展に行くところを目指している。なかなかに気の長い計画を実践している最中である。

転勤族育ちとはいえ、大阪にルーツがあり、成人まで最も長い時期を過ごしたのは大阪なので、正倉院展というのはかなり前から知っていた。また、母の高校、短大、その他の知人が奈良にゆかりのある人達なので、そういう人たちと正倉院展に行ったこともあることを聞いたような気もする。かなり前までは正倉院展はそれほど混雑するイベントではなく、ふらっと立ち寄れた感じのことを聞いたのは、母か、あるいはそれ以外の年配の知人だったかは覚えていない。

ただし、仕事中毒で特に40代以降は家庭を顧みることがほぼ皆無であった父は論外として、母自身は自分は正倉院展について知っているし行ったことがあるかもしれないとしても、混雑する中をいくつかのお目当てのために行くというほど正倉院展に関心があったわけではなかったのだろう。大阪の小学校に通っていた頃は何度か東大寺に連れていってもらったことはあるが、正倉院展に私たち姉弟を連れていったことはなかった。

私が正倉院展に初めて行ったのは大学院時代、つまりは平成期で、休日を避けて平日に足を運んだにもかかわらず展示物ではなく人の頭を見に行きましたという印象しか残っていない。今年はどうなったか知らないが、コロナ感染拡大前は、読売新聞を購読している家庭には正倉院展のチケットが配られていたこともあって、「チケットあるし、せっかくだから行こか」という感じの人がとても多かった。近畿圏の人は他の地域と比べるとややおしゃべりである。そのおしゃべりは館内でもそれほどなくならず、のんびりと展示品をおしゃべりと共に楽しむ人が少なくなくて、お目当てが展示されているケースになかなか近寄れない状態だった。へそ曲がりだったので、これはもう来ても意味ないかも、と思ってまたしばらくこの時期は奈良から足が遠ざかった。

その後、いつかは手を離れる子どもにどういう記憶を残したいか、子どもが大人になってからもどういう交流をしたいか、ということを考え始め、正倉院展に子どもを連れて行くようになった。

仕事はラークライフバランスの観点から年休を消化することを求められているので平日でも休みを取れるが、学校を休ませてまで行くことは気が咎めるので、子連れになると土日祝日の、混雑した時に行くことになる。自分たちがその混雑の一員になっていることは重々承知しているが、それでも、コロナ感染拡大対策として導入された日時指定事前発券という制度は大変ありがたかった。

特に正倉院展の場合の日時指定は入館時間の指定であって、退出時間は決められていないので、目玉展示に人が集まっていたとしても待てばケース最前列から見ることができる。そのため、コロナ禍前の入れるだけ入れている感じの時とは違っていて、全ての展示を満足するまで見るのは無茶だとしても、少なくともお目当ての展示については多少待てばしっかり見せてくれるので有難い。できれば今後も土日祝限定でも良いので日時指定は続けて欲しい。

美術館・博物館好きな人には少なくないと思うのだけれど、私は可能であれば日が落ちるぐらいの美術館・博物館に居るのが好きだ。建物の外の人が減って、ざわめきも遠ざかって、建物の中にいる人も昼間より減って、知人同士の会話もトーンダウンしたささめきみたいになって、展示物により集中できるような気がするからだ。

そのため、今回も前回同様に夕方の時間を指定した。しかし、子どもの行事と相談して訪問を決めた日が東大寺のイベントと重複していたこともあって、この時間帯なのにそこまで並ぶのですか、という行列ができていた。「時間指定の意味とは?」と思った。

今年は時間指定制だけれども各回の人数制限をしなかったのか、レイト割人気のためか、あるいはコロナ禍同様の人数制限ではなかったのか、そのあたりはわからないが、時間指定の割にかなり並ばせていたり、ミュージアムグッズのレジ待ち行列が長かったりするのは、来館者の人数把握が十分ではなかったのかもしれない。それでも、何度も言っているが、今回はこれを見に来ましたという目玉展示品はそれなりにじっくり見ることができた。


螺鈿琵琶の左が表、右が裏

さて、今回の展示品で特に見るべきものは、入館待ちの行列の際に入手できる「読売新聞 第75回正倉院展特別版」に掲載されている「楓蘇芳染螺鈿槽琵琶」「九条刺納樹皮色袈裟」「平螺鈿背円鏡」「青斑石鼈甲子」「赤地鴛鴦唐草文錦大幡脚端飾」らしい。

琵琶は展示がある度に人気を集めており、今回も琵琶の音色も会場に流してくれていてとても良かった。私は楽器は幼少期にピアノ、学部時代に篠笛を少しかじった程度だが、琵琶の形とその深い音には強い憧れがある。そして今現在の琵琶(薩摩琵琶とか筑前琵琶)に装飾は全く無いとは言わないが、正倉院展の琵琶の装飾の美しさにはほれぼれする。

この琵琶が作られた時代、宮中で演奏されていたかもしれない頃を想像してみる。琵琶を演奏する奏者も美しく着飾っていただろうが、その奏者が抱くように抱えて演奏する琵琶の弦がはってある方の白象とそれに乗った楽人の絵は演奏を楽しむ人にどのように見えたのだろうか。また、裏側の螺鈿の煌びやかな美しさは、どのように鑑賞したのだろうか。耳と目を楽しませた琵琶を作った人たちは本当にすごいと思う。

また、螺鈿の鏡も今回は特に大きく感じたが、螺鈿の白と琥珀の赤(天然の赤い琥珀ではなく赤く色をぬった琥珀らしい)の美しさとそれを引き立てる小さく砕かれてちりばめられているトルコ石が美しかった。

きちんと説明書を読んでいないが、これは日本で作られたものだとして、トルコ石は国産というのは今でも聞かないので、中国などの国外から日本に入ってきたものなのだろうか。鏡を入れた箱も含めて、デザインした人、作成した職人の人、必要な素材を入手した人、そしてそれを愛で、また現代まで保管し続けた人たちがいて、命も文化も美術も今日までバトンが渡されていることの貴重さをこのような展示物を見ると思ってしまう。

特に最近は、戦争や爆撃によって子どもをはじめとする人が殺され、その人たちの日常が奪われ、その人たちが今に至るまで伝えてきた文化や美術が失われていく様から目を背けることができない日々となっているからこそ、人の命を生活を文化を美術を奪うな、奪ってくれるなと思わざるをえなかった。正倉院はササン朝ペルシアで作られたものも収められているだけに、中東などは日本に遠いから、直接関係ないからなどとは全く言えないと思った。

脱線しつついくらでも感想を綴ってしまいそうになるが、その他に「碧地金銀絵箱」「犀角杯」「鳥草夾纈屛風」「雑色瑠璃」なども注目を集めていた。「雑色瑠璃」はポップで可愛いのでこれは今回のミュージアムグッズとして何か作ってもらえたら良かったと無責任にも思った。私の勝手なリクエストだと根付みたいな感じで鞄につけられるもの、あるいはそれぞれのモチーフの飴で外から眺めて楽しめるクリアケースに入っているもの、もしくはサンキャッチャーなど。形がまん丸ではないところが特に愛らしかった。

また、多少は当時の金が残っているとはいえもとの絵を目で確認するのは難しい「漆金銀絵仏龕扉」を含む「漆六角厨子」の調査結果も、正倉院に収められた品々が単に保管されているだけではなく、今なお研究対象であることを実感できて良かった。正倉院展では「残欠」といった部分的に残されていますという類の展示をよく見かける。また、「塵芥の整理」という言葉も目にする。当時を思わせることが容易な比較的完璧に残されたものだけではなく、パーツや不要と判断されるかもしれない「塵芥」まで大事にされているところに歴史のスケールやものを容易に判断してはならないことを再認識する。長くなるのでこれ以上書かないが、今回展示された「常陸国戸籍」のように断片から復元することができる文書も保管され、研究され、次の世代につなげてくれているところが素敵だ。

正倉院展をしみじみ味わうにはまだ若すぎる子どもは昨年同様に30分程度で会場を回り、人が集まっている展示と遠目にみて楽しそうだったものを見て、あとはミュージアムグッズで友人のお土産を物色して、ベンチで私を待ってくれていた。予め打ち合わせていた待ち合わせ場所で合流すると、「自分がおススメする今年のミュージアムグッズ」を教えてくれた上で、「今日はレジ待ちがえげつないから、時間かかるんやろ、地下でジュース飲んで待ってるわ」と告げて一足先に地下エリアへと移動した。

今のところ子どもは正倉院展を「親が好きなイベント」として認識しており、自分は関心はないけれど行くことになっているんだと友人たちに言っているらしい。それでも夕食で自分のリクエストを聞いてもらうことと引き換えに私がいろいろ眺めているのを館内で待ってくれるだけ成長してくれたところが頼もしい。


缶入りの飴とマグネット

もっとも、私は仏像が好きなので、正倉院展の後は地下通路を経由して「なら仏像館」にも行くため、まだ後半戦が残っているのであった。