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#47 こんなことがあった(長男教で男尊女卑な伯父とその妻こと)
母の兄(母方の伯父)は伯父・伯母・母・叔父の四人兄弟姉妹の長男に生まれた。長男教だった母方の実家では「跡取り息子」(ただし跡を取らなければならないようなものはない家柄ではあったが)として他の子どもとは別格扱いで、大変大事にされて育ったらしい。
その伯父はそこそこ勉学ができたので「勉強ができる」=「医者になるべき」というよくわからない期待を背負って医学部を目指したが、挫折し、そこそこ有名な大学の法学部に進学した。勉強はできた方なので、同級生の間では「雲上人」と言われる程度には成績が良かったらしい。父親の同僚が伯父と同級生だったらしく、「あの優秀な人の妹さんか」みたいなことを母は言われたこともあるらしい。
兄弟姉妹の中で一人が別格扱いで、しかもその別格扱いされた人が対外的にそこそこ良い評価をされる人だったので、母の中でも兄は性格は悪いところはあるけれど、努力家だし、自分にとって誇れる人という存在だった。
大学卒業後は都銀に就職し、英語ができた方だったので中近東に赴任し、定年退職後は大学時代の指導教員から調停員の打診を受けて調停員をしていたことなどから判断すると、まあ、対外的には真面目で人あたりも良くそこそこ優秀な人だったのだと思う。
ええ、団塊の世代にありがちな、男というだけで高い下駄を履き、家事育児を全て任せることができる妻の内助の功にサポートされて、というアドバンテージはあったとはいえ、その世代の男性の中では真面目で頑張った方だと私も思う。
そういう伯父は、生意気な女、勉強ができる女が嫌いだったと妹である母から聞いたことがある。母も高校までの勉強はできた方だったらしいが、母の同級生の家庭教師をやって(=母から見れば母のライバルの肩を持ったということになるらしい)、それにもかかわらず母の勉強を見てくれなかったのは、母の足を引っ張るためだったと母は言っていた。本当はどうかはわからない。
伯父よりも学歴が上になってしまった姪の私という存在は伯父にとっては目障りでもあり、また何かに利用できるという意味において無下にはできないという、まあまあ厄介な存在だった。
父母とも長男教で男尊女卑の家庭で育ち、それぞれの家庭において「どうでもいい」存在であった三男次女夫婦の長女の私は、そのような「長男教で男尊女卑(くどくどしくてすみません)」の親戚の中ではランキングは下ながら、対外的に利用できる、自分の箔付けに利用できるという意味において、微妙に尊重されるという、本当に微妙な存在で、厄介だったと思う。なんとなく距離を置かれていることは知っていたので、伯母に世話をされていた幼少期は別として、建て替えられた後の母方祖父母の家でリラックスできるようなことはなかった。
それと同時に「〇〇(私)のように勉強しなさい。」と言う感じで私の知らないところで私の同意を得ずに私を使って自分の子ども(私のいとこたち)の教育に利用されるのも嫌だった。後に伯母の娘である従姉が母に幼少期から私と比べられて、勉強しなさいと言われて嫌だったと告げたと母から聞かされ、あんたは昔から気が強くて厄介なのよという感じのことを追加で言われたが、従姉妹間で競争を煽るようなことをするのは私よりも性格が悪いと思うし、そもそも比較された私にどのようなメリットがあるのか教えてもらいたかった。
そうしたいろいろと配慮しなければならない空気が嫌で、子どもの頃から母方の親戚づきあいの場ではできる限り存在感を消すようにしていた。「邪魔にならないこと」が親戚づきあいの場の最大ミッションだった。小説などで描かれる祖父母に歓迎される孫という存在は私にとって異世界の話だった。
母に「家族に恵まれなかった」と書き送られたことは私のいろいろなスイッチをオフにするだけの破壊力があったが、そもそも私も自分が生まれた家族や親戚に恵まれたかというと、そんなことも無いと言うしかない。親戚づきあいは大事にされない三男次女夫婦であった父母の意向があったのか必要最低限だったので、親戚同士でそこそこ交流がある人を羨ましく思うことはある。
母方の祖父母の家の和室には、同居している従兄妹の写真の他、伯父のところの従兄弟の写真が飾られていたが、そこに私たちの写真は無かった。実は叔父は初婚の際に娘を授かっているが離婚の時に妻側に引き取られたこともあって祖父母的にはゼロカウントになっていて私たちも叔父の相続手続きの時に改めてその存在を認識したが、その従妹の写真も無かった。母方の祖父母における私たちの存在とはその程度のものだということを写真を見る度に子ども時代から思い知らされていた。
伯父の話に戻す。生意気だったり学がある女が嫌いだった伯父は、妻を選ぶ時も「女は顔が良ければいい、気立てがよければさらにいい」という感じで顔と気立てで選んだらしい。逆に言えば学歴などで自分の優位性を脅かさないことが最優先だったらしい。
私の仕事でも遭遇することがある、自分のライバルになりえない存在に対しては親切で紳士的だが、いざライバルになりそうになると徹底的に足を引っ張ったりするタイプなのだろうと思う。そういう人の多くはそのことを自覚せずにやるのでなかなかしんどいこともあったが。伯父については、既に述べたように目の上のたんこぶだが使える存在でもあるので、毒を含んだ言葉を気に留めなければまあまあな関係だった。と言っても、私が伯父の家に行ったのは1、2度だし、祖父母関係のイベント以外で会うことも無かったという感じの親戚らしいですが、よくわかりませんといった状況だった。母は兄弟姉妹と言う感じで何度か伯父の家には行ったことがあるようだった。
伯父の妻の話に進もう。
私の記憶にある伯父の妻は優しい感じの話し方をする可愛らしい人で、男を立てる振る舞いが見についていて多少はズルいなと思うところはあったが、伯母の娘(=私の従妹)が憧れていただけあって感じの良い人だった。もともとは下町(東京浅草で自転車屋さんをしていた家だったと母から聞いたことがある)で立ち居振る舞いはほとんど知らない状態で結婚し、嫁として祖母と伯母にいちから仕込まれたらしい。こう書いているだけでも大変だったのだな、そこまでして伯父と結婚する必要は無かったのではないかと今でも思う。
都銀をはじめとする銀行業界で働く男性の場合、早めに身を固めることが奨励されていたし、結婚相手は上司などの娘か、あるいは採用時に身元チェックが入っている銀行で腰かけ程度に働く女性から選ぶべし、というような暗黙のルールがある中で、若手の出世頭であったにもかかわらず、そういうルールから外れた下町の女性を伴侶に選んだ伯父は、それだけが原因ではないにせよ、一時期出世コースから外れかけたらしい。銀行員も大変なものだ。
できの良い息子の出世を願って、銀行で働き始めてからは上司への中元・歳暮などの贈り物を欠かさなかった祖母にとって、せっかくのレールから外れる様なことをした伯父の結婚はかなりショックみたいだったようだ。そしてそのショックの分、伯父の妻には嫁いびりみたいな感じできつくあたったらしい。祖母も農家の出で電話交換手で働いていた時に年下の社員である祖父に惚れて押しかけ女房をした感じなので礼儀作法みたいなものにはうるさくない家の出だと思うのだが、伯父の妻の立ち居振る舞いなどには伯父の妹である伯母(母の姉)とともにいろいろ注意したようだ。
あの二人からチェックを受けるのは針のむしろに座らされるようなものだったと思う。そういう話を私にする母に対しても、いろいろ躾けられていない人として、仲間として、伯父の妻を助けてあげればいいのにと思ったが、「だって、それがわかって(身分不相応な)結婚をしたんでしょ」「それでも結婚したかったんだから、当たり前じゃない」という感じだった。
うちはれっきとした農民の出なので、たいそうな家じゃないのだが、母方はどうも自分が中流より上という自意識があって、自分を含む身内の配偶者に対して妙に上から目線で評価する傾向があった。あれは本当に謎だった。その分、「きちんとしていなければならない」という感じで身づくろいや同居の孫に対する躾などは厳しかったし、前者については確かに小綺麗な祖母や伯母はそうではないよりも格段に良いとは思っている。ただし、田舎から出てきた三男と体が弱くて万事何もできないとされていた次女の間に生まれたので躾などは期待しても無駄と思われていた分「放任状態」を満喫することができた私から見ると、同居の孫に対するプレッシャーは気の毒だった。
さて、母から聞いた伯父の妻に関する話で一番ひどいなと思ったのは、伯父夫婦に長男が生まれた時の事、伯父夫婦は祖父母と同居はしていなかったので、どういうシチュエーションなのかはいまひとつわからないが、祖母が生まれたばかりの孫の世話に通っていたみたいだ。母方の孫が生まれた順番は、伯父の長男>伯母の長男>私>伯父の二男>叔父の長女???>弟>伯母の長女という感じなので、初孫にして長男の長男にあたるため、祖母は大変喜んで世話を焼きに行ったのだろう。
ある夜、伯父夫婦の長男が泣き止まないことがあったらしい。その時に祖母は、「●●(伯父の妻)さん、うちのぼうや(伯父のこと。傍目に気持ち悪かったが祖母は死ぬまでそう呼んでいた。)は仕事をしていて大変なので、睡眠が大事です。あなた、この子を抱いて泣き止むまで外にいなさい。」と言って伯父の妻と子を家から出したことがあるそうだ。なかなかすごいことを言う祖母だ。それを止めない伯父も何なんだという感じだ。
ええ、これだけをもって全てに当てはめてはいけないことはわかっているが、そういうことをおかしいと思わなかった団塊の世代の男性が「調停員」をやっていることには恐怖を感じる。
そういう理不尽に耐え、いつもにこにことしていた穏やかな伯父の妻はそれでよかったのだろうかと思う時がある。女性が裏方作業を行う葬儀の場で本の少し言葉を交わした程度でも、控えめだが割としっかりした人で、単なるかわいい女性ではなく、いわゆる理想的な良妻賢母像を目指していることはわかった。ただ、教育面などでは夫である伯父に歯向かうことは難しかっただろうなと思う。従兄弟の勉強、特に英語は伯父が見ていたらしいことは聞いたことがある。
2人いる息子の長男は、関西の有力私大および大学院の理系に進み電力会社に入社、次男も地元で人気のある国立大学(大学院まで進学したかどうかは覚えていない)理系に進み大手の製薬会社に入社した。このあたりが伯父夫婦にとっての人生のハイライトになるのかもしれない。その後、息子の配偶者を伯父好み(=祖母好み)に躾けようとしたような雰囲気もあって、多分、息子夫婦から距離を置かれている感じだった。基本的に母からの情報なのでこれらの情報の正確性には自信がない。
話を少し飛ばす。伯父の長男は、最初の結婚や親は気に入った女性だったらしいが離婚、次の結婚では妻子と別居している時に体調不良でまだ40代なのに亡くなった。二度目の結婚の不調=妻子との別居があったので、息子を心配して時々様子を見に行っていたその折に自分が息子の死の発見者になってしまったらしい。母として自分より先に子どもが死ぬことは耐えがたいことなので、大丈夫なのかなぁと思っている。
なお、この伯母(伯父の妻)からは私が大学院の頃に妙な依頼を受けたことがあるのだが、その話は別にまとめたいと思う。
綺麗で上品なおばあさんになりそうな人で、肝っ玉母ちゃん的なところがある私とは対極にある人だからこそ、自分が年を重ねていく際のひとつの理想だと見ていたので、孫とのやりとりなどで日々を楽しんでいるといいなと思っている。