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#28 こんなことがあった(母に家を追い出されたら)

小学生から中学生にかけて、そんなに頻繁ではないが、母に「出て行きなさい」と物をなげつけられたりして、あるいは体を押されて家を追い出されることがあった。

原因の多くは私の顔(表情)で、叱られている時の顔が、叱っている母からすれば、「馬鹿にしている」と思わせるものだったらしい。別のところで書いたが、私は相手が感情的になればなるほど白けてくるタイプであり、小学生の段階で既にその傾向があったのだと思う。私としては、叱られている内容の理不尽さだとかポイントがズレていることについて納得はしないものの、ここで反省している態度を示さないと感情的な言動がエスカレートしていくのは明らかなので、それなりに反省ポーズをしているはずなのだが、経験値不足でそれが不十分だったのだろう。

そういう怒りの矛先になるのはたいてい私で、弟がそうなったのを見た記憶がない。母にとって弟は自分がかばわなければ夫や姉から理不尽な目に遭う気の毒な子という設定らしく、もしくはそう思い込んでいる感じで、食事が遅い、片づけないなどの小言はあっても、私ほどの怒りの矛先が向けられることはなかったような気がする。もちろん私が知らないだけということはあるだろう。

母は感情の波が激しく、子どもが自分の思うように振る舞わないとイライラするタイプだったので、何かがきっかけて怒りのスイッチが入るとあとはもう手がでる物が飛ぶタイプだった。ランドセルを狭い庭に放り投げられたことも数度ある。「あ、ランドセルも投げちゃうんだ。」「うわっ、中身まで飛び出した、あれを後で拾うのか。」と思った記憶があるところから判断すると、自分のことではあるが、やはりかわいげのない子どもとしか言いようがない。母を多少気の毒に思う程度に、母と私は気性が合わないのだった。

話を元に戻そう。

夜、母から家を追い出されることがあった。食事前、食事後そのどちらも経験している。「うっわー、子どもをこの時間帯に家から出すんだ。すごいな。」と割と冷静になっている子どもの私がいる。

母親は感情的だし、そうなると既に解決した問題まで掘り起こして自ら感情の火に燃料投下をするタイプだけれど、ある一定期間をすぎるとトーンダウンしてくる。そのため、出された直後に「家に入れて」とドアを叩くことは、まだ鎮火していない怒りに燃料を投下してしまう危険性が高い。だったら母が落ち着くまでの時間をどこかでやりすごすしかない。

その時住んでいた家は郊外の住宅地の端で、今のようにコンビニがここそこにあるわけではないので、時間をつぶす適当な場所はない。その家の近くには、今でこそイオンや短大、それを取り巻く住宅地があるが、当時はため池がいくつかある程度なので日が暮れてからそちら方面に行く選択肢はない。住宅地の公園はちょっと距離があるし人目があるのでそこで時間をつぶすことも難しい。

さらにトーンダウンした母が仮に私を探しに来た場合、見つけづらいと不安などから再び母が感情的になるリスクがある。ほどほど近い場所で、ほどほど時間をつぶし、母の怒りのテンションが多少落ち着いたところで顔をぶたれる程度の覚悟で出頭して、次はもう少しうまく反省したふりをしなければならないだろう。

と、なると、灯台下暗しで、庭先などが候補となる。実際に庭先で潜んでいたこともあった。ただし、庭先だと虫に刺されたりするリスクや、隣近所の人に見つかってそれが母の感情を逆なでするリスクがあるので、場所として最適ではない。そこまでざっと考えて、たいていの場合は車庫にある車の中に入って時間を潰していた。

今の技術だとタッチレスで車の鍵の開け閉めができるし、一定時間ないし距離があると自動的に車がロックされる場合もあるが、この時代はもう少しアナログだったし、「車の中に盗られるものが無ければ大丈夫」といった感じで母が毎回車の鍵をかけるタイプではないことを知っていたので、音でばれないようにこそっとドアを開けて、ドアは閉める時の方が音が大きい気がするので注意して、ちょうど車が通ったりする時に合わせてそっと閉める。そして、外から一見したレベルでは見えない感じに身を潜めて、物思いにふけりつつ家の方の雰囲気を推し量っていた。

きちんとはかったわけではないが、大体30分、長くても1時間ぐらいで、家が静かになったことを確認してから車を出て、鍵はかかっていない玄関を開けたところで腕を組んでにらんでいる母に謝って(多分こういう感じのことを言えばいいんでしょ、という具合の適当な謝罪フレーズを並べて)、たいていの場合頬をぶたれて、最後にもう一度怒鳴られて、人格を否定されるようなことを言われて、そこまで我慢すればおしまい。お風呂に入れるかどうかはその時次第だが、2階の自分の部屋まで行けたらあとは何とかなる、そんな感じだった。

子どものころからそういう可愛げのない怒られ慣れをしているので、いざ自分が怒る時にも怒られる側の思っているようなことを推測してしまって、そんなに長く怒ることはできない。ズバッと言って、しばらく自室でトーンダウンしてから、何がダメだと思うのかなどを改めて説明する感じ。ただし、「(怖いことを言わなくても)目が怖い」と子どもには言われる。反省しなければならないだろう。

こんな感じで、家から出されました → 適当に安全っぽいところで時間潰します → 家に入れてもらうための儀式をします をこなしていたのだが、ある時、こちらも心底嫌になって、めんどくさいのでもうこのままここで寝てしまおうかなと思って、いつもより長く車に隠れていたことがある。すると母は何を思ったのか、弟を家から出して私を探させた。

いや、夜に弟を外に出すのは無しでしょ。結構夜遅い時間帯になっているし。しかも、子どもの頃の弟は「(姉を)見つけて一緒に戻って来い」と指示されたら、私を見つけるまで言われたとおりに「戻ってはいけない」と思う程度に良くも悪くも素直だった。そして弟は私がどこで時間を潰しているかまったくわかっていなかった。いや、このままだったら弟が事件や事故に巻き込まれるじゃないか。

だから仕方がなく車から出て、近くをうろうろしている弟を探して一緒に帰った。玄関の所ではいつものように母が腕を組んで仁王立ちしており、弟は一足先に家の中へ、自分の部屋に戻り、私はいつもより長く叱られ、ぶたれたのだった。

いや、私を家から出すのはまだいいとしても、私を探させるために(私に帰って来させるために)弟を出してくるのはちょっとえげつないだろ、と思った時の話。