普段イラついたり、怒ったりすることが少ない性分だが、 職場の人間関係の中で3人ほど定期的に気持ちを逆なでしてくる相手がいる。 この3人に共通することは ①悪気はない、逆に親切心でやってる(と思う) ②相手の気持ち(状況)を考えられない ③素直さがない(自分が正しいと思い込む) ということ。 で、ここからが重要で、 上記3点は 私もそうであったということ。(現在進行形かもしれませんが) なので、腹が立つ出来事があるとそれにプラス、以前の自分を見ているようで恥ずかしいという
9月後半からずっと体調不良だった。 症状としては、 ①少し考えことをするとおなかが痛くなって下す。(食欲がないわけではない) ②微熱が上がったり下がったりと頭痛(風邪薬はまったく効果なし) ③背中の猛烈な張り(毎日カイロ貼ってた) ④腸のあたりが鈍く痛む ⑤首コリ(真上を向けない) ⑥だるいのに夜熟睡できない(夢を見る) ⑦耳の閉塞感 ⑧信じられないような手汗 ⑨ストレッチしようものならどこもかしこも痛い ⑩人と会いたくない と、とにかく苦しい1か月を過ごしておりました。
今日は息子の学校行事で陶芸教室が開催された。 親子でそれぞれ好きな物を作りましょう と 粘土の塊を渡される。 大まかな作業を説明され、早速開始。 ひんやりした粘土の感覚。 こねて、丸めて、のばして、くっつける。 いつの間にか無心になり、ゾーンに入る。 こんな感覚はいつぶりだろうか。 過去も未来も考えず目の前の粘土に全集中。 出来ばえといえば、作業開始当初、私は何を作りたかったのか完全に見失ってる代物になった。 芸術家の方々のイメージを形にするという作業は並大抵
誕生日におめでとうのLINEがあった。 全然会えていない、私が短大を卒業して最初の就職先で仲良くなった友人。 毎年忘れずに連絡をくれる。 子どもの成長のこと、身体の変化の報告会みたいになっているけど、 不思議と彼女と話す時 私はその当時に戻ったような空気を纏う。 彼氏がどうだとか、上司が腹立つだとか、ファミレスで泣いてご飯をむさぼってた。 あの頃が幸せだったとかは思わない。悩みがなくてなんてこともなかったわけだし。 そして今も今でとても幸せだし。 けど、あの時さぁ
最近、男性の友人と食事に行った時の話。 彼には女性の部下がいるらしく、 会話の際、目を見て話すと気持ち悪がられ、目を逸らして話すと 身体を舐めるように見られるから嫌だと言われ辛いと言っていた。 そんなに厳しい世の中になっているとは知らなかった。 今後はアイマスクしながら会話しないといかんな。
44歳の目標を考えたけれど、真剣に考えた結果、 心身ともに健康でいること。に決定! ぜっったいこれしかない。
明日は誕生日だ。 昨年の誕生日はよく覚えている。 付き合っていた人とうまくいかなくなり始め、 もうだめだなと思っていた。でも、誕生日だし もしかしたら連絡くれるかも…と期待していた。 けど、結局はスマホは鳴らず。 あれから1年経った。43歳の目標は 恋はしないと決めた。 ちゃんと達成した。 強がりみたいだけれど、ほんとに恋は懲り懲りと思ってた。 若い頃のように次々と湧いてくるエネルギーはなく、仕事、子育て、謎の体調不良に重ねての恋はやはり 厳しかった。 楽しいこ
色々断捨離しているけど、最後の強敵はテレビ。 見ない日もあるので、もういいかなって思ってるのに何故かリビングから追い出すことができない。 真っ黒画面だけのくせに私を苦しめている。 やはり、40代にとってはテレビって絶対的な存在で、スマホやパソコンが普及して優秀であってもテレビってなんか特別なのよね。 うちは市営住宅なのだけど、ちゃんと間取り的にテレビが置かれるだろう設計になってるからまた腹が立つ。 いつかテレビがリビングから姿を消す日がくるのだろうか。
なぜ自分の感性より、他人の感性を信じて、 それを優先に生きてきたのだろうか。 すきな物も本も資格も、他人がどう思うのかっていうのが一番最初の判断基準だった。 おかしいだろ!!って思うんだけど でもそういう人って私だけじゃないと思う。 今は個性の時代と言われているから以前よりは随分他人軸の人は減ったかもしれないけど、ちょっと前はみんな同じが正義みたいだった。 ほんとに生きづらいと思ってた。 世の中の価値観が目まぐるしく変わっていくのに とまどいはあるけど、 みんなと
人のアドバイスとかにグラグラするときって 結局は 決めきれてない って言うことの証明っていうことだけだと思う。 内容よりも、自分の決断が100%自分自身で信じきれてないってこと。 きめた!ってことならそもそも人に言わなくてもいいし。 他人に話してどこかに逃げ道を作っておきたいだけ。 私がそうだもん。 来年3月に退職して新しい仕事したいって思って 同僚に話したけどやっぱり怖くなって、慰めの言葉を求めてる。 情けないと思いつつも、自分の決心がまだ固くないんだって思った。
断捨離を始めたころ、フリマアプリの存在を知らず近くのリサイクルショップへ持ち込むか、友人へ譲ることしかしていなかった私。 リサイクルショップで買い取り不可となれば燃えるゴミとして出していた。 ある日、どうしても欲しい本がありそれがフリマアプリで売っているとのことで登録したのが始まりだった。 需要と供給のバランス最高じゃないか!!と、ものすごく感動したのだ。 だったら私も断捨離してるし、出品してみようと思い、おそるおそるやってみる。 売れる。売れる。え??こんなに順調
noteを始めて記事も少なく、時系列もめちゃくちゃですが 今は思いつくところを綴ってみようと思います。 これまで私はかなり浪費を続けてきました。やめようと思ってもやめられなかったのは、理想の自分のイメージがあり、そこに近づきたいと思っていたからでした。 たくさんの物を持つことが幸せだとは思っていなかったけれど、 これを持ってたら、これを使ったら理想の自分になれるのかもと思い、さまざまな商品を購入し続けたのだと思います。 でもそうではなかった。 離婚を経験し、あっとい
みなさん、自分の後ろ姿って意識したことがありますか? 私は今年の4月から180度開脚を目指してストレッチをしているのですが、 自分としては結構いい感じと思っても、俯瞰してみたらどうなん?と思い 息子にストレッチ中にいろんな方向から写真を撮ってもらったのです。 その画像に驚きを隠せず。。。 背中が、、、後ろ姿が、、、うん、、、なんていうの、疲れてる。 正直がっかり。ほんとにこれ私?っていうほどに信じられませんでした。 体重は学生のころからあまり大きな変化はなく、プ
こんな私に会いたかった までは金がかかった。 若かりし頃、とにかく服が好きだった。 けど、どれもこれも似合わなかった。 店員さんの よくお似合いです! はセールストークだとも気づかず いろんなテイストの服を買いまくった。 身長154センチ、体重40キロ、少し大人っぽい顔立ち。 (母にあんた身長さえ高ければよかったのにね と言われる) 自分のどこに焦点を合わせたらいいのかさっぱりわからなかった。 あれは20代半ばだったと思う。友達のおうちに行ったとき、クローゼットの中
私にとって「しっくり」というのは人生のテーマかもしれないと思う。 なぜかといえば、「しっくり」を探してさんざんお金と時間を使ってきたから。 自分に合うもの=しっくり なのだけれども、私の場合は他人からの評価によって、しっくりを決めてたりしてきた。(他人から似合うねとか~らしいね とか言われるとそれがしっくりなんだと思ってた。) 自分が納得できる物や思考。 それこそが本物のしっくり。 しっくりしっくり言い過ぎた。 40代半ばを迎え、やっとここにたどり着いた。 もっと早く