北海道縦断歩き旅 24日目「なんもない自分となんもない道」天塩~
この日、一番歩きたかった宗谷サンセットロードを通る事になる。
食事も水分も十分とって準備し出発する。
天気は小雨。細かい霧のような雨で風がやや強く感じた。
厳島神社の前に大きな石が立っていて印象的だった。
グーグルマップでは晴れて穏やかだが、
私が行ったときは雨で風が強く、木が幹ごと傾いて揺れていた。
天塩川を渡る頃には晴れてきて。
早朝の為、車もほとんど見かけず清々しかった。
強風はずっと続いたが前後に車が全くいない時が多く、
思い切り大声で歌ったりした。
大自然は音痴でも批評してこない。
喉が疲れるまで歌った。
この旅で、初めて知人や友人、職場の人たちに感謝の気持ちが沸き起こった。
登山などでも同じような気持ちの変化は今まであったが、今回の歩き旅でここまで感謝の気持ちが沸き起こったのは初めてに感じた。
思い出せる限りすべての人に幸運を祈った。
この道を歩いて通る事を旅の始まりからずっと考えてきた。
ここにたどり着く時、自分は変わっているのだろうか?
問い続けた答えに今たどり着き、心境の変化がこの日に味わう事ができた。
色々、失って何もない人間のままだが、
この道の思い出は持って帰ろう。
そう思って車の少ない朝の道を満喫する事に集中した。
しばらく、目で見える限り真っすぐなにもない道を通っていると、
巨大な風車が何本も立っていた。
あの細い羽根がどうやって回っているのだろうか?
こんな巨大なものをどう運んで、どう組み立てたのか?
そんな疑問を抱くほどでかかった。
後に調べると、高さ100mの風車が3kmに渡って連なり、風車の数は28基あるそうだ。
美味しそうな赤い実を実らせた草が道路わきに続くところがあった。
後で調べたが樺太大実コケモモという植物らしい。
一応食べられるみたいだが、後に食べたと語っていた人が話すには、
渋くて種が多かったと話していた。
沿岸近くを歩く。
果てしなく続く海岸に、果てしなく漂着ゴミがある。
ゴミが海にある以上、綺麗な浜辺というのは、人の手が入って清掃されなければ自然界に存在しないのかもしれない。
北緯45度のモニュメントを通る。
だいぶ待ったがずっと観光客がモニュメント前で撮影していて銀のモニュメントは撮影できなかった。
その近くに浜里パーキングシェルターというトンネルがあった。
吹雪などを避けるための避難施設らしい。
なにもない草原にポツンとトンネルがあって浮いている。
中は独特の空間が広がり荘厳な雰囲気すらあった。
山のトンネルよりも天井が高く、窓があるため明るい。
構造が反響しやすいのか、山のトンネルよりも音が響きやすい。
トラックが通過すると反響してうるさい。
非難施設だけあってトイレが設置されているが、こんなところにもコロナの注意書きが貼ってあった。
使用禁止の張り紙されていて、もしかすると冬の為の施設だから、夏は使用禁止にしているのかもしれない。
トンネルを抜けると白線の道がぐっと狭くなり、しかも水たまりがいくつもあってストレスがたまった。
さらに進んだところにトラックたちの目的地らしき脇道があり、そこを通過して以降、トラックが激減して歩きやすくなる。
町の境目なのだろうか?
ここ以降、急に積雪用の矢印ポールを見かけなくなり電線のない開けた空が続く。電線がないだけでこんなにも違く感じるものなのか。とその時思った。
2台ほど車が停車して「乗せていこうか?」と声をかけてもらう。
バイクはいつもよりも元気よく手を振ってくれる人も多いが、運転に集中したいのか猛スピードで駆け抜ける車やバイクも多かった。
自転車は定期的にいたが、疲れているのか、声をかけても返事がない自転車も多かった。
トイレと駐車場があって休む。
お店は営業していなかった為。昨日買ったおにぎりを食べた。
自販機もなく、水以外に久しぶりに味のある物を口にして、異様においしく感じた記憶がある。
この日発売された曲をituneで買って聞いていた。
ワゴンが駐車場に停車し、座りつかれたらしき家族が飛び出すように車から出てきて、私の前をグルグルと走り回っていた。
再び歩き始めると、異様にキャリーバッグが重い。
今までに感じたことがないほど重く、引きずっている状態に近いと感じた。
道幅も狭いため、車が居ないタイミングを見計らって車輪をチェック。
確かめたら車輪が回っていない!
前にも試したが長距離を担ぐのはキツイ。
終わった。
その時、思った。
なぜ、ここで?
24日間歩いてゴールまで残り1割もないここで、なんで?
さっきまで、
動いていたのに休憩後に動かなくなった。ここ2,3日で雨の中歩いて錆びてきてしまったのだろう。
油がないが水で何とかならないか、貴重な水を車輪を回しながらかける。
すると、車輪が何とか回るようになった。
前より動きは悪い、しかし動くだけで進める。
泊まったら、また車輪が動かなくなる。
そう思って休まず進むことにした。
バイクの人や自転車が休憩していたら、話しかけてクレ556を持っていないか尋ねよう。
そんなことを思いながら進む。
停止して再出発して5分も立たないところで、
なんと、クレ556が落ちていた。
思わず、笑ってしまう程タイミングが早くクレ556が手に入ってしまう。
欲しがっているから認識力が上がったのだろうけど、いままでの24日間クレ556が落ちていた事はない。そして後の道でも落ちていたことは一度も無かった。
556を持ってこなかったのが気がかりだったので、もし落ちていたら必ず拾っていたと思う。
それが、タイヤが回らなくなって5分で見つけるとは!
缶の状態も新しく、振って中身を確かめても十分に容量がありそうだった。早速、拾った556を車輪を回しながら指してみる。
初日よりもよく回るように感じ、指が筋肉痛になるほど握って引いていたキャリーバッグが、中指一本ひっかけるだけで転がるほど軽くなった。
奇跡だ!
ずっと一人の孤独な旅だと思っていたが、だれか見ているとその時思った。
霧がかりはじめ、この写真の後、霧の中ひたすら進む。
パトカーが停車していた。
職質されると思ったが近づくと発進してゆっくりと道の彼方へ消えていった。隠れて取り締まりというよりは、パトランプを照らしてパトカーの存在で注意喚起しているように感じた。
道のわきの草が刈られている。
この距離を刈ったのだろうか?
今まで見てきた道路整備士たちを思い出す。
あの人たちのような人がひたすら道のわきを刈り続けたのだろう。
すこし山なりになっている所でバイクに追い抜かれ、
バイクが手を振っていたので振り返すと、
ミラーで確認したのか、立ち乗りの姿勢でガッツポーズを振って
俺を応援してくれた。
夕暮れ近くですこし疲れがあったが、そのテンションの高い応援で思わず笑って、元気を貰った。
一日で宗谷サンセットロードを歩いて通るのは可能ではあるが、
厳しいので17時ごろに切り上げて、キャンプ地にする草原を探す。
この日はとにかく風が強かったので、平たい草原ではなく、少し山なりになって風よけになる所を探した。
上の写真は翌朝の写真でテントを乾かしている所。(当日は風が強くて撮影する余裕がなかった。)
夕方からさらに風が強かったため、カバンの置いてあるあたりの草の風下にテントを張る。
テントの風下を利用して晩御飯を調理する。
テントの風下でも風は強く吹き荒れて火をつけるのが難しかった。
食事を作っている時、ふと見上げると鹿の群れがいつの間に佇んでいて驚く。
この旅、はじめて鹿を見る。
日が暮れきて薄暗いのもあったが、視力が落ちていて鹿の顔がよく見えなかった。
キャンプで暗い中スマホいじるのが視力の低下の原因かもしれない。
このキャンプ地付近は電波がなく、ネットが使えなかった。
就寝は早かったがすぐには寝付けず。
風が強くてテントがうるさいのと、鹿やクマに襲われないか心配だった。
深夜になると風が治まるが、大雨がふり雷が何度も轟音をとどろかせた。
周りに雷があたるものがなく、テントに被雷しないか怖かった。
24日目終了 歩いた距離 43km
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