日本縦断歩き旅《沖縄編》6日目『8月15日、終戦記念日と誕生日と縦断達成と虹の祝福と』⇒辺戸岬
テントは早めに畳んで、
石のベンチで2度寝。
やはりここの石のベンチは妙に心地いい。
出発。辺戸岬を目指す。
この日は8月15日、終戦記念日でもあり、誕生日でもある。
寒い中鳥取を歩いたのも、この日の為に調整してきた。
倉庫仕事で骨折しても歩いたのも、この日の為。
チケットがとりにくい中、飛行機をとったのもこの日の為。
ただの日付でしかないが、
この日、この節目、この目標をぶれずに通過しなければ、
ずるずるとダメになってしまうような、
そんな思いがあった。
旅以外ではうまく行かない事が続いてしまっていたが、
せめて自分の決めた事この旅だけは貫徹したかった。
ローソン、
これから北へはコンビニがなくなるらしく、
預金をおろしたり、買いこんだりした。
北海道出身の方からバナナを貰った。
朝食。
日本一長寿の村らしい。
ストレスの無さは感じる事が出来た。
滝。
いよいよ民家が減ってくる。
道路の下にカニのトンネルがあるらしい。
国頭村に入る。
道の駅。
当分、飲食店に入れなくなりそうなのでお店を探す。
5,6組の行列ができていたが定食屋に入る。
ボリュームもしっかりあり美味しかった。
この日の沖縄の新聞。
この日も暑く、またバテると危ないので休憩をとることに。
道の駅の中で、隠れた休憩所があり、そこのソファーで仮眠させてもらった。
そこでは小学生の(ゲームかなにかの)憩いの場らしく、
なにか盛り上がっていて落ち着かなかった。
しばらくすると、小学生が移動したので、
彼らが独占していたソファに移動。
スマホでこの日の行程を調べていると、
小学生が戻ってきて
「あーあ、(ソファ)とられちゃったよ!」
「だから言ったんだよ!もー!」
なんだかバツが悪くなり、
少し間をおいて立ち去った。
日本中歩いたが、自分には結局
居てもいい安穏の場所は無いのではないか。
寄る辺ない心地で先へと急いだ。
今日、あの見えている所の奥へ行く。
すでに雲行きが怪しい。
あのシルエットが寝そべっている人に見えるらしい。
モアイみたいに面長なのだろうが、
いまいちピンとこない。
沖縄ではあまり入らなかったトンネル。
トンネル入るたび北海道を思い出す。
あの頃のトンネルへの「畏怖」と「人工物に囲まれたヴァーチャル的な殺風景さ」「トンネルを抜けた時の眩しさと現実に戻された感覚」そして「独特の心地よさ」全てが新鮮で強烈に記憶に残った。
ずっと歩きどおしで疲れてきて、
お酒を入れて疲れをごまかす事に。
残波を初めて飲む。
飲みやすい。
残波岬で飲めば良かった。
小雨が降って地面が濡れてきてる。
やはり沖縄といえど整備されてない浜辺にはゴミが溜まっている。
旧道と現道。
すごいスコールにぶつかる。
大雨で前がみえなくなるほど土砂降りだった。
長いトンネル。
どうしても北海道の衝撃を思い出すが、
結局日本縦断して、
北海道でのトンネルとの出会いを超える衝撃は無かった。
あの未知の孤独感は人生での貴重な体験となった。
長いトンネルを抜ける瞬間は毎回感慨深い。
辺戸岬が近づいてきた。
やんばる国立公園に入っていく。
辺戸岬が見えてきた。
夕方近く、車も少なかった。
ワンチャンお店やってたらいいなと思っていたが全て閉店。
野宿場所を迷っていたが、
最低限、
夜中、雨が降っても雨宿りできそうなところがあってホッとした。
だいぶ疲れていて、一旦荷物を置いて散策する。
旅の前に沖縄の事を色々と調べてきた。
中国と貿易していた事。
薩摩藩に搾取されていた事。
税が厳しく、口減らしをしていた時代があった事。
奇天烈な苗字だと、苗字を変えさせられた事。
言語統制で、学校で罰を受けさせられた事。
戦争で地形が変わるほど艦砲射撃を受けた事。
降伏も許されなかった事。
日本から捨てられ事。
パスポートが必要だった事。
道路の右車線を左車線に変える時に尽力した人物がいる事。
沖縄の慰霊の日は6月23日で、終戦記念日(市民平和の日)は9月7日だという事。
薄ぺっらい知識かもしれないが、
辛い思いをした人たちに手を合わせた。
鹿児島の最後でも虹だったが、
日本縦断のゴールでも虹が祝福してくれた。
人にこの日のゴールを告げずに来たが、
天だけは自分を見守り祝福してくれている心地がした。
これは北海道の最後付近でも感じた事だが、
あまり奇跡とか信じない自分でも”なにか”を感じざるおえない。
コロナで仕事が激減。
卑怯な椅子取りゲームから落ちた。
社会では負け組。
でも自分で決めた挑戦はやり切った。
俺はやった。
そうぼやいた。
40年前、終戦記念日に逆子の難産で生まれた。
母からは、「3人も要らなかった」とぼやきを聞かされた末っ子。
真夏のお盆の誕生日は、夏休みで人から祝ってもらえなかった。
TVを付ければ、参拝問題と終戦特集。
小学生の頃は、365日欠かさず泣いて寝ていた。
「生きるべきか、死ぬべきか。それが問題だ。」
シェークスピアのマクベスの冒頭。
若いころは原文を知らず、単純に「生か死か」という意味に捉えていた。
「To be, or not to be」
「that is the question」
あとの文の解釈もあるが、
運命に耐え忍んで続けるか、
勇敢に立ち向かって終えるか。
旅の始まりは、
「仕事」で立ち向かい終わらせて始まった。
新しい生活で今また、問われている。
「To be, or not to be」
「that is the question」
野営場所ではカエルがうるさかった。
あとカチカチと音がして鳥なのか何なのかわからなかった。
ペルセウス座流星群が見れないか期待したが、
曇りの為、見れそうにないので諦めた。
だが深夜、蛍のような光を見た。
蛍がいるように思えないが、確かに小さな光が飛んでいるのを見た。
それと鹿児島でみたような、音無しの雷のような光の瞬きを見た。
大空に巨大な光の瞬きがテントの中にまで照らした。
この日歩いた距離 34km
今まで、スキやフォロー読んでいただいてありがとうございます。
日本縦断旅は達成し、これからは沖縄編の復路を更新していきたいと思っています。