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【小説】夏、無職、ラジオ体操

 夏、俺は無職だった。当然暇で、だから町内会がやってるラジオ体操に行った。年寄りやちびっ子が行くのが相場なのだろうが、別に年齢制限の表記はなかった。

 会場の公園は、遊具や砂場のない正方形の広場といった空間だ。その周りを大小の木々が林立して公園の大半に木陰を作り、その下では風が心地よかった。備え付けのベンチが等間隔に二基並ぶ辺りに簡易テントが設営されて、そこが受付として扱われていた。

 受付では上品な喋り方をする妙齢の女性が応対した。ツバの広い帽子とアームカバーをつけて、にこやかな顔をこちらに向けて種々の説明をした。

 説明の内容は、ラジオ体操第一と第二をやる。スタンプカードが渡され、出席した日数によってタオル等が貰える。たまにおにぎりなどが用意されて食べられるかも。なんて具合。

 彼女のすぐ後ろでは数名が、機材を用意したり、メガホンでアナウンスをしたりと忙しなく立ち働いていていた。

 “町内会のラジオ体操”という触れ込みをどこか侮っていたのかも知れない。案外しっかりした団体の催しと見え、暇を持て余して浮ついた気持ちで訪れた俺は幾分肩身が狭かった。

 説明が終わると受付から離れた、人のあまりいない奥側まで移動してラジオ体操が始まるのを待った。

 公園全体に目を向けると、平日の早朝という事もあって高齢者とちびっ子が多い。三十代は俺くらいかも知れない。彼らはそれぞれで話していたり、待つのに飽きて走り回ったりしていた。

 俺の近くには、野球帽を被った子供と、白髪のおじいさんがいた。

 子供が被る野球帽のチームロゴは今は亡き近鉄。親譲りか何かだろうか。勝手に“近鉄”とあだ名をつけた。

 白髪のおじいさんは腰が曲がっていて、その曲がり具合たるや上半身が地面とほとんど平行になっていた。髪色と相まって、車に衝突されてひん曲がったガードレールの様に見えた。“ガードレール”というあだ名にした。無理あるけど。

 やる事がないんで、ガードレールに
 「始まらないですね」
と声をかけてみる。が、反応は無し。全く動かないから生きてるんだが死んでるんだか分からない。しばらくあってからわずかに口元が動いた気がしたので、近寄って聞き耳を立てると
 「ラジオ体操なんて馬鹿馬鹿しい」
みたいなことを小さいかすれた声でぼやいた。

 わざわざ来ておいて何言ってんだ。なんてことを思ったが、誰かに連れて来られたのかも知れない。かく言う俺も“ラジオ体操なんてなんで今更”と思わない事もなかった。まあ、夏は暑いし無職は暇なのだ。だったら家で蒸し焼きにされるより、外で汗を流した方がいい。

 視線を感じたのでそちらに目を向けると、近鉄がこっちをじっと見ていた。
 「おはよう、何年生?」
 「おはよう、3年生。おじさんは?」
 「30代だよ」
 「じゃあおじいさんだね」

 ちぇ、ガキンチョめ。どいつもこいつも気に食わない事を言う。ご近所運は最悪だった。


 7時を過ぎると
「ラジオ体操が始まります、皆さん間隔をあけてお並びください」
とメガホンを通して朗らかな男の声が響く。程なくして、少し音の割れたラジオ体操の音楽が公園にこだました。

 “伸びの運動……腕を回す運動……体をねじる運動……”

なんだ、やたらめったら上半身を使うな。音声に従ってそれぞれの動きをこなしながら、そんな愚痴めいた考えが頭に浮かぶ。しかしやり始めると案外楽しい。気がつけば夢中になって取り組んでいた。

 近鉄とガードレールはしっかりついてきているだろうかと、二人に目を向ける。すると、近鉄は手順がぐちゃぐちゃで適当に腕を振り回しているだけ。ガードレールはそもそも背筋をまっすぐするのも一苦労で、だいぶ遅れを取っているといった様子だ。おいおい、お前ら何しに来たんだ。

 他にも色んなヤツがいて、指導員のごとく正確に手順を守っているヤツから、身体がおぼつかなくてすぐに息も絶え絶えになっているヤツ、ずっと腕を回しているだけのヤツや、動作一回が、まるでとんでもない重さのバーベルでも持ち上げようとしているみたいに大げさなヤツ、挙げ句の果てにはただ走り回ったり周りにちょっかいをかけているヤツまで、多種多様だった。

 そんなこんなでラジオ体操第一が終わった。そして間髪入れずにラジオ体操第二の、第一よりは景気良く活発そうな音声が流れ出した。

 どんな動作をするのか覚えていなかったが、前方のヤツらを参考にしつつ、遅れないよう必死で食らいついた。

 ふと横を見ると、近鉄も同じく食らいついていた、もはや段取りなど微塵も感じない、全く違う動きだったけど。ガードレールは……あ、あれ? 死んでる? 腰がひん曲がったまんま、喋りかける前みたいにまともに動きやしない。本当にガードレールなんじゃないか?
 「おじさんこうだよ」
近鉄は間違った動きのまま俺に教えを説こうとする。
 「いや、多分違うよ。あとお兄さんな」
 「うん、おじいちゃん」
 「うーん、老いたねぇ」

 睨んでみたが、こっちの怒りが伝わらないのか小首を傾げられた。ちぇ。ガキンチョめ。子供と老人と30代は、同じ人間でもこんなに違う。

 そんなこんなでラジオ体操第二が終わった。俺は立ったまま、膝に手をついて肩で息をした。顔を下に向けると、ボトボトと大粒の汗が落ちて足元の砂に無数の跡を作った。

 ヘトヘトではあったが、気分はこれまでになく爽快だった。鬱屈した気分も吹き飛んで、また明日も来よう、そして、ハロワに行こう。そう心に決めた。夏は暑いし無職は無鉄砲なのだ。

 近鉄とガードレールに再度目を向ける。
 「おじさん、お腹すいた」
 「なんも無いよ、家帰って食いな」
 「お家には何にも無いよ、親が出てっちゃって」
 「そ、そうか……」
自販機でコーラだけ買ってあげた。俺は公園備え付けの水飲み場で水をがぶ飲みした。無職にだって人の心も少々のお金もある。職がないだけだ。

 ガードレールは付き添いと思しき中年齢の女性に手を引かれて公園を出ていった。去り際の頼りない足取りの後ろ姿に“ラジオ体操なんて馬鹿馬鹿しい”とぼやく仏頂面を思い出した。

 “まあ暗い事言うなって、暇よりマシだろう”なんて、次に会う機会があれば言ってやっても良いかもしれない。
 
 近鉄も何処かへ駆けたのか姿はない。そうやって俺は一人になった。

 帰る時、受け取ったスタンプカードをみると8月1日の欄に花丸と“よく出来ました”の文言が書き込まれていた。“たかだかラジオ体操をこなしたぐらいで”と思わん事も無かったが、“そういう皮肉屋で捻くれ屋な気持ちの積み重ねが無職の現状を生んだんだろ”と自分自身にツッコミを入れた。
 「よく出来ました」
心を入れ替えるつもりで、でも恥ずかしいから小声で呟いた。自分自身に言ったつもりだ。悪い気はしなかった。

 心身はいつになくスッキリしている。トラックが通る時の地面を鈍重に滑る音、キジバトの妙にクセになるリズム、それと入れ替わるようにセミがけたたましく鳴き出す音など、それぞれがやけに鮮明に耳に届いた。

 公園から出ると、木々に遮られていた陽射しが強く降り注いだ。西の方面に向かって歩いているから、陽を背に受けて影が自分の前をズンズン歩いていく。

 そんな事今まで考えた事無かったのに、今日はその影の勇ましさがやけに心強く感じられた。時計を覗くとまだ8時前だった。今日という1日が、俺にはまだ有り余っていると思った。

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