自由社VS学び舎 5.東京裁判(3)
今、武漢コロナで中国寄りと問題になっているWHOもそうですが、
ユネスコもその国連組織の一つです。事実アメリカは、昨年ユネスコと人権理事会を脱退しています。そして来年WHOも脱退します。
南京事件の資料として中国側がユネスコに申請したのは、資料の一覧とその大まかな保管場所名だけでした。これら中国が根拠とする資料がどこに保管されているのか、詳細なことは現在も公開されていません。
これほどずさんな手続きでユネスコに登録ができてしまうのです。やはりチャイナマネーでしょうか?
その目録一覧の資料は、十数種類といわれ、南京市民の羅瑾(らきん)が保存していたという16枚の写真」や、「大虐殺」の様子を書き留めた唯一の中国人とされる程瑞芳(ていずいほう)の日記が含まれているといわれます。
しかし、日本側の研究者達は、これらの資料について、それらは逆に事件がなかった証拠だと言っています。 最近中国南京市の大屠殺記念館から本多勝一氏関連の展示物が撤去されたとう報道がありました。やはりニセ写真はまずいと思ったのでしょうか。
東京裁判に関しては、教科書にもかかれず、マスコミでも報じられない事実がもう一つあります。
いわゆる「A級戦犯」です。7人の方が死刑となり、BC級では約1000人弱の方々が死刑となっています。東京裁判が復習裁判といわれる理由の一つです。
しかし、独立国になった日本は早速動きました。サンフランシスコ講和条約第11条に基づき、日本政府は、関係国の了解を取り付け、戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」を昭和28(1953年)8月3日 衆議院本会議で旧社会党、共産党を含む全会一致で決議し、戦犯の赦免が行われ名誉回復がなされました。死刑になった人々ももし生きていれば当然赦免されたはずです。ですからこの時点で日本にはA級戦犯は一人もいなくなったと考えることができます。
A級戦犯とされ禁固7年だった重光葵(しげみつまもる)は、後に副首相兼外務大臣に就任。昭和31年(1956年)12月18日,第11回国連総会で日本の国連加盟が認められました。その時日本を代表して国連で演説をし、そこで拍手を浴びています。また、彼は、国連本部の国旗掲揚に立ち会いました。(最初の写真)
いまだにA級戦犯と言っているのは、中韓北と日本のマスコミだけなのです。学校の先生の中にもいらっしゃるかもしれません。
蛇足ですが、日本陸軍の「捕虜になるべからず」という戦陣訓は、もともと中国軍の捕虜になったら残酷な殺され方をするので自決の方が楽だからという理由だったといわれています。それでは、第5回支那事変(南京事件はあった?)を終わります。
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